東京の学校も、階段が多かった。
荷物を持って石段を上りながら、三輪は、呪術高専というのはこういう場所に造るものなのだろうかと考えた。
京都では、もう慣れた。
けれど、知らない場所を歩いていると、次の曲がり角に何があるのか、一つずつ気になる。
「三輪さん、お荷物、持ちましょうか」
案内役の補助監督が振り返った。
駅から車を出してくれた、東京校の伊地知潔高という人だった。
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」
三輪が答えると、伊地知は頷き、歌姫へこのあとの予定を説明し始めた。
真依は、三輪の少し前を歩いている。
東京へ来ると決まってからも、特に何も言っていなかった。今日も、列車の中では窓の外を見ていることが多かった。
メカ丸はその後ろを、変わらない歩調で進んでいた。
「広いね」
三輪が言う。
「まだ全部を見たわけじゃないだろう」
「うん。でも、入口からこんなに歩くんだと思って」
石段の先で道が開けた。
建物が見える。
その前に、パンダが立っていた。
三輪は、足を止めた。
パンダもこちらを見た。
「お、来た来た。京都の一年だな」
喋った。
三輪は隣へ目を向けた。
真依は止まらず、メカ丸も、少し顔を上げただけだった。
授業では聞いている。
人の形をしたものだけが、呪術で動くわけではない。
分かってはいるが、実際に目の前にいると、すぐには言葉が出なかった。
「パンダだ。よろしく」
「……三輪霞です。よろしくお願いします」
「同じ一年だから、気楽にしてくれ」
「うん。よろしく、パンダ」
答えると、パンダは満足そうに頷いた。
その後ろから、眼鏡をかけた少女が歩いてくる。
「お前、門まで迎えに行くんじゃなかったのかよ」
「ここで待ってても、通るだろ」
「伊地知さんに任せっぱなしじゃねえか」
伊地知が、いえ、大丈夫です、と小さく手を振った。
三輪の視線は、少女の顔に止まっていた。
眼鏡と、結んだ髪。
印象は違う。
けれど、隣へ立った真依と、目元がよく似ていた。
「禪院真希だ」
少女が名乗った。
真依を見る。
「来たんだな」
「学校の予定だから」
真依の返事は、短かった。
真希も、それ以上は言わなかった。
三輪は二人の間から、少し視線を外した。
同じ名字だ。
似ていることも、関係があることも分かる。
今ここで尋ねていいのかは、また別だった。
「三輪霞です。よろしく」
「ああ。刀、使うんだってな」
「うん」
真希の目が、三輪の刀袋へ向く。
そこへ、襟元を高く上げた少年が並んだ。
「しゃけ」
「こいつは狗巻棘。普段は、おにぎりの具で喋る」
パンダが言った。
三輪は、今度はすぐに頷いた。
出発前、歌姫から聞いていた。
言葉そのものが力を持つ呪言師。普段から、不用意に相手を呪わないための話し方をしているのだという。
「よろしくね、狗巻くん」
狗巻が片手を上げた。
同じように挨拶を返すと、少し目元が和らいだ。
最後に、白い制服の少年が一歩前へ出てきた。
背に刀袋を負っている。
「乙骨憂太です。よろしく」
声は控えめだった。
「三輪霞です。こちらこそ」
頭を下げたところで、三輪は、すぐそばに別の気配があるのを感じた。
目に見える形はない。
けれど、乙骨本人だけの呪力ではなかった。
歌姫から事前に聞いた、彼の事情を思い出す。
三輪はそこを見ようとはせず、乙骨の顔へ視線を戻した。
彼も、こちらの様子を窺っていた。
「同じ刀なんだね」
三輪が言うと、乙骨は自分の肩へ手をやった。
「うん。でも、僕はまだ、教えてもらってるところで」
「じゃあ、今日、いろいろ話せるといいね」
乙骨が一度瞬きをした。
それから、小さく頷いた。
*
東京校の一年生は、四人。
京都から来た三人と合わせて、今日の訓練を行うという。
説明の前に荷物を置き、使う道具を確認した。
三輪が刀を所定の場所へ置いていると、真希が隣で長い武器を取り上げた。
「そっち、もう少し離した方がいいぞ。出すとき、袋の紐が引っかかる」
「あ、本当だ。ありがとう」
位置をずらす。
真希は手元を見てから、三輪の顔を見た。
「日下部が言ってたの、お前か」
「え?」
「京都に、やたら強い剣使いがいるって」
三輪は少し迷って、頷いた。
「この前、手合わせしてもらったから。たぶん」
「負けたって聞いた」
「……うん。二本、取った」
真希は、目を細めた。
三輪の肩、手首、それから足元へ、順番に視線が動く。
「あとで、一本やらないか」
「稽古?」
「ほかに何があるんだよ」
「うん。先生に聞いて、大丈夫だったら」
真希の口元が上がった。
「そこは真面目なんだな」
少し離れたところで、真依が荷物を置いた。
音は大きくなかった。
それでも、三輪は一度、そちらを見た。
真依は二人へ背中を向け、拳銃の収納を確かめている。
三輪は何も言わず、自分の刀袋を畳んだ。
*
午前の訓練は、いくつかの組に分かれて始まった。
学校ごとに固まるのではなく、普段とは違う相手と動く。
使う武器も、戦う距離も違う。まずは、その違いを知るためのものだった。
日下部が全体を見て、歌姫が各組を回る。
真依は狗巻と、遠距離から合図を受ける際の確認をしていた。
メカ丸とパンダは、遮蔽物の向こうに置かれた目標を探している。パンダはよく喋り、メカ丸は必要なことだけを返していたが、進む方向は揃っていた。
三輪は乙骨と組み、合図を受けて別々の標的へ向かった。
彼は動き出す前に、一度、こちらを見る。
三輪は頷いてから進んだ。
途中で予定と違う目標が示されると、乙骨の足が止まった。
「三輪さん、右の――」
「見えた。こっちで行くね」
三輪は進路を変えた。
乙骨が、空いた方へ回る。
終わって戻ると、乙骨が少し息を弾ませていた。
「速いね」
「乙骨くんの声、聞こえたから」
「言い終わる前に、動いてたけど」
「右って聞こえたし。どっちへ行くかは、伝わったよ」
乙骨は標的のあった場所を振り返った。
日下部が近づいてくる。
「今の合図は、そのままでいい。相手が見ていると思って省略するなよ」
「はい」
二人で答えた。
目が合って、少し笑った。
*
休憩の前に、真希との短い稽古が許可された。
三輪は木刀を取った。
真希は、長柄の稽古道具を持っている。
「一本だけな」
日下部が言った。
「午前中の内容は、もう決まってるんだ。勝手に増やすなよ」
「分かってる」
真希が答え、三輪へ向き直る。
近くで見ると、隙の少ない立ち方だった。
長い武器を持っても、先へ身体を引かれていない。
合図がかかった。
真希が踏み込む。
先端が、三輪の手元へ向かった。
三輪は木刀を立てず、身体ごと横へ動かした。
長い柄が、それを追う。
速かった。
大きく振り直さず、手の中で柄を送り、狙う位置を変えてくる。
三輪は一度だけ木刀を合わせた。
受けた力を流しながら、前へ出る。
真希の持つ柄が、斜めに返った。
入ってきた相手を押し返す動きだった。
三輪は止まらず、返ってくる柄の外へ足を置いた。
真希の手が引かれる。
その手元へ、三輪の木刀が触れた。
打ちつけはしない。
握っている指の動く方向へ、わずかに押す。
長い武器の先が、三輪から外れた。
次の瞬間、木刀の切っ先は真希の胴の手前にあった。
「そこまで」
日下部が止める。
三輪はすぐに木刀を引いた。
「ありがとう」
真希は自分の手を見てから、顔を上げた。
「……強えな」
「真希の武器、近づいてからも戻ってくるんだね」
「そりゃ、戻すだろ。入られたら終わりじゃ、持ってる意味がねえ」
「うん。そうだけど、持つところを変えるの、速かったから」
真希が柄を持ち直す。
「お前、ここが動く前に入ったな」
「うん。戻ってからだと、もう一度、避けないといけないから」
真希は一度、さっきの足運びをなぞった。
それから、短く息を吐いた。
「なるほど。日下部が言うわけだ」
「聞こえてるぞ」
背後から声がした。
真希は肩をすくめ、稽古道具を下ろした。
*
休憩中、三輪は道具を片づける真希を手伝った。
長いものと短いものを分け、取り出しやすい向きへ置く。
「いろんな武器、使うんだね」
「使えるものは使う。相手によって、届く距離も違うからな」
真希が、布で柄を拭った。
三輪も借りた木刀を拭きながら、その動きを見た。
真依と顔は似ている。
けれど、話し方も、立ち方も違う。
目の前の真希と話していると、似ていることを意識する時間は、だんだん短くなっていた。
「そっちは、その刀を使い続けるのか」
「うん。今のところは」
「ここにも貸し出せる道具がある。見たいなら、先生に言っとけ」
「本当? 見てみたい」
三輪が顔を上げると、真希が笑った。
「そういう顔もするんだな」
「え?」
「さっきまで、ずっと先生の話を聞いてるみたいな顔してた」
そんなつもりはなかった。
ただ、初めて来た学校で、失礼がないようにとは思っていた。
三輪が少し困っていると、後ろから真依の声がした。
「三輪。荷物、こっちにまとめたから」
「あ、うん」
振り返る。
真依は真希の方を見ていなかった。
三輪は拭いていた木刀を置き、真希へ向き直った。
「今日は、ありがとう。あとで道具を見に行けるか、聞いてみる」
「ああ」
短く返事をされ、三輪は真依のところへ戻った。
何か話した方がいいのか、迷う。
真依は先に、三輪の鞄を指した。
「水、ここに入ってるんでしょ。飲んでおきなさいよ」
「うん。ありがとう」
三輪は鞄を開けた。
真依も隣で、自分の飲み物を取り出した。
*
昼食の前に、乙骨が三輪へ声をかけた。
「こっちの荷物も、持っていく?」
指していたのは、京都側が使った資料の箱だった。
「うん。教室に戻すんだって。半分、お願いしてもいい?」
「分かった」
二人で持ち上げ、廊下へ出る。
乙骨の歩く速さは、さっきの訓練のときよりゆっくりだった。
三輪も、それに合わせた。
「京都では、もう任務に出てるんだね」
「先生や先輩と一緒に。まだ、教わることが多いけど」
「……さっき、真希さんとやってたの、見たよ」
「うん」
「剣、ずっとやってたの?」
始めた時期を答えると、乙骨は驚いた顔になった。
箱の持ち手を握り直す。
「僕、呪力を込めるのも、まだ加減が難しくて」
「刀に?」
「うん。うまくいくときと、そうでないときがあって」
三輪は、乙骨の背の刀袋を見た。
抱えている呪力は、大きい。
自分が同じだけのものを、初めて細い刀へ通すとしたら。
少し考えてから、三輪は尋ねた。
「今日は、先生に見てもらえる時間、ある?」
「午後に、少し」
「じゃあ、そのとき、一緒に見てもらってもいいかな。私のやり方が乙骨くんに合うかは、分からないから」
乙骨がこちらを見た。
「いいの?」
「うん。先生がいいって言ったら」
教室の前へ着く。
乙骨が先に箱を下ろし、戸を開けてくれた。
三輪も中へ入り、机の脇へ箱を置く。
「三輪さんは、どうして高専へ?」
箱から手を離したあと、乙骨が尋ねた。
三輪は少し笑った。
「ちゃんと働けるようになりたくて。家に、弟が二人いるから」
「……そうなんだ」
「学校に来れば、知らないことも教わるし。家族にも、少し安心してもらえるかなと思って」
乙骨は黙って頷いた。
三輪は、彼へ同じ質問を返しかけて、やめた。
出発前に説明された事情は、彼自身から聞いた話ではない。
いま、箱を運んだついでに尋ねることでもない気がした。
乙骨が、目を伏せる。
「僕も、ちゃんとできるようになりたいことがあって」
「うん」
「まだ、うまく言えないんだけど」
三輪は頷いた。
「じゃあ、今は、午後の稽古かな」
乙骨が顔を上げる。
教室の外から、パンダの声がした。
「二人とも、飯だぞ。箱、置けたか?」
「置けたよ」
乙骨が答えた。
三輪も戸口へ向かう。
そのとき、廊下の向こうで歌姫の声がした。
「遅い!」
*
「いや、任務が長引いちゃってさ」
明るい声が返った。
「せめて、連絡を入れなさいよ」
「入れたよ。伊地知に」
「私にも!」
三輪は、戸口で止まった。
歌姫の向こうに、背の高い男が立っていた。
白い髪。
目元に巻かれた、白い布。
黒い服で、片手には紙袋を持っている。
写真で見せてもらったときとは、目元が違う。
それでも、誰なのかはすぐに分かった。
「あ、京都の一年、もう来てたんだ」
男の顔が、こちらへ向く。
三輪は反射的に背筋を伸ばした。
「は、初めまして。京都校一年、三輪霞です」
頭を下げる。
いつもより少し、深くなった。
「五条悟です。よろしくね」
名乗られた。
知っている。
もちろん、知っている。
そう思ったせいで、返事をするまで、一拍空いた。
「はい。よろしくお願いします」
顔を上げると、五条が少し首を傾けていた。
「三輪霞、ね。うん、聞いてるよ」
「私のことを、ですか?」
「いろいろ」
五条が笑う。
その後ろで、日下部が近づいてきた。
「余計なことをさせるなよ。今日は一年の合同訓練だ」
「分かってますって。まだ何も言ってないでしょう」
「言う前に言ってるんだよ」
三輪は二人の会話を聞きながら、刀袋の持ち手を握り直した。
師から聞いた話が、いくつも頭へ浮かぶ。
呪術界の最強。
誰もが名前を知っている人。
その人が今、目の前にいる。
そして、自分の名前を知っていた。
「三輪ちゃん、どうしたの?」
五条に声をかけられ、三輪は慌てて首を振った。
「いえ。あの、すみません。実際にお会いできるとは、思っていなくて」
「東京に来れば、わりといるよ、僕」
「そう、ですよね」
変なことを言ってしまった。
少し離れたところで、真依がこちらを見ていた。
何をしているの、と言いたそうな顔だった。
三輪は一度、息を吸った。
聞くなら、今だろうか。
訓練が全部終わってからの方がいいだろうか。
迷っていると、五条が手にした紙袋を持ち上げた。
「とりあえず、お昼にしようか。お土産もあるし」
乙骨とパンダが、教室の方へ道を空ける。
歌姫はまだ何か言いたそうだったが、生徒たちを見て、ひとまず言葉を飲み込んだ。
三輪も一歩、横へ退く。
すれ違う前に、ようやく声を出した。
「あの、五条先生」
「ん?」
「あとで、お写真をお願いしてもいいですか」
五条の口元が、楽しそうに上がった。
「もちろん」
三輪は、思わず笑った。
「ありがとうございます」
今度の礼は、さっきより自然に言えた。
隣で、パンダが乙骨へ小さく何か言っている。
狗巻が、肩を揺らした。
真依が三輪の横まで来て、呟く。
「……ほんと、あんたって」
「何?」
「別に。早く入りなさいよ」
三輪は頷き、みんなのあとに続いた。
東京校の人たちは、思っていたより、ずっと賑やかだった。