ポケットモンスター ―もうひとつのマサラの物語― 作:mss
クチバジムの床は、朝の光を受けて鈍く光っていた。
マサシは挑戦者側の位置へ立ち、向こう側を見た。
マチスの隣で、ライチュウが長い尻尾を揺らしている。
客席には、サトシたちの姿があった。
ピカチュウはサトシの膝の上だ。
今日はまだ安静にするよう言われていて、再挑戦は回復してからになっている。
「マサシ! 頑張れよ!」
サトシの声に、マサシは手を上げた。
足元のヒトカゲが、前へ出る。
「そいつに決めたんだな!」
マチスが笑った。
「昨日、よく考えるって言っただろ?」
「ハッハッハ! どんな答えを出したか、見せてもらおう!」
ライチュウがフィールドへ進む。
ヒトカゲも、その正面で止まった。
係員が二体を確かめ、腕を上げる。
「使用ポケモンは双方一体。どちらかが戦闘不能になった時点で終了です」
マサシは、ヒトカゲの背中へ目を向けた。
「頼むぞ」
「カゲ!」
「試合、始め!」
*
「ライチュウ、10万ボルト!」
頬が光った。
「横へ!」
ヒトカゲが走る。
黄色い電撃が、そのすぐ後ろの床を叩いた。
音に肩が跳ねる。
だが、足は止めなかった。
「ひのこ!」
振り向きながら、小さな火の粒を放つ。
ライチュウは腕で顔の前を守り、体をずらした。
いくつかが脇へ当たる。
それでも、その足は動かなかった。
「そんな火じゃ、止められないぜ!」
マチスが声を張る。
「たいあたり!」
大きな体が走り出した。
「かわせ!」
ヒトカゲが横へ跳ぶ。
ライチュウは床へ尻尾をつき、体の向きを変えた。
その肩が、逃げようとしたヒトカゲを捉える。
「カゲッ!」
ヒトカゲが床を滑った。
客席で、サトシが立ち上がりかける。
「ヒトカゲ!」
マサシはすぐに声をかけた。
「起きられるか!」
ヒトカゲが前脚をつく。
立ち上がり、口元を拭った。
目は、ライチュウから離れていない。
「……よし」
マサシは短く息を吐いた。
昨日のニドリーノも、あの体の切り返しで押し返されていた。
見ていたつもりだった。
だが、ヒトカゲが動く速さに合わせて見れば、想像よりずっと隙が小さい。
ライチュウの尻尾が、再び床から離れた。
マサシの視線が、その先を追う。
*
「ライチュウ、もう一度だ!」
電気が頬へ集まる。
「走れ!」
ヒトカゲが動いた。
電撃が追う。
途中で鋭く向きを変えると、雷はその後ろを通った。
「止まるな、ひのこ!」
火の粒が飛ぶ。
ライチュウは顔を守る。
その間に、ヒトカゲが横へ回った。
「後ろを取るつもりか!」
マチスの声で、ライチュウが向き直る。
長い尻尾が、ヒトカゲの前へ伸びた。
「尻尾に気をつけろ!」
マサシが声を上げる。
ヒトカゲが足を引いた。
目の前を、太い尻尾が払う。
避けたところへ、ライチュウが一歩踏み込んだ。
「10万ボルト!」
「跳べ!」
ヒトカゲが地面を蹴る。
間に合わなかった。
電撃が脇へ触れ、小さな体が宙で強張った。
「カゲェッ!」
床へ落ちる。
マサシの指が、強く握られた。
ヒトカゲは歯を食いしばり、体を起こす。
前脚が少し震えていた。
「……ヒトカゲ」
呼ぶと、顔がこちらへ向いた。
マサシは膝を曲げ、その目を見た。
「動けるか?」
ヒトカゲが頷く。
「カゲ!」
まだ、戦いたい。
その返事を受けて、マサシも頷いた。
「わかった。今の、見えたぞ」
ヒトカゲの耳が動く。
マサシはライチュウへ視線を戻した。
近づかれれば、尻尾で止める。
避けた相手へ一歩踏み込み、電撃。
力で押しているだけではない。
こちらが逃げる方向まで使って、攻撃をつないでいる。
ならば、そのつなぎ目を変えさせる。
「次は、近くまで行くぞ」
*
「まだ来るか、ベイビー!」
マチスが笑う。
マサシの口元も、少し上がった。
「行くさ。まだ終わってないだろ」
「その意気だ! ライチュウ、10万ボルト!」
「斜めへ!」
ヒトカゲが走った。
今度は横へ逃げるだけではない。
電撃をかわしながら、少しずつ距離を詰める。
「ひのこ!」
炎がライチュウの胸へ飛ぶ。
ライチュウが片腕を上げる。
その瞬間、ヒトカゲがさらに踏み込んだ。
「迎え撃て!」
ライチュウが腰を落とす。
長い尻尾が、床へ下りる。
マサシはそこを指さした。
「下だ、ひのこ!」
ヒトカゲが口を下げた。
狙ったのは、ライチュウの足元。
床へつこうとした尻尾の先に、火の粒が当たった。
「ライッ!」
尻尾が跳ね上がる。
支えを失ったライチュウの体が、わずかに傾いた。
「今だ、ひっかく!」
ヒトカゲが飛び込んだ。
爪が肩を捉える。
横へ抜ける。
振り向こうとしたライチュウは、片脚を踏み直さなければならなかった。
「切り返せ!」
ヒトカゲが戻る。
「ひのこ!」
近い距離から、炎が脇へ当たった。
ライチュウが一歩下がる。
客席で、タケシが目を見開いた。
「尻尾を支えにして、急に向きを変えていたのか……」
「そこを狙ったんだな!」
サトシがフィールドへ身を乗り出す。
マチスは笑みを消していた。
しかし、次の指示は早かった。
「ライチュウ! 追わずに撃て!」
振り返る途中のライチュウが、その場で電気を放つ。
「下がれ!」
ヒトカゲが後ろへ跳んだ。
電撃が目の前を走る。
近づき続けていれば、まともに受けていた。
着地したヒトカゲが、荒く息を吐く。
マサシは頷いた。
「そう。無理に続けなくていい」
*
ライチュウは、もう尻尾を床へつかなかった。
体を低くし、ヒトカゲの動きを目で追う。
「同じ手は、何度も食わないぜ!」
「それは、こっちもだろ」
マサシは答えた。
「ヒトカゲ、回れ!」
ヒトカゲが走り出す。
ライチュウの周囲を、大きく。
「10万ボルト!」
「切り返せ!」
電撃が走る直前、ヒトカゲが向きを変えた。
雷が床を打つ。
ライチュウが体を回す。
さっきまでなら、尻尾を使って一気に向き直っていた。
今は、足を踏み替えている。
「ひのこ!」
火の粒が、ライチュウの背へ当たった。
「ライチュウ、振り向いてたいあたり!」
大きな体が迫る。
ヒトカゲが身構えた。
マサシは、その前へ声を飛ばした。
「まだだ!」
ぎりぎりまで、待つ。
ライチュウが肩を下げた。
「横へ!」
ヒトカゲが身をひねる。
肩がかすめる。
それでも今度は、押し倒されなかった。
ライチュウが止まるため、床へ尻尾を伸ばす。
「ひのこ!」
再び、足元へ。
ライチュウが尻尾を引く。
止まりきれず、二歩、走り抜けた。
マチスが声を張った。
「そのまま離れろ!」
マサシは追わせなかった。
「ヒトカゲ、止まれ!」
二体の距離が開く。
ヒトカゲは低く構えたまま、息を整えた。
ライチュウも肩を上下させている。
何度も向き直り、電撃を放ち、攻撃を受けていた。
マチスの目が、マサシへ向く。
「尻尾を使えば、そこを狙う。使わなければ、回り込むってわけか」
「さっきまで、どっち向いても追いつかれたからな」
マサシはヒトカゲの背中を見た。
「今なら、間に合う」
*
「だったら、動く前に決めてやる!」
マチスが拳を握った。
「ライチュウ、全力の10万ボルトだ!」
ライチュウが両脚を開く。
頬が、強く輝いた。
ヒトカゲの呼吸が聞こえる。
もう長く走り続ける余裕はない。
マサシは、ライチュウの顔を見ていた。
放つ直前、視線が狙う場所へ定まる。
その瞬間に。
「横へ、踏み込め!」
ヒトカゲが地面を蹴った。
真横ではない。
斜め前へ。
強い電撃が、そのすぐ後ろを抜けた。
光と音がフィールドを満たす。
ヒトカゲの体が、雷のそばで小さく揺れた。
けれど、足は止まらない。
「もう一歩!」
「カゲェッ!」
ライチュウが顔を向けた。
次の電撃を放つには、近すぎる。
「たいあたりで迎え撃て!」
マチスの声に、ライチュウが踏み込む。
ヒトカゲも正面へ迫る。
マサシは、昨日見たニドリーノの突進を思い出していた。
同じように、ぶつかってはいけない。
「切り返せ!」
ヒトカゲの足が、鋭く床を蹴った。
正面から、横へ。
ライチュウが向きを変えようとする。
尻尾が動く。
「ひのこ!」
足元に炎。
ライチュウの尻尾が止まった。
大きな体が、ヒトカゲを向ききれない。
「いけっ!」
ヒトカゲが跳んだ。
「ひっかく!」
伸ばした爪が、ライチュウの肩を捉えた。
そのまま横へ着地する。
ヒトカゲは、もう距離を取らなかった。
マサシの声が、フィールドへ響く。
「ひのこ!」
炎が、ライチュウの胸へ当たった。
橙色の体がよろめく。
後脚が踏ん張った。
一度は体を起こしかけたが、そのまま膝が折れる。
ライチュウが床へ倒れた。
ヒトカゲも、両手をついた。
肩で息をしている。
マサシは、動けずに見つめていた。
係員がライチュウへ近づき、状態を確かめる。
腕が上がった。
「ライチュウ、戦闘不能! ヒトカゲの勝ち!」
続いて、マサシ側へ向き直る。
「勝者、マサラタウンのマサシ!」
*
マサシはフィールドへ駆け出した。
「ヒトカゲ!」
しゃがみ、体を支える。
ヒトカゲが顔を上げた。
「……勝ったぞ」
「カゲ」
小さな返事。
マサシが笑うと、ヒトカゲも口元を緩めた。
「よく動いてくれた。最後まで、ちゃんと届いたな」
抱き上げた体は、温かかった。
向こう側では、マチスがライチュウを労っていた。
ボールへ戻すと、大きな足音を響かせて歩いてくる。
「見事だったぜ、ボーイ」
マサシが顔を上げる。
「パワーだけじゃない。こいつの動きまで、よく見てた」
「最初は、全然かわせなかったけどな」
「それでも、最後には変えた」
マチスはヒトカゲを見下ろした。
「お前も、いいトレーナーを持ったな」
ヒトカゲが、少し誇らしそうに鳴いた。
差し出された手に、小さなバッジが乗っている。
オレンジ色に輝く、オレンジバッジ。
「受け取りな。お前たちの勝利の証だ!」
マサシは空いた手を伸ばした。
「ありがとう」
掌に、三つ目の重みが加わった。
*
「すごかったぞ、マサシ!」
サトシたちが駆け寄ってきた。
ピカチュウは、サトシの腕の中からヒトカゲへ声をかける。
「ピカ、ピカチュウ!」
「カゲ」
二体の顔が近づいた。
サトシはその姿を見てから、フィールドへ目を向けた。
「俺たちも、勝つからな」
マサシは頷いた。
「待ってる」
それだけで、十分だった。
カスミがヒトカゲの顔を覗き込む。
「まずは治療ね。頑張ったんだから、今日はゆっくり休ませてあげなさいよ」
「わかってる」
マサシはヒトカゲを抱き直した。
腕の中で、ヒトカゲが目を細める。
ジムの扉を出ると、港から汽笛が聞こえてきた。
昨日より少し近く感じる、その音を聞きながら、マサシはポケモンセンターへ歩き出した。
第30話終了
次回・第31話「勝利のあとで!港に集まる旅人たち」