テニスとは。
テニスとは何か。
古くは貴族の遊びだったというこのスポーツは、ラケットでボールを打ち合い、ポイントを獲っていく。言ってしまえばそれだけの事なのだが、これが案外難しい。
「ほらっ!」
「あっ、ちょっと~!」
和気藹々(わきあいあい)。
隣のコートでは、男女のカップルが楽しげにボールを打ち合っている。
彼氏さんは少し手を抜いているのかな、彼女さんより余裕がありそうに見える。
でも、楽しそうなら何でもいい。テニスは楽しくなきゃ、ね。
「死に晒せぇ!!! 《グランドダッシャー》ァァァッッッッ!!!!!」
「キェァァァァアァアアアアアア!?」
屋外コートの芝がめくれ上がり、地殻変動じみた地響きと共に大地の岩盤が粉々に爆砕した。
土系統の上級魔術。それが魔導具でもあるスイングのインパクトと同時に地脈を伝って励起された質量数トンの土石流が、突風のような衝撃波となってコートを縦断する。周囲を覆う高度対魔術防護結界が、軋んだ金切り声を上げて火花を散らした。
舞い上がる土煙と焦熱の粉塵。
防護結界の壁際にくの字でめり込んだ被害者――いや対戦相手の男は、全身をビクビクと痙攣させ、口から白い泡を吹き、全身が血塗れのまま白目を剥いて気絶していた。
わずか十分前、市民コートのベンチでマジカルなスポドリを飲んでいた私たちに「ねえ君たち、魔導学園の子? 良かったら俺とミックスダブルスで一汗流さない?」などと軽薄に声をかけてきた哀れなナンパ野郎の末路である。
「いいわよ。ただしシングルス。あなたが1ポイントでも取れたら付き合ってあげる」
そう微笑んで男をコートに引きずり込んだ我が部の絶対的エース、神崎(かんざき)先輩は、爆心地の真ん中でラケットを振り抜いた姿勢のまま、早くも次なる追撃魔術の詠唱に入りかけて……相手が完全に物言わぬ肉塊と化しているのを見て、わずかに眉をひそめた。
粉砕された赤土のクレーターから、黒焦げになったテニスボールが力なく転がり出てくる。
コロコロ……と変色したテニスボールは、抉れた大地を転がり、相手コート内で停止した。
完全なイン。正直途中良く見えなかったが、ワンバウンド目もコート内だろう。先輩の得点だ。
私は飛んできた小石と土砂をスコアボードで払いのけ、血飛沫で汚れたストップウォッチをリセットしながら、アンパイアチェアの上でマイクのスイッチを淡々と入れた。
「……イン。ポイント、15ー0。先輩リード」
どれだけ大地が崩壊しようが、コート内でワンバウンドしてればインはインだ。目の前の光景がテニスとは思えなくとも、ルールは絶対である
「よし。次のサーブね」
先輩はサンバイザーを直し、額の汗を爽やかに拭いながらポケットから二球目を取り出した。相手の側に転がるさっきの1球目が返ってこないままに平然と次を始めようとしている。
何一つ悪いことをしていない人間の、抜けるように澄み切った瞳をしているのが普通に怖い。
「先輩。相手選手が気絶してます」
「無防備ね。チャンスじゃない」
「気絶した相手に打ち込んで殺したら失格負けですよ……あと規定により、心肺停止時の自動メディカルタイムアウトは三分です。タイマー動かしますよ」
「なら急がないと。息を吹き返す前にあと3本サービスエースを打ち込めば、このゲーム取れるわね」
「いや、ですからタイムアウトですって。ストップ! ストォップ!」
彼女の中に悪意はない。ただ純粋に、テニスの規則に則って最短でポイントを奪うことしか考えていないのだ。それが一番恐ろしい。
神崎先輩は高校三年生。
王立魔導学園テニス部の看板を背負い、来週には学生生活のすべてをかけた最後の公式戦――全国魔導選抜大会の初戦を控えている。
そんな殺気立つ猛獣の前に、生肉をぶら下げて飛び込んだナンパ男の運命はあまりに自業自得だったが、それに付き合わされて真夏の炎天下で審判台に拘束されている一年の私の身にもなってほしい。
おかしい。私が審判をしているこのスポーツは、すぐ横でキャッキャウフフしているカップルと同じもののはずだ。あちらは甘い言葉が飛び交い、こちらでは殺意と土系統魔術とバイオレーションの警告が飛び交っている。
夕暮れの貸しコートに、先輩がトスを上げる乾いた風音と、土煙の向こうでナンパ男の肋骨が折れる軽やかな音が響いた。
ちらりと見た練習用の球速計には、300キロと出ていた。魔力強化されてるとはいえ、あなた、今魔術は使ってませんよね?
やはりこの人は色々異常だ。
遠くから、けたたましいサイレンの音が夕暮れの空気を引き裂きながら近づいてくる。
赤色灯ではなく、重度魔力事故専門の特殊救命救急車が放つ、青白い魔導警告灯の光がフェンスを不穏に照らし出していた。テニスコートにあの車が緊急搬送で呼ばれる頻度、絶対に社会問題として議会で取り上げるべきだと思う。
「……なに? 救急車を呼んだの?」
「そりゃそうですって。あのナンパ男、ほとんど死にかけですよ。ガチで。最後の大会前に死傷事件はマズいですって」
「ふん。ウォーミングアップにもならないわ……興が削がれた。見てあげるから、練習してていいわよ」
その涼やかな声に、私の背筋を氷のような冷汗が駆け上がった。
この人の見てあげる発言は、文字通りの見学だった試しがない。
「あ、あの、先輩? 私の練習って、まさか……」
「何言ってるの。あなたがサーバー、私がレシーバーよ。来週の本番に向けて、あなた弱いんだから、せめてフィジカルを鍛えないと」
「断じて拒否します。殺す気ですか」
「大丈夫よ。ラケットの真ん中で受ければ、人間そう簡単には砕けないわ」
『砕けない』の基準がすでに一般社会のそれではない。あと真ん中以外で受けたら死ぬんだろうか。私が入学前に知っていたテニスは先輩のせいで既に粉々だ。
先輩――神崎マオはそう言って、クレーターの真ん中、蹴飛ばされて端に追いやられたナンパ男が埋まっていたところに優雅な足取りで陣取った。サンバイザーの下から覗く切れ長の瞳が、獲物を値踏みする肉食獣のようにギラリと細められる。
逃げられない。
観念した私は、深くため息をつきながら自分のラケットを握り直した。
これは私の今の務めだ。王立魔導学園高等部の一年生であり、そして、この歩く戦略兵器こと神崎マオ先輩の専属球拾い兼、サンドバッグ役だ。
私が現時点でテニスにおいて実戦投入できる戦法は、たった一つしかない。
打球の瞬間、相手の視界を一瞬だけ強制遮断する魔術――《ブラインド》。
言ってしまえばただの目眩ましであり、球技において効力だけ見たらかなりの強さではあるが、これの扱いは恐ろしくシビアだ。
ブラインドは効果は強いが、超初歩の魔術故にその強度は弱い。
相手の自然に発する魔力にすら干渉・反発されるため、成功しても効果時間はほんの刹那、一度の瞬き程度の時間の暗闇だ。その上あらかじめ身構えられていると、相手が意識的に高めた魔力による防御にかき消される。
完全なる奇襲、不意打ち特化の初見殺し。
……そんな技しかないのに、いま全身から湯気のような魔力オーラを噴き上げているマオ先輩に向けて打って何になると言うのか。
「さあ、来なさいコヨちゃん。あの目眩まし、使っていいわよ」
「先輩。来るって分かってる相手には一ミリも効かないって、前に説明しましたよね? 魔力で弾かれて終わりですって」
「なら私の意識の隙を突きなさい。それができなければ、その貧弱な激遅サーブだとリターンであなたのコートごと消し飛ばして終わりになるわよ」
「理不尽の塊かよ!!」
叫びながら、私はボールを高くトスした。
やるしかない。殺される前に、一か八か意識の外から叩き込むしかない!
魔力を研ぎ澄まし、呼吸を殺す。先輩の視線がトスされたボールへ吸い寄せられた、その刹那――!
『――《ブラインド》!』
サーブを放つと同時、その打球と同時に、不可視の暗黒が先輩の視界を覆い隠す――はずだった。
「……ぬるいわね」
私の魔術は先輩の纏う凶悪な闘気に触れた瞬間、あっけなく無効化された。
先輩はブラインド対策などしなかった。分かっていてただ、魔力を垂れ流しているだけ。それでも。
「うそでしょ、自然体で……!?」
「ブラインドがいくら元々強度の弱い第一階級魔術とはいえ、込めた魔力が弱すぎるのよ」
ただのサーブと化した私の打球は、先輩のもとへノロノロと伸びていく。
それに対し、先輩が軽くラケットを引いただけで、周囲の大気が悲鳴を上げて渦を巻いた。
足元の赤土がミシミシと悲鳴をあげる。まだ打ってもいないのに、ラケットの周囲に紅蓮のプラズマがパチパチとスパークし始めた。
「待って!? 先輩、それリターンで使う魔術じゃないです! 死ぬ! 死んじゃう!!」
「テニスは戦争よ、
「持ってません! 私はただ楽しくテニスがしたかっただけなんですぅぅぅぅ!!」
直後、貸しコートのゲートを蹴破って『特殊救命救急隊だ! 事故被害者はどこだ――ひぃっ、災害!?』と担架を抱えて突入してきた隊員たちの目の前で、真夏の夕暮れが特大の爆炎で真っ昼間のように照らし出された。
これは、初心者テニスプレイヤーとなったこの私、通称コヨちゃんが、神崎マオという最強のせいで何度も死にかける、そんな物語――なのかもしれない。
全年齢小説は初めてなので、試行錯誤しながらゆっくり更新していきます……
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