ポケットモンスター ―もうひとつのマサラの物語―   作:mss

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第35話 傾く船内!仲間と探す脱出の道

廊下の先で、船員の持つ明かりが揺れていた。

 

「こちらです! 手すりにつかまって進んでください!」

 

 マサシはヒトカゲの隣を走った。

 

 傾いた床では、思うように足が出ない。

 

 壁へ手をつくたび、船の震えが掌へ伝わってきた。

 

 前にはサトシとカスミ。

 

 後ろにはタケシがいる。

 

 階段を上がれば、甲板へ出られる。

 

 そのはずだった。

 

 船が、大きく持ち上がった。

 

「うわっ!」

 

 足元が抜けるように傾く。

 

 マサシはヒトカゲを抱き寄せ、手すりへ腕をかけた。

 

 上から椅子が滑り落ちてくる。

 

「避けて!」

 

 カスミの声とともに、椅子が壁へぶつかった。

 

 続いて、重い金属音。

 

 階段の途中へ、横倒しになった備品棚が落ちてきた。

 

 先を進んでいた船員が、反対側から声を上げる。

 

「皆さん、怪我はありませんか!」

 

「こっちは大丈夫です!」

 

 タケシが答える。

 

 船員が棚を押す音がした。

 

 動かない。

 

 床が軋み、さらに別の荷物が重なった。

 

「ここは危険です! 別の通路を——」

 

 その声を、船体の低い唸りが遮った。

 

 マサシは振り返った。

 

 来た道の奥から、水が流れ込んでいた。

 

*

 

「戻ろう!」

 

 タケシが声を張った。

 

「さっきの分かれ道だ!」

 

 四人は壁に沿って引き返した。

 

 靴の下へ、冷たい水が触れる。

 

 最初は足首までだった。

 

 次の角を曲がるころには、流れが膝へ当たっていた。

 

 マサシはヒトカゲを高く抱き直す。

 

「少し戻っててくれ」

 

「カゲ!」

 

 ヒトカゲが、まだ自分で歩こうと身を乗り出した。

 

 マサシは首を振る。

 

「明かりは助かった。ここからは、水の中が得意なやつに頼む」

 

 目が合う。

 

 ヒトカゲは一度だけ頷いた。

 

 ボールへ戻し、リュックの内側へ収める。

 

 暗くなった廊下を、タケシの懐中電灯が照らした。

 

「こっち!」

 

 カスミが扉を開けた。

 

 四人が入ると、タケシが後ろ手に扉を押さえる。

 

 そこは、小さな食堂だった。

 

 窓の向こうを、黒い波が横切っている。

 

 マサシは近くのテーブルへ手をつき、息を整えた。

 

「……全員いるな?」

 

「いる!」

 

 サトシが答える。

 

 肩のピカチュウも鳴いた。

 

 カスミ、タケシ。

 

 それぞれが腰のボールを確かめる。

 

 マサシも留め具へ触れ、六つあることを指先で数えた。

 

*

 

 タケシが窓の取っ手を引いた。

 

 開かない。

 

 枠が歪んでいるうえ、外から波に押されていた。

 

「ここを無理に開けたら、一気に水が入るな」

 

 マサシは部屋を見回した。

 

 廊下へ戻る扉。

 

 小さな調理場。

 

 その奥に、もう一つの扉がある。

 

「向こうは?」

 

 近づき、押してみる。

 

 わずかに動いたが、すぐに何かへ引っかかった。

 

 サトシも隣から肩を当てる。

 

「せーの!」

 

 二人で押した。

 

 隙間が広がる。

 

 そこには、狭い作業用の通路があった。

 

 突き当たりに、上へ続く金属のはしごが見える。

 

「外へ出られるかもしれない!」

 

 サトシの声が明るくなった。

 

 しかし、通路の床はすでに水で覆われていた。

 

 浮いた箱が、扉の裏へ引っかかっている。

 

 マサシは隙間へ腕を入れた。

 

 箱を押す。

 

 水に浮いているぶん、少し動いた。

 

「もう一回!」

 

 サトシと押し、体が通る幅を作る。

 

 カスミが先へ入った。

 

 水の深さを確かめ、はしごの下まで進む。

 

 そのとき、船がまた傾いた。

 

 横から流れ込んだ水が、通路を走る。

 

「カスミ!」

 

 サトシが手を伸ばした。

 

 カスミははしごの支柱をつかみ、どうにか踏みとどまった。

 

「大丈夫! でも、上の蓋が開かない!」

 

 懐中電灯の光が、はしごの先へ向く。

 

 出口を塞ぐ鉄の蓋。

 

 カスミが片手で押し上げると、少し浮いた。

 

 その隙間で、何かが張りつめた。

 

「外に、網みたいなのが絡んでる!」

 

*

 

 マサシはボールを取った。

 

「スピアー、頼む!」

 

 狭い通路へ現れたスピアーが、羽を動かす。

 

 マサシはすぐに上を指した。

 

「あの隙間、見えるか? 蓋を押さえてる網だ!」

 

 スピアーが上がる。

 

 カスミが、もう一度蓋を押した。

 

 指二本分の隙間。

 

 そこへ針が入った。

 

 硬い繊維が切れる音がする。

 

 一本。

 

 もう一本。

 

 だが、蓋はまだ重かった。

 

 タケシがはしごの下へ来る。

 

「イシツブテ、持ち上げるぞ!」

 

 現れたイシツブテが、はしごを伝って上がった。

 

 カスミが下り、場所を空ける。

 

 両腕が蓋を押した。

 

 隙間が広がる。

 

 スピアーが体をずらし、見えた網へ針を振るった。

 

 最後の一本が切れた。

 

 鉄の蓋が、外へ開く。

 

 雨と風が吹き込んできた。

 

「開いた!」

 

 サトシが叫ぶ。

 

 スピアーが先に外へ出て、すぐに戻ってきた。

 

 羽ばたきが強い。

 

 マサシはボールを構える。

 

「よくやった。戻れ!」

 

 赤い光が、黄色と黒の体を包んだ。

 

 タケシもイシツブテを戻す。

 

 四人は順に、はしごを上がった。

 

*

 

 外は、後部の小さな作業用甲板だった。

 

 船は大きく傾いている。

 

 手すりの片側は、水に浸かりそうなほど低い。

 

 マサシは柱へつかまり、顔に当たる雨を拭った。

 

 前方の甲板へは、荷物と倒れた設備が道を塞いでいた。

 

 人影は見えない。

 

「救命ボートは!?」

 

 サトシが叫ぶ。

 

 タケシが懐中電灯を海へ向けた。

 

 荒れる波。

 

 遠くに、小さな明かりが揺れている。

 

 声を上げた。

 

 けれど、風にかき消される。

 

 その足元で、海水が甲板を洗った。

 

 待っていられる時間は、もう少なかった。

 

 カスミが周囲を見渡す。

 

「あれを使おう!」

 

 壁際に、折り畳まれた救命いかだの容器があった。

 

 タケシとサトシが近づき、固定具を外す。

 

 マサシも横から支えた。

 

 重い容器を、低くなった手すりのそばへ運ぶ。

 

「ひも、ここね!」

 

 カスミが表示を確かめる。

 

 海へ落とし、ひもを引いた。

 

 白いしぶきの中で、丸い浮き袋が膨らんでいく。

 

 小さないかだが、船の脇へ浮かんだ。

 

「できた!」

 

 サトシが声を上げた。

 

 だが、船が沈むたび、いかだは甲板へ強くぶつかる。

 

 乗り移ろうとすると、波に持ち上げられて離れた。

 

「船から、少し離さないと!」

 

 タケシが固定用のひもを握った。

 

 カスミがボールを取る。

 

「ヒトデマン、お願い!」

 

 サトシも続いた。

 

「ゼニガメ、頼むぞ!」

 

 二体が海へ出る。

 

 マサシは腰へ手を伸ばした。

 

 指が、一つのボールで止まる。

 

 昨日、桟橋に沿って泳いでいた赤い体。

 

 水の中では、迷いなく向きを変えていた。

 

「……コイキング」

 

 マサシは海を見た。

 

 大きな波だ。

 

 全部を任せるつもりはない。

 

 それでも、この水の中へ進める仲間が、自分にもいる。

 

「力、貸してくれ!」

 

 ボールが開いた。

 

 赤い体が、海へ滑り込む。

 

 すぐに顔が浮いた。

 

 コイキングが、マサシを見上げる。

 

 マサシは、いかだの側面から伸びる短い綱を指した。

 

「あの綱をくわえて、船から離れるほうへ! ヒトデマンたちと一緒だ!」

 

 コイキングが向きを変えた。

 

 綱へ近づき、大きな口でくわえる。

 

 尾が水を叩いた。

 

 ヒトデマンとゼニガメも、左右からいかだを引く。

 

 揺れる船体と、いかだの間に隙間ができた。

 

「今だ!」

 

 タケシが声を上げる。

 

 カスミが先に下り、サトシからピカチュウを受け取った。

 

 続いてサトシ。

 

 マサシも手すりを越えた。

 

 足がいかだへ触れる。

 

 大きく揺れた。

 

「つかまって!」

 

 カスミが腕を取る。

 

 マサシは縁へ膝をつき、すぐに振り返った。

 

「タケシ!」

 

 最後に下りてきたタケシを、サトシと支える。

 

 四人が乗った。

 

「ひもを離すぞ!」

 

 船につながるひもが解かれる。

 

 次の波が、いかだを大きく持ち上げた。

 

*

 

 船が遠ざかる。

 

 いや、自分たちが離れているのだ。

 

 ヒトデマンとゼニガメが、必死に泳いでいる。

 

 その間で、コイキングの赤い尾が何度も水を蹴った。

 

「コイキング!」

 

 マサシは縁へ身を寄せた。

 

 綱が張る。

 

 コイキングは口を離さなかった。

 

 大きな船を動かしているわけではない。

 

 波のない道を作れるわけでもない。

 

 ただ、自分の泳げる力で、目の前のいかだを引いていた。

 

「いいぞ! そのまま!」

 

 マサシは、声を届け続けた。

 

 サント・アンヌ号の船体が、さらに傾く。

 

 海が、大きくうねった。

 

「伏せろ!」

 

 タケシの声。

 

 四人が体を低くする。

 

 波が縁を越え、背中へ降りかかった。

 

 いかだが回る。

 

 マサシは握った綱を離さなかった。

 

 やがて、揺れが少し弱くなる。

 

 顔を上げた先で、船の明かりが霧と雨に滲んでいた。

 

 もう、船体へぶつかる距離ではない。

 

「みんな、戻そう!」

 

 カスミが声をかける。

 

 ヒトデマンとゼニガメが、それぞれのボールへ戻る。

 

 マサシも、コイキングへボールを向けた。

 

「助かった! もう休んでいい!」

 

 コイキングが綱を離した。

 

 一度だけ顔を上げ、赤い光へ変わる。

 

 ボールを胸へ引き寄せた瞬間、マサシの口から長い息が漏れた。

 

「……ありがとう」

 

*

 

 いかだの中には、雨と波の音が満ちていた。

 

 四人とも、ずぶ濡れだった。

 

 サトシがピカチュウを抱き直し、タケシが積まれていた防水布を広げる。

 

「これをかぶろう。少しは風を避けられる」

 

 マサシも端を持ち、カスミと一緒に張った。

 

 その下へ座ると、ようやく互いの顔が見えた。

 

「全員、いるよな」

 

 サトシが言った。

 

「ああ」

 

「いるわよ」

 

「大丈夫だ」

 

 返事が、順に重なる。

 

 マサシはリュックを膝へ載せ、留め具を開いた。

 

 ボールを確かめる。

 

 ヒトカゲ、バタフリー、スピアー。

 

 ニドラン♂、ニドラン♀。

 

 そして、コイキング。

 

 指先が、最後の一つで止まった。

 

 港で聞いた笑い声を思い出す。

 

 はねるしかできない。

 

 弱いから、放っておけばいい。

 

 マサシは静かに首を振った。

 

 この一体が、自分たちの乗るいかだを引いてくれた。

 

「……ちゃんと届いたぞ、お前の力」

 

 ボールへ小さく声をかける。

 

 隣のサトシが、顔を向けた。

 

「コイキング、すごかったな」

 

 マサシは頷いた。

 

「ああ」

 

 雨の向こうに、岸はまだ見えなかった。

 

 それでも今は、四人と仲間たちが、同じいかだの上にいる。

 

 マサシはボールをしまい、ずれた防水布の端を握り直した。

 

第35話終了

 

次回・第36話「嵐の先の朝!離れ離れの海岸」

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