ONE PIECE ―黄色い閃光は海を翔ける― 作:HINRON
翌朝。
ゴーイングメリー号の甲板には、心地よい潮風が吹いていた。
ローグタウンを出航してから、しばらくが経つ。
船首に立つルフィは、遠くの水平線を眺めながら、待ちきれないといった様子で身を乗り出していた。
「なあ、ナミ! まだ着かねェのか?」
「さっきも同じこと聞いたでしょ!」
海図を広げていたナミが、顔を上げて怒鳴る。
「偉大なる航路の入口は、もうすぐそこよ。そんなに急かしたって、海が速くなるわけじゃないんだから!」
「でも、早く行きてェじゃねェか!」
「まったく、子供なんだから……」
ナミは呆れたようにため息をついた。
その横では、ウソップが双眼鏡を覗き込んでいる。
「お、おい……あれを見ろよ」
いつもより低い声に、ミナトが顔を上げた。
「どうしたんだ、ウソップ?」
「水平線の向こうだ。なんか、でっけェもんが見えるぞ……」
ウソップは双眼鏡を下ろし、もう一度目を凝らした。
ゾロも船室から出てきて、眠そうに目をこする。
「なんだ、騒がしいな」
「いいから見てみろよ!」
ウソップに促され、ゾロは前方へ視線を向けた。
その瞬間、眠気の残っていた顔がわずかに引き締まる。
水平線の向こうに、巨大な赤い大陸がそびえ立っていた。
その高さは、雲の向こうまで続いているようにさえ見える。
「……あれが、レッドラインか」
ミナトが呟いた。
世界を一周する巨大な大陸。
地図の上で見るのと、実際に目の前にするのとでは、まるで違う。
ミナトは目を細め、赤い大陸の輪郭を確かめるように見つめた。
すると、その大陸の一角に、奇妙な光景が見えてきた。
「……ん?」
海が、山へ向かって流れている。
いや、違う。
山の斜面を、海そのものが駆け上がっているのだ。
「おいおいおい! なんだありゃあ!?」
ウソップが素っ頓狂な声を上げた。
「海が山を登ってるぞ!? どうなってんだよ!?」
「おもしれェー!」
ルフィは目を輝かせ、船首から身を乗り出した。
「なあナミ! あそこを登るんだよな!?」
「そうよ。あれがリヴァース・マウンテン。偉大なる航路への入口!」
ナミは海図を広げ、現在位置と進入する水路を確認する。
「四つの海から流れ込む海流が山を駆け上がって、頂上から偉大なる航路へ流れ落ちていくの。あの流れに乗って山を越えるのよ」
「海が山を登る、か……」
サンジは煙草をくわえ直しながら、目の前の光景を眺めた。
「とんでもねェ場所だな」
「だから偉大なる航路なんでしょ」
ナミは海図から顔を上げた。
「でも、入口を間違えたら岩場に激突するわ。ここからは、あたしの指示に従ってもらうからね!」
「おう!」
ルフィは元気よく返事をする。
「本当に分かってるんでしょうね……」
ナミは疑わしそうに船長を見た。
ミナトは海図に目を落とし、進路と周囲の地形を確認する。
「ナミ、進入する前に周囲の波と岩場を確認しておくよ。危険があればすぐ知らせる」
「助かるわ。だけど、操船はあたしに任せてね」
「もちろん。船を導くのは航海士の仕事だからね」
ミナトが笑うと、ナミは満足そうにうなずいた。
「よし! 全員、準備して!」
その声を合図に、一味はそれぞれの持ち場へ向かった。
*
リヴァース・マウンテンの入口が、目前に迫る。
海流は想像していた以上に激しく、四方から押し寄せる水が、巨大な渦となってうねっていた。
ゴーイングメリー号の船体が波に揺さぶられる。
「うおっ!」
ウソップが慌てて手すりをつかんだ。
「な、なんだこの波は!? 近くで見ると、とんでもねェぞ!」
「騒がないで! 船が揺れるのは当然でしょ!」
ナミは舵を握り、前方の水路を見据えていた。
「この流れに乗れば、山を登れるはずよ。進路を外さないで!」
「了解!」
サンジが船の状態を確かめ、ゾロも周囲に目を配る。
ミナトは船首近くから、流れと岩場の位置を観察していた。
水路は狭く、流れは速い。
少しでも舵取りを誤れば、船体が岩壁に叩きつけられるだろう。
「ナミ、左側の岩場が近い! 少し右へ!」
「分かった!」
ナミが舵を切る。
船は大きく傾きながらも、危ういところで岩場を避けた。
「よし、抜けた!」
ミナトが声を上げる。
「まだよ! ここからが本番なんだから!」
ナミは前方を見つめたまま、気を緩めなかった。
やがて、ゴーイングメリー号は海流の本流へと入った。
次の瞬間、船体が大きく持ち上がる。
「うおおおおっ!?」
ウソップの叫びが響く。
海流は、船を押し上げるように山の斜面を駆け上がっていく。
目の前には、空へ続くかのような水路が伸びていた。
「すっげェーッ!」
ルフィは手すりにしがみつきながらも、大声で笑っていた。
「もっと速く行けェー!」
「馬鹿言ってんじゃないわよ! 落ちたらどうするのよ!」
ナミが怒鳴る。
「大丈夫だって!」
「何が大丈夫なのよ!」
そのやり取りを聞きながら、ミナトは思わず苦笑した。
こんな状況でも、ルフィは少しも怯んでいない。
むしろ、目の前の未知を心の底から楽しんでいるようだった。
ミナト自身も、胸の奥に湧き上がる高揚を感じていた。
世界中の島を、自分の目で見て回る。
その夢の第一歩が、今まさに目の前にある。
だが、感慨に浸っている暇はなかった。
「ミナト! 前方はどう!?」
ナミの声が飛ぶ。
「このままなら進める! でも、流れが少し右に寄ってる!」
「分かった!」
ナミはすぐに舵を調整した。
船は激しい流れに乗り、さらに高度を上げていく。
そして、ついに山頂が近づいてきた。
*
山頂を越えれば、偉大なる航路へ入る。
そう思った矢先だった。
ガキンッ!
船の後方から、嫌な音が響いた。
「……今の音、何だ?」
ゾロが振り返る。
サンジが船尾へ走り、舵の状態を確かめた。
「おい、まずいぞ!」
サンジの声が鋭くなる。
「舵が壊れかけてやがる!」
「ええっ!?」
ナミが顔色を変えた。
激流の中で、舵は船の命綱だ。
それがまともに機能しなくなれば、進路を保てない。
「ナミ、どうする!?」
ウソップが叫ぶ。
「落ち着いて! まだ完全に壊れたわけじゃ……!」
ナミは必死に舵を操作した。
しかし、舵は思うように反応しない。
船体が大きく横へ流れ始めた。
「このままじゃ、岩壁にぶつかるぞ!」
ミナトは船の進路を確認し、クナイへ手を伸ばしかけた。
飛雷神で船外へ移動し、状況を確認することはできる。
だが、それでは船そのものを救えない。
仲間たちを置いていくわけにもいかない。
何か別の手段が必要だった。
「くそっ、どうすりゃいいんだ!」
ウソップが叫ぶ。
そのとき、ルフィが船首へ走り出した。
「任せろ!」
「ルフィ!?」
ナミが振り返る。
ルフィは両腕を大きく伸ばし、ゴーイングメリー号の前方へと体を伸ばした。
「ゴムゴムのォ――!」
腕が船の前方へ伸び、ルフィはその勢いを利用して船体を引き寄せるように力をかける。
ゴムの体が激流の中で大きくしなり、船の進路が少しずつ戻っていく。
「うおおおおっ!」
ルフィが力を込める。
船体が岩壁へ激突する寸前、ゴーイングメリー号は水路の中央へと戻った。
「今よ! 舵を切って!」
ミナトが叫ぶ。
「分かってる!」
ナミは残った舵を操作し、船の向きを立て直した。
サンジとゾロも船体を支え、ウソップは必死に帆を調整する。
全員の力が重なり、船は再び海流の本流へ戻っていった。
やがて、激しい揺れが少しずつ収まっていく。
ルフィは伸ばしていた腕を戻し、にししっと笑った。
「へへっ! 危なかったな!」
「危なかったな、じゃないわよ!」
ナミが怒鳴る。
「でも、助かっただろ?」
「それは……そうだけど!」
ナミは言葉に詰まり、悔しそうに顔をそむけた。
ミナトはルフィを見て、静かに笑った。
仲間たちを守るために、迷わず自分の能力を使う。
ルフィはいつだってそうだ。
自分の力を、仲間と一緒に前へ進むために使っている。
「助かったよ、ルフィ」
ミナトが声をかけると、ルフィは嬉しそうに笑った。
「おう!」
*
雲を抜けた先で、ゴーイングメリー号は山頂を越えた。
眼下には、見渡す限りの海が広がっていた。
東の海とは違う、未知の海。
そして、船は反対側へ向かって勢いよく流れ落ちていく。
「うおおおおおっ!」
ルフィが叫ぶ。
「見ろォー! 偉大なる航路だァー!」
ウソップは手すりにしがみつきながら、顔を青ざめさせていた。
「お、落ちる! これ、絶対に落ちるってェ!」
「もう落ちてるようなもんでしょ!」
ナミが叫び返す。
ゾロは刀の位置を確かめ、サンジは船の状態を確認する。
ミナトは船首に立ち、眼下に広がる海を見つめていた。
山を越えた。
東の海を離れ、ついに偉大なる航路へ足を踏み入れたのだ。
「……ここからが、本当の冒険だな」
その言葉に、ルフィが振り返る。
「当たり前だろ! まだ始まったばっかりだ!」
ミナトは笑った。
「ああ。そうだね」
ゴーイングメリー号は、山を下り切り、偉大なる航路の海へと滑り込んでいった。
仲間たちの夢を乗せて。
まだ誰も知らない冒険へ向けて。
その先に待つものが、どれほど大きな出会いになるのか。
この時の彼らは、まだ知らなかった。