ONE PIECE ―黄色い閃光は海を翔ける― 作:HINRON
朝の光が窓から差し込み、食卓の上を明るく照らしていた。
「ミナト、今日は山へ行くんだったね?」
「ああ。そろそろ採っておきたい植物があるんだ」
焼き魚をほぐしながら答えるミナトに、祖母が汁物を差し出した。
「なら、昼までには戻っておいで。昨日も言ったけど、山の奥まで入りすぎるんじゃないよ」
「分かってるよ。ちゃんと気をつけるから」
「お前の『気をつける』は、あまり信用できないんだけどねえ」
「えっ、そんなことないと思うけど……」
ミナトが困ったように笑うと、向かいに座っていた祖父が静かに口を開いた。
「帰り道もよく見ておけ。行きに通った道だからといって、帰りも同じとは限らん」
「うん。分かった」
「それならいい」
祖父はそれ以上何も言わず、再び食事に戻った。
いつもと変わらない朝だった。
食事を終えたミナトは、道具入れと採集用の袋を手に取った。腰には使い慣れたクナイを携えている。忘れ物がないことを確かめると、二人に軽く手を振った。
「それじゃあ、行ってくるよ」
「気をつけてね」
「暗くなる前には戻れよ」
「はーい」
家を出ると、朝の風が頬を撫でた。
港の方からは漁師たちの声が聞こえ、村の通りには荷物を運ぶ人々の姿がある。
ミナトは顔見知りの村人たちに挨拶をしながら、村の外へと続く道を歩いていった。
今日もまた、いつもと変わらない一日が始まる。
そのときのミナトは、そう思っていた。
*
山道に入ると、村の喧騒は次第に遠ざかっていった。
木々の間から差し込む光が地面に斑模様を描き、風が吹くたびに葉がさらさらと音を立てる。
ミナトは足元に注意を払いながら、目的の植物を探していた。
食べられる植物の中には、よく似た別の種類がある。見た目だけで判断せず、葉の形や茎の特徴、育っている場所まで確かめなければならない。
「……これは、まだ早いかな」
しゃがみ込んで葉を確認したミナトは、小さく首を振った。
その隣に生えていた別の植物を見つけると、今度は満足そうに頷く。
「こっちは大丈夫そうだ」
必要な分だけを採り、袋に収める。
作業を進めていると、近くの地面に小さな足跡が残っていることに気づいた。ミナトは手を止め、その形を確かめた。
小動物のものだろう。足跡は木の根元を回り、草むらの奥へ続いている。
しばらくその先を眺めたあと、ミナトは立ち上がった。
「さて、そろそろ戻ろうかな」
袋の中身を確かめ、採集した植物が傷んでいないことを確認する。
山にいる間、特に変わったことはなかった。
遠くで鳥が鳴き、木々の間を風が通り抜ける。時折、枝の揺れる音が聞こえるだけだ。
ところが、帰り支度を終えたミナトが歩き始めたとき、山の向こうで鳥たちが一斉に飛び立った。
ばさばさと羽音が重なり、静かな森に一瞬だけ騒がしさが広がる。
ミナトは足を止め、音のした方へ目を向けた。
「……何かあったのかな」
鳥が驚く理由はいくらでもある。獣が動いたのかもしれないし、別の何かが近づいたのかもしれない。
今の情報だけでは判断できなかった。
ミナトは少しだけ耳を澄ませたが、それ以上の異変は感じ取れなかった。
「まあ、気になるけど……」
村へ戻る時間もある。
ミナトは周囲を警戒しながら、来た道を引き返すことにした。
*
同じころ、村の沖合では、一隻の海賊船がゆっくりと岸へ近づいていた。
甲板には、武器を手にした男たちが集まっている。
「お頭、本当にこんな小さな村でいいんですかい?」
船員の一人が尋ねると、船長は面倒そうに鼻を鳴らした。
「文句があるのか?」
「い、いえ! そういうわけじゃ……」
「なら黙ってろ。大きな町には海軍がいる。面倒な相手とやり合うより、抵抗できねえ村から食い物と金をいただく方が賢いだろうが」
船長は手にした鉈を肩に担ぎ、口元を歪めた。
「それに、たまには自分たちがどれだけ弱いか、思い知らせてやらねえとな」
船員たちは笑った。
やがて海賊船が岸へ着くと、男たちは次々に船から飛び降り、村へ向かって歩き出した。
最初に異変に気づいたのは、港で網を片づけていた漁師だった。
「おい、あいつら……海賊か?」
声に気づいた別の村人が振り返る。
武器を持った男たち。見慣れない旗を掲げた船。彼らが何者なのかを理解するのに、時間はかからなかった。
「みんな、逃げろ! 海賊だ!」
叫び声が上がった。
だが、海賊たちはすでに村の入口まで迫っていた。
「へへっ、逃げても無駄だぜ!」
先頭の男が店先の樽を蹴り倒す。別の男は商品をつかみ取り、袋へ放り込んだ。
村人たちは抵抗しようとしたが、相手は武器を持った大勢の海賊だった。力ずくで押し倒され、手にしていた道具を奪われる。
「やめてくれ! それを持っていかれたら、商売ができなくなる!」
「知るかよ。欲しけりゃ取り返してみな!」
男が店主を突き飛ばした。
その様子を見て、近くにいた村人が駆け寄ろうとする。しかし、別の海賊が鉈をちらつかせ、足を止めさせた。
「余計なことをするんじゃねえ。大人しくしてりゃ、命までは取らねえよ」
その言葉に、村人たちは唇を噛みしめた。
誰も好き好んで抵抗を諦めたわけではない。
家族を守りたい。子供たちを危険にさらしたくない。そんな思いが、彼らの足を止めていた。
やがて船長が村の中央へ姿を現した。
彼は荒らされた店先や、怯えて身を寄せ合う村人たちを眺め、満足そうに笑った。
「なんだ。思ったより静かな村じゃねえか」
船長は鉈の刃を指でなぞりながら、抵抗した男の前に立った。
「お前か? さっき俺の部下に逆らったってのは」
「……人の家から物を奪っておいて、黙っていられるわけがないだろう」
男は震える足を踏ん張り、船長を睨み返した。
船長の笑みが消えた。
「そうか。なら、少し教えてやらねえとな」
鉈が振り上げられる。
「やめろ!」
誰かが叫んだ。
だが、船長は手を止めなかった。
男は地面に倒れ込み、苦痛に顔を歪めた。
村人たちの間に、声にならない恐怖が広がった。
船長は鉈を肩へ戻し、周囲を見回した。
「まだ分からねえ奴がいるようだな」
その視線が、一人の母親と、その隣に立つ幼い子供へ向いた。
「おい。そのガキを連れてこい」
「なっ……! 何をするつもりだ!」
母親が子供を抱き寄せる。
海賊の一人が近づき、子供の腕をつかんだ。
「いやだ! お母さん!」
「やめて! その子は関係ないでしょう!」
母親は必死に子供を引き戻そうとしたが、別の海賊に押さえつけられた。
「お前らが逆らったからだ。こいつがどうなるか、よく見ておけ」
船長は冷たい声で言い放った。
「次に俺たちへ逆らう奴がいたら、もっとひどい目に遭わせてやる」
子供の泣き声が、村の通りに響き渡った。
*
山道を下り、村へ戻ってきたミナトは、入口に差しかかったところで足を止めた。
何かがおかしい。
いつもなら聞こえてくるはずの声が少なかった。
店先で交わされる会話も、子供たちの笑い声も、港から聞こえる威勢のいい掛け声もない。
代わりに、遠くから人々のざわめきが聞こえてくる。
ミナトは袋を持ち直し、歩く速度を上げた。
村の通りへ出た瞬間、目に飛び込んできた光景に息を呑む。
倒れた荷車。散らばった商品。壊れた店の扉。
そして、道端に座り込み、傷を押さえている村人たち。
「……これは」
ミナトはすぐさま近くの村人へ駆け寄った。
「大丈夫ですか? 何があったんです?」
「ミナト……!」
顔見知りの男が、彼の姿を見て目を見開いた。
「海賊だ。突然、海賊が村に押し入ってきたんだ……!」
「海賊?」
ミナトの表情が引き締まる。
「どこにいますか? 人数は?」
「まだ村の中にいる。大勢だ……三十人くらいはいたと思う」
「子供たちは? みんな無事ですか?」
男は悔しそうに顔を伏せた。
「……一人、連れていかれた」
ミナトの動きが止まった。
「連れていかれたって……?」
「抵抗した村人への見せしめだと言って、その家の子供をさらっていったんだ。母親が必死に止めたのに……!」
男の声が震えた。
ミナトは一度、目を閉じた。
胸の奥に、冷たいものが沈んでいく。
怒りはあった。だが、今ここで感情を爆発させても、さらわれた子供は戻ってこない。
「分かりました。まず、怪我をしている人たちの手当てを優先してください。動ける人は、子供たちを安全な場所へ。海賊がまだ残っているなら、決して一人で近づかないで」
ミナトは周囲を見渡し、状況を整理した。
村の中央には海賊たちがいる。港には船が残っている。子供を連れ去ったということは、まだ村から離れていない可能性が高い。
けれど、相手の正確な配置も、子供がどこにいるかも分からない。
急ぐ必要はある。しかし、何も分からないまま飛び込むわけにはいかなかった。
「海賊たちは、どこへ向かいましたか?」
「港の近くだ。子供を連れて、船へ戻ろうとしているらしい」
「分かりました」
ミナトは立ち上がった。
「俺が連れ戻します」
「待て、ミナト!」
男が慌てて声を上げる。
「相手は大勢だぞ! 一人で行くなんて無茶だ!」
「無茶をするつもりはありません」
ミナトは静かに答えた。
「でも、あの子が助けを待っているのなら、何もしないわけにはいかないでしょう?」
男は言葉を詰まらせた。
ミナトはそれ以上何も言わず、村の奥へ目を向けた。
まずは子供の居場所を確かめる。海賊の数と動きを把握する。できる限り村人を危険に巻き込まず、子供を連れ戻す。
それが今、彼にできる最善の行動だった。
*
村の外れでは、数人の村人が海軍へ救援を求めていた。
しかし、返ってきた答えは、彼らが期待していたものではなかった。
管轄の問題。人員の不足。近隣の海域で別の対応に追われていること。
理由はいくつも並べられたが、すぐに助けに来るという約束は得られなかった。
「そんな……! 子供がさらわれたんですよ!」
村人の悲痛な声が響く。
「こちらにも事情がある。現場の状況を確認してから判断する」
「確認している間に、あの子がどうなるか分からないんです!」
通信が途切れた。
村人は手にした連絡手段を握りしめ、悔しそうに俯いた。
少し離れたところで、その話を聞いていたミナトは、静かに息を吐いた。
怒りがないわけではない。
だが、海軍への不満を口にしても、今すぐ子供を救えるわけではなかった。
ミナトは村人のもとへ歩み寄る。
「海賊の船は、まだ港にありますか?」
「ああ。少なくとも、さっき見たときはまだいた」
「なら、まだ間に合うかもしれません」
ミナトは腰の道具入れを確かめた。
使い慣れたクナイ。必要な道具。身体を動かすための余計な荷物はない。
彼は村人たちを振り返った。
「祖父ちゃんと祖母ちゃんのことを、お願いできますか?」
「お前の祖父母なら、家にいるはずだが……」
「ええ。でも、村がこんな状態です。何が起きるか分からないから」
ミナトは一瞬だけ視線を落とし、それから顔を上げた。
「俺が戻るまで、二人を気にかけていてほしいんです」
村人は不安そうにミナトを見つめた。
「本当に、一人で行くのか?」
「今は、俺が行くのが一番早いと思います」
それは強がりではなかった。
状況を考えたうえでの判断だった。
まだ海賊の正確な動きは分からない。子供の居場所も確定していない。それでも、時間が経てば経つほど救出が難しくなる可能性は高い。
ミナトは村人たちへ軽く頭を下げた。
「必ず、連れ戻します」
そして、港へ続く道へ歩き出した。
夕暮れの光が、村の屋根を赤く染め始めていた。
その先には、まだ見ぬ海賊たちが待ち受けている。
ミナトは歩みを止めず、前を見据えた。
子供を助ける。
今は、それだけを考えればいい。
やがて彼は、港へ向かう道の途中で、こちらへ歩いてくる二人の若者の姿を見つけることになる。
一人は、麦わら帽子をかぶった、どこか不思議な雰囲気の少年。
もう一人は、腰に三本の刀を携えた、鋭い目つきの剣士だった。
このときはまだ、ミナトは二人の名前を知らない。
そして、二人もまた、目の前から歩いてくる金髪の青年が、これから共に海へ出る仲間になるとは思ってもいなかった。
東の海の小さな村で起きた事件は、三人の運命を結びつけようとしていた。