十二月二十四日。
通りの向こうで、クリスマスの曲が流れていた。
三輪は歩道の端で足を止め、腕時計を見た。店から出てきた家族連れが、彼女の前を通り過ぎる。
子供の手に、小さな紙袋が揺れていた。
『配置、確認します』
耳元で、歌姫の声がした。
三輪は通信機へ指を添える。
「三輪、配置についています。避難誘導の方とも合流しました」
傍らの補助監督が頷いた。
藤村だった。索道の任務で、一度一緒になった人だ。
「裏の通りは、こちらで案内します」
「お願いします」
三輪は刀袋から刀を取り出した。
藤村が前へ出る。通行人へ声をかけ、店の人に事前の取り決めを確かめていく。
曲が、途中で止まった。
店内の誰かが音量を下げたのだろうと思った。
次の瞬間、向かいの建物の屋上から、黒いものが溢れた。
*
最初の呪霊は、歩道へ落ちる前に斬った。
三輪が踏み込んだとき、藤村はもう、人の列を裏通りへ向け始めていた。
頭上から二体。
地面を這って一体。
三輪は刀を戻し切らず、落ちてくる二体へ刃を返した。腰を落としたまま、右足を引く。這ってきた呪霊の口が、足のあった場所を噛んだ。
その首を断つ。
刀を立てると、向こう側から走ってくる人が見えた。
「こちらへ! 止まらず、角を曲がってください!」
見えている人も、見えていない人もいた。
何が起きたか分からないまま、皆が逃げている。
列から外れた男が、車道へ飛び出しかけた。
三輪はその進路へ回り、腕を伸ばした。
「そっちは危ないです。こちらへ」
男の靴が滑る。
支えて立たせた背中の向こうで、街路灯が曲がった。
長い腕が、その柱を握っている。
三輪は男を藤村へ預け、刀を持ち直した。
腕が振り下ろされる。
その先を避け、肘の内側へ入る。斬る。踏み越える。
切断された腕が落ちるより先に、三輪の刃は胴の中央へ通っていた。
黒い塊が崩れる。
倒れかけた街路灯を見上げ、三輪は支柱の曲がった箇所へ手を添えた。
「ここ、通さないでください!」
藤村が人の流れを外へ振る。
最後の一人が離れたのを確かめてから、三輪は柱を車道側へ倒した。
乾いた音が、通りへ響いた。
『三輪、状況は』
「交差点南側、避難継続中です。呪霊の流入は、屋上から。こちらは対応できます」
言い終わる前に、屋根の縁がまた黒くなった。
三輪はそちらへ向き直った。
*
『東の通り、大型を確認。そちらへは行かせん』
加茂の報告に、別の方向から轟音が重なった。
『西側の集団は俺がやる。道を空けておけ!』
東堂の声だった。
西宮が上空から、避難路へ近づく呪霊の位置を伝える。
歌姫の返答は短い。
場所と、誰が向かうかと、そこを誰が引き受けるか。
三輪は刀を振りながら聞いていた。
交差点へ入ってきた呪霊を、次のものと重ねない。
先頭を斬り、脇へ出る。後ろの足を断って進路をずらし、残ったものを歩道から遠ざける。
大きく振れば、広く倒せるわけではなかった。
人がいる。
店の窓があり、逃げ遅れた人がいないか確かめている藤村がいる。
三輪の刀は、その間を通った。
左から来た小さな呪霊が、頭を潰されて消える。
銃声が、一拍遅れて耳へ届いた。
「こっち、引き継ぐ」
真依が歩道の端へ立っていた。
後ろには、別の術師が二人いる。
『三輪、北側へ移動を。立体駐車場に取り残された人がいる。西宮の案内で向かって』
歌姫の指示を聞き、三輪は真依を見る。
「屋上から、まだ来てる」
「聞いてる。あんたが行ったら、こっちは道を閉じて下がるから」
真依は銃口を上げた。
「早く行きなさい」
三輪は頷いた。
「お願いします」
交差点を離れる直前、もう一度だけ振り返る。
藤村が避難を終えた店の扉を確かめ、真依がその先を見ていた。
任せられる。
三輪は、北へ走った。
*
『次の角、右は駄目。人が詰まってる』
西宮の声に、三輪は足を止めず、一本先の道へ回った。
メカ丸と地図で確かめた、遠回りの道だった。
屋根の上を、何かが追ってくる。
三輪が見上げる前に、突風が通り抜けた。
黒い羽が何枚も散り、上空に箒の影が見える。
『前を見て。上は私が見る』
「ありがとうございます!」
駐車場の入口には、車が斜めに止まっていた。
その脇で、メカ丸が片腕を上げている。
「三階に六人。階段は、内側から塞がれている」
「呪霊?」
「それもいる。だが、車の落ち方がおかしい。下の出口へ寄せてある」
三輪は入口の上を見た。
コンクリートに、細いものが何本も貼りついていた。
糸に似ているが、風で動かない。
建物の中へ、続いている。
『三輪。駐車場の東側、外から壁に近づいてる人影がある』
西宮の報告。
三輪は、入口の縁に貼られた紙片を見つけた。
そこだけ、呪力の流れが違う。
「人を中へ集めて、出口を塞いでる」
言葉にすると、メカ丸が東側へ顔を向けた。
「そちらは俺が止める。中へ行け」
「分かった」
通信の向こうで、歌姫が応援を回すと答えた。
三輪は車のボンネットへ足をかけ、入口を越えた。
*
中は暗かった。
非常灯の光が、赤く床へ落ちている。
下り坂の途中に、腹を上にした車があった。その下から、何本もの脚が伸びている。
三輪が近づくと、脚が一斉に動いた。
車が持ち上がる。
投げるつもりだ。
三輪は、その下へ入った。
車を支える脚を二本、低い位置で断つ。
傾いた車の下を抜け、残る脚の付け根へ刃を返す。
車体が床を叩いた。
呪霊の胴は、その音の向こうで崩れた。
坂を上がる。
二階に、腹の長い呪霊がいた。梁へ幾重にも巻きつき、奥へ続く道を塞いでいる。
三輪は足を緩めなかった。
開いた口から、針のようなものが飛ぶ。
身体の周囲へ、簡易領域を絞って開く。
侵入を捉えた刀が動く。
針を払った刃が、そのまま下へ戻った。
噛みついてきた口の横へ踏み込む。
一太刀。
梁を巻いた胴が、力を失った。
三輪は崩れる前にその向こうへ出て、三階へ声をかけた。
「助けに来ました! どこにいますか!」
「こっち!」
柱の陰から、男の声がした。
六人。
子供が二人、大人が四人。うち一人は、足を押さえて座っていた。
三輪が近づくと、頭上で、きしむ音がした。
天井を覆っていた糸が動いている。
その中央に、人の顔に似た膨らみがあった。
*
床へ降りた糸が、駐車した車を引いた。
三輪は逃げ遅れた人たちの前へ立つ。
右の車。左の車。
引かれる向きと、人がいる位置を見る。
糸を片側から切れば、もう片側の力で車が横へ振れる。
その先には子供がいた。
「皆さん、柱の後ろへ。動ける方は、この方を支えてください」
足を押さえた女性へ目を向けると、隣の男性が頷いた。
「合図したら、階段へ行きます」
天井の顔が口を開けた。
糸が、三輪へ落ちる。
三輪は前へ出た。
最初の束を斬る。左右へ広がる二束の間を抜け、その根元へ届く位置まで踏み込む。
右足を軸に、刃を返した。
左右の車を引いていた糸が、ほとんど同時に切れる。
タイヤが床を擦り、二台が止まった。
まだ、天井には何本も残っている。
三輪は柱の下を走った。
呪霊が新しい糸を伸ばす。
それが人に届く前に、三輪の刃が進路を横切った。
踏む場所は、一つ先まで決めてある。
束を斬り、車止めへ足をかけ、背の低い車の屋根へ上がる。
天井の顔が、引っ込もうとした。
遅い。
伸ばし切った糸が戻るより先に、三輪は跳んでいた。
切っ先を、膨らみの下へ入れる。
刃筋を立て、両手で引き抜いた。
呪霊が裂けた。
天井へ貼りついていた糸が、一斉に張りを失う。
三輪は着地し、刀を上げたまま周囲を確かめた。
動くものはない。
車も止まっている。
柱の陰から、子供が顔を出した。
「……もう、いい?」
三輪は頷いた。
「はい。歩けますか?」
子供は、隣の大人の手を握り直した。
*
階段を塞いでいたのは、折れた手すりと、引き倒された案内板だった。
三輪は手すりの絡んだ箇所を切り、板を壁へ寄せた。
下から、応援の術師が上がってくる。
「負傷者が一人です。足を痛めています」
「引き受ける。上は?」
「確認した範囲の呪霊は祓いました。屋上と、車の中の確認をお願いします」
三輪は六人が下り始めるのを見届け、入口へ戻った。
メカ丸の足元に、人が座らされていた。
両手は後ろへ拘束され、傍らで別の術師が所持品を調べている。
男は三輪を見ると、顔を上げた。
足元の袋に、入口と同じ紙片が入っていた。
「……もう、出てきたのか」
三輪は答えず、メカ丸を見る。
「怪我は?」
「問題ない。こいつが、外から呪具を仕掛けていた」
メカ丸の肩には、浅い傷があった。
動作に支障がないことを確かめてから、三輪は通信機へ手を添えた。
「駐車場、六人を救出。現在、屋上と車内を確認中です。呪詛師一名を確保しました」
『了解。三輪はその場で待機。次の移動先を確認します』
男が、短く笑った。
「あっちもこっちも、大変だな」
三輪は男へ目を向けた。
「これを仕掛けたのは、あなたですか」
「どうせ、そいつが言ったんだろう」
「中に、人がいました」
男の笑いが止まる。
三輪は声を荒らげなかった。
まだ確認していない車がある。今、聞きたいのはそこだった。
「ほかに、何を仕掛けましたか」
拘束した術師も男へ向き直り、問いを引き継いだ。
三輪は一歩離れた。
自分がどこへ動くかを見て、人のいる場所へ手を出している。
それは、分かった。
けれど、この男が計画のどこまで知っているのかは分からない。東京で何が起きているのかも、ここからは見えなかった。
『三輪、西側へ向かって。駐車場はこちらの班で引き継げます』
歌姫の声に、三輪は顔を上げた。
「はい」
メカ丸が、通りの向こうを示す。
「合流地点まで、道は空いている」
「そっちは?」
「このまま北側を見る。西宮の報告も聞こえている」
三輪は頷き、走り出した。
*
西側の通りには、大きな呪霊の残骸があった。
消えていくその向こうで、東堂が肩を回している。
「遅いぞ、三輪」
「すみません。引き継ぎに来ました」
「奥の大物は片づけた。細かいのが、まだ裏へ回っている」
東堂は顎で建物の並びを示した。
その隣で、加茂が矢をつがえる。
「裏手の避難が終わっていない。私が出口側を押さえる。三輪、内側を頼む」
「はい」
矢が飛ぶ。
路地を横切ろうとした呪霊が、壁際へ縫い止められた。
三輪はその横を抜けた。
店の裏口に、数人が固まっている。
足元へ伸びていた腕を斬り、戸口と人の間へ身体を入れた。
「こちらから出られます。前の方についていってください」
加茂の声が、出口から返ってくる。
上から、西宮が次の位置を知らせる。
三輪は刀を引き、襲いかかった呪霊を斬った。
もう一体。
壁を這う一体。
最後の人が路地を抜けるまで、刃の届く範囲へ入ってくるものは、すべてそこで落ちた。
*
やがて、新しい呪霊の流入が細くなった。
なくなったと判断するには、まだ早い。
三輪は閉まった店の前で足を止め、息を整えた。
腕は動く。
刃にも、異常はない。
通信機から、各区域の報告が聞こえた。
避難完了。負傷者搬送。残存する呪霊の確認。
真依の声も、メカ丸の声もある。
三輪は刀を納めず、通りを見渡した。
割れた窓の内側に、小さな飾りがぶら下がっていた。
星の形をした紙だった。
さっきまで店の中にいたのだろう人たちは、今はもう、誘導先へ移っている。
『三輪、次の区画を確認します。北へ二百メートル、店舗裏の通路』
「分かりました」
返事をして、歩き出す。
その先で、一つ、扉が開いた。
年配の女性が、恐る恐る顔を覗かせている。
「もう、出てもいいんでしょうか」
三輪は足を止めた。
刀を持つ手を少し下げ、相手の見えるところへ立つ。
「ご案内します。ほかに、中にいらっしゃる方は?」
まだ、夜は終わっていなかった。