ONE PIECE ―黄色い閃光は海を翔ける― 作:HINRON
リヴァース・マウンテンを越え、ゴーイングメリー号は勢いよく水路を下っていた。
荒れ狂う流れに揺さぶられながらも、船は少しずつ山のふもとへと近づいていく。
「うおおおお! すっげェーーー!!」
船首に立ったルフィが、吹きつける風を全身に浴びながら歓声を上げた。
「これが偉大なる航路か! よーし、行くぞォ!」
「喜んでる場合じゃないわよ! まだ下りきってないんだから!」
ナミは舵を握り、前方を睨んでいた。
上りの水路を越えたからといって、ここで気を抜くわけにはいかない。流れは依然として速く、少しでも進路を誤れば船が岩肌に激突しかねなかった。
ミナトも周囲を見渡しながら、船の揺れや水流の変化に注意を払っていた。
「ナミ、右側の流れが少し強くなってる。船首が持っていかれないように気をつけて」
「分かってるわ! みんな、余計なところに動かないでよ!」
「お、おう! ……って、うわあああ! また揺れたァ!」
ウソップがマストにしがみつく。
「騒ぐな、ウソップ。落ちたら拾ってやらねェぞ」
「お前はもう少し仲間を心配しろォ!」
ゾロの言葉にウソップが噛みついた。
サンジは二人を横目に、船上の荷物が流されないよう押さえている。
「まったく、グランドラインに入った途端これかよ。先が思いやられるぜ」
「でも、ここを越えれば本当に新しい海だ!」
ルフィは笑いながら、前方を指さした。
やがて、激しい水流が緩やかになり始める。
山の巨大な壁が左右へと遠ざかり、その向こうに広がる海が見えた。
「見えた! 海だ!」
ウソップが叫ぶ。
ゴーイングメリー号は最後の流れに乗り、ついにリヴァース・マウンテンの下りを抜けた。
「やったああああ!!」
ルフィが両手を突き上げる。
ナミもほっと息を吐き、操舵の力を少し緩めた。
「……ふう。なんとか無事に越えられたわね」
「さすがナミだな。あの流れの中で、よく船を操れたもんだ」
ミナトが声をかけると、ナミは得意げに笑った。
「当然でしょ。航海士を誰だと思ってるのよ」
そのときだった。
――ゴオオオオオオオ……。
どこからともなく、低く響く音が聞こえてきた。
「ん? 今の音、何だ?」
ウソップが耳を澄ます。
――ゴオオオオオオオ……!
再び響いた音は、まるで遠くから聞こえる獣の咆哮のようだった。
「風の音じゃねェのか?」
ゾロが首を傾げる。
「いや、違うと思う。風にしては、妙に響き方が一定だ」
ミナトは目を細め、音の方向を探った。
その直後、船の前方を見ていたウソップが、顔色を変えた。
「お、おい……あれ……」
「何よ?」
「山……?」
ウソップの指さす先には、巨大な黒い影がそびえ立っていた。
海の向こうに、もう一つ山が現れたかのようだった。
「はあ? 山ですって?」
ナミは目を凝らした。
「そんなはずないでしょ! 目の前には海が広がってるはずよ!」
「じゃあ、あれは何なんだよォ!」
「知らないわよ! とにかく、ぶつからないようにしなさい!」
ナミは舵を切ろうとしたが、船はまだ水路から抜けたばかりだ。流れの勢いが残っており、思うように進路を変えられない。
ミナトは影の輪郭を見つめた。
あまりにも巨大だ。
しかも、山だと思った影の表面が、わずかに動いたように見えた。
「……待って。あれは山じゃない」
「え?」
「生き物だ」
ミナトの声に、全員の視線が影へと集まった。
次の瞬間。
巨大な影が、ゆっくりとその姿を現した。
黒く巨大な頭部。海面に浮かぶ、山のような胴体。そして、その体を覆う無数の傷痕。
それは、島と見間違うほどの大きさを持つクジラだった。
「ク、クジラァァァ!?」
ウソップの絶叫が響く。
「で、でかすぎるだろォォォ!!」
サンジも思わず目を見開いた。
ゾロでさえ、刀の柄に手を添えたまま、目の前の巨体を見上げている。
ナミの顔からも血の気が引いた。
「な、何なのよ……あんなの……!」
ミナトは息を呑みながらも、クジラの位置と船の進路を見比べた。
あの巨体を避けるには、すでに距離が足りない。
しかも、船はまだ流れに押されていた。
「ナミ、右へ切れるか?」
「無理よ! この流れじゃ、急には曲がれない!」
「なら、船首の向きを少しでもずらすしかないか……!」
ミナトは甲板を蹴り、船の前方へと走った。
だが、彼にできるのは船上の仲間を支え、衝突の衝撃に備えることまでだ。
巨大なクジラそのものを止める手段などない。
「おい、ルフィ! 何か考えろ!」
ウソップが叫ぶ。
「よーし!」
ルフィはなぜか自信満々に頷いた。
「大砲を撃てば止まるだろ!」
「はあ!?」
ナミが振り返る。
「ちょっと、何を言って――」
「いっけェー!!」
ルフィは大砲を発射した。
轟音とともに砲弾が飛び、巨大なクジラへと向かっていく。
だが――。
ドォンッ!!
砲弾が命中しても、クジラはほとんど反応を示さなかった。
「……え?」
ウソップが呆然と呟く。
「止まってないじゃないかァァァ!!」
「だから言ったでしょ! 何やってんのよ、ルフィ!」
ナミが怒鳴った。
その間にも、ゴーイングメリー号はクジラへと迫っていた。
「みんな、衝撃に備えて!」
ミナトが叫ぶ。
次の瞬間、船体が大きく揺れた。
――ガンッ!!
「うわああああ!!」
メリー号の船首がクジラの体にぶつかり、衝撃で甲板が跳ね上がる。
船首に取り付けられていた羊の船首像が、激しい音とともに壊れてしまった。
「メリー号の船首像が……!」
ウソップが絶句する。
ミナトはとっさに近くの手すりを掴み、転びかけたナミを支えた。
「大丈夫か?」
「え、ええ……ありがとう。それより、船が……!」
船はまだクジラの体に押しつけられたままだ。
だが、ルフィの表情は、船の危機よりも壊れた船首像に向けられていた。
「……おい」
低い声だった。
いつもの陽気な笑みは、そこにはない。
「おれの……特等席を……」
「ルフィ?」
ミナトが振り返る。
ルフィは壊れた船首像を見つめていた。
「よくも……おれの特等席を壊しやがったなァ!!」
「ちょっ、ルフィ! 今はそんなこと言ってる場合じゃ――」
ナミの声が届く前に、ルフィは船首から身を乗り出した。
そして、巨大なクジラの目に向かって拳を振るう。
「この野郎ォ!!」
ドンッ!!
クジラの目が大きく開いた。
それまでメリー号の存在に気づいていなかったかのような巨体が、初めて一味へと意識を向ける。
ミナトの背筋に、嫌な予感が走った。
「……まずい!」
巨大なクジラが口を開く。
海水が激しく流れ込み、メリー号の船体が引き寄せられた。
「な、何だこれ!?」
ウソップが手すりにしがみつく。
「船が吸い込まれてる!?」
「全員、何かにつかまれ!」
ミナトは叫び、近くにいたウソップの腕を掴んだ。
ゾロは甲板に刀を突き立てて体を支え、サンジはナミをかばうように手を伸ばす。
「ナミさん、こっちへ!」
「分かってるわよ!」
ルフィはクジラの口へと向き直り、拳を握った。
「おい! おれたちを飲み込む気か!?」
しかし、クジラの口は容赦なく迫ってくる。
「ルフィ、戻れ!」
ミナトが手を伸ばした。
けれど、その距離はあまりにも遠かった。
巨大な口がメリー号を包み込む。
海水とともに船が吸い込まれ、視界が一気に暗転した。
「うわああああああ!!」
ウソップの叫び声が、暗闇の中へと消えていった。
*
同じ頃。
クジラの体内へと飲み込まれたゴーイングメリー号は、激しい水流に押されながら、暗い通路のような場所を流されていた。
「みんな! 無事か!?」
ミナトは周囲を見渡し、仲間の姿を確認する。
「な、何とか……!」
ウソップが震えた声で答えた。
「いったい、どうなってんだよ……! クジラに食われたんだぞ!? おれたち、これから胃袋で消化されるんじゃないのか!?」
「騒ぐな。まだ消化されてねェだろ」
ゾロが言った。
「そういう問題じゃねェ!」
サンジは周囲を見回し、眉をひそめた。
「……おかしいな。ここは、ただの胃袋って感じじゃないぜ」
彼の言う通りだった。
暗闇の先には、奇妙な光景が広がっていた。
空のように見える天井。海のような水面。そして、その向こうには島のような地形まで見える。
「……何だ、ここは」
ミナトは目を細めた。
自然の生き物の体内にあるとは思えない光景だ。
誰かが手を加えたのか。それとも、偉大なる航路にはこういう生き物が存在するのか。
まだ判断するには情報が足りない。
「とにかく、全員の無事を確認しよう。船の状態も見ておきたい」
「そうね……。ルフィは?」
ナミが周囲を見渡した。
その場に、ルフィの姿はなかった。
「……あいつ、どこ行ったんだ?」
ゾロが眉を寄せる。
ミナトは船が飲み込まれる直前の光景を思い返した。
ルフィは船首にいた。
あの勢いで船が飲み込まれたのなら、外へ押し出された可能性もある。
「今は、無事だと信じるしかない。まずはここから出る方法を探そう」
そう言ったミナト自身も、ルフィの安否を気にしていた。
だが、ここで焦っても状況は変わらない。
船と仲間を守るために、できることを探すしかなかった。
*
一方、ラブーンの頭上。
ルフィは、海面に浮かぶ巨大なクジラの体にしがみついていた。
「おい! みんなを返せェー!!」
拳を振るい、クジラの頭を叩く。
しかし、ラブーンは大きく体を揺らすだけで、メリー号を吐き出そうとはしなかった。
「くそっ! どうすりゃいいんだよ!」
ルフィは歯を食いしばった。
仲間たちが、船ごと飲み込まれてしまった。
自分だけが外に残されている。
その事実に、ルフィは苛立ちを隠せなかった。
やがてラブーンが海へ潜ろうとした、そのとき。
ルフィは、巨大な体の表面に不自然な金属の扉を見つけた。
「……ん? 何だ、あれ?」
海水が盛り上がる。
ラブーンの体が沈み始めた。
「待て! 逃げるなァ!!」
ルフィは扉へと手を伸ばし、勢いよく飛びついた。
仲間たちを助けるために。
そして、巨大なクジラの正体を確かめるために。
偉大なる航路に入ったばかりの一味は、早くも常識の通じない冒険へと放り込まれたのだった。