手合わせのあとも、授業と任務は続いた。
報告書の書き方で直される箇所は、少しずつ減った。五条との勝負について尋ねられる回数も、最初の頃よりは落ち着いた。
東堂との稽古は、歌姫が見ている時間に行った。
翌日、三輪は彼の足運びについて聞かれ、説明の途中で言葉に詰まり、結局、もう一度構えて見せることになった。
何もかも上手にできるようには、ならなかった。
山の木々から葉が落ち、朝、廊下へ出たときの空気が冷たくなる。
十二月の予定表が配られた日、三輪は用紙を鞄の外ポケットへ入れた。
家へ電話するとき、すぐに取り出せるように。
*
「帰ってくるの、いつ?」
電話に出た弟は、挨拶より先に尋ねた。
「まだ決まってないよ。だから、それを相談しようと思って」
三輪は寮の机に予定表を広げた。
授業の終わる日。
年末の待機予定。
休暇の申請欄は、まだ空いている。
「クリスマスは?」
「その日は、まだ分からないかな」
「じゃあ、お正月」
「うん。帰れるように、先生に聞いてみる」
向こうで、別の声がした。
貸して、という声と、まだ話してる、という声が重なる。
「順番にして。聞こえないよ」
三輪が笑うと、電話の向こうの二人も笑った。
下の弟は、最近の学校の話をした。上の弟は、帰ったら一緒に買い物へ行く約束を取りつけようとした。
「この前、筆箱送ったでしょ」
「使ってる。違うの」
「何?」
「一緒に見に行くの」
三輪はペンを止めた。
「……そっか」
欲しい物が決まっているのだと思った。
そうではなかったらしい。
「じゃあ、帰ったら行こう。あんまり高い物は買えないけど」
「見るだけでもいい」
「見るだけで済むかなあ」
また笑い声がした。
しばらくして、母へ代わった。
『忙しいんじゃないの』
「今は大丈夫。予定表もらったから」
『こっちへ送ってくれる分、増えてたでしょう。無理しなくていいんだよ』
「必要な分は残してるよ」
三輪は机の端の封筒を見た。
交通費と、帰省中に使うお金。
普段の分とは分けてある。
「それに、帰る分もちゃんとあるから」
『お土産はいいからね』
「まだ何も言ってないのに」
『考えてるでしょう』
考えていた。
駅で買うと少し高いので、学校から出られる日に店を見ておこうと思っていた。
三輪は返事をせず、予定表の隅へ小さく書いた。
帰省。買い物。
日付は、まだ入れなかった。
*
翌日の放課後、歌姫は三輪の申請用紙へ目を通した。
「移動の日も含めて、この日数でいいの?」
「はい。任務の予定が大丈夫でしたら」
「そちらは調整するわ。何かあれば、出発前に連絡します」
三輪は頭を下げた。
「ありがとうございます」
「家には、まだ確定じゃないと伝えてある?」
「はい」
歌姫は申請を受け取り、予定表へ印をつけた。
三輪はその手元を見ながら、少し迷った。
「あの」
「何?」
「帰る前に、もう一件くらいなら、任務に出られます」
歌姫のペンが止まる。
「休む分を、先に働いておこうとしてる?」
「……少し」
正直に答えると、歌姫は用紙を机へ置いた。
「必要な任務があれば、こちらから頼むわ。休暇の埋め合わせは要らない」
「はい」
「帰りの支度をしておきなさい。年末は、店も移動も混むでしょう」
三輪は頷いた。
もう一件、と言う前に、買い物へ行く日を決めればよかった。
職員室を出ながら手帳を開く。
消しゴムの跡が残った空欄へ、今度は自分の予定を書いた。
*
「それ、全部持って帰るのか」
教室で紙袋を広げていると、メカ丸が言った。
「全部ってほど、入ってないよ」
三輪は袋の口を少し閉じた。
箱入りの菓子が一つと、弟たちに買った小さな物が二つ。
菓子は個数と値段を見比べ、結局、いちばん日持ちするものにした。
「箱は大きいけど、軽いから」
「刀もあるだろう」
「うん。だから、こっちは鞄に入れる」
紙袋を畳み直す。
メカ丸の机には、整備の途中らしい小さな部品が並んでいた。
三輪は自分の席へ腰を下ろした。
「メカ丸は、冬休みどうするの?」
工具の動く音が止まった。
「……俺は」
三輪は顔を上げる。
メカ丸は机へ向いたままだった。
「帰省の予定は、ない」
「そっか」
帰る場所はどこなのか。
今は、どこから動かしているのか。
知らないことはいくつもあった。
けれど、尋ねれば全部答えてもらえるわけではない。そのくらいのことは、分かる。
三輪は畳んだ袋を鞄へしまった。
「私、弟と買い物に行く約束したんだけど」
「ああ」
「何を見たいのかは、教えてくれなくて。帰るまでに、ちょっと調べておこうかなって」
メカ丸が、ゆっくりとこちらへ向いた。
「本人に選ばせればいいだろう」
「うん。でも、店で全然分からないと困るし」
「分からなければ、聞けばいい」
「それだと、ずっと説明させちゃうかも」
「……説明したいんじゃないのか」
三輪は、少し黙った。
電話で、一緒に見に行くのだと言われたことを思い出す。
「そうかもしれない」
「なら、先に調べすぎるな」
「分かった。ちょっとだけにする」
メカ丸は工具を取り直した。
金属が触れる、小さな音が戻る。
三輪はしばらくそれを聞いてから、言った。
「帰ったら、写真、送ってもいい?」
メカ丸の顔が、もう一度こちらへ向く。
「何の」
「弟が、見せたい物を並べて待ってるらしくて。たぶん、机がすごいことになるから」
「俺に見せて、どうする」
「私だけだと、何が違うのか分からないかもしれない」
「俺にも分からん物はあるぞ」
「そのときは、一緒に分からないって言って」
少し間があった。
「……送るなら、見えるように撮れ」
三輪は笑った。
「うん。ちゃんと撮る」
*
その数日後、放課後の呼び出しがあった。
一年生だけではなかった。
加茂も、西宮も、東堂もいる。
全員が揃ったのを確かめてから、歌姫は扉を閉めた。
「夏油傑という呪詛師について、説明します」
三輪は膝の上で、手を揃えた。
名前には聞き覚えがある。
多数の一般人を殺害し、高専を追われた、特級の呪詛師。
歌姫は必要な経緯だけを説明した。
その男が東京校へ現れ、宣戦を告げたこと。
十二月二十四日の夜、新宿と京都へ、大量の呪霊を放つと予告したこと。
「百鬼夜行、と呼んでいるそうです」
教室の空気が変わった。
真依が椅子へ座り直した。
西宮は組んでいた腕をほどき、加茂は教卓の上の資料へ目を向けた。
三輪は、手帳の中の予定を思い浮かべた。
帰省。
まだ、切符は買っていない。
「予告だけで済むとは考えていません。京都側も、迎撃と避難の体制を組みます」
歌姫は市街の地図を広げた。
「具体的な配置は、このあと連絡するわ。それまでは、個別に呪詛師を追ったり、東京へ向かったりしないこと」
「敵の頭は、東京にいるんですか」
加茂が尋ねた。
「現時点で、当日の所在は断定できない。予告した場所だけが危険とも限りません」
歌姫は全員を見た。
「目の前で助けが必要な人を見つけたら、当然、対応する。でも、自分の持ち場を離れるなら連絡して。誰がどこを引き継ぐか、必ず確かめること」
三輪は頷いた。
刀を持って走れば、呪霊は斬れる。
けれど、そのあと、そこに残った人たちを誰が連れていくのか。
索道の任務で聞いた声を思い出した。
西宮の報告。加茂の指示。動ける人と、動けない人。
自分一人の速さだけで、全部の順番は決まらない。
「三輪」
歌姫に呼ばれ、顔を上げる。
「はい」
「帰省の件は、あとで個別に話しましょう」
「分かりました」
返事は、思っていたより普通に出た。
*
家へ電話をかける前に、三輪は帰省用の鞄を開いた。
畳んだ服。
菓子の箱。
持ち帰ろうとしていた教科書。
まだ荷造りの途中だったので、しまい直す手間はあまりなかった。
服だけを出し、箱はそのままにしておく。
電話は、母が出た。
「あのね。学校の予定が変わって」
そこまで言うと、母はすぐに、帰る日のこと、と尋ねた。
「うん。少し、決められなくなった」
休暇を永久に取り消されたわけではない。
ただ、事態がどう収まるか分からない以上、新しい日付は約束できなかった。
「決まったら、また連絡するね」
『分かった。二人にも言っておくから』
背後で、弟が何か尋ねた。
母の声が遠くなる。
少しして、代わるね、と言われた。
『帰れないの?』
「まだ、いつになるか分からなくて」
『買い物は?』
三輪は鞄の縁を指で押さえた。
「帰れた日に、行こう。お店が休みだったら、別の日でも」
向こうで考える気配がした。
『じゃあ、先に買わないで待ってる』
「欲しい物があるなら、買ってもいいんだよ」
『一緒に見るやつは、取っとく』
三輪は少し俯いた。
「うん。ありがとう」
電話を切っても、しばらく携帯電話を持っていた。
帰りたい。
口に出さなくても、その気持ちはあった。
明日また母へ電話して、少しだけ愚痴を言おうかと思った。
学校にいる間、家の予定を考えていいのだと、最近になって、やっと覚えたところだった。
三輪は手帳を開いた。
帰省の日付にだけ、線を引く。
その下の「買い物」は、消さなかった。
*
二十四日の配置が伝えられたのは、数日後だった。
京都市街。
三輪には、担当区域内の迎撃に加え、周辺で対応が困難になった地点へ移る役割が与えられた。
移動の判断には、現場からの報告を使う。
歌姫が連絡を取りまとめ、西宮が上空から状況を確かめる。加茂たちも、それぞれの区域を受け持つ。
三輪は地図へ目を落とした。
大きな通りから一本入った場所に、細い道がいくつもある。
逃げる人が一か所へ集まれば、かえって動けなくなる。
「ここへ移るとき、元の区域は誰に引き継ぎますか」
尋ねると、歌姫が地図の隣へ置いた一覧を示した。
「第一候補はこちら。連絡がつかなければ、次。勝手に空けないで、確認してから動いて」
「はい」
三輪は二つの連絡先を書き写した。
説明が終わり、皆が席を立つ。
メカ丸は、まだ地図を見ていた。
「ここを曲がれば近いが、道が狭い」
三輪のメモを指して言う。
「人がいたら、通れないか」
「遠回りでも、こちらを覚えておけ」
「うん」
三輪は別の道をなぞった。
メカ丸は、しばらくその指先を見ていた。
「帰る日は」
「え?」
「決め直したのか」
三輪は首を振った。
「終わってから、先生と相談する」
「……そうか」
メカ丸が地図から手を離す。
三輪はメモを畳み、鞄へ入れた。
「写真の約束は、そのままでいい?」
彼が顔を向けた。
「いつでもいい」
「うん」
教室を出る前に、三輪は壁の予定表を見た。
二十四日の欄には、集合時刻が書かれている。
帰省の鞄は、部屋で待っている。
菓子の賞味期限は、もう一度確かめておこう。
そう考えてから、三輪は明日の稽古場へ向かった。