ONE PIECE ―黄色い閃光は海を翔ける― 作:HINRON
ゾロは通りを歩きながら、腰に差した刀へ目を落とした。
ミホークとの戦いで失った二本の刀。その代わりに、アーロンパークでジョニーとヨサクから借りた刀を使っているが、いつまでも借り物のままというわけにはいかない。
これから先は、東の海とは比べものにならない強敵が待っているはずだ。新しい刀を手に入れるなら、今のうちに済ませておきたい。
「なあ、ミナト。刀剣店ってのはどっちだ?」
「さっきの看板を見た限り、こっちだと思うよ」
「思う、じゃ困るんだがな」
「オレに道案内を頼んだのはゾロだろ?」
「……チッ」
ゾロは不満そうに舌打ちしたが、足を止めることなく進んだ。
ミナトは苦笑しながら、その後を追う。
そのとき、角を曲がってきた一人の女性が、前を歩いていたゾロとぶつかった。
「あっ!」
女性の手から眼鏡が滑り落ちる。
「おっと」
ゾロは反射的に手を伸ばし、地面に落ちる前に眼鏡を受け止めた。
「すみません! 私、前をよく見ていなくて……」
女性は慌てて頭を下げた。
「いや、別に……」
眼鏡を返そうとしたゾロは、女性の顔を見て言葉を失った。
黒髪。顔立ち。目元の雰囲気。
忘れようとしても忘れられない少女の面影が、目の前にあった。
くいな。
幼いころ、同じ道場で剣を交えた少女。いつか世界一の大剣豪になると誓い合い、けれど、その夢を自分に託して逝ってしまった相手。
目の前の女性は、あまりにも彼女に似ていた。
「……どうしました?」
女性が不思議そうに首をかしげる。
ゾロははっと我に返り、眼鏡を差し出した。
「……いや。ほらよ」
「あ、ありがとうございます!」
女性は眼鏡を受け取ると、丁寧に頭を下げた。
ゾロはそれ以上何も言わず、再び歩き始めた。
ミナトは、隣に並んでからゾロの横顔をちらりと見た。
さっきまでのゾロとは、明らかに様子が違う。ほんの一瞬だったが、驚きと戸惑いがその顔に浮かんでいた。
「知り合い?」
「違う」
返事は早かった。
「そっか」
ミナトはそれ以上追及しなかった。
ゾロが話したくないのなら、無理に聞く必要はない。そう考え、ミナトは前を向いた。
背後では、女性が眼鏡をかけ直している。
彼女は二人の背中を一度見つめたあと、何事もなかったかのように歩き出した。
*
しばらくして、二人は目当ての刀剣店へたどり着いた。
店内には数多くの刀が並び、壁には古い刀の由来を書いた札も掛けられている。カウンターの向こうでは、店主の男が刀を手入れしていた。
「いらっしゃい。刀をお探しかい?」
「ああ。二本欲しい」
ゾロは店内を見回した。
店主の視線が、ゾロの腰に差された刀へ向かう。特に、白い鞘に収められた和道一文字を見たとき、男の目がわずかに輝いた。
「お客さん、その刀……ちょっと見せてもらえないか?」
「これか?」
ゾロは和道一文字の柄に手を添えた。
「ああ。いい刀だ。相当な値打ちものだろう。どうだ、売る気はないか?」
「ねェよ」
ゾロは即座に断った。
店主は食い下がるように続ける。
「いやいや、もちろん相応の金は払う。今の相場を考えれば――」
「売らねェって言ってんだろ」
ゾロの声が低くなる。
和道一文字は、ただの刀ではない。
くいなとの約束を背負った刀だ。どれほど金を積まれようと、手放すつもりはなかった。
店主が言葉を続けようとした、そのとき。
「その刀は、和道一文字ですね!」
店の入口から、聞き覚えのある声が響いた。
二人が振り返ると、先ほど道でぶつかった女性が立っていた。
女性はゾロの腰にある刀を見つめ、目を輝かせている。
「白い鞘に、あの特徴的な鍔……間違いありません。和道一文字は大業物二十一工の一本です!」
「お、おう……」
店主は慌てて表情を取り繕った。
女性はそんな店主には気づかず、熱心に刀について説明を続ける。
「名工によって鍛えられた名刀で、歴史的にも価値のある一本なんです。そんな刀を手放すなんて、もったいないですよ!」
「だから売らねェって言ってんだろ」
ゾロはうんざりしたように返した。
「えっ? あ、そうでしたね。すみません!」
女性は頬を赤くして頭を下げた。
ミナトは思わず小さく笑った。
刀のことになると、ずいぶん熱心な人物らしい。
「それで、あなたは刀を買いに来たんですか?」
女性はゾロに向き直った。
「ああ。二本な」
「でしたら、私も一緒に探していいですか? 刀を見るのが好きなんです。きっと、お役に立てると思います!」
ゾロは少しだけ考え、店内に並ぶ刀へ目を向けた。
「……まあ、いいか。変なのを勧めるんじゃねェぞ」
「もちろんです!」
女性は嬉しそうに頷いた。
ミナトは二人の様子を見守りながら、店の隅に置かれた刀にも目を向けた。
彼女は単に刀を集めるのが好きなだけではなさそうだ。一本一本の名前や由来をよく知っている。その知識には、刀に対する強い思い入れが感じられた。
ゾロは店内を歩き、棚に並んだ刀を確かめていく。
しかし、なかなか手を止めることはなかった。
「うーん……」
女性は腕を組み、真剣な顔で考え込んだ。
「予算にもよりますが、名刀となると簡単には手に入りません。特に、質のいい刀を二本となると……」
「金なら、そんなに持ってねェ」
ゾロはあっさりと言った。
「えっ!? そ、それでは選択肢がかなり限られてしまいます!」
「だったら、安くて使えるやつを探すしかねェな」
ゾロは店の奥に置かれた、手頃な価格の刀が入った樽へ目を向けた。
その中には、名のある刀とは思えないほど簡素なものも多い。
女性は一瞬ためらったものの、ゾロの真剣な表情を見ると、すぐに樽の中を覗き込んだ。
「それなら、こちらを見てみましょう。値段だけでは、刀の良し悪しはわかりませんから」
「そうこなくちゃな」
ゾロは刀を一本ずつ手に取り、重さや握り心地を確かめていった。
やがて、その手が一本の刀で止まった。
鞘から抜き放つと、刃が店内の光を受けて鋭く輝いた。
ゾロは刀身を眺め、わずかに口元を緩める。
「……こいつはいい」
女性が身を乗り出した。
「見せてください!」
ゾロが刀を差し出すと、女性は刃を慎重に確かめた。
その表情が、すぐに変わる。
「これは……三代鬼徹!」
「三代鬼徹?」
ミナトが聞き返す。
「はい。鬼徹一派によって鍛えられた刀です。妖刀として知られていて、持ち主が不幸な最期を遂げるという話があるんです」
女性は刀を見つめたまま説明した。
「初代鬼徹、二代鬼徹、そしてこの三代鬼徹。鬼徹の名を持つ刀には、恐ろしい逸話がつきまとっています」
店主の顔が青ざめた。
「おい、まさかそいつを買うつもりか!? そいつだけはやめておけ!」
「どうしてだ?」
ゾロは平然と尋ねた。
「呪われた刀なんだぞ! そいつを手にした剣士は、ろくな死に方をしないと言われている。俺は売らん!」
「だが、刀としてはいいものなんだろ?」
「そ、それは……」
店主は言葉に詰まった。
女性も困惑した表情でゾロを見る。
「確かに、刀としての質は高いです。でも、わざわざ危険だと言われている刀を選ばなくても……」
「危険かどうかなんて、使ってみなきゃわからねェだろ」
ゾロは三代鬼徹を手に取り、刃をじっと見つめた。
その目には恐れがなかった。
ミナトは黙ってゾロを見守った。
ゾロは危険を軽く考えているわけではない。少なくとも、今の顔からはそう感じられた。
危険だと聞いたからこそ、自分自身で確かめようとしているのだ。
「……決めた。こいつを買う」
「だから売らんと言っているだろう!」
店主が声を張り上げる。
ゾロは刀を軽く持ち上げた。
「なら、ちょっと試させてもらうぜ」
「試すって、何を――」
店主が言い終える前に、ゾロは三代鬼徹を空へ放り投げた。
「なっ……!?」
刀身が回転しながら頭上へ舞い上がる。
そして、落下を始めた刀の真下へ、ゾロは迷いなく腕を差し出した。
「ゾロ!」
ミナトの声が飛ぶ。
鋭い刃が回転しながら落ちてくる。
店主は悲鳴を上げ、女性は息を呑んだ。
だが、ゾロは一歩も動かなかった。
刀はゾロの腕をかすめるように軌道を変え、地面へと突き刺さった。
静寂が落ちる。
ゾロの腕には傷ひとつない。
「……ハッ!」
ゾロは愉快そうに笑った。
「どうやら、オレの運のほうが強かったみてェだな」
「ば、馬鹿な……!」
店主は床にへたり込んだ。
女性も驚きのあまり、しばらく言葉を発することができなかった。
ゾロは地面から刀を引き抜き、刃を確かめてから鞘に納めた。
「こいつをもらう」
「……わかった。もう止めはしない」
店主はゆっくりと立ち上がった。
先ほどまでの恐怖はまだ顔に残っていたが、その目には別の感情も浮かんでいた。
目の前の剣士は、ただ無謀なだけではない。
自分の命を懸けてでも、刀と向き合う覚悟を持っている。
「少し待っていてくれ」
店主は店の奥へと姿を消した。
しばらくすると、黒い鞘に収められた刀を一本持って戻ってきた。
「これを、お前に譲ろう」
差し出された刀を、ゾロは不思議そうに見た。
「何だ、こいつは?」
「雪走。業物の中でも優れた一本だ。俺の家に伝わる大切な刀だが……今は、お前に託したい」
「……いいのか?」
「ああ。三代鬼徹を恐れずに手にしたお前なら、こいつも大切に扱ってくれるだろう」
店主は刀をゾロへ差し出した。
「金はいらん。二本とも持っていけ」
「タダでいいのかよ」
「いいんだ。お前のような剣士に使ってもらえるなら、刀も本望だろう」
ゾロは店主を見つめたあと、静かに刀を受け取った。
「……ありがたく使わせてもらう」
その言葉は短かったが、真剣な響きがあった。
ゾロは新たに手に入れた三代鬼徹と雪走を腰に差す。
和道一文字を含め、再び三本の刀が揃った。
ゾロはそれぞれの柄に手を添えた。
失った二本の刀が戻ってきたわけではない。それでも、これから先の戦いへ向けて、新たな相棒を手に入れたのだ。
ミナトは、その姿を静かに見つめていた。
ゾロがどれほど強くなろうとも、ミホークとの力の差はまだ大きい。
だが、敗北を理由に立ち止まる男ではないことを、ミナトは知っていた。
「いい刀が手に入ったね」
「ああ」
ゾロは短く答えた。
「次は、こいつらを使いこなすだけだ」
「その前に、無茶をして腕を失わないでくれよ」
「うるせェ。ちゃんと残ってんだろうが」
ゾロは腕を軽く振ってみせた。
ミナトは呆れたように笑った。
*
店を出る前、女性がゾロを呼び止めた。
「あの……少し、よろしいですか?」
「まだ何かあるのか?」
「いえ、その……あなたの剣士としての覚悟は、すごいと思います。でも、私は刀を大切にする人間として、やはり刀の価値を知ってほしいんです」
女性は真剣な顔で続けた。
「刀には、作り手の思いも、使い手の歴史も刻まれています。強い剣士が持つだけでなく、その刀がどんなものなのかを理解することも大切だと思います」
「……そうか」
ゾロは肩をすくめた。
「だが、刀を使うのはオレだ。刀の価値に負けるつもりはねェ」
「そういうことを言っているのでは……!」
女性は言い返しかけて、口を閉じた。
ゾロの考えを、すぐに変えることはできそうにない。
それでも、彼女は諦めずに言葉を続けた。
「私は、名刀が悪人の手に渡るのが嫌なんです。刀の価値を知らない人が、ただ強さのためだけに振るうことも……」
「だったら、そいつを使う人間を見て判断すりゃいいだろ」
ゾロはまっすぐ女性を見た。
「オレがどういう剣士なのか、あんたが見てりゃいい」
女性は言葉を失った。
ミナトは二人のやり取りを聞きながら、静かに息を吐いた。
刀を歴史や文化の一部として大切にする女性と、刀を己の夢を追うための相棒として扱うゾロ。
考え方は違っている。
けれど、どちらも刀を軽んじているわけではなかった。
「……ところで、まだ名前を聞いていませんでしたね」
女性が気を取り直したように言った。
「私は、たしぎといいます」
「ミナトだよ」
ミナトが先に名乗る。
「こっちはロロノア・ゾロ」
「ゾロ……さん、ですね」
たしぎはゾロの顔を見つめた。
そして、再び何かを思い出したように目を見開いた。
「やっぱり……あなた、誰かに似ているような……」
「またそれかよ」
ゾロは露骨に嫌そうな顔をした。
「す、すみません! ただ、本当にそっくりな人を知っているような気がして……」
たしぎは困ったように眼鏡を押し上げた。
ゾロは彼女から視線をそらす。
似ているのは、彼女のほうだ。
たしぎの顔を見るたび、ゾロの胸の奥には、くいなの記憶がよみがえっていた。
道場で木刀を交えた日々。
勝てなかった悔しさ。
いつか必ず世界一の大剣豪になるという、二人で交わした約束。
そして、もう二度と会えないという現実。
ゾロはその思いを胸の奥へ押し込めるように、顔をしかめた。
「……行くぞ、ミナト」
「うん」
ミナトはたしぎへ向き直った。
「刀の話、ありがとう。助かったよ」
「いえ! こちらこそ、勉強になりました!」
たしぎはきちんと頭を下げた。
二人が店を出ようとしたとき、彼女はもう一度ゾロへ声をかけた。
「ゾロさん!」
ゾロが振り返る。
「その刀たちを、どうか大切にしてください。名刀には、それぞれの歴史があります。あなたがどんな剣士になるのか、私は見届けたいです」
ゾロはしばらく彼女を見つめていた。
「……好きにしろ」
ぶっきらぼうに答え、店を出る。
ミナトはその背中を追いながら、たしぎへ軽く手を振った。
「またね、たしぎさん」
「はい! お気をつけて!」
店を出ると、ローグタウンの賑やかな通りが二人を迎えた。
ゾロは歩きながら、新しく手に入れた刀の柄へ指を添える。
和道一文字。
三代鬼徹。
雪走。
三本の刀が腰に揃っている。
ミナトは、隣を歩くゾロの表情をそっと見た。
「……さっきの人、知り合いに似てたんだね」
ゾロはしばらく黙っていた。
やがて、前を向いたまま口を開く。
「……昔の知り合いだ」
「そっか」
ミナトは、それ以上尋ねなかった。
ゾロが語らないのなら、今は聞くべきではないのだろう。
通りの向こうから、人々の笑い声が聞こえてくる。
ゾロはその声を気にすることなく、前を見据えて歩き続けた。
失ったものは戻らない。
それでも、夢を諦める理由にはならない。
世界一の大剣豪になる。
その誓いを胸に、ゾロは新たな刀とともに歩き出した。
ミナトもまた、その隣を進んでいく。
二人の前には、まだ見ぬ海と、数え切れないほどの強敵が待っている。
ローグタウンで手に入れた新たな相棒が、これからの航海でどんな戦いを支えることになるのか。
その答えは、これから先の冒険の中にあった。
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