ポケットモンスター ―もうひとつのマサラの物語―   作:mss

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第5話 ついてくるビードル!森で育つ小さな信頼

草むらから覗く黄色い頭が、ぴたりと止まった。

 

 マサシの差し出した手まで、あと少し。

 

 ビードルはその距離を詰めず、黒い目で指先を見つめていた。

 

 マサシも動かなかった。

 

 頭と尻尾にある針へ、木漏れ日が細く反射している。

 

枝から助けたときより落ち着いてはいたが、小さな体にはまだ力が入っていた。

 

「ついてきたのか?」

 

 ビードルの口元が、小さく動いた。

 

 肩のキャタピーが身を乗り出す。

 

 二体の間で短い鳴き声が交わされた。

 

 ビードルは半歩だけ前へ出て、すぐに葉の陰へ戻った。

 

「無理しなくていいよ」

 

 マサシは手を引き、ゆっくり立ち上がった。

 

「俺たちはこっちに行くから。来たかったら来ればいいし、帰りたかったら帰っていい」

 

 隣のヒトカゲが草むらへ顔を向ける。

 

 ビードルはその視線に気づき、少し奥へ下がった。

 

 マサシはヒトカゲの背へ軽く触れた。

 

「先に歩こう」

 

「カゲ」

 

 頭上では、ポッポが枝から枝へ移っている。

 

 キャタピーをリュックの上へ乗せ直し、マサシは道を進んだ。

 

 少しすると、背後で落ち葉を踏むかすかな音がした。

 

 振り返る。

 

 音が止まる。

 

 草の根元から、赤い鼻だけが覗いていた。

 

「……見えてるぞ」

 

 鼻が引っ込んだ。

 

 マサシは笑いをこらえ、前を向いた。

 

     ◇

 

 森の中では、少し歩くだけで景色が変わった。

 

 湿った窪地には大きな葉が茂り、陽射しの届く場所では細い草が道へせり出している。

 

 幹の高いところにトランセルがぶら下がっていた。

 

 マサシが足を止めて図鑑を向けると、その目がゆっくり動いた。

 

「お前、そこでずっと待ってるの?」

 

 返事はなかった。

 

 けれど、こちらを見ているのは分かる。

 

 図鑑の説明へ視線を落とし、もう一度見上げたときには、葉の影で姿が見えにくくなっていた。

 

「……どこ行った?」

 

 ヒトカゲが木を指す。

 

 位置は変わっていない。

 

 風で葉が一枚動き、緑色の体がまた見えた。

 

「ああ、いた」

 

 マサシは図鑑をしまった。

 

 その後ろには、ビードルがいた。

 

 近づくと隠れる。

 

 離れるとついてくる。

 

 キャタピーがリュックから鳴きかけると、短く返事をすることもあった。

 

 やがて道が低い場所へ下り始めた。

 

 昨夜の雨が流れ込んだらしく、大きな水たまりが行く手を塞いでいる。

 

 表面には葉が浮き、端の泥には深い足跡が残っていた。

 

 マサシは手前へしゃがんだ。

 

「見た目より深そうだな」

 

 落ち枝を差し込む。

 

 先端は思った以上に沈んだ。

 

 ヒトカゲが、水面を見て一歩下がる。

 

「大丈夫。入らないよ」

 

 右側は茂みが深い。

 

 左側には、太い根を何本も張った木があった。

 

その上を通れば、濡れずに向こうへ渡れそうだった。

 

 マサシはまず自分の足を載せ、滑らないことを確かめた。

 

「こっちだ。ゆっくり来い」

 

 ヒトカゲが続く。

 

 ポッポは飛んで渡り、キャタピーはリュックの肩ひもへしっかりつかまっていた。

 

 向こう側へ下りたマサシは、振り返った。

 

 ビードルが、水たまりの手前で止まっていた。

 

 右を向き、左を向く。

 

 それから、水際へ近づいた。

 

「そっちは――」

 

 足元の泥が崩れた。

 

 ビードルの体が、ずるりと傾く。

 

 短い足が動いたが、踏ん張る場所がなかった。

 

 マサシはすぐに引き返した。

 

 木の根を越え、泥へ片膝をつく。

 

 ビードルが水へ落ちる直前、その体の下へ手を滑らせた。

 

「っと……!」

 

 支えた手の上で、ビードルが激しく身をよじった。

 

 頭の針が袖へ引っかかる。

 

 マサシは反射的に腕を引きかけ、止めた。

 

「待って。暴れると落とす」

 

 低い声で言い、もう片方の手を添える。

 

 針から指を離し、体の下を広く支えた。

 

 ゆっくり持ち上げる。

 

 ビードルはまだ震えていた。

 

 マサシは乾いた根の上まで戻り、そこで一度しゃがんだ。

 

「もう大丈夫」

 

 下ろそうとしても、ビードルの足は手のひらを強くつかんでいた。

 

 マサシは少し待った。

 

 それから、立ち上がる。

 

「向こうまで、このまま行くぞ」

 

 今度は、暴れなかった。

 

     ◇

 

 水たまりを越えた先で、ビードルを乾いた落ち葉の上へ下ろした。

 

 柔らかな布を取り出し、体についた泥を拭く。

 

 ビードルは布が近づくたび身を縮めたが、逃げなかった。

 

「怪我はなさそうだな」

 

 足の動きを見る。

 

 ちゃんと地面をつかめている。

 

 マサシは息を吐いた。

 

 そこで、袖の小さな穴へ気づく。

 

「あ」

 

 針が引っかかった場所だった。

 

 布がほつれ、短い糸が出ている。

 

 ビードルも、その穴を見た。

 

 ゆっくり頭が下がる。

 

「刺さってないから平気」

 

 マサシは袖を軽く振った。

 

「次からは木の根を通れよ。お前なら、俺より上手く歩けるだろ」

 

 キャタピーがリュックから下りてきた。

 

 ビードルの隣へ進み、近くの根へ足をかける。

 

 少し登り、振り返る。

 

 ビードルが顔を上げた。

 

 キャタピーはもう少し進んでから、短く鳴いた。

 

「先生がついたな」

 

 マサシは二体を見守りながら、ヒトカゲへ水を出した。

 

 ビードルは迷ったあと、同じ根へ足をかけた。

 

 ゆっくり登る。

 

 途中で体が傾くと、キャタピーが止まった。

 

 ビードルも足を止める。

 

 置き直し、もう一度進む。

 

 今度は、うまく登れた。

 

     ◇

 

 午後になると、森の中に人の声も聞こえ始めた。

 

 遠くでバトルの指示が飛び、枝の向こうを虫取り網が動いている。

 

 道沿いの小さな空き地を見つけ、マサシはそこで休むことにした。

 

 腰を下ろせそうな倒木があり、近くには平たい石も置かれていた。

 

「今日は結構歩いたな」

 

 リュックを下ろすと、肩が軽くなった。

 

 ヒトカゲも隣へ座り、足を伸ばす。

 

 ポッポは地面で羽を整えていた。

 

 マサシは座る前に、仲間たちの様子を確かめた。

 

 ヒトカゲの脇腹には、昨夜の戦いで受けた打ち身が残っている。

 

痛がる様子はないが、強く触れないようにした。

 

「今日はバトルなしな」

 

「カゲ?」

 

「昨日、頑張った分。ジョーイさんとも約束したし」

 

 ポッポも顔を上げる。

 

「お前も。羽、休ませとけ」

 

 声をかけてから、キャタピーを探す。

 

 足元の葉を調べていた。

 

 その少し後ろには、ビードルがいる。

 

 今度はマサシと目が合っても、隠れなかった。

 

「お前も食べるか?」

 

 小さな容器を地面へ置く。

 

 ビードルが近づき、匂いを確かめる。

 

 キャタピーが隣で食べ始めると、ようやく口をつけた。

 

 マサシはその様子を見届け、自分の食事も取り出した。

 

「よし。俺も休憩」

 

 倒木へ座る。

 

 ちょうど木陰になっていて、涼しかった。

 

 食べ終わったら、少しだけ目を閉じてもいいかもしれない。

 

 そんなことを考えながら包みを開いたとき、近くで声がした。

 

「そのビードル、君のポケモン?」

 

 顔を上げると、虫取り網を持った少年が立っていた。

 

 マサシは首を振った。

 

「まだ違うよ。さっきからついてきてるんだ」

 

「へえ。じゃあ、僕が捕まえてもいい?」

 

 少年が腰のモンスターボールへ手を伸ばした。

 

 ビードルの動きが止まった。

 

 食事から口を離し、キャタピーの後ろへ下がる。

 

 マサシは包みを膝へ置いた。

 

「ちょっと待って」

 

「野生なんでしょ?」

 

「そうだけど、今は飯食ってるから」

 

 マサシはビードルのそばへしゃがんだ。

 

 小さな体が低くなっている。

 

 目は、少年の手にあるボールから離れなかった。

 

「どうする?」

 

 声をかけると、ビードルがマサシを見る。

 

 空き地の端には、森へ戻れる隙間があった。

 

 マサシはそちらを塞がないよう、片膝をずらした。

 

 ビードルはその隙間へ目を向けた。

 

 一歩、動く。

 

 けれど森へは向かわなかった。

 

 短い足でマサシのそばへ寄り、靴へ体をつける。

 

 それから少年へ顔を向けた。

 

 少年は少し黙り、ボールを腰へ戻した。

 

「……君と行きたいみたいだね」

 

 マサシは足元を見下ろした。

 

 ビードルは、離れなかった。

 

     ◇

 

 少年が去ったあと、マサシは倒木の前へ座り直した。

 

 目の前にはビードル。

 

 キャタピーがその横へ並び、ヒトカゲとポッポも近くから見ている。

 

「さっきの、一緒に来たいってことでいいんだな?」

 

 小さな声が返る。

 

 マサシは空のモンスターボールを取り出した。

 

 その瞬間、ビードルの体が少し強張った。

 

 マサシはボールを近づけず、自分の膝へ載せた。

 

「これ、怖い?」

 

 ビードルはボールと彼の顔を交互に見た。

 

 ヒトカゲが立ち上がった。

 

 マサシの腰にある、自分のボールへ前足を伸ばす。

 

「入ってみせるのか?」

 

「カゲ」

 

「分かった。すぐ出すぞ」

 

 ヒトカゲを一度戻す。

 

 赤い光が収まり、ボールが静かになった。

 

 ビードルが一歩下がる。

 

 マサシはすぐにボールを開いた。

 

「出てこい、ヒトカゲ」

 

「カゲッ!」

 

 現れたヒトカゲは、両腕を広げた。

 

 元気だと伝えるように、その場で一度足踏みする。

 

 キャタピーが近寄り、体の周りをゆっくり回った。

 

 ポッポも顔を寄せ、頭を覗き込む。

 

「お前は知ってるだろ」

 

 マサシが言うと、ポッポは知らない顔で羽を整え始めた。

 

 そのやり取りを見て、ビードルの緊張が少し緩んだ。

 

 マサシは膝のボールへ手を添えた。

 

「疲れたときに、中で休める。外に出たいときは、出してやるよ」

 

 ビードルは動かなかった。

 

 マサシは待った。

 

 木々の間を風が抜け、倒木から枯れ葉が一枚落ちる。

 

 キャタピーがビードルへ体を寄せた。

 

 短く鳴き、それからマサシの方を向く。

 

 ビードルはゆっくり進んだ。

 

 靴へ足をかけ、ズボンを少し登る。

 

 マサシは手のひらを差し出し、その体を支えた。

 

「いいのか?」

 

 ビードルが鳴いた。

 

 ボールを見せる。

 

 今度は逃げなかった。

 

 真ん中のボタンへ、赤い鼻先が触れる。

 

 光が開いた。

 

 小さな体がボールへ収まり、一度だけ揺れた。

 

 静かな音がする。

 

 マサシは両手で包むように持った。

 

「……よろしくな、ビードル」

 

 ヒトカゲが嬉しそうに鳴いた。

 

 キャタピーも体を起こし、ポッポが短く羽ばたく。

 

「おう。仲間が増えたな」

 

 マサシは笑い、すぐにビードルを外へ出した。

 

 現れたビードルは、周囲を見回した。

 

 キャタピーの顔を確かめ、ヒトカゲを見る。

 

 最後にマサシへ向き直る。

 

 差し出した手へ、今度はためらわず乗ってきた。

 

     ◇

 

 休憩を終える頃には、森の光が柔らかくなっていた。

 

 マサシは地図と、近くの案内板を見比べた。

 

 ニビシティまでは、まだ距離がある。

 

 急いでも、町へ着く前に暗くなりそうだった。

 

「今日は森の休憩所までにしよう」

 

 案内板には、道沿いに共同の野営場所があると書かれていた。

 

 水場も近い。

 

 そこなら、落ち着いて夜を迎えられそうだ。

 

「初めての外泊が、いきなり森か」

 

 マサシはリュックを背負い、四体の仲間を見た。

 

 ヒトカゲは準備万端といった顔で立っている。

 

 ポッポは道の先へ目を向けていた。

 

 キャタピーは肩ひもを見上げ、ビードルはマサシの靴のそばで待っている。

 

「置いてかないって」

 

 しゃがんで手を出すと、ビードルが乗った。

 

 キャタピーとは少し間を空け、リュックの上へ落ち着かせる。

 

 針が当たらない位置を確かめてから、ゆっくり立ち上がった。

 

「どうだ?」

 

 肩の向こうで、小さな声が二つ返った。

 

「じゃあ、出発」

 

 ポッポが先の枝へ飛ぶ。

 

 ヒトカゲが隣へ並ぶ。

 

 マサシも、その足音に合わせて歩き出した。

 

     ◇

 

 休憩所へ着いたのは、日が落ちる少し前だった。

 

 木立に囲まれた場所には、屋根のある休憩台と、水を汲める設備があった。

 

すでに何人かの旅人が、夜の準備を始めている。

 

 マサシは空いている端を選び、荷物を下ろした。

 

 寝袋を広げる。

 

 水を用意する。

 

 食事を分ける。

 

 家で聞いていたときには簡単そうだったことが、実際にやると、思ったより時間がかかった。

 

 水筒を倒しかけ、ヒトカゲに支えてもらう。

 

 風で飛びそうになった布を、ポッポが足で押さえる。

 

 キャタピーとビードルは、地面へ落ちた空の袋の端に糸をつけ、転がらないよう止めてくれた。

 

 マサシは出来上がった場所を見た。

 

「……俺が一番、手間かけてるな」

 

 ヒトカゲが鳴いた。

 

 否定してくれたのかは、分からなかった。

 

 夕食を終え、道具を片づける頃には、森の奥が黒く沈んでいた。

 

 昼間とは違う鳴き声が聞こえる。

 

 見上げると、枝の隙間に星が一つあった。

 

 マサシは寝袋へ腰を下ろした。

 

 そこへ、ビードルが近づいてくる。

 

 足元で止まった。

 

「どうした?」

 

 手を差し出すと、鼻先が指へ触れた。

 

 それからビードルは、穴の開いた袖を見た。

 

 マサシも目を落とす。

 

「ああ、これ?」

 

 昼間、助けたときにできた小さな穴だった。

 

 ビードルはじっと見つめ、細い糸を吐いた。

 

 白い線が、ほつれた布へ重なる。

 

 一本。

 

 もう一本。

 

 破れたところへ、小さな筋が渡された。

 

 マサシは腕を動かさず待った。

 

 作業を終えたビードルが、顔を上げる。

 

 縫い目とは違う。

 

 少し引っ張れば取れてしまいそうな、柔らかな糸だった。

 

 それでもマサシは、しばらくその袖を見ていた。

 

「直してくれたのか」

 

 小さな返事があった。

 

「……ありがとな」

 

 針に気をつけながら、指先でそっと背中へ触れる。

 

 ビードルは、身を縮めなかった。

 

 隣ではキャタピーが丸くなっている。

 

 ポッポは低い梁の上に落ち着き、ヒトカゲはマサシのそばへ座った。

 

 尻尾の炎が物に触れないよう、寝袋を少しずらす。

 

 準備を終え、四体の顔を見回した。

 

「明日も、よろしくな」

 

 ヒトカゲが頷いた。

 

 ビードルが、手のひらへ体を預ける。

 

 森を渡る風は冷たかった。

 

 けれどその夜、マサシは寂しいとは思わなかった。

 

第5話終了

 

次回・第6話「糸を使いこなせ!キャタピーとビードルの初特訓」

 

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