ポケットモンスター ―もうひとつのマサラの物語― 作:mss
ポケモンセンターへ戻るころには、ヒトカゲはマサシの腕の中で目を閉じていた。
眠っているだけだと、呼吸を確かめればわかる。
それでも、抱く腕には少し力が入った。
「お願いします」
受付でヒトカゲを預けると、ジョーイはすぐに診察へ運んでくれた。
しばらくして戻ってきた彼女は、マサシの前で微笑んだ。
「大きな怪我はありません。ただ、かなり力を使い切っていますね。今日はゆっくり休んで、明日の朝、もう一度様子を見ましょう」
「……はい」
マサシはようやく肩を下ろした。
隣ではサトシが、治療室のほうを見ている。
「最後、すごかったな。ライチュウのすぐ横まで入って」
「あそこまで走ってくれたからな」
マサシは、手の中のバッジケースを開いた。
グレー、ブルー、オレンジ。
三つ並んだところを見て、口元が緩む。
「戻ってきたら、みんなにも見せる」
*
その日の午後は、中庭で過ごした。
ヒトカゲ以外の五体にバッジを見せると、ポッポが真っ先に鳴いた。
バタフリーとスピアーは、ケースを覗き込むように飛んでくる。
ニドラン♂が鼻を近づけすぎたので、マサシは少しだけ手を引いた。
「食うなよ」
「ニドッ」
「わかってるならいいけど」
隣のニドラン♀が、相方の肩を鼻で押した。
マサシは笑い、ケースを閉じる。
そこへ、サトシたちもやってきた。
「こっちも、みんな出していいか?」
「もちろん」
サトシがボールを開く。
ピジョン、バタフリー。
そして、フシギダネ、ヒトカゲ、ゼニガメが現れた。
マサシは目を丸くした。
「……増えたな」
「だろ!」
サトシが嬉しそうに笑う。
「ハナダを出てから、いろいろあったんだ!」
ゼニガメが胸を張る。
フシギダネは落ち着いた様子で周囲を見回し、ヒトカゲはマサシのそばへ来た。
マサシはしゃがんで手を差し出す。
「よろしく。俺のところにも、ヒトカゲがいるんだ」
「カゲ?」
「今日は寝てるけどな。今度会ってやってくれよ」
ヒトカゲが頷く。
頭上では、二体のバタフリーが向き合っていた。
羽を揺らし、鳴き声を交わす。
ポッポもピジョンの隣へ止まり、少し背伸びをしていた。
「お互い、ちゃんと旅してるな」
マサシが言うと、サトシが頷いた。
「ああ!」
膝の上のピカチュウを見下ろし、その背中へ手を添える。
「俺たちも、明日もう一回行く」
「わかった。ヒトカゲの診察が終わってたら、応援に行くよ」
「待ってる!」
*
翌朝、ヒトカゲは自分の足で待合室へ戻ってきた。
「カゲ!」
マサシを見るなり、片手を上げる。
「おはよう。元気になったか?」
しゃがむと、ヒトカゲが胸へ飛び込んできた。
昨日より、ずっと力がある。
マサシは笑って受け止めた。
「検査も問題ありませんでした。今日はもう、いつもどおりで大丈夫ですよ」
ジョーイの言葉に、マサシは頭を下げた。
「ありがとうございます」
ヒトカゲを床へ下ろす。
その前へ、バッジケースを開いた。
「昨日、ゆっくり見せてなかっただろ」
オレンジ色のバッジ。
ヒトカゲはしばらくそれを見つめ、指先でそっと触れた。
「お前が取ってくれたんだぞ」
「カゲ」
今度は顔を上げ、マサシを見る。
その目を見て、マサシは少し照れくさくなった。
「……俺も、ちゃんと頑張ったけどさ」
ヒトカゲが笑うように鳴いた。
*
サトシの再挑戦には、間に合った。
マサシが客席へ座ったとき、ピカチュウはフィールドへ走り出すところだった。
隣に座るヒトカゲが、身を乗り出す。
昨日とは違う戦い方だった。
ピカチュウはライチュウと正面から押し合わない。
低く滑り込み、鋭く曲がり、相手が向き直る前に別の場所へいる。
サトシの声が、その動きに重なっていた。
最後にライチュウが倒れたとき、マサシも思わず立ち上がった。
「よしっ!」
ヒトカゲが両腕を振る。
フィールドでは、サトシがピカチュウを抱きしめていた。
マサシはその姿を見て、笑った。
同じ相手でも、勝ち方は一つではない。
ヒトカゲが、マサシの袖を引いた。
「ああ。俺たちも、まだ強くなれるな」
*
昼過ぎ、マサシはヒトカゲと港へ向かった。
サトシたちは、ピカチュウを休ませるためにセンターへ戻っている。
港では荷車が行き交い、船へ向かう人の列ができていた。
「今日は、近くで見られるな」
マサシが言うと、ヒトカゲも嬉しそうに歩幅を広げた。
大きな船の横へ出る。
船体を見上げると、首が痛くなりそうだった。
「これ、何人乗れるんだろ」
「カゲ……」
二人で見上げていると、少し離れた場所から笑い声がした。
「ほら、何かやってみろよ」
「はねるしかできないのか?」
マサシが振り向いた。
船着き場の端に、少年たちが集まっている。
その足元で、赤いポケモンが跳ねていた。
コイキングだった。
濡れた地面へ体を打ちつけ、尾を動かしている。
一人の少年が、靴先を近づけた。
コイキングがびくりと跳ねる。
それを見て、また笑い声が上がった。
マサシは歩き出した。
「何してるんだよ」
少年たちが顔を向ける。
「別に。こいつが全然戻らないから」
そばには、魚を選り分けるための浅い水槽があった。
海へ流れ込む排水溝との間は、段差になっている。
コイキングの体が跳ねた。
水槽には届かず、再び地面へ落ちる。
「……戻れないんだろ」
マサシは少年たちの間へ入り、膝をついた。
手を伸ばす。
コイキングが、激しく体を跳ねさせた。
「おっと」
マサシはすぐに手を止めた。
「わかった。急に触らない」
ヒトカゲが、隣へしゃがむ。
コイキングは二体を見比べ、口をぱくぱくと動かした。
「弱いんだから、放っとけばいいじゃん」
背後から声がした。
マサシが振り向く。
「弱かったら、困ってても笑ってていいのか?」
少年の口が閉じた。
マサシは睨み続けず、コイキングへ顔を戻した。
「水に戻そうとしてたなら、手伝ってくれよ。通る人に踏まれたら危ないだろ」
誰も動かなかった。
マサシはリュックからタオルを出した。
水槽の水で湿らせ、両手へ広げる。
「持ち上げるぞ」
コイキングは、また少し身を震わせた。
マサシは急がず、腹の下へ手を差し込んだ。
重い。
ヒトカゲも横から、尾が地面へ落ちないよう支えてくれる。
「ありがと。そのまま」
二人で水槽まで運ぶ。
水へ下ろした瞬間、コイキングの尾が大きく動いた。
しぶきが上がる。
マサシの顔へ、まともにかかった。
「……ぶっ」
ヒトカゲも目を閉じる。
水槽の中で、コイキングが二体を見ていた。
マサシは顔を拭き、笑った。
「元気はあるな、お前」
*
「どうした?」
荷物を運んでいた港の作業員が近づいてきた。
事情を話すと、彼は水槽の横へしゃがんだ。
「波で入り込むことがあるんだ。海へ戻してやるよ」
そばにあった大きな容器へ水を汲む。
少年たちは、いつの間にか少し離れていた。
一人が小さな声で言う。
「……悪かったよ」
マサシはそちらを見た。
「今度は、先に助けてやって」
少年は頷いた。
作業員と一緒にコイキングを容器へ移し、低い桟橋へ運ぶ。
海へ傾けると、赤い体が水の中へ滑り込んだ。
尾が揺れる。
一度深く潜り、再び水面へ顔を出した。
「じゃあな」
マサシが手を上げる。
コイキングは、そこから動かなかった。
口を開き、マサシを見ている。
「……どうした?」
ヒトカゲが桟橋の端へ寄り、手を振った。
「カゲ!」
コイキングが跳ねた。
大きなしぶきが、また二体へ降りかかる。
「二回目!」
マサシが声を上げると、ヒトカゲが楽しそうに鳴いた。
コイキングは水面へ戻り、今度は桟橋に沿って泳ぎ始めた。
マサシが数歩進む。
コイキングもついてくる。
止まると、向こうも止まった。
マサシはしゃがんだ。
「お前……一緒に来たいのか?」
赤い尾が水面を叩いた。
すぐには、ボールへ手を伸ばさなかった。
昨日までの仲間たちの顔が浮かぶ。
六体。
ここにもう一体を迎えれば、誰かには研究所で待ってもらうことになる。
それに、コイキングが必要なのは水だ。
連れて歩くなら、そのことも考えなければならない。
マサシは桟橋の上へ座り直した。
「俺、ポケモンマスターを目指してるんだ」
コイキングが、じっとこちらを見る。
「バトルもするし、いろんな場所へ行く。今日は海でも、明日は山かもしれない」
小さな波が、桟橋の柱へ当たった。
「お前が何できるか、まだ全然知らないけどさ」
マサシは手を伸ばした。
指先を水へ入れる。
「一緒に行くなら、これから知っていきたい」
コイキングが近づいた。
さっきは触れようとしただけで、逃げようとしていた。
今は自分から、マサシの指へ口先を寄せてくる。
マサシの口元が緩んだ。
「……そっか」
ヒトカゲが隣へ座る。
その目も、穏やかだった。
「じゃあ、まずは博士に相談だな」
マサシは顔を上げた。
急いで決めなくてもいい。
この一体を迎える準備を、ちゃんと整えたい。
「すぐ戻ってくる。ここで待ってられるか?」
コイキングが尾を揺らした。
近くで聞いていた作業員が、笑って頷く。
「俺が見てるよ。岸から離れないようにな」
「ありがとうございます」
マサシは立ち上がり、ヒトカゲと歩き出した。
数歩先で振り返る。
水面に、赤い顔が浮かんでいた。
「約束だからな!」
声をかけると、コイキングがもう一度跳ねた。
今度のしぶきは、届かなかった。
第31話終了
次回・第32話「弱くたって仲間だ!コイキングとの約束」