ポケットモンスター ―もうひとつのマサラの物語― 作:mss
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森の道へ戻ってからも、キャタピーはしばらく後ろを見ていた。
木々の隙間に、もう白い羽は見えない。
それでも、風で葉が揺れるたび、小さな頭が持ち上がった。
マサシはキャタピーを片腕へ載せ直した。
「そんなに見てたら、首疲れるぞ」
声をかけると、キャタピーが振り向いた。
さっきカイロスに挟まれたところを確かめるように、マサシは体の横へ目を向ける。
大きな傷は見当たらなかった。
ただ、いつもより足の動きが少ない。
「今日はもう、ゆっくりな」
キャタピーは彼の袖へ頭を寄せた。
隣ではヒトカゲが歩き、リュックの上にはビードルが乗っている。
ポッポは先の枝へ移っては、こちらを待っていた。
マサシは、さっきの勝負を思い返した。
根の後ろへ隠れた。
カイロスが回り込んだ。
足へ糸をつけたが、簡単に切られた。
逃げる場所を見つけただけでは、その先が続かなかった。
「……短く言わないとな」
「カゲ?」
「俺の指示。考えてる間も、相手は動くからさ」
ヒトカゲは顔を上げたまま、何度か瞬きをした。
マサシはその頭へ手を伸ばしかけ、キャタピーを抱いていることを思い出す。
「あとで撫でる」
ヒトカゲは納得したように前を向いた。
◇
午後の森では、鳥ポケモンの声が遠くまで響いていた。
道の端に案内板を見つけ、マサシは足を止める。
矢印の先には、ニビシティへ向かう出口と書かれていた。
「やっと出口が近いって」
地図と見比べながら言うと、ヒトカゲが嬉しそうに鳴いた。
マサシも肩を回した。
「町に着いたら、ちゃんとしたベッドで寝たいな」
腕の中でキャタピーが体を起こした。
「お前は今も寝られるだろ」
そのとき、頭上で羽音がした。
ポッポが戻ってきたのかと思って顔を上げる。
けれど、枝の向こうを飛んでいたのは、白い羽を持つバタフリーだった。
続いて、道の曲がり角から人影が現れた。
「あれ? マサシ!」
聞き慣れた声だった。
サトシが手を振っている。
肩にはピカチュウ。
その後ろから、カスミが歩いてきた。
「また会ったな」
マサシが言うと、サトシが駆け寄った。
「お前も、まだ森にいたのか!」
「飯食って、寝て、練習してた」
「寝てたの?」
カスミの声に、マサシは頷いた。
「大事だろ」
「そこだけ堂々と言わないの」
サトシの肩で、ピカチュウが笑うように鳴いた。
ヒトカゲが一歩前へ出る。
ピカチュウも肩から下り、二体は顔を寄せて鳴き交わした。
マサシはその様子を見た。
目には力がある。
足もしっかり地面を踏んでいた。
「元気になったな」
「うん。すっかり!」
サトシが嬉しそうに答えた。
マサシは頷き、今度は頭上へ目を向ける。
バタフリーが、サトシの近くへ降りてきた。
「そいつ、お前の?」
「そう! 森で仲間になったキャタピーが進化したんだ!」
差し出した腕へ、バタフリーが止まる。
「トランセルになって、それからバタフリーに!」
「もう二回も進化したのか」
マサシは感心して見た。
腕の中で、キャタピーが身を乗り出す。
バタフリーもそれに気づき、羽をゆっくり動かした。
キャタピーが小さく鳴く。
白い羽が開くたび、その目が左右へ動いた。
「マサシもキャタピー、ゲットしたんだな!」
「うん。ビードルもいる」
リュックから顔を出したビードルを見て、サトシが目を丸くする。
「お前、どんどん増えてるじゃん!」
「お前は進化、早すぎだろ」
二人で笑った。
カスミだけは、いつの間にか二歩ほど離れていた。
◇
「……何でそんなところにいるんだ?」
マサシが尋ねると、カスミは顔を引きつらせた。
「べ、別に。ちょっと距離を取ってるだけ」
その目が、キャタピーとビードルへ向いている。
マサシは二体を見て、それからカスミを見た。
「苦手なの?」
「虫は、ちょっと……!」
サトシがすぐに口を挟んだ。
「キャタピー、かわいいのにな!」
「それは人それぞれでしょ!」
カスミが言い返す。
腕の中のキャタピーが、彼女へ顔を向けた。
近づこうとしているのか、体が少し前へ伸びる。
マサシは手を添えて止めた。
「待って。今は、こっち」
キャタピーが首を傾げる。
「急に近くへ行ったら、びっくりするって」
マサシはリュックを下ろした。
カスミから少し離れた木の根のそばへ、キャタピーとビードルを落ち着かせる。
「ここで休んでて。俺もすぐそばにいるから」
二体が落ち着いたのを見てから、カスミへ向き直った。
「これくらいなら平気?」
「……うん。ありがと」
カスミは小さく息を吐いた。
サトシは不思議そうに見ていたが、ピカチュウに裾を引かれ、ヒトカゲたちの方へしゃがんだ。
カスミが声を落とす。
「ごめんね。あんたのポケモンなのに」
「怖いのは、仕方ないだろ」
マサシは答えた。
「でも、あいつらが何かしたわけじゃないからさ。慣れるまでは、俺が間にいるよ」
カスミは少し黙った。
キャタピーとビードルは、木の根のそばで並んでいる。
ヒトカゲが近づき、何か話しかけていた。
「……あんた、意外とちゃんとしてるのね」
「意外って何だよ」
「さっきまで寝てたって言ってたから」
「寝るのと、ちゃんとしてるのは両立する」
真面目な顔で答えると、カスミは思わず笑った。
マサシも口元を緩める。
その笑顔を見て、カスミはもう一度だけ、木の根のそばへ目を向けた。
今度は、すぐには顔を背けなかった。
◇
道は、この先で二つに分かれていた。
どちらも出口へつながっているが、片方は川沿いを回り、もう片方は丘を越えるらしい。
サトシは案内板を見るなり、丘側を指した。
「こっち、近そう!」
「坂、結構あるぞ」
マサシが地図を見せる。
「でも、真っすぐだろ?」
「真っすぐなら楽ってわけじゃないけどな」
カスミが横から覗き込んだ。
「あたしも、こっちがいい。川沿いは道がぬかるんでるかもしれないし」
マサシは川沿いの道を見た。
木々の間から、明るい水面がわずかに覗いている。
休める場所もありそうだった。
「俺はこっちにする。坂、面倒だし」
「やっぱりそれかよ!」
サトシが笑った。
「町で会ったら、今度こそバトルしような!」
「おう。俺、もう一回負けたからな」
「え?」
サトシが目を丸くした。
マサシはキャタピーを見る。
「カイロスに。結構強かった」
「あ、サムライ?」
「会ったのか?」
「俺も戦った!」
マサシは笑った。
別々に歩いていても、同じ相手に出会うことがある。
それでも、それぞれの隣にいる仲間は違っていた。
「次は勝ちたいから、町で練習相手になれよ」
「もちろん!」
二人は頷き合った。
カスミもマサシへ手を上げる。
「川の近く、足元に気をつけてね」
「そっちも、サトシが坂を転がったら拾ってやって」
「転がらないって!」
サトシの声に、ピカチュウが楽しそうに鳴いた。
◇
川沿いの道は、思ったより歩きやすかった。
ぬかるんだ場所もあったが、避ければ靴が沈むほどではない。
流れる水の音が木々の間を抜け、森の奥へ響いていた。
マサシは川から離れた平らな場所へリュックを下ろした。
「ちょっと休憩」
キャタピーとビードルを地面へ下ろし、ヒトカゲには乾いた場所を示す。
ポッポは水辺の枝へ止まった。
水を用意し、マサシも座ろうとした。
そのとき、袖が軽く引かれた。
「ん?」
キャタピーが、小さな落ち枝を見ていた。
それからマサシを見る。
朝、練習に使ったものとよく似た枝だった。
「またやりたいのか?」
返事はすぐだった。
マサシはしゃがみ、体の様子を確かめた。
休んでいたぶん、動きは戻っている。
けれど、今日はすでに一戦していた。
「少しだけな。走ったり、ぶつかったりはなし」
キャタピーが頷くように体を動かす。
マサシは枝を拾い、土へ一本の線を引いた。
「ここを、相手が来る道にしよう」
小石を一つ、その上へ置く。
「これがカイロス」
キャタピーが石を見つめる。
ヒトカゲも隣から覗き込んだ。
「糸で引っ張り合ったら、向こうが強い。だから、ずっと引っ張らない」
マサシは線の左右へ、枝を一本ずつ置いた。
「相手が糸に触って、少し動きが遅くなったら、その間に離れる」
キャタピーは二本の枝を見比べた。
「まず、左の枝へ。いとをはく!」
白い糸が伸びる。
枝へ絡んだ。
「次は、右へ回れ」
キャタピーが歩き始めた。
糸が地面を引きずる。
低く張ろうとして、そのまま自分の足へ絡まりかけた。
「止まれ」
マサシはすぐに手を出した。
糸を外し、枝へ置き直す。
「……長いな。言い方も、やり方も」
頭の中で考えていたことが、また途中で止まってしまった。
彼はキャタピーの高さまで顔を下げた。
地面が近い。
小さな草でも、向こう側を隠していた。
立って見ている景色とは違う。
「ここ、見えにくいよな」
キャタピーが顔を寄せてきた。
マサシは少し考え、枝の位置を近づけた。
「じゃあ、まずは避けるところだけ。糸は俺が支える」
◇
マサシは糸のついた枝を手に持った。
もう片方の端は、地面から張り出した根へ軽く絡める。
キャタピーには、そのすぐ後ろへ立ってもらった。
「ここへ、小石を転がすぞ」
丸い石を土の上へ置く。
「お前は糸を引かなくていい。石を見て、横へ避けてみて」
ゆっくり転がす。
小石が糸へ触れた。
ほんの一瞬、速さが落ちる。
キャタピーが横へ動いた。
石は、さっきまでいた場所を通り過ぎた。
「……そう」
マサシが顔を上げる。
「今のだ」
キャタピーが振り向いた。
小石はその先で止まっている。
拾い直し、もう一度転がす。
今度は少しだけ速くした。
キャタピーは糸へ触れる前に動こうとして、足がもつれた。
マサシが手を出しかける。
けれど、キャタピーは自分で止まった。
足を置き直し、顔を上げる。
マサシは石を押さえた。
「大丈夫。もう一回、ゆっくりやろう」
三度目。
糸が揺れた。
キャタピーが横へ進む。
今度は、しっかり足が動いた。
「よし!」
マサシは手を上げた。
キャタピーがその手へ頭を寄せる。
隣で見ていたヒトカゲも、嬉しそうに鳴いた。
ビードルが根へ近づいた。
糸のついている部分を見て、短い糸をもう一本重ねる。
「補強してくれるのか?」
返事があった。
マサシは笑った。
「ありがと。でも、今日はこれで終わり」
キャタピーが枝を見る。
マサシはその前へ水を置いた。
「上手くいったところで休もう。続きは、また今度」
今度はキャタピーも、素直に口をつけた。
◇
片づけを終える頃、道の向こうが明るくなっていた。
木々の間隔が広がり、風の匂いも変わっている。
マサシはリュックを背負った。
「出口、近そうだ」
ポッポが先へ飛ぶ。
キャタピーを腕へ載せ、ビードルをリュックへ乗せて進むと、木々の隙間が少しずつ広がっていった。
やがて視界が開けた。
青い空。
草の斜面。
その向こうに、建物の屋根が並んでいる。
ニビシティだった。
「……着いた」
マサシは足を止めた。
長かった森の道が、背後へ続いている。
ヒトカゲも隣へ立ち、町を見つめた。
ポッポは近くの標識へ止まる。
腕の中のキャタピーが顔を上げた。
「初めてのジムがある町だぞ」
マサシの声に、ヒトカゲの目が輝いた。
キャタピーも体を起こす。
ビードルは肩ひもをしっかりつかんだ。
マサシは一体ずつ顔を見た。
「その前に、センターな」
ヒトカゲが少しだけ肩を落とす。
「飯も食べる」
すぐに顔が上がった。
「分かりやすいな、お前」
マサシは笑い、町へ向かう坂を下り始めた。
カイロスに負けた場面は、まだ頭に残っていた。
けれど、さっきキャタピーが横へ動けた瞬間も、はっきり覚えていた。
次の勝負では、あの一歩が役に立つかもしれない。
そう思うと、町へ向かう足が少し軽くなった。
◇
町の入り口で、マサシは大きな案内図を見つけた。
ポケモンセンター。
博物館。
そして、ニビジム。
ジムの説明には、岩のように堅い守りを得意とすると書かれていた。
マサシは顔を近づける。
「岩、か」
ヒトカゲを見る。
ポッポを見る。
腕の中にはキャタピーがいて、背中にはビードルがいる。
「……なかなか大変そうだな」
そう言いながらも、口元は少し上がっていた。
まだ見たことのない相手が、あの町で待っている。
マサシはまず、赤い屋根の建物へ向かって歩き出した。
第8話終了
次回・第9話「ニビジムの壁!タケシと岩のポケモン」