ONE PIECE ―黄色い閃光は海を翔ける― 作:HINRON
ゴーイング・メリー号は、双子岬を背にして進んでいた。
船尾の向こうでは、灯台が少しずつ小さくなっていく。その近くにいるはずの巨大なクジラの姿も、今では波間に隠れて見えなくなっていた。
「ラブーン、元気でなー!」
船首に立ったルフィが、遠ざかる岬へ向かって大きく手を振った。
返事をするように、遠くから低い咆哮が聞こえた気がした。
ルフィは満足そうに笑うと、くるりと振り返った。
「よーし! 次の島へ行くぞ!」
「その前に、船の修理を忘れないでよね」
ナミがすかさず釘を刺した。
「えーっ、まだ言うのかよ!」
「当たり前でしょ! ラブーンにぶつかった時の船首も、あんたが勝手に折ったマストも、直さなきゃいけないんだから!」
「マストはウソップが直すって言ってたぞ!」
「誰が直すって言った!? おれは直すのを手伝わせるって言ったんだ!」
ウソップが甲板の向こうから叫んだ。
「それに、船首の修理だって簡単じゃねェんだぞ! これから未知の海を進むってのに、出発早々に船を壊してどうするんだ!」
「まあまあ、ウソップ。オレも手伝うから」
ミナトが苦笑しながら声をかける。
「ミナトが手伝ってくれるなら助かるけどよ……。こいつには、船を大事にするってことをもう少し覚えてもらわねェとな」
「おれ、船を大事にしてるぞ!」
「どこがだァ!」
ウソップの怒鳴り声に、サンジが呆れたようにため息をついた。
「まったく、船長がこれじゃ先が思いやられるぜ。ナミさん、何か食べたいものはありませんか? 航海の疲れを癒やす、最高の料理をお作りしますよ」
「そうね。まずは船が壊れない程度に進んでくれればいいわ」
「それは料理の注文じゃねェだろ!」
ウソップがまた叫び、甲板に笑い声が広がった。
ラブーンとの別れの寂しさは、まだ胸のどこかに残っている。
それでも、船は進む。
約束を交わしたクジラが待つ岬へ、いつか再び戻るために。
そして今は、まだ見ぬ島々へ向かうために。
ミナトは船縁に手を置き、水平線を見つめた。
東の海を出てから、いくつもの町を訪れ、さまざまな人々と出会ってきた。だが、これから進む海は、今までとはまるで違う場所だ。
どんな島があるのか。
どんな景色が待っているのか。
その答えを知るために、ミナトはこの船に乗っている。
「……楽しみだな」
小さくつぶやいた声は、潮風に溶けていった。
*
「なぁ、ナミ。その腕につけてるもの、何なんだ?」
甲板でひと休みしていたルフィが、ナミの腕を覗き込んだ。
「これ? ログポースよ」
ナミは腕を持ち上げ、球体の中で揺れる針を見せた。
「ログポース?」
「偉大なる航路を航海するために必要な道具なの。普通のコンパスじゃ、この海の航路は分からないからね」
「普通のコンパスじゃ駄目なのか?」
「駄目よ。偉大なる航路では、島ごとに磁気が違うの。その磁気を記録して、次の島へ向かう方向を示してくれるのがログポースなの」
ナミは簡潔に説明した。
ルフィはログポースをじっと見つめたが、やがて首をかしげる。
「よく分かんねェけど、これがあれば次の島に行けるんだな!」
「そういうこと」
「じゃあ、次の島はどこだ!?」
「今、針が示す方向を確認しているところよ。急かさないで」
ナミはルフィの額を指で押し返した。
その様子を見ていたミナトは、ふと双子岬での出来事を思い出した。
ログポースを手に入れたのは、あの岬だった。
ラブーンの体内から脱出し、クロッカスの話を聞いた後。一味が偉大なる航路へ進むために必要なものを知った、あの時のことだ。
*
――双子岬。
クロッカスの説明を受けたナミは、自分の手にあるログポースを見つめていた。
「つまり、普通のコンパスでは進む方向が分からないってことね?」
「そういうことだ。偉大なる航路では、島々がそれぞれ異なる磁気を発している。その磁気を記録し、次の島への道筋を示すのがログポースだ」
クロッカスが答えた。
「島にたどり着けば、そこで磁気を記録する。記録に必要な時間は島によって違う。次の島への記録が整うまでは、今の島にとどまることになる場合もある」
「へえ……。そんな仕組みなのね」
ナミはログポースを傾け、針の動きを確かめた。
東の海で使っていたコンパスとは、まるで違う。
この海では、海図を読むだけでは足りない。島の磁気を理解し、海の変化に対応しながら、次の目的地を見極めなければならない。
航海士としての知識と判断が、これまで以上に求められることになる。
「偉大なる航路は、海流も天候も常識が通用せん。ログポースを持っているだけで安全に航海できるわけではないぞ」
クロッカスの言葉に、ナミは真剣な表情でうなずいた。
「分かったわ。ちゃんと使いこなしてみせる」
その返事に、クロッカスは小さくうなずいた。
「ならば、あとは実際に航海しながら覚えることだ」
ナミはログポースを大切そうに腕へ装着した。
その横で、ミナトはクロッカスの話を聞きながら、遠くに広がる海を見つめていた。
偉大なる航路では、戦いの強さだけで進めるわけではない。
船を導く者がいて、船を守る者がいて、それぞれの役割を果たすことで初めて先へ進める。
自分ができることは何か。
仲間の力をどう活かすか。
ミナトは、これからの航海を思い描いていた。
*
現在。
「……というわけで、ログポースは偉大なる航路の航海に欠かせない道具なの」
ナミの説明が終わると、ルフィは大きくうなずいた。
「よし! じゃあ、ログポースが示す島へ行こう!」
「最初からそのつもりよ」
ナミは呆れながらも、ログポースを確認した。
針は一定の方向を示している。
「この方向ね。みんな、進路を変えるわよ!」
「おう!」
ルフィが元気よく返事をする。
ウソップは帆の様子を確かめ、サンジは食料の残りを確認した。ゾロは船縁にもたれ、眠たそうにあくびをしている。
「ゾロ、あんたも少しは手伝いなさいよ!」
「進路はお前が決めるんだろ。俺が口を出すことじゃねェ」
「そういう問題じゃないでしょ!」
ナミの声が響く。
ミナトは笑いながら、船の周囲へ目を向けた。
海面の色も、波の形も、東の海とは少しずつ違って見える。時折、遠くの海流が不自然な動きを見せることもあった。
ミナトは周囲の変化を観察しつつ、必要があればナミへ伝えられるようにしていた。
だが、航路を決めるのはナミだ。
その判断を信じ、仲間として支える。それが今のミナトの役割だった。
船はログポースの示す方向へ進んでいく。
やがて、水平線の向こうに奇妙な形の岩山が見え始めた。
「おっ! 島だ!」
ルフィが真っ先に気づき、船首へ駆け寄った。
そこには、巨大なサボテンのような岩山がいくつもそびえ立っていた。
「なんだ、あの島……。岩がサボテンみたいになってるぞ!」
ウソップが目を丸くする。
「自然にできた地形なのかしら……?」
ナミも驚いたように目を細めた。
ミナトは船縁から身を乗り出し、その奇妙な景色をじっと見つめた。
島の輪郭も、岩山の形も、今まで見たどの島とも違う。
まだ知らない景色が、この海にはいくらでもある。
そう実感すると、胸の奥から期待が込み上げてきた。
「……あそこが、次の島か」
ミナトがつぶやく。
「そうよ。ログポースが示している場所ね」
ナミは針を確かめ、進路を指示した。
ゴーイング・メリー号は島へと近づいていく。
やがて、海岸に造られた町が見えてきた。
港には人々が集まり、こちらへ向かって手を振っている。
「おーい! 海賊船だぞー!」
「新しい海賊たちが来たぞ!」
住人たちは、まるで待ちわびていたかのように大きな声を上げていた。
「……歓迎してくれてるのか?」
ウソップが不思議そうに首をかしげた。
「そうみたいね」
ナミは町を見渡した。
「上陸してみましょう。食料も補充したいし、情報も集めたいわ」
「賛成! 飯だ、飯!」
ルフィはすでに上陸する気満々だった。
メリー号が港へ近づくと、住人たちはさらに大きな歓声を上げた。
「ようこそ、ウイスキーピークへ!」
町の入口には食事や酒が用意され、住人たちが笑顔で一味を迎えていた。
「うおおおっ! すげェ! 歓迎されてるぞ!」
ルフィは目を輝かせた。
「こりゃ、なかなか景気がいいじゃねェか!」
ウソップもすっかり気をよくしている。
サンジは料理が並ぶテーブルを見つけると、目を輝かせた。
「おお……! あれは腕のいい料理人がいるに違いない!」
「ちょっと、あんたたち。浮かれすぎないでよ」
ナミは呆れながらも、住人たちへ笑顔を返した。
ミナトも町の人々へ軽く手を振った。
歓迎されること自体は、ありがたいことだ。
ただ、彼らの笑顔はあまりにも揃っていた。海賊が訪れた町なら、警戒する者や距離を置く者がいてもおかしくない。
それなのに、この町では誰もが一味を歓迎している。
ミナトは視線を巡らせ、住人たちの様子をさりげなく観察した。
まだ、怪しいと断じるほどのものはない。
まずは町を知り、状況を見極める必要がある。
「ミナト! 早く来いよ! 飯がいっぱいあるぞ!」
ルフィの声が飛んできた。
「今行くよ」
ミナトは小さく笑い、仲間たちの後を追った。
*
町では盛大な宴が始まっていた。
テーブルには料理が並び、住人たちは一味を囲んで歌い、笑い、酒を振る舞っている。
「うめェーッ! この肉、うめェぞ!」
ルフィは次々と料理を口へ運んでいた。
「ルフィ、そんなに食べたら他の人の分がなくなるでしょ!」
ナミが注意するが、ルフィは聞く耳を持たない。
「大丈夫だ! まだいっぱいあるぞ!」
「そういう問題じゃない!」
その隣では、ウソップが住人たちを相手に冒険譚を語っていた。
「おれほどの勇敢な戦士ともなれば、どんな危険な海でもへっちゃらなのさ!」
「へえ! そりゃすごい!」
住人たちが感心したように声を上げる。
ウソップはますます調子に乗り、話を盛り始めた。
サンジは料理を味わいながら、ナミへ飲み物を差し出している。
「ナミさん、こちらもどうぞ。お疲れでしょう?」
「ありがとう、サンジ君」
「おおお……! ナミさんの笑顔があれば、どんな海だって越えられる!」
「はいはい」
ゾロは宴の喧騒から少し離れた場所で酒を飲んでいた。
ミナトはその近くに腰を下ろし、皿に盛られた料理を口に運ぶ。
「どうだ、ミナト。この町の飯はうまいか?」
ゾロが尋ねた。
「ああ。思っていた以上に歓迎してくれるね」
「そうだな」
ゾロは酒を一口飲み、住人たちへ視線を向けた。
「……まあ、今は飯を食っておくか」
それ以上、特に何も言わなかった。
ミナトも無理に話を続けず、仲間たちの賑やかな様子を眺めた。
未知の海で、初めて訪れた町。
そこに暮らす人々と食卓を囲み、同じ時間を過ごす。
ミナトが見たいと思っていた世界は、こうした何気ない出会いの積み重ねでもあるのだろう。
彼は笑い声に耳を傾け、しばらく宴を楽しんだ。
けれど、ふとした瞬間に、視線が引っかかった。
テーブルの向こう側。
住人たちの笑顔の中で、何人かが一味の様子を気にするように目を動かしていた。
誰がどこに座っているのか。
誰がどれだけ酒を飲んだのか。
そんなことを確かめているようにも見える。
だが、住人たちが一味を気遣っているだけという可能性もある。
ミナトはすぐに結論を出さず、静かに視線を戻した。
「……どうした、ミナト?」
ゾロが横から声をかけた。
「いや。少し町の様子を見ていただけだよ」
「そうか」
ゾロはそれ以上、問い詰めなかった。
ミナトも、まだ仲間たちへ警戒を促すつもりはなかった。確かな証拠がないうちから町の人々を疑えば、せっかくの歓迎を台無しにしてしまうかもしれない。
今は観察を続ければいい。
宴は賑やかに続き、町の夜は少しずつ更けていった。
ナミは時折ログポースを確かめ、ウイスキーピークの磁気が記録されるまでの時間を気にしていた。
ルフィはまだ食べ続け、ウソップは話を盛り、サンジは料理を楽しんでいる。
その光景を眺めながら、ミナトは町の灯りを見つめた。
歓迎されているのは確かだ。
けれど、この町には、まだ知らない何かがある。
ミナトはその小さな違和感を胸に留めたまま、仲間たちの輪へ戻った。
偉大なる航路での最初の島、ウイスキーピーク。
その夜は、まだ始まったばかりだった。