ONE PIECE ―黄色い閃光は海を翔ける― 作:HINRON
海上レストラン・バラティエ。
潮風が吹き抜ける海の上で、店は今日も多くの客で賑わっていた。
ただし、店の裏手からは、先ほどからやけに景気のいい水音が聞こえている。
「おい、そこの皿、まだ汚れてんぞ!」
「うるせェ! ちゃんと洗ってるだろ!」
「口を動かす暇があるなら手を動かせ!」
「わかったよ!」
ルフィは腕まくりをし、山のように積まれた皿と格闘していた。
フルボディの海軍船から飛んできた砲弾を弾き返し、バラティエの屋根を壊した代償である。ゼフから修理代を請求され、払えないなら働けと言い渡されたのだった。
もっとも、ルフィにとって皿洗いは退屈な仕事らしい。
「なあ、いつまでやればいいんだ?」
「屋根の修理代を払い終わるまでだ!」
「腹減ったー!」
「さっき食っただろうが!」
「もう減った!」
「知るか!」
厨房から飛んでくる怒鳴り声にも、ルフィはめげなかった。
「サンジー! なんか食わせろー!」
「仕事中に注文すんじゃねェ!」
「ケチ!」
「誰がケチだ、クソガキ!」
厨房の奥で、サンジの怒声が響く。
その頃、客席ではルフィを除いた仲間たちが、ひとまず落ち着いた時間を過ごしていた。
「まったく、余計なことをしてくれたわね……」
ナミは帳面を広げ、食費や補給に必要な金額を計算していた。
「屋根の修理代まで払うことになったら、こっちの予算にも響くじゃない」
「でも、砲弾がこっちに飛んできたんだろ? ルフィが弾き返さなかったら、メリー号が危なかったんじゃねェか?」
ウソップが言うと、ナミは顔を上げた。
「それはそうだけど、だからって屋根に当てていい理由にはならないでしょ!」
「まあ、そうだけどよ……」
「それに、あいつが皿洗いをサボったら、もっと長引くんだからね」
ナミは帳面に視線を戻した。
少し離れた席では、ゾロが椅子に深く腰掛け、腕を組んでいる。
「自業自得だろ。あいつらしいじゃねェか」
「ゾロはもう少し仲間を心配したらどうなの?」
「心配したところで、あいつが皿洗いをやめるわけでもねェだろ」
「それはそうだけど……」
ナミは言い返しかけて、やめた。
確かに、ルフィの性格を考えれば、励ましたところで元気になるだけだ。皿洗いが早く終わるとは思えない。
向かいに座るミナトは、二人のやり取りを聞きながら苦笑していた。
「ルフィなら、なんだかんだ最後までやると思うよ」
「そうかしら。途中でお腹が空いたとか言って、皿を食べ始めるんじゃない?」
「さすがに皿は食べないと思うけど……」
「いや、あいつならやりかねねェな」
ゾロが真顔で言った。
「ちょっと、冗談でしょ?」
ナミが眉をひそめる。
ミナトは思わず笑った。
「そこまでいったら、さすがにゼフさんも止めるだろうね」
*
厨房から一人の料理人が盆を持って出てきた。
金髪に黒いスーツ。片目を隠すように垂れた前髪。
サンジだった。
「お待ちどう。注文の料理だ」
彼は別の客のテーブルへ料理を運び、手際よく皿を並べた。
「ごゆっくりどうぞ」
料理を出し終え、空いた皿を盆に載せる。
そのまま厨房へ戻ろうとしたサンジは、ふと客席の方へ目を向けた。
そして、足を止めた。
オレンジ色の髪をした女性が、仲間らしき男たちと一緒に座っている。
帳面を片手に、何やら真剣な顔で計算をしているようだった。
サンジはしばらく、その姿を見つめた。
「…………」
盆を持つ手が止まる。
次の瞬間、サンジの目がみるみるうちにハートへと変わった。
「メロリ~~~~ン!!」
突然の叫びに、近くの客がびくりと肩を震わせる。
サンジは盆を近くの給仕台へ置くと、風のような勢いで女性の席へ駆け寄った。
「お嬢さァ~~~~ん!!」
「……え?」
ナミが顔を上げる。
目の前には、先ほどまで料理を運んでいたはずの金髪の男が、目を輝かせながら立っていた。
「なんという美しさ……! こんな素敵なお嬢さんがいらっしゃったなんて、俺は今まで何を見ていたんだ……!」
「……はあ?」
「お名前を! どうか、お名前を教えてください!」
サンジは胸に手を当て、深々と頭を下げた。
「お食事のおかわりは!? お飲み物は!? 何かご入用のものがあれば、何でもこのサンジにお申しつけください!」
「ちょ、ちょっと! 近いわよ!」
ナミは椅子を引き、すかさず距離を取った。
「何なのよ、いきなり!」
「申し訳ありません! あまりの美しさに、つい……!」
「つい、じゃないわよ! あんた、仕事中でしょ!?」
「はっ! おっしゃるとおりです、お嬢さん!」
サンジは一瞬で姿勢を正した。
だが、次の瞬間には再びハートを飛ばしている。
「しかし、この出会いに感謝せずにはいられません……!」
「感謝しなくていいから!」
ナミの声が店内に響いた。
少し離れた席で、ウソップが口をあんぐりと開けていた。
「お、おい……。あいつ、さっきまで普通に料理を運んでたよな?」
「うん。仕事はすごく手際がよかったね」
ミナトは苦笑しながら答えた。
「人って、あんなに一瞬で変わるんだ……」
「感心してる場合かよ」
ゾロが呆れたように言う。
「女を見た途端に壊れやがった」
「誰が壊れただ!」
サンジは即座に振り返った。
「お前は黙って座ってろ! 女性の前で恥をさらすんじゃねェ!」
「恥をさらしてんのはてめェだろうが、クソコック!」
「誰がクソコックだ!」
「うるせェ!」
「ちょっと! あんたたちまで騒がないでよ!」
ナミの一喝が飛んだ。
二人はぴたりと口を閉じる。
サンジはすぐにナミへ向き直った。
「申し訳ありません、お嬢さん! このような野蛮な男と同じ空間にいさせてしまって……!」
「いや、あんたも十分うるさいんだけど?」
「ぐはっ!」
サンジは胸を押さえ、膝から崩れ落ちた。
「その鋭いお言葉もまた……!」
「もういいから仕事に戻りなさい!」
「はいっ、お嬢さん!」
返事だけは、やけに元気だった。
サンジは立ち上がると、給仕台に置いた盆を取りに戻っていった。
その背中を見送り、ウソップが小声でつぶやく。
「……名前も知らない相手に、あそこまで騒げるのかよ」
「筋金入りだね」
ミナトが笑う。
「まったく、面倒な奴が増えたもんだ」
ゾロは鼻を鳴らした。
「誰が面倒な奴だ、クソ野郎!」
遠くからサンジの声が飛んできた。
「聞こえてんじゃねェか!」
ゾロが怒鳴り返す。
「……ここ、本当にレストランなの?」
ナミは額に手を当て、深々とため息をついた。
*
騒ぎがようやく落ち着くと、ナミは帳面を閉じ、店内を見回した。
「それにしても、いろんな海賊が出入りする店ね」
「海の上にあるレストランだからね。船乗りも海賊も、いろんな人が来るんだろうね」
ミナトが答えた。
ナミは何気なく壁へ目を向けた。
店内の柱には、何枚かの海賊の手配書が貼られていた。客や料理人たちが目にする場所に、情報として掲示しているのだろう。
その中の一枚に、ナミの視線が止まった。
魚人の男。
鋭い目つきと、特徴的な歯。
手配書には、こう記されていた。
――アーロン。
ナミの指先が、ぴたりと止まった。
ほんの一瞬、表情から笑みが消える。
脳裏をよぎったのは、見慣れた故郷の景色。そして、忘れようとしても忘れられない男の顔だった。
けれど、それはすぐに隠された。
ナミは視線を手配書から外し、何事もなかったかのように帳面を手に取った。
「……何か気になるものでもあった?」
ミナトが尋ねる。
「別に。ちょっと手配書を見てただけよ」
ナミはそっけなく答えた。
「海賊の顔なんて、いちいち覚えてられないわ」
「そっか」
ミナトはそれ以上、尋ねなかった。
ただ、ほんの一瞬だけ見えたナミの表情が、いつもの彼女とは違っていたことは覚えていた。
何か事情があるのかもしれない。
だが、本人が話すつもりのないことを、無理に聞き出す必要はない。
ミナトは窓の外へ視線を戻した。
ナミも再び帳面に目を落とす。
そのページに並んだ数字は、しばらく頭に入ってこなかった。
*
厨房へ戻ったサンジは、再び料理人としての顔に戻っていた。
先ほどまでの騒ぎが嘘のように、注文を確認し、食材を選び、手際よく調理を進めている。
料理を粗末に扱う者には容赦しない。
空腹で困っている者には、できる限り食事を出す。
女性を見れば騒がしくなるという問題はあるものの、料理人としての仕事は真剣そのものだった。
「おい、サンジ! 次の注文だ!」
「わかってる!」
パティの声に応じ、サンジは鍋を振る。
その頃、店の裏ではルフィが洗い終えた皿を棚へ並べていた。
「よし! これで全部か!?」
「まだあるぞ!」
「うそだろー!?」
「さっきから何回同じことを言ってんだ、お前は!」
ゼフの怒声が飛ぶ。
ルフィは頬を膨らませた。
「なあ、じいさん! 皿洗いが終わったら飯食っていいんだよな?」
「仕事が終わったら考えてやる!」
「よっしゃ!」
「まだ終わってねェだろうが!」
再び怒鳴り声が響く。
ミナトは店の窓越しに裏手を見て、苦笑した。
「ルフィ、ちゃんとやってるみたいだね」
「皿を割ってなきゃいいけど」
ナミが帳面を閉じる。
「余計な仕事を増やされたら困るわ」
「そこは心配するんだね」
「当たり前でしょ。修理代が増えたら、誰が困ると思ってるのよ!」
「はいはい」
ミナトは笑いながら、椅子から立ち上がった。
少し外の空気を吸ってくるつもりだった。
店の出入り口を抜け、海の見える場所まで歩く。
潮風は穏やかだった。
しかし、遠くの海に目を向けた瞬間、ミナトの表情がわずかに変わった。
「……ん?」
水平線の向こう。
小さな船影が見えた。
いや、一隻ではない。
先頭の船はひどく傷ついており、帆は破れ、船体にも損傷が見える。その後ろにも、複数の船影が続いていた。
ミナトは目を細め、しばらく観察した。
船の進み方が不自然だった。
風に乗って滑らかに進んでいるのではない。船体の損傷を抱えたまま、無理やりこちらへ向かってきているように見える。
(かなり消耗しているな……。それに、あの船団は……)
ミナトは店内へ戻った。
「ナミ、ゾロ。ちょっといい?」
「何よ?」
ナミが顔を上げる。
「沖に船が見える。かなり傷んでいる海賊船みたいだ」
ゾロの表情が変わった。
「海賊船だと?」
「ああ。後ろにも何隻かいる。こっちへ向かってきているように見える」
ナミはすぐに立ち上がり、窓の外を確認した。
「……本当ね。あの状態で、ここまで来るなんて」
「助けを求めに来た可能性もある。まだ敵だと決めつけるのは早いと思う」
ミナトはそう言いながらも、腰のクナイの位置を確かめた。
ゾロも立ち上がり、刀の位置を直す。
「どっちにしろ、何が来るかわからねェ。警戒しておくに越したことはねェな」
「そうね」
ナミは店内を見渡し、出入り口と船へ戻る経路を確認した。
ウソップも窓の外を覗き込む。
「お、おい……。あれ、かなりヤバそうな船じゃねェか?」
「まだ何も起きてないよ」
ミナトは落ち着いた声で答えた。
「だから、まずは様子を見よう」
彼はもう一度、沖合へ目を向けた。
傷ついた船。
疲弊した乗組員。
そして、彼らがわざわざ海上レストランへ向かってくる理由。
ただの食事客であればいい。
しかし、ミナトの経験は、そんな楽観を簡単には許さなかった。
*
やがて、船団の先頭にいた男がバラティエへ姿を現した。
先ほど、サンジから食事を受け取った男――ギンだった。
彼は店の前で立ち止まると、疲れ切った顔で周囲を見渡した。
その目には、焦りと苦悩が浮かんでいた。
「……頼む」
ギンは低い声で言った。
「食い物をくれ」
厨房から顔を出したサンジが、眉をひそめる。
「おい。お前、さっき食ったばかりだろうが」
「わかっている」
ギンは視線を落とした。
「だが、俺一人の話じゃない。船の仲間たちが……もう限界なんだ」
サンジは、ギンの背後にいる海賊たちを見た。
顔色は悪く、体力も尽きかけている。まともに立っているのも難しそうな者までいた。
「……そうか」
サンジは短く答えた。
ギンは一瞬、顔を上げた。
「食わせてくれるのか?」
「腹を空かせた奴に飯を食わせる。それが料理人の仕事だ」
サンジは厨房へ向き直った。
「ただし、店で暴れるなら話は別だ。飯を食うなら、黙って食え」
その言葉に、ギンは何も返せなかった。
ミナトは少し離れたところから、その様子を見ていた。
ギンの表情には、食料を求める切迫感だけではない、何か別の感情が混じっている。
それでも、今の段階では理由まではわからなかった。
やがて、船の方から重い足音が響いた。
ギンが振り返る。
その顔が、わずかに強張った。
「……提督」
船から降りてきたのは、大柄な男だった。
全身に武装をまとい、威圧的な空気を放っている。周囲の海賊たちは、その男の姿を見るだけで自然と道を開けた。
ドン・クリーク。
東の海で恐れられる海賊提督である。
クリークはバラティエを見上げ、口元を歪めた。
「ここがレストランか」
その声は、店の前にいる者たちにも届いた。
「食い物があるそうだな」
ゼフが厨房から姿を現した。
「食事をするだけなら客として扱ってやる。だが、騒ぎを起こすつもりなら帰ってもらう」
クリークはゼフを一瞥した。
「俺が誰だか知っていて言っているのか?」
「知らねェな。知る必要もねェ」
ゼフは一歩も引かなかった。
「ここはレストランだ。飯を食うなら食え。そうでないなら出ていけ」
クリークの部下たちがざわめく。
サンジも厨房の入り口に立ち、クリークを睨んだ。
「食いに来たんなら、さっさと座れ。ここは海賊の威張り合いを見せる場所じゃねェ」
クリークはサンジへ視線を向けたが、すぐに興味を失ったように顔をそらした。
「腹が減っている。まずは食わせてもらうぞ」
その言葉を聞いても、ミナトの警戒は解けなかった。
クリークの武装は、単なる威嚇のために身につけたものには見えない。
彼の背後にいる海賊たちも、疲弊してはいるが、武器を捨ててはいなかった。
そして何より、クリーク自身の目に、食事を求めるだけの男の様子はなかった。
ミナトは店内の仲間たちへ目を向ける。
ゾロはすでに警戒を強めている。
ナミは退路を確かめ、ウソップは緊張した面持ちで海賊たちを見ていた。
ルフィはまだ裏で皿洗いをしている。
今すぐ全員を戦いに巻き込む必要はない。
しかし、備えは必要だった。
*
食事を終えたクリークは、ゆっくりと立ち上がった。
料理人たちが片づけに動く中、彼は店内を見回した。
客席。厨房。食料を保管する場所。そして、海上に浮かぶこのレストランの船体。
クリークの目が、少しずつ冷たい光を帯びていく。
「気に入った」
彼は言った。
「食料もある。船としても使える。ここを手に入れれば、艦隊を立て直せる」
ゼフの表情が険しくなる。
「……何だと?」
クリークは当然のように告げた。
「この船を寄越せ。食料も、使えるものはすべてだ」
店内の空気が凍りついた。
サンジが一歩前へ出る。
「……ふざけるな」
その声は、先ほどナミに話しかけていたときとはまるで違っていた。
「食わせてもらっておいて、今度は店を奪うだと? てめェ、自分が何を言ってるのかわかってんのか」
クリークは鼻で笑う。
「俺に逆らえばどうなるか、思い知らせてやる」
「断る」
ゼフは即座に言い切った。
「この店は誰にも渡さねェ」
クリークの部下たちが武器を構え始める。
料理人たちも、店を守るためにそれぞれの位置についた。
ミナトはクナイに手を添え、敵の人数と配置を確認する。
狭い店内で戦いが始まれば、料理人や客まで巻き込まれる。
まずは店の人々が逃げられる経路を確保する必要がある。
ゾロも刀に手をかけ、クリークの部下たちを見据えた。
ナミはウソップに目配せし、船へ戻る道を塞がれないよう位置を変える。
そして、ルフィの姿が見えないことに気づいたウソップが、裏手を振り返った。
「……あいつ、まだ皿洗いしてんのか?」
そのとき、店の裏から大きな声が響いた。
「おーい! もう終わったぞー!」
ルフィだった。
手を拭きながら姿を現した彼は、店内の異様な空気を見て首を傾げる。
「……何だ? 何かあったのか?」
「お前、今まで気づかなかったのかよ!」
ウソップが思わず叫ぶ。
ルフィはクリークと、その背後に並ぶ海賊たちを見た。
「へえ。海賊か」
クリークはルフィを一瞥する。
「何だ、小僧。貴様も俺に逆らうつもりか?」
ルフィは少し考えた。
それから、はっきりと答えた。
「この店を奪うってんなら、好きにはさせねェぞ」
ミナトはルフィの横顔を見た。
普段どおりの、まっすぐな目だった。
クリークが不敵に笑う。
「後悔するなよ。俺に逆らったことをな」
ルフィは拳を握る。
「お前こそな」
バラティエを包んでいた賑やかな空気は、もう消えていた。
食事を楽しむための場所は、海賊提督の襲来によって、戦場へ変わろうとしていた。
ミナトは静かに息を整え、クナイを握り直す。
ここにいる仲間たちと、店を守ろうとする料理人たち。
誰も、好き勝手に傷つけさせるつもりはなかった。
だが、この戦いを誰が終わらせるのかは、まだわからない。
ミナトはクリークの動きを見据えたまま、次の一手に備えた。
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