ポケットモンスター ―もうひとつのマサラの物語― 作:mss
最初に聞こえたのは、悲鳴だった。
マサシは甲板の手すりから顔を上げた。
開いた扉の向こうで、誰かが走っている。
続いて、硬いものが床を転がる音がした。
「……ヒトカゲ」
「カゲ」
隣のヒトカゲも、扉へ向き直っていた。
マサシはプールへしゃがみ、コイキングにボールを近づける。
「ちょっと戻っててくれ」
赤い体が光へ変わる。
バタフリーも戻し、腰のボールを確かめた。
その直後、廊下からタケシが駆け込んできた。
「マサシ! ロケット団だ!」
*
会場は、さっきまでとは別の場所のようだった。
料理の皿が床へ落ち、椅子が倒れている。
黒い制服を着た男たちが、出入り口を塞いでいた。
胸には、赤いRの文字。
その一人が太い筒を客へ向けると、強い風が巻き起こった。
違う。
吸い込んでいる。
テーブルの上に置かれていたモンスターボールが浮き、筒の中へ消えた。
「返せ!」
追いかけたトレーナーの前へ、別の団員が立ちはだかる。
マサシは扉の陰で足を止めた。
「……あの機械か」
「荷物ごと持っていこうとしてるんだ」
タケシが低く言った。
会場の向こうでは、サトシとカスミが客たちを壁際へ下がらせていた。
マサシに気づいたサトシが、手を上げる。
「こっちだ!」
その声を聞き、中央にいた二人組が振り向いた。
「来たわね、ヒトカゲのガキ!」
「今日こそ逃がさないぞ!」
ムサシとコジロウだった。
ニャースが、二人の足元から顔を出す。
「おとなしくボールを渡すニャ!」
マサシは目を細めた。
「……招待状、配ってたのもお前らか」
「今さら気づいたって遅いわよ!」
ムサシが眼鏡を外す仕草をする。
マサシは小さく息を吐いた。
あの声に引っかかった理由が、ようやくわかった。
「招待状、ちゃんとしたやつだったのにな」
「そこに感心してる場合か!」
サトシに言われ、マサシはその隣へ走った。
*
「ポケモンを出すなら気をつけろ」
タケシが背後から声をかける。
「あいつら、ボールを狙ってる!」
マサシは頷き、バタフリーとスピアーを呼んだ。
ボールはすぐにリュックの内側へ収め、留め具を閉じる。
「バタフリー、後ろの人たちを頼む。スピアーは、俺のそば!」
二体が位置を変える。
ヒトカゲが前へ出た。
「アーボ、いきなさい!」
「ドガース、頼むぞ!」
ムサシたちのポケモンが現れる。
サトシも、ピカチュウへ声をかけた。
「ピカチュウ、いくぞ!」
その横を、大きな影が通った。
タケシのイシツブテが、客たちと団員の間へ立つ。
カスミのヒトデマンは、反対側の通路を守った。
だが、団員はまだ何人もいる。
吸引機の音が、さらに大きくなった。
「ボールが駄目なら、その荷物ごともらうぞ!」
筒が、マサシたちへ向く。
リュックが引かれた。
マサシは肩紐をつかみ、近くの柱へ背を寄せた。
床の紙ナプキンが舞い上がり、筒へ吸い込まれていく。
「ヒトカゲ、下がれ!」
ヒトカゲが柱の陰へ飛び込む。
スピアーも羽を強く動かし、その後ろへ回った。
サトシたちも、倒れたテーブルの向こうへ身を伏せる。
マサシは柱の端から、機械を見た。
長い筒。
そこから伸びた管。
背中に担いだ、大きな袋。
吸い込まれたものは、全部あそこへ集まっている。
「……スピアー」
マサシは低く呼んだ。
赤い目が、こちらを向く。
「前じゃない。後ろへ回れるか?」
スピアーが、団員の背中を見た。
羽音が低くなる。
マサシは頷いた。
「俺の合図でな」
*
「隠れても無駄よ!」
ムサシの声が響く。
「アーボ、追い出して!」
アーボが床を滑ってくる。
マサシはその頭を見た。
柱の右側へ回り込む。
「ヒトカゲ、左へ!」
ヒトカゲが飛び出した。
アーボが向きを変える。
「ピカチュウ、でんこうせっか!」
サトシの声。
黄色い影が走り、アーボの横へぶつかった。
体が押され、ムサシが声を上げる。
マサシは、その隙に柱の外へ出た。
「こっちだ!」
吸引機を持つ団員が振り向く。
「自分から出てきたか!」
筒がこちらへ向いた。
マサシは、倒れた椅子の背をつかむ。
吸われる力で、椅子が床を擦った。
団員の両手が、筒を支えるために下がる。
「スピアー、今だ!」
柱の反対側から、黄色と黒の体が飛び出した。
団員の横を抜ける。
狙いは人ではない。
背負われた袋だった。
「袋を裂け!」
針が布へ入る。
スピアーが横へ飛んだ。
大きく開いた裂け目から、モンスターボールがこぼれ落ちた。
「なっ!?」
団員が慌てて振り返る。
その動きで、さらにボールが転がった。
「サトシ!」
「わかってる!」
サトシたちが飛び出す。
カスミとタケシも、客たちへ声をかけた。
「自分のボールを確かめて!」
「拾ったら、すぐ奥へ!」
団員が吸引機を持ち直す。
「もう一度吸い込めば——」
「ヒトカゲ、たいあたり!」
低く走ったヒトカゲが、筒の横へぶつかった。
狙いが跳ね上がる。
吸引口が、天井の飾り布へ触れた。
長い布が一気に吸い込まれる。
機械が甲高い音を立てた。
「止まれ、止まれ!」
団員がスイッチを叩く。
マサシはヒトカゲの隣へ駆け寄った。
「よし、離れろ!」
二体が下がる。
詰まった布を引き抜こうとする団員の背後で、スピアーが鋭く羽を鳴らした。
団員は振り返り、ついに機械を床へ放り出した。
*
一台が止まると、客たちも動き始めた。
「こっちの機械も、袋だ!」
「出てこい、ゴーリキー!」
「ニョロゾ、みずでっぽう!」
ボールを取り戻したトレーナーたちが、仲間を呼ぶ。
団員たちのほうが、後ろへ押され始めた。
「ちょっと、何やってんのよ!」
ムサシが声を張る。
「ドガース、えんまく!」
黒い煙が広がった。
マサシはすぐに腕を上げる。
「バタフリー、出口側へ風を送れ!」
バタフリーが羽ばたいた。
煙が流れる。
客のいる壁際ではなく、ロケット団の立つ通路へ。
「ニャー、見えないニャ!」
「ドガース、どこだ!」
煙の中で、声が重なる。
サトシがピカチュウを見た。
「ピカチュウ!」
頬が光る。
マサシはヒトカゲとスピアーを下がらせた。
カスミのヒトデマンも、通路から離れる。
「10万ボルト!」
黄色い光が、煙の中を走った。
「しびれるニャアアッ!」
三人の声が重なる。
煙が薄れた先で、ムサシたちは互いにつかまり、ふらふらと立ち上がった。
「撤退よ、撤退!」
「聞いてないぞ、こんなに強いやつがいるなんて!」
「早く逃げるニャ!」
アーボとドガースを戻し、奥の廊下へ駆け込んでいく。
黒い制服の団員たちも、あとを追った。
会場に残ったのは、壊れた機械と、散らばった椅子。
そして、仲間を抱きしめるトレーナーたちだった。
マサシは短く息を吐いた。
「……取り返せたか?」
周囲を見回す。
客たちが、それぞれのボールを確かめている。
タケシが頷いた。
「こっちは大丈夫だ」
カスミも、最後の一つを持ち主へ返していた。
マサシはヒトカゲへ手を伸ばす。
「よくやった」
「カゲ!」
スピアーもそばへ下りてくる。
「袋、きれいに開いたな」
その頭へ触れようとした、そのときだった。
床が、大きく傾いた。
*
倒れていた皿が滑る。
ガラスの割れる音が響いた。
「うわっ!」
マサシは柱へ手をついた。
ヒトカゲが足を踏ん張る。
窓の向こうで、空が暗くなっていた。
さっきまで穏やかだった海に、白い波が立っている。
放送が鳴った。
『お客様にお知らせします。係員の指示に従い、救命胴衣を着用してください』
会場の空気が変わった。
扉から船員が入り、近くの客へ救命胴衣を渡し始める。
「落ち着いて、甲板へ向かってください!」
サトシが窓へ顔を向けた。
「嵐だ……」
次の揺れは、さっきより大きかった。
テーブルが滑り、通路へぶつかる。
マサシはヒトカゲを抱き寄せ、バタフリーとスピアーをボールへ戻した。
腰とリュックを確かめる。
六体とも、そばにいる。
「マサシ、こっち!」
カスミが、係員のいる扉を指さした。
人々の列が動き出す。
マサシも続こうとして、床にしゃがみ込んだ小さな女の子に気づいた。
転がったボールへ手を伸ばしている。
船が、また揺れた。
ボールが遠ざかる。
マサシは一歩前へ出て、靴でそっと止めた。
「これ?」
拾って差し出すと、女の子が頷いた。
「ありがとう……」
「家の人、どこ?」
「こっちよ!」
列の前から、女性が駆け寄ってくる。
マサシは女の子の手を取り、母親へ渡した。
「足元、気をつけて」
親子が船員の案内で進んでいく。
マサシも追おうとした。
その瞬間、船の奥から、低い衝撃音が響いた。
照明が揺れる。
一つ、二つと消えた。
「ヒトカゲ!」
「カゲ!」
腕の中で、尻尾の炎が明るくなる。
暗くなった廊下に、橙色の道ができた。
マサシはヒトカゲを下ろし、サトシたちへ顔を向けた。
「行こう。みんな、離れるなよ!」
四人は、船員の呼ぶ声へ向かって走り出した。
第34話終了
次回・第35話「傾く船内!仲間と探す脱出の道」