ポケットモンスター ―もうひとつのマサラの物語― 作:mss
朝のプールを、赤い体が横切った。
マサシが水面へ浮かべた葉に、コイキングが追いつく。
そのまま口で触れ、こちらへ押し戻してきた。
「お、持ってきた」
プールの縁へしゃがみ、葉を受け取る。
隣のヒトカゲが手を叩いた。
「カゲ!」
コイキングは得意そうに尾を揺らし、また少し先へ泳いでいく。
昨日仲間になったばかりなのに、マサシが水辺へ来ると、すぐに顔を出すようになっていた。
「今日は、どこまで行けるかな」
マサシが立ち上がる。
「水場を探しながら進むから、見つけたらまた出すぞ」
コイキングが、くるりと向きを変えて戻ってきた。
ボールを近づけると、自分から口先で触れる。
赤い光が水面を照らした。
マサシはボールを腰へ収め、リュックを持ち上げた。
「よし。出発」
*
待合室では、サトシがバッジケースを広げていた。
真ん中で輝くオレンジバッジを、ピカチュウが覗き込んでいる。
「おはよう」
マサシが声をかけると、サトシが顔を上げた。
「おはよう! もう行くのか?」
「そのつもり。次の街への道、受付で聞いてくる」
「俺たちも、そろそろ出ようと思ってたんだ」
隣では、タケシが地図を畳んでいる。
カスミは水筒の蓋を閉め、マサシの腰へ目を向けた。
「コイキング、どう?」
「元気。葉っぱ追いかけるの、結構速いぞ」
「みずポケモンなんだから、水の中ではちゃんと動けるわよ」
「うん。それ、昨日からよくわかった」
マサシが笑う。
サトシはボールを見て、少し前へ乗り出した。
「今度、泳いでるところ見せてくれよ!」
「いいよ。ピカチュウ、落ちるなよ?」
「ピカ?」
ピカチュウが自分を指さす。
サトシが笑った。
四人でセンターを出ると、港から大きな汽笛が響いた。
建物の間に、白い船体が見える。
「出港するのかな」
マサシが足を止めた、そのときだった。
「そこの、旅のトレーナーの皆さーん!」
明るい声が飛んできた。
*
派手な帽子をかぶった二人組が、通りに立っていた。
一人は大きな封筒を抱え、もう一人は道行く人へ紙を配っている。
「本日、サント・アンヌ号で、トレーナー交流パーティーを開催しまーす!」
「お食事に、ポケモンバトル! 豪華な船内も見学できますよ!」
サトシがすぐに立ち止まった。
「ポケモンバトル!?」
マサシは、その隣から二人組を見る。
帽子の下の顔は、大きな眼鏡でよく見えない。
妙に勢いのいい声には、どこか聞き覚えがあった。
「無料でご招待です!」
一枚の紙が、目の前へ差し出される。
サトシが受け取った。
「すげえ! これ、本当にもらっていいのか?」
「もっちろん!」
もう一枚が、マサシの手にも押し込まれる。
「あなたも、お連れの皆さんも!」
ヒトカゲが紙を覗いた。
金色の模様と、大きな船の絵。
マサシは裏返し、出港時刻や乗船口を確かめる。
「……豪華だな」
「でしょう? めったにない機会ですよ!」
タケシが自分の招待状を見た。
「トレーナーを集めた催しなら、面白そうだな」
「船の上から海を見られるのも、いいわね」
カスミも港へ顔を向ける。
サトシは、もう行く気になっていた。
「よし! みんなで行こうぜ!」
マサシは招待状をもう一度見下ろす。
大きな船には、昨日から乗ってみたいと思っていた。
「……ちょっと寄り道、だな」
ヒトカゲも嬉しそうに頷いた。
四人が港へ歩き出したあと、背後で二人組の声が小さく重なった。
けれど、汽笛に紛れて聞き取れなかった。
*
サント・アンヌ号は、近くで見ると、さらに大きかった。
乗船口まで続く階段を、着飾った人々が上がっていく。
ポケモンを連れたトレーナーの姿も多い。
マサシは係員へ招待状を渡した。
「ようこそ、サント・アンヌ号へ」
紙を確かめた係員が、笑顔で道を開ける。
階段を上がる途中、ヒトカゲが手すりの間から海を覗いた。
「足元、見ろよ」
マサシが声をかける。
そう言った自分も、甲板へ出たところで立ち止まった。
港が、いつもより低い。
遠くの建物の屋根まで見える。
「……高いな」
「カゲ……」
二体で並んで下を覗き、カスミに背中を押された。
「そこにいたら、後ろの人が通れないでしょ」
「あ、悪い」
慌てて横へ寄る。
サトシは少し先で、目を輝かせていた。
「すごい船だな! なあ、ピカチュウ!」
「ピカチュウ!」
開かれた扉の奥から、賑やかな音楽が聞こえてきた。
*
会場には、長いテーブルが並んでいた。
料理の皿。
果物の盛り合わせ。
天井の明かりを受けて輝く、いくつものグラス。
その間を、人とポケモンが行き交っている。
「……ちょっとした街じゃん」
マサシが呟いた横で、ヒトカゲのお腹が鳴った。
顔を見合わせる。
「朝、食べたよな?」
「カゲ」
「まあ、俺もちょっと食べたいけど」
係員にポケモン用の食事もあると教わり、マサシは小皿へ分けてもらった。
ほかの仲間たちには、広い場所で順番に食べさせてやろう。
コイキングが入れる水場もあるか尋ねると、後方の甲板に小さなプールがあるという。
「あとで行こうな」
腰のボールへ声をかける。
そのとき、会場の中央から歓声が上がった。
「いけ、バタフリー!」
サトシの声だった。
「……もう始めてる」
マサシは皿を置き、ヒトカゲと人垣へ向かった。
輪の中では、サトシのバタフリーと、一体のラッタが向き合っていた。
相手は、立派な上着を着た紳士だ。
ラッタが床を蹴る。
「上へかわせ!」
バタフリーが舞い上がった。
くちばしでも角でもない、大きな前歯が、その下を通り過ぎる。
サトシが続けて指示を出そうとしたところで、紳士が片手を上げた。
「いや、お見事。いいバタフリーを育てているね」
勝負はそこで止まった。
サトシが少し驚いた顔をしてから、嬉しそうに笑う。
「ありがとうございます!」
マサシは輪の外から手を振った。
「早いな、始めるの」
「だって、バトルしていいって言われたからさ!」
サトシが答える。
その頭上で、バタフリーが羽を揺らした。
紳士はラッタを戻しながら、サトシへ何かを話しかけ始める。
マサシはヒトカゲを見下ろした。
「俺たちも一回くらい、やってくか?」
「カゲ!」
*
相手になったのは、船旅の途中だという青年だった。
使うポケモンは、ニョロモ。
マサシはボールを一つ取った。
「バタフリー、頼む!」
現れた白い羽に、周りの客が目を向ける。
バタフリーは会場を一度見渡し、マサシの前へ下りてきた。
「一対一。危なくなったら、止めよう」
「ええ。それでいきましょう」
青年が頷く。
人垣が少し広がった。
「ニョロモ、みずでっぽう!」
水が放たれる。
「横へ!」
バタフリーが身を翻した。
水は後ろの空いた床へ当たった。
青年がすぐに指示を変える。
「近づいて、もう一度!」
ニョロモが短い脚で走る。
バタフリーを見上げ、狙いをつける。
マサシはその顔を見た。
空中の相手を追い続けている。
「低く回れ!」
バタフリーが高度を落とした。
ニョロモの周りを、小さく回る。
ニョロモが体ごと向きを変えた。
水を撃とうとするたび、バタフリーはその横へ抜ける。
「止まって待て、ニョロモ!」
青年の声で、ニョロモが足を止めた。
回ってくる先を狙う。
マサシも、それを見た。
「上だ!」
バタフリーが、ふわりと上がる。
ニョロモの目が追った。
その瞬間、バタフリーの羽から、細かな粉がこぼれた。
光の中で、きらきらと落ちる。
ニョロモが瞬きをした。
もう一度、まぶたが閉じる。
「……ニョロモ?」
丸い体が、座り込んだ。
小さな寝息が聞こえた。
マサシはバタフリーを見上げた。
「ねむりごな……使えたのか」
バタフリーが、自分でも確かめるように羽を動かす。
「フリー」
青年はニョロモの様子を見てから、笑った。
「ここまでにしましょう。すっかり眠ってしまいました」
「はい。ありがとうございました」
マサシは頭を下げ、腕を上げた。
戻ってきたバタフリーが、そこへ止まる。
「また一つ、わかったな」
赤い目が、こちらを向く。
「でも、ここじゃ粉を広げすぎないようにしよう。周りの人まで寝たら大変だ」
バタフリーが鳴いた。
マサシはその顔へ、そっと指を寄せた。
*
会場を離れ、後方の甲板へ出ると、潮風が頬を撫でた。
小さなプールの周りには、ほかにもみずポケモンを連れた客がいた。
マサシは係員へ声をかけ、空いている場所へコイキングを出した。
赤い体が、水の中を進む。
一周して戻り、マサシへ顔を向けた。
「どうだ? 船の上の水も、変わんないか?」
コイキングが尾を振る。
ヒトカゲが縁へ座り、その動きを追った。
バタフリーは手すりに止まっている。
マサシも隣へ腰を下ろした。
遠くで、出港を知らせる汽笛が鳴った。
足元へ、低い振動が伝わってくる。
船が動き始めたのだ。
マサシは顔を上げた。
岸壁が、少しずつ遠ざかっていく。
「……ほんとに海へ出るんだな」
コイキングも水面から顔を出していた。
ヒトカゲが立ち上がり、手すりの向こうを覗く。
マサシはその隣へ並んだ。
クチバシティの建物が、ゆっくり小さくなっていく。
船の進む先には、青い海が広がっていた。
その景色を眺めながら、マサシはまだ知らなかった。
同じ船の下の階で、白い制服の二人組が、黒い制服の男たちと合流していることを。
そして、豪華なパーティーの裏で、別の計画が動き始めていることを。
第33話終了
次回・第34話「船上の罠!狙われたモンスターボール」