三輪霞は、剣だけでいい   作:ケーケーケー

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AI利用です


第十二話 触れられないはずの人

 

 演習場へ着いて最初にしたのは、刀を抜くことではなかった。

 

「三輪霞さん。昨晩は眠れた?」

 

「はい」

 

「朝食は」

 

「食べました」

 

 家入硝子は問診票から目を上げ、三輪の顔を見た。

 

「今、どこか痛いところは?」

 

「ありません」

 

「分かった。途中で具合が悪くなったら、隠さないこと。相手があれでも、付き合う義務はないから」

 

「硝子。聞こえてるよ」

 

 少し離れたところから声がした。

 

「聞こえるように言った」

 

 家入はペンをしまった。

 

 三輪は返事に困り、とりあえず、よろしくお願いしますと頭を下げた。

 

 山を切り開いた演習場には、建物も、観客席もなかった。踏み固められた地面の外側に、土の斜面と林が続いている。

 

 補助監督が外周の確認から戻り、歌姫へ報告していた。張られた帳の内側にいるのは、必要な人だけだ。

 

 記録用の機材は、立会いの場所に置かれていた。

 

 三輪は刀袋の留め具を外した。

 

 紐は、引っかからずにほどけた。

 

 昨日、教室を出るときのメカ丸の声を思い出す。

 

『終わったら、連絡しろ』

 

『うん。結果も?』

 

『先に、終わったことを伝えろ』

 

 その順番には、頷いてある。

 

「準備できた?」

 

 五条が、演習場の中央から手を振った。

 

 白い布で目元を覆い、いつものように立っている。

 

「はい。お願いします」

 

 三輪は刀を腰へ差し、袋を畳んだ。

 

     *

 

「止めをかけたら、二人とも直ちに離れること」

 

 歌姫が言った。

 

「続けられるかどうかを、その場で言い争わない。いいわね」

 

「はい」

 

「了解」

 

 日下部は二人の位置を見てから、立会いの場所へ下がった。

 

 刀は真剣。

 

 術式を含め、使用できる技術に制限はない。ただし、止められない攻撃はしない。降参、または続行不能で終了する。

 

 説明は短かった。事前に聞いたことと違いがないのを、三輪は一つずつ確かめた。

 

 五条までは、六歩ほど。

 

 踏み込んでも、最初の一太刀では届かない。

 

「じゃ、よろしくね。三輪ちゃん」

 

「よろしくお願いします」

 

 三輪は左手で鞘の口を押さえた。

 

 五条の手は、まだ下がっていた。

 

「始め」

 

 日下部の声が落ちる。

 

 三輪は歩いた。

 

 一歩。二歩。

 

 五条は動かない。

 

 三歩目を短くし、右足の置き場所を変える。真正面ではなく、五条の左肩へ向かう線に乗った。

 

 そこで、五条の左手が上がった。

 

 顔の前へ差し出された、開いた掌。

 

 三輪は抜いた。

 

 狙いは指ではなく、手首の先。届くなら、触れる手前で止める。

 

 刀が、止まった。

 

 金属を打った感触はなかった。

 

 刃先は掌へ向かって進んでいる。それなのに、残った距離だけがなくならない。

 

 三輪は押し込まなかった。

 

 右足へ乗せ切る前に重心を戻し、刀を引く。

 

 その頬を、五条の指先が通り過ぎた。

 

 指先だけを避けても足りない。続く掌底の線から肩を外し、半歩退く。

 

「お。ちゃんと見てる」

 

 五条が手を下ろす。

 

 三輪は返事をしなかった。

 

 刀身を低く保ったまま、相手の足を見る。

 

 無下限呪術。

 

 説明は聞いた。触れられない、という言葉も知っていた。

 

 実際に刃を向けた感触は、そのどちらとも少し違った。

 

 壁があるのではない。

 

 だから、強く打てば済むものでもない。

 

 今度は五条が、一歩近づいた。

 

     *

 

 肩が動くより先に、足元の土が鳴った。

 

 踏み込みが速い。

 

 三輪は左へ抜けながら、刀を斜めに立てた。拳の進路へ刃を置くのではなく、五条が引き戻す腕の外側へ回す。

 

 五条は拳を止めず、肘を畳んだ。

 

 長い腕が、刀の内側へ入ってくる。

 

 三輪は柄を引いた。鍔を近づけ、左手も柄へ移す。そのまま身体を開き、膝の上を狙って切り返した。

 

 また、刃が遅くなる。

 

 五条の足が、その向こうで動いた。

 

 蹴りを鞘で受けようとはしない。三輪は右足を引き、脇を締めた。靴底が制服をかすめる。

 

 刀を振り終わった場所へ、五条の右手が伸びていた。

 

 柄を取られる前に、左手を離す。

 

 五条の指が空をつかんだ。

 

 三輪はその指の外側へ刀を返した。

 

 今度は、刃の周囲に薄い呪力の層があった。

 

 手から鍔へ。鍔から、刀身へ。

 

 途切れずに纏わせた領域を、刃先へ寄せる。

 

 五条の手首が動いた。

 

 刀が届く。

 

 袖口の布に、短い切れ目が入った。

 

 続いて肌へ届くより先に、五条は腕を引いていた。

 

 三輪の切っ先も、それ以上は追わない。

 

 二人の間に、再び一歩分の土が見えた。

 

「……なるほど」

 

 五条が、自分の袖を見た。

 

 笑みは消えていなかった。

 

 けれど、次に顔を上げたとき、三輪へ向ける身体の角度が変わっていた。

 

     *

 

「簡易領域じゃないな」

 

 日下部が言った。

 

 歌姫は視線を二人から外さなかった。

 

「今、触れたのね」

 

「ああ。展延だ。身体から刀まで、繋いで纏ってる」

 

 薄く延ばした領域へ、接触した術式を流し込み、中和する。

 

 領域展延そのものと、それを刀の先まで保つことは、別の難しさだった。

 

 振れば刀は動く。身体との位置関係も変わる。

 

 どこかで層が切れれば、そこから先は、ただの呪力を込めた刃へ戻る。

 

 日下部は、三輪の握りを見た。

 

 刀を引き戻した今も、余計な力が入っていない。

 

「あいつ、あの切り返しの途中で……」

 

 続きは言わなかった。

 

 五条がもう、次の動きに入っていた。

 

     *

 

 見えていた胸元が、横へずれた。

 

 三輪は追いかけて刀を振らなかった。

 

 足元の土と、五条の呪力が動く方向を見る。

 

 右。

 

 踏み直すのと、拳が来るのが重なった。

 

 左腕で受け流す。

 

 重い。

 

 腕だけで受けたら、そのまま胸へ押し込まれる。三輪は腰を回し、力を斜め後ろへ逃がした。

 

 それでも、靴が地面を削った。

 

「触れるようになったら、次は当てなきゃね」

 

 五条の声が近い。

 

「……はい」

 

 三輪は、右手の刀を返した。

 

 五条は、もうそこにいなかった。

 

 避けた足へ切っ先を向けると、肩口に引かれる感覚が生まれた。

 

 自分で踏み込んだのではない。

 

 身体が、右前方へ持っていかれる。

 

 刀の先も引かれていた。

 

 三輪は、踏ん張るのをやめた。

 

 引かれる方向へ右足を出す。次いで左足を送って身体を回し、引力に逆らっていた刀の腹を、流れに沿わせる。

 

 正面から拳が来た。

 

 先ほどより近い。

 

 三輪は頭を横へ外し、柄頭を五条の前腕へ当てた。

 

 触れた。

 

 ほんの短い接触だったが、その分だけ、拳の軌道がずれる。

 

 耳元で風が鳴った。

 

 五条の手が開く。柄を包むように指が伸びてくる。

 

 三輪は刀を下げ、手首を返した。

 

 刃は五条の腕に沿って上がり、肩の手前へ抜ける。

 

 五条は上体を反らした。

 

 追う。

 

 だが、右足を置こうとした地面が陥没した。

 

 足場が消える。

 

 三輪は残した左足で跳び、刀を身体へ寄せた。

 

 着地する前に、背中側から土の塊が飛んできた。

 

 刀身に纏わせていた領域を解く。

 

 代わりに、身体の周囲へ小さく簡易領域を開いた。

 

 侵入したものを捉え、刃を返す。

 

 土塊が砕けた。

 

 細かい礫が肩を叩く中、三輪は片膝を曲げて着地した。

 

 すぐに立つ。

 

 五条は追撃せず、数歩先にいた。

 

 右肩に、土がついている。

 

 自分の刀が通ったところだった。

 

 三輪は息を吐いた。

 

 届く。

 

 それは、もう分かった。

 

 けれど、触れることと、勝つことの間には、まだいくつもの手順がある。

 

     *

 

「今の、消さなかったんだ」

 

 五条が言った。

 

 三輪は少しだけ首を傾けた。

 

「引っ張られたとき?」

 

「はい。全部を受け止めるより、動いた方がよかったので」

 

「刀に集めてる分、身体の方は薄いんだね」

 

 三輪は頷いた。

 

 見られている。

 

 どこへ呪力を回したかも、何を諦めたかも。

 

 領域を纏えば、何もかもなくせるわけではない。五条が出力を上げれば、薄くしたところから押し切られる。

 

 刃へ厚く集めて接触を作る間、全身を同じようには守れない。

 

 簡易領域へ切り替えれば、迎撃は速くなる。けれど、それだけで無下限に刃が通るわけではない。

 

 選ぶたびに、別のところが空く。

 

 五条は、その空いたところへ来る。

 

 だから三輪も、刀だけを見ていては勝てない。

 

「もう一回、いこうか」

 

「はい」

 

 五条が右足を引いた。

 

 先ほどと、同じ動き。

 

 三輪は今度、正面へ踏み込んだ。

 

 五条の拳が来る。

 

 その外へ、半身になる。

 

 刀を振り上げるのではなく、低い位置から前腕へ添わせた。

 

 薄い領域を、刃へ通す。

 

 五条が肘を曲げた。

 

 三輪は止まらず、左足を、相手の右足の外側へ置いた。

 

 肩へ向かっていた刃の向きを変える。

 

 腕を引けば、その先に切っ先が残る。

 

 五条の重心が下がった。

 

 膝が来る。

 

 三輪は左の掌を腿へ添え、押すより先に、自分の腰を逃がした。

 

 膝の線から外れたまま、刀を横へ返す。

 

 五条の襟元を狙った刃が、空を切った。

 

 距離が開く。

 

 蒼による移動。

 

 ただの後退よりもずっと速く、五条は三輪の間合いを抜けていた。

 

 それでも、三輪は踏み込んでいた。

 

 逃げた場所へ、追いついてから斬るのでは遅い。

 

 相手が動くより前に、次の足を出しておく。

 

 五条の足が地面へつく。

 

 その膝の外側へ、刀が向かった。

 

 白い頭が、わずかに下がった。

 

 五条の手が柄へ伸びる。

 

 三輪は引かない。

 

 柄を取ろうとした手の下へ鍔を入れ、持ち上げる。同時に刀の角度を変え、刃ではなく峰を、五条の上腕へ寄せた。

 

 手応えがあった。

 

 肉を裂く感触ではない。

 

 呪力で強化された腕を、確かに打った感触だった。

 

 五条の左足が、半歩動いた。

 

 三輪はその足へ、視線を落とさなかった。

 

 次はそこへ置けないようにする。

 

 左手を柄へ戻し、刃を返す。

 

 その瞬間、三輪の右側で、土が深く抉れた。

 

 身体がそちらへ引かれる。

 

 いま踏み出せば、刀を振るより先に姿勢が崩れる。

 

 三輪は追撃を切り上げた。

 

 引力の向きへ回り込み、五条の正面を外す。

 

 頭の上を、長い脚が通った。

 

 しゃがんだ姿勢から立ち上がると、五条もこちらへ向き直っていた。

 

 互いの足が止まったのは、一呼吸だけだった。

 

     *

 

 歌姫は、声をかけなかった。

 

 止めるべき瞬間を見落とさないために、二人を見ていた。

 

 五条の袖は切れている。

 

 三輪の制服も、肩と袖が土に汚れていた。

 

 どちらも、まだ続けられる。

 

 日下部が、低く言った。

 

「追いついたんじゃねえな」

 

「ええ」

 

「あいつが動きたくなる場所へ、先に剣を置いてる」

 

 速さだけを比べていたら、ああはならない。

 

 五条もそれを理解したから、途中で足場ごと崩した。

 

 いま演習場にあるのは、強い術式と、それに触れる珍しい技術の見せ合いではなかった。

 

 相手の次の一手を、どこまで自分の望む形へ変えられるか。

 

 二人とも、もう、その勝負をしていた。

 

     *

 

 三輪は口の中へ入った土を、唾と一緒に吐き出した。

 

 少し、行儀が悪かったかもしれない。

 

 そんなことを考えてから、いま気にするところではないと思い直す。

 

 左の前腕が痛む。

 

 最初に拳を流したところだ。指は動く。握りにも支障はない。

 

 五条の右手が上がった。

 

 三輪は刀を構え直した。

 

「三輪ちゃん」

 

「はい」

 

「さっき、僕の足、止めようとしたでしょ」

 

「……はい」

 

「腕じゃなくて?」

 

「腕もです。でも、あの位置で足を替えられると、また外へ出られるので」

 

 五条が自分の足元を見た。

 

 踏み込んだ跡と、引かれて削れた跡。

 

 その間を、三輪の細い靴跡が斜めに通っていた。

 

「そっか」

 

 五条は、目元の白い布へ指をかけた。

 

 ほどいた布を片手へまとめる。

 

 青い目が、まっすぐにこちらを見た。

 

 三輪は一度だけ、瞬きをした。

 

 綺麗だと思った。

 

 次に見たのは、その目ではなく、肩と、右手と、足の置き方だった。

 

「ここから、少し変えるね」

 

 五条の声は、よく通った。

 

 もう、合間に笑わせようとはしていなかった。

 

「分かりました」

 

 三輪は左足を、半足だけ寄せた。

 

 勝てると思っている。

 

 けれど、まだ勝っていない。

 

 だから、目の前の一手を間違えない。

 

 五条の指先に、呪力が集まった。

 

 三輪はその手と、背後の空間を同時に見た。

 

 今度は、どちらから来る。

 

 答えを待たず、足を動かした。

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