ポケットモンスター ―もうひとつのマサラの物語―   作:mss

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第9話「ニビジムの壁!タケシと岩のポケモン」

ポケモンセンターのベッドは、寝転がった瞬間に起きたくなくなる柔らかさだった。

 

「……今日は、もうここでいいんじゃないか」

 

 枕へ頬を押しつけたマサシの耳に、小さな足音が近づいてくる。

 

 目を開けると、ヒトカゲがベッドの横に立っていた。

 

 その後ろでは、ポッポが窓枠へ止まっている。

 

キャタピーとビードルは食事を終え、床へ敷いた布の上で休んでいた。

 

「分かってる。ジム、見に行くんだろ」

 

「カゲ!」

 

「五分だけ」

 

 ヒトカゲは、ベッドの端へ前足をかけた。

 

 じっと見つめてくる。

 

 マサシは先に目を逸らした。

 

「……三分」

 

 ヒトカゲは動かなかった。

 

     ◇

 

 センターで診てもらった結果、ヒトカゲとポッポは順調に回復していた。

 

 キャタピーにも大きな怪我はなく、疲れを取れば問題ないという。

 

 マサシは四体を十分に休ませてから、受付へ向かった。

 

「ニビジムって、今からでも入れますか?」

 

 ジョーイは壁の時計を見た。

 

「見学なら、まだ大丈夫だと思うわ。挑戦の受付は、ジムで聞いてみてね」

 

「ありがとうございます」

 

「今日は町に着いたばかりでしょう? あなたも疲れているんじゃない?」

 

「俺は、だいぶ休みました」

 

 答えると、足元のヒトカゲが短く鳴いた。

 

 ジョーイが笑う。

 

「そう。じゃあ、気をつけて」

 

 外へ出ると、夕方の風が頬を撫でた。

 

 ニビシティの道には大きな石が置かれ、建物の壁にも落ち着いた色が多かった。

 

遠くには博物館の屋根が見える。

 

 マサシは案内図を確かめながら歩いた。

 

 隣にいるのはヒトカゲだけだった。

 

 ほかの三体は、ボールで休んでもらっている。

 

「見るだけだからな」

 

 ヒトカゲが見上げる。

 

「いきなり勝負するかは、相手を見てから」

 

 そう言いながら、マサシ自身も歩く速さが少し上がっていた。

 

     ◇

 

 ニビジムは、大きな岩を組み上げたような建物だった。

 

 入口の前に立ち、マサシは見上げた。

 

「……中も岩だらけだったりして」

 

 扉を開ける。

 

 薄暗い空間へ入った途端、靴の下で砂が鳴った。

 

 予想どおりだった。

 

 広いフィールドのあちこちに岩が張り出し、地面には高低差がある。

 

 町で見かけた平らなバトル場とは違っていた。

 

 ヒトカゲも足を止め、周囲を見回した。

 

「挑戦者か?」

 

 奥から声がした。

 

 岩の向こうから、一人の少年が歩いてくる。

 

 落ち着いた足取りだった。

 

「俺はタケシ。ニビジムのジムリーダーだ」

 

「マサシ。マサラタウンから来た」

 

 名乗ってから、マサシはフィールドへ視線を戻した。

 

「今日は、まず見に来たんだけど」

 

「見学か。構わない」

 

 タケシはヒトカゲへ目を向けた。

 

「最初のパートナーか?」

 

「うん。オーキド博士にもらった」

 

 ヒトカゲが胸を張った。

 

 タケシは少し屈み、その顔と足元を見る。

 

「元気そうだな。ここまでは歩いてきたのか?」

 

「森を抜けてきたばっかり」

 

「そうか。慣れないうちは、足の裏も見てやるといい。地面が変われば、負担のかかり方も変わる」

 

 マサシはヒトカゲの足を見た。

 

 怪我や疲れは気にしていたが、そこまでは細かく考えていなかった。

 

「……分かった。あとで見てみる」

 

 タケシが頷く。

 

 注意されたという感じはしなかった。

 

 知っていることを、自然に教えてくれている。

 

 マサシは少し肩の力を抜いた。

 

     ◇

 

「ほかにも仲間がいるのか?」

 

「ポッポと、キャタピーと、ビードル」

 

 タケシが一瞬、考える顔になった。

 

 マサシはそれを見逃さなかった。

 

「……岩、苦手なのばっかり?」

 

「正面から攻撃をぶつけるだけなら、厳しいだろうな」

 

「やっぱり」

 

 タケシは腰のボールを手に取った。

 

「見てみるか?」

 

 マサシが頷く。

 

 光とともに現れたのは、岩の体に太い腕を持つポケモンだった。

 

 イシツブテ。

 

 図鑑で姿は見たことがあった。

 

 けれど目の前で動くと、印象が違う。

 

 腕を地面へつく音が重い。

 

硬そうな拳には細かな擦り跡があり、何度も使われてきたことが分かった。

 

 マサシは図鑑で説明を確かめてから、しゃがんだ。

 

「触ってもいい?」

 

「イシツブテがよければ」

 

 タケシが答える。

 

 マサシは相手の目を見て、手を差し出した。

 

 イシツブテはその手を見たあと、太い腕を少し前へ出した。

 

 指先で表面へ触れる。

 

 ひんやりしていた。

 

「……ほんとに岩だ」

 

 ヒトカゲも近づき、隣から覗く。

 

 イシツブテが腕を持ち上げると、ヒトカゲは自分の前足を並べてみた。

 

 大きさが、まるで違った。

 

 マサシはその様子を見ながら、頭の中で距離を測った。

 

 この腕が届く範囲。

 

 拳を振ったあとに空く場所。

 

 地面に置かれた岩の高さ。

 

 さっきまでの眠気は、もうなかった。

 

「一体だけで、練習試合ってできる?」

 

 タケシが彼を見る。

 

「正式な挑戦じゃなくてか?」

 

「うん。少し戦ってみたい」

 

 足元のヒトカゲが、すぐに顔を上げた。

 

     ◇

 

 マサシは入口側へ戻り、リュックを下ろした。

 

 ヒトカゲの前へしゃがむ。

 

「どうする?」

 

「カゲッ!」

 

 返事は早かった。

 

「相手、硬いぞ。いつものひっかくじゃ、あまり効かないかもしれない」

 

 ヒトカゲはイシツブテを見た。

 

 それから、自分の爪を見つめる。

 

「今日は、どこまでできるか見よう。危なくなったら止める」

 

 拳を差し出すと、小さな前足が重なった。

 

 タケシは向こう側へ立つ。

 

「使うのは一体ずつ。どちらかが続けられなくなるか、降参したら終了。それでいいか?」

 

「うん」

 

 マサシはフィールドを見渡した。

 

 右側には背の低い岩。

 

 左側には斜めに傾いた大きな岩がある。

 

 中央は開けているが、足元には小石が多かった。

 

「ヒトカゲ、まずは真ん中」

 

 ヒトカゲが進み出る。

 

 イシツブテは両腕を広げ、低く構えた。

 

「始めよう」

 

 タケシの声と同時に、マサシは指示を出した。

 

「ひのこ!」

 

 火の粉が飛んだ。

 

 イシツブテが腕で顔を庇う。

 

 炎が岩の表面で散った。

 

 ほとんど動じていない。

 

「そのまま右へ!」

 

 ヒトカゲが走る。

 

「イシツブテ、たいあたり!」

 

 岩の体が地面から浮き、低い軌道で迫った。

 

 速い。

 

 マサシは相手の腕を見た。

 

 地面を押す動作が、踏み込みになっている。

 

「岩の陰へ!」

 

 ヒトカゲが右側の岩へ身を寄せた。

 

 イシツブテがその手前で腕をつく。

 

 進路が変わった。

 

 真っすぐ来ると思っていたヒトカゲが、一瞬立ち止まる。

 

「伏せろ!」

 

 岩の体が、頭上をかすめた。

 

 ヒトカゲは腹を地面へつけ、すぐに顔を上げた。

 

 マサシは息を吐く。

 

 地形を使うのは、自分だけではない。

 

 この場所を一番よく知っているのは、向こうだった。

 

     ◇

 

「近づけ! 横からひっかく!」

 

 着地したイシツブテへ、ヒトカゲが走った。

 

 爪が腕を捉える。

 

 硬い音がした。

 

 イシツブテは少し体を回しただけだった。

 

 一方のヒトカゲは、前足を引いた。

 

 痛かったらしい。

 

「戻れ!」

 

「イシツブテ、押し出せ!」

 

 太い腕が伸びる。

 

 ヒトカゲは横へ跳んだ。

 

 避けきれず、肩を押されて地面を滑った。

 

「カゲッ……!」

 

 すぐに立ち上がったものの、片足に体重が寄っている。

 

 マサシはその足を見て、指示を変えた。

 

「走らなくていい。そこで、ひのこ!」

 

 火の粉が正面へ散る。

 

 やはり腕で防がれた。

 

 だが、マサシは今度は炎ではなく、相手の顔を見ていた。

 

 防ぐ瞬間、視線が隠れる。

 

「左へ二歩!」

 

 ヒトカゲが動く。

 

 イシツブテが腕を下ろした。

 

「もう一度、ひのこ!」

 

 横からの火の粉が、今度は胴体へ当たった。

 

 イシツブテがわずかに体を引く。

 

 タケシの口元が動いた。

 

「狙いはいいな」

 

 マサシは返事をせず、ヒトカゲの呼吸を見た。

 

 一度なら、当てられた。

 

 でも、それを何度続ければ倒せるのか。

 

 相手はまだ、ほとんど疲れていなかった。

 

「イシツブテ、たいあたり!」

 

 再び、腕が地面を押す。

 

 マサシは左の斜めになった岩を指した。

 

「斜面を登れ!」

 

 ヒトカゲが岩へ駆け寄り、前足をついて上がる。

 

 イシツブテが下を通った。

 

「振り向け! 上からひのこ!」

 

 火の粉が降りかかる。

 

 イシツブテが顔を上げた。

 

 その瞬間、マサシは気づいた。

 

 相手の両腕が空いている。

 

「そこから離れ――」

 

「イシツブテ、岩を押せ!」

 

 太い腕が、斜めの岩へかかった。

 

 岩は持ち上がらなかった。

 

 けれど、わずかに揺れた。

 

 足場が動き、ヒトカゲの爪が滑る。

 

「カゲ!?」

 

 姿勢が崩れた。

 

「前へ跳べ!」

 

 ヒトカゲが岩を蹴る。

 

 地面へ下りたところへ、イシツブテが迫った。

 

 避けるには、足が揃っていなかった。

 

 体当たりを受け、ヒトカゲが後ろへ転がる。

 

「そこまで!」

 

 マサシはすぐに手を上げた。

 

「降参。ヒトカゲ、もういい!」

 

     ◇

 

 フィールドへ入り、ヒトカゲのそばへしゃがんだ。

 

 ヒトカゲは肘をつき、起き上がろうとしていた。

 

「ゆっくりでいい」

 

 手を添える。

 

 立ち上がったあとも、ヒトカゲはイシツブテを見ていた。

 

 悔しそうだった。

 

「……効かなかったな」

 

 マサシが言うと、ヒトカゲは前足を見下ろした。

 

「爪、見せて」

 

 指を広げてもらう。

 

 欠けていない。

 

 血も出ていなかった。

 

 マサシはそっと手を離した。

 

「ひっかく、無理に使わせて悪かった」

 

「カゲ……」

 

「お前の爪が弱いって話じゃないよ。岩に当てたら、そりゃ硬い」

 

 自分の拳で、足元の岩を軽く叩く。

 

「俺も痛いし」

 

 ヒトカゲがその手を見た。

 

 マサシは一度振ってから、笑った。

 

「……結構痛い」

 

 ヒトカゲの口元が、ほんの少し緩んだ。

 

 タケシが近づき、二人の前へ腰を下ろす。

 

「見せてみろ」

 

 ヒトカゲの足と肩を確かめ、関節を無理なく動かした。

 

「大きな怪我はなさそうだ。戻ったら、センターでも診てもらってくれ」

 

「うん」

 

 マサシはヒトカゲを抱き上げた。

 

 タケシが続ける。

 

「途中、正面から攻めるのをやめただろ」

 

「全然効いてなかったから」

 

「それで位置を変えた。あれはよかった」

 

 マサシはフィールドを見る。

 

 さっきヒトカゲが登った岩があった。

 

「でも、あそこは逃げ場がなかった」

 

「そうだな。高い場所が、いつも有利とは限らない」

 

 タケシは頷いた。

 

「相手が下から何をできるかまで、考える必要がある」

 

 マサシはしばらく黙っていた。

 

 森でのカイロス戦と似ている。

 

 その場を切り抜けたあと、次の動きが足りなかった。

 

 それでも、途中には手応えがあった。

 

 防ぐ腕で、視界が隠れた瞬間。

 

 横へ動いたヒトカゲの火が、初めて届いた瞬間。

 

 あれを、たまたまで終わらせたくなかった。

 

「タケシ」

 

「何だ?」

 

「次は、もっと動かす」

 

 タケシが彼を見る。

 

 マサシはイシツブテへ目を向けた。

 

「ヒトカゲだけじゃなくて、そっちを」

 

 タケシは少し笑った。

 

「楽しみにしてるよ」

 

     ◇

 

 ジムを出る頃には、空が橙色になっていた。

 

 ヒトカゲはボールへ戻って休んでいる。

 

 マサシはセンターへ向かいながら、何度もフィールドの形を思い返していた。

 

 岩の陰。

 

 腕がつく地面。

 

 体当たりの曲がり方。

 

 イシツブテを相手にあの苦戦なら、その先には何が待っているのだろう。

 

 考え込みながら歩いていると、正面から声がした。

 

「マサシ!」

 

 サトシだった。

 

 カスミと並んで、こちらへ来る。

 

「ジム、もう行ったのか!?」

 

「うん。見学のつもりだったけど、少し戦った」

 

「どうだった?」

 

「硬い。重い。しかも、速い」

 

 マサシが指を折ると、サトシの顔が真剣になった。

 

「勝ったの?」

 

「負けた」

 

 サトシが一瞬、言葉を止めた。

 

 カスミはマサシの腰へ目を向ける。

 

「ヒトカゲは?」

 

「大きな怪我はなさそう。これから診てもらう」

 

「そっか……」

 

 カスミが少し安心した顔になる。

 

 サトシはジムのある方角を見た。

 

「俺も、挑戦してくる!」

 

「今から?」

 

「うん!」

 

 肩のピカチュウが声を上げた。

 

 マサシは二人を見比べた。

 

 止めても、行くだろう。

 

「じゃあ、腕の動き見とけよ」

 

「腕?」

 

「イシツブテ。地面を押して、急に向きを変える」

 

 サトシが頷く。

 

「分かった!」

 

 走り出しかけた背中へ、カスミが声をかけた。

 

「道くらい、落ち着いて歩きなさいって!」

 

 サトシが少しだけ足を緩める。

 

 マサシは笑い、二人と別れようとした。

 

「マサシ」

 

 カスミに呼ばれ、振り向く。

 

「負けたからって、あんまり根を詰めないでよ」

 

「まだ何も言ってないだろ」

 

「ずっと考えてる顔してる」

 

 図星だった。

 

 マサシが黙ると、カスミは腰へ手を当てた。

 

「ご飯食べて、ちゃんと休みなさいよ。ポケモンだけじゃなくて、あんたも」

 

 マサシは苦笑した。

 

「分かった。飯食って、寝る」

 

「……あんたの場合、寝すぎるのも心配だけど」

 

「どうしろっていうんだよ」

 

 カスミが笑った。

 

 マサシも手を上げ、センターへ向かった。

 

     ◇

 

 その夜、部屋で四体の仲間を外へ出した。

 

 診察を終えたヒトカゲは、食事を済ませるとすぐに座り込んだ。

 

 ポッポが窓辺へ行く。

 

 キャタピーとビードルは、敷いた布の上からマサシを見上げていた。

 

 マサシはベッドへ座り、図鑑を開いた。

 

 イシツブテの説明。

 

 体の特徴。

 

 それから、ヒトカゲが使える技を見直す。

 

「今ある技で、何ができるかな」

 

 呟きながら、指を止めた。

 

 ひっかく。

 

 ひのこ。

 

 それに――。

 

 マサシは顔を上げた。

 

 ヒトカゲがこちらを見ている。

 

「なあ。しっぽ、ちょっと振ってみて」

 

 ヒトカゲは立ち上がり、尻尾を左右へ動かした。

 

 炎が揺れる。

 

「そうじゃなくて……相手に見せる感じで」

 

 半身になり、もう一度振る。

 

 マサシはその動きを見た。

 

 相手の注意が向くなら。

 

 構えが、少しでも緩むなら。

 

 硬い腕の守りにも、入り込めるところができるかもしれない。

 

 マサシの口元が上がった。

 

「明日、試したいことがある」

 

 ヒトカゲの目に、昼間と同じ光が戻る。

 

 マサシはその額へ軽く触れた。

 

「今日は寝るけどな。約束したし」

 

 ヒトカゲが頷いた。

 

 マサシは図鑑を閉じ、枕元へ置いた。

 

 明日は、最初のひのこを当てたあとに何をするか。

 

 ベッドへ横になってからも、その動きを一度だけ頭の中で確かめた。

 

第9話終了

 

次回・第10話「硬い守りを崩せ!ヒトカゲと再挑戦への特訓」

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