ONE PIECE ―黄色い閃光は海を翔ける― 作:HINRON
シロップ村の午後は、穏やかだった。
海から吹き抜ける風が木々の葉を揺らし、坂道を行き交う村人たちの声が遠くから聞こえてくる。オレンジの町での騒動が嘘のように、ここには平和な時間が流れていた。
けれど、ミナトの胸には小さな引っかかりが残っていた。
カヤの屋敷で出会った執事、クラハドール。
物腰は丁寧で、言葉遣いにも乱れはない。カヤを気遣う姿も、長年仕えてきた執事そのものだった。
ただ、ミナトは彼の細かな動きが気になっていた。
歩くときの重心の置き方。周囲に目を配る仕草。何気ない動作の中に、鍛えられた人間特有の無駄のなさがあったのだ。
もちろん、それだけで怪しいと決めつけることはできない。
それでも、気づいた違和感をそのままにしておくつもりはなかった。
「みんな、ちょっといいかな?」
ミナトが声をかけると、先を歩いていたルフィが振り返った。ゾロは眠たそうに片目を開き、ナミは何か用かという顔でミナトを見る。
「どうしたんだ、ミナト?」
「カヤさんの屋敷にいたクラハドールって執事なんだけど、少し気になることがあるんだ」
「執事が?」
ナミが眉を寄せた。
「うん。まだ何かしたわけじゃないから、怪しいと決めつけるつもりはないよ。ただ、身のこなしが妙に鍛えられているように見えたんだ。周囲への気の配り方もね」
ゾロは腕を組み、少し考えるように目を細めた。
「……確かに、妙に隙がなかった気はするな」
「何か企んでるってこと?」
「そこまでは分からないよ。だから、少し警戒しておきたいんだ。もし何か起きたら、カヤさんやメリーさんが危ないかもしれないからね」
ミナトが説明を終えると、ルフィは迷うことなくうなずいた。
「そっか! じゃあ、ミナトに任せたぞ!」
「……え?」
あまりにもあっさりした返事に、ミナトは思わず目を瞬かせた。
「お前が気になるって言うなら、何かあるんだろ? 頼んだぞ!」
ルフィは、まるでそれが当たり前だというように笑った。
細かい根拠を問い詰めることも、ミナトの判断を疑うこともない。ただ、仲間が気になると言ったのなら、その言葉を信じる。
隣で聞いていたゾロが、呆れたように息を吐いた。
「お前なあ……もう少し考えろよ」
「考えたぞ! ミナトに任せるって!」
「それは考えたうちに入らないでしょ!」
ナミの突っ込みに、ミナトはとうとう笑ってしまった。
「ありがとう、ルフィ。でも、何かあったらすぐに知らせるよ。オレ一人で全部分かるわけじゃないからね」
「おう! 何かあったら呼べよ! ぶっ飛ばしてやる!」
「そのときは頼りにしてるよ」
ミナトは笑顔でうなずいた。
任せてくれる。その信頼には、きちんと応えたい。
けれど、任されたからといって、すべてを一人で抱え込むつもりはなかった。分かったことは仲間に伝え、力が必要なら頼る。それもまた、ミナトが大切にしていることだった。
「じゃあ、オレは屋敷の近くで少し様子を見てくるよ」
「分かった。何かあったら知らせろよ」
ゾロが短く言う。
「ええ。こっちも村の様子を見ておくわ。何か変わったことがあれば、すぐに分かるようにね」
ナミもそう応じた。
「おう! じゃあ、オレたちは飯でも探してくる!」
「ルフィ、また食べ物のこと!?」
ナミの声を背に、ルフィたちは別の道へ歩き出した。
ミナトはその背中を見送り、小さく笑った。
頼もしい仲間たちだ。
だからこそ、自分にできることは自分でやる。そして、必要なときには彼らを頼る。
そう心に留めながら、ミナトはカヤの屋敷へと足を向けた。
*
屋敷の玄関近くでは、メリーが使用人たちに指示を出していた。
ミナトの姿に気づくと、いつもの穏やかな笑顔を浮かべる。
「ミナトさん。何かございましたか?」
「少し、屋敷の周りを見ておこうと思ってね。カヤさんの具合はどうですか?」
「お嬢様はお部屋で休んでおられます。体調も落ち着いておりますので、ご心配には及びませんよ」
「それならよかった」
ミナトはほっとしたように笑った。
「ところで、メリーさん。最近、屋敷で何か気になることはありませんか?」
「気になること、ですか?」
メリーは少し考えたが、すぐには答えなかった。
「……実は、私も少々気になっていることがございます。ただ、まだ確かなことは申し上げられません」
「そうですか」
ミナトは無理に聞き出そうとはしなかった。
「もし何か分かったら、教えてください。小さなことでも構いません。念のため、気をつけておきたいんです」
「承知いたしました。お気遣いありがとうございます」
メリーは深く頭を下げた。
ミナトはその場を離れ、屋敷の外側を回るように歩いた。
窓や出入り口、庭へ続く道。人が行き来する場所を確認しながら、周囲の気配に意識を向ける。
今のところ、目立った異変はない。
クラハドールの姿も見当たらなかった。
考えすぎだったのかもしれない。
そう思いかけた、そのときだった。
屋敷の奥から、何かが倒れるような音が響いた。
続いて、メリーの声が聞こえてくる。
「クラハドール……あなたは、いったい……!」
ミナトの表情が変わった。
迷うことなく、音のした方へ駆け出す。
廊下の角を曲がった先で、ミナトが目にしたのは、メリーとクラハドールの姿だった。
メリーは壁際へ追い詰められ、目の前の男を信じられないという表情で見つめている。
そしてクラハドールの顔からは、普段の穏やかな執事の面影が消えていた。
「余計なことを知りすぎたな、メリー」
冷たい声だった。
「まさか……あなたが、そんな……!」
メリーが後ずさる。
次の瞬間、クラハドールの身体がぶれた。
いや、ぶれたように見えたのは一瞬だけだった。
男は一気に間合いを詰め、メリーへと攻撃を放つ。
「メリーさん!」
ミナトは腰のくないを抜き、二人の間へ飛び込んだ。
鋭い金属音が廊下に響く。
くないで攻撃の軌道を逸らし、空いた手でメリーの肩を引いた。刃がすぐ目の前を通り過ぎ、メリーの身体が攻撃の届かない位置へと逃れる。
「下がって!」
「ミナトさん……!」
「怪我はありませんか?」
「は、はい……!」
メリーの無事を確かめると、ミナトはすぐに相手へ向き直った。
クラハドールはわずかに距離を取っている。
その目が、初めてミナトを正面から捉えた。
「邪魔をするな」
「そういうわけにはいかないよ。目の前で人が襲われているんだからね」
ミナトはくないを構え直した。
相手の動きは、やはり尋常ではなかった。
単純に足が速いというだけではない。相手の視界から一瞬で消えるように動き、反応する時間そのものを奪う。攻撃の瞬間だけ姿が消えたかのように見えるほど、無駄を削ぎ落とした動きだった。
先ほどまで感じていた違和感の正体が、少しずつ形になっていく。
この男は、ただの執事ではない。
「お前は何者だ?」
クラハドールが低い声で問う。
「それは、こっちが聞きたいところだよ」
ミナトが答えた瞬間、男の姿が再び消えた。
今度は真正面からではない。視界の外へ滑り込み、ミナトの反応を遅らせようとしている。
だが、ミナトは目だけに頼ってはいなかった。
床板のわずかなきしみ。足音。空気の揺れ。そして、踏み込む直前に生まれる重心の変化。
小さな手がかりをつなぎ合わせ、相手の位置を読む。
右。
ミナトは身体をひねり、攻撃を紙一重でかわした。
そのまま踏み込んで間合いを詰める。
「なっ……!」
クラハドールの目が見開かれた。
速さを頼りにした動きは、相手に距離を詰められた瞬間、わずかな隙を生む。
ミナトはその一瞬を逃さなかった。
軸足を踏み込み、身体を回転させながら蹴りを叩き込む。
鈍い衝撃音が響いた。
クラハドールの身体が廊下の向こうへ吹き飛び、開いていた窓を越えて屋敷の外へ飛び出した。
ミナトはすぐに窓辺へ駆け寄った。
庭の向こうに、倒れた人影が見える。
しかし、ミナトが外へ出たときには、もうその姿はなかった。
「……逃げたか」
周囲に意識を向けるが、相手の気配は遠ざかっている。今から追いかけても、確実に捕まえられるとは限らない。
それに、今は追跡よりも先にやるべきことがあった。
ミナトはすぐに屋敷へ戻った。
「メリーさん、もう大丈夫ですか?」
「はい……。助けていただき、ありがとうございます」
メリーはまだ青ざめていたが、立っていられるだけの余裕はあるようだった。
「よかった。でも、ここからは気をつけてください。あの男は、かなり危険です」
「……やはり、あなたもそう思われますか」
メリーは苦しそうに目を伏せた。
「私は、彼について調べていました。以前から気になることがあり、今日、そのことを本人に知られてしまったのです」
「それで、口封じをしようとしたのかもしれませんね」
「おそらく……」
ミナトは短く息を吐いた。
まだ、クラハドールの目的も正体も分からない。だが、メリーを襲った以上、ただの誤解では済まされない。
「メリーさん、お願いがあります」
「何でしょうか?」
「カヤさんと一緒に、村へ警告を伝えてもらえませんか。何が起きるかはまだ分かりません。でも、あの男が何かを企んでいる可能性があります。村の人たちが不意打ちを受けないように、できるだけ早く知らせてほしいんです」
メリーは驚いたように目を見開いた。
「村へ……。分かりました。すぐに手配いたします」
「ありがとうございます。カヤさんにも、決して一人で外へ出ないように伝えてください。無理をさせないことも大切です」
「承知しました。お嬢様と村の皆さんを守るため、できる限りのことをいたします」
「お願いします。オレは仲間のところへ戻って、このことを伝えてきます」
メリーは深く頭を下げた。
「ミナトさん、本当にありがとうございました」
「いえ。メリーさんが無事でよかったです」
ミナトはそう言い残し、屋敷を後にした。
*
ルフィたちは、村の通りから少し離れた場所にいた。
ルフィは相変わらず食べ物のことを考えているらしく、ナミに何かをねだっている。ゾロは近くの壁にもたれ、眠そうに腕を組んでいた。
そこへミナトが戻ってくると、ルフィがすぐに顔を上げた。
「おっ、ミナト! どうだった?」
「少し、まずいことになったよ」
その一言で、三人の表情が変わった。
「クラハドールがメリーさんを襲ったんだ。オレが止めたけど、逃げられてしまった」
「何ですって!?」
ナミが声を上げる。
ゾロも身体を起こした。
「やっぱり、ただの執事じゃなかったか」
「うん。動きがかなり速い。正面から追いかけるだけじゃ、簡単には捕まえられないと思う」
「メリーは無事なのか?」
ルフィが尋ねた。
「大丈夫。怪我はなかったよ。今はカヤさんと一緒に、村のみんなへ警告を伝えてもらうよう頼んできたところだ」
「そっか! メリーが無事ならよかった!」
ルフィはほっとしたように笑った。
そして、すぐに表情を引き締める。
「そいつ、また来るのか?」
「可能性はあると思う。まだ何が目的なのか分からないけど、メリーさんを襲った以上、何かを急いでいるのかもしれない」
「なら、見つけたらぶっ飛ばしてやる!」
ルフィは拳を握った。
ミナトはその言葉に笑みを浮かべながらも、慎重に続けた。
「そうだね。ただ、相手の動きには気をつけよう。あの速さは厄介だよ。オレも次は逃がさないようにしたいけど、何も分からないまま追いかけるのは危険だからね」
「分かった! ミナトがそう言うなら、気をつける!」
ルフィは迷いなく答えた。
ゾロが口元をわずかに上げる。
「相手が速いなら、速さだけで追いかける必要はねえ。動きを見極めて、隙を突けばいい」
「うん。オレもそう考えてる」
ナミは村の方角へ目を向けた。
「カヤとメリーが警告を伝えてくれれば、村の人たちも不意打ちを受けずに済むかもしれないわね。でも、村全体を巻き込むような計画だったら……」
「だからこそ、急ぐ必要があるんだ」
ミナトは静かにうなずいた。
クラハドールの正体も、目的も、まだ明らかになってはいない。
ただ、あの男が人知れず動き、メリーを口封じしようとしたことだけは確かだった。
平穏な村の裏側で、何かが動き始めている。
「みんな、これからも気づいたことがあれば共有しよう。オレも、分かったことはすぐに伝えるよ」
「おう!」
ルフィが元気よく返事をした。
その声に、ミナトは小さく笑う。
任せると言ってくれたルフィ。自分の判断を信じてくれたゾロとナミ。
だからこそ、ミナトも彼らを信頼している。
一人で危機に対応することはあっても、一人で仲間を守ろうと抱え込む必要はない。
必要なときに動き、必要なときに頼る。
それが、ミナトの選んだ仲間との旅だった。
ミナトは腰のくないに手を添え、村の向こうへと目を向けた。
あの男は、必ずまた現れる。
次に対峙するときには、その速さの秘密も、隠された企みも見極めてみせる。
そして今度こそ、誰一人として不意打ちで傷つけさせはしない。
穏やかなシロップ村の空に、海からの風が吹き抜けていった。