三輪霞は、剣だけでいい   作:ケーケーケー

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第十六話 京都の百鬼夜行

 

 十二月二十四日。

 

 通りの向こうで、クリスマスの曲が流れていた。

 

 三輪は歩道の端で足を止め、腕時計を見た。店から出てきた家族連れが、彼女の前を通り過ぎる。

 

 子供の手に、小さな紙袋が揺れていた。

 

『配置、確認します』

 

 耳元で、歌姫の声がした。

 

 三輪は通信機へ指を添える。

 

「三輪、配置についています。避難誘導の方とも合流しました」

 

 傍らの補助監督が頷いた。

 

 藤村だった。索道の任務で、一度一緒になった人だ。

 

「裏の通りは、こちらで案内します」

 

「お願いします」

 

 三輪は刀袋から刀を取り出した。

 

 藤村が前へ出る。通行人へ声をかけ、店の人に事前の取り決めを確かめていく。

 

 曲が、途中で止まった。

 

 店内の誰かが音量を下げたのだろうと思った。

 

 次の瞬間、向かいの建物の屋上から、黒いものが溢れた。

 

     *

 

 最初の呪霊は、歩道へ落ちる前に斬った。

 

 三輪が踏み込んだとき、藤村はもう、人の列を裏通りへ向け始めていた。

 

 頭上から二体。

 

 地面を這って一体。

 

 三輪は刀を戻し切らず、落ちてくる二体へ刃を返した。腰を落としたまま、右足を引く。這ってきた呪霊の口が、足のあった場所を噛んだ。

 

 その首を断つ。

 

 刀を立てると、向こう側から走ってくる人が見えた。

 

「こちらへ! 止まらず、角を曲がってください!」

 

 見えている人も、見えていない人もいた。

 

 何が起きたか分からないまま、皆が逃げている。

 

 列から外れた男が、車道へ飛び出しかけた。

 

 三輪はその進路へ回り、腕を伸ばした。

 

「そっちは危ないです。こちらへ」

 

 男の靴が滑る。

 

 支えて立たせた背中の向こうで、街路灯が曲がった。

 

 長い腕が、その柱を握っている。

 

 三輪は男を藤村へ預け、刀を持ち直した。

 

 腕が振り下ろされる。

 

 その先を避け、肘の内側へ入る。斬る。踏み越える。

 

 切断された腕が落ちるより先に、三輪の刃は胴の中央へ通っていた。

 

 黒い塊が崩れる。

 

 倒れかけた街路灯を見上げ、三輪は支柱の曲がった箇所へ手を添えた。

 

「ここ、通さないでください!」

 

 藤村が人の流れを外へ振る。

 

 最後の一人が離れたのを確かめてから、三輪は柱を車道側へ倒した。

 

 乾いた音が、通りへ響いた。

 

『三輪、状況は』

 

「交差点南側、避難継続中です。呪霊の流入は、屋上から。こちらは対応できます」

 

 言い終わる前に、屋根の縁がまた黒くなった。

 

 三輪はそちらへ向き直った。

 

     *

 

『東の通り、大型を確認。そちらへは行かせん』

 

 加茂の報告に、別の方向から轟音が重なった。

 

『西側の集団は俺がやる。道を空けておけ!』

 

 東堂の声だった。

 

 西宮が上空から、避難路へ近づく呪霊の位置を伝える。

 

 歌姫の返答は短い。

 

 場所と、誰が向かうかと、そこを誰が引き受けるか。

 

 三輪は刀を振りながら聞いていた。

 

 交差点へ入ってきた呪霊を、次のものと重ねない。

 

 先頭を斬り、脇へ出る。後ろの足を断って進路をずらし、残ったものを歩道から遠ざける。

 

 大きく振れば、広く倒せるわけではなかった。

 

 人がいる。

 

 店の窓があり、逃げ遅れた人がいないか確かめている藤村がいる。

 

 三輪の刀は、その間を通った。

 

 左から来た小さな呪霊が、頭を潰されて消える。

 

 銃声が、一拍遅れて耳へ届いた。

 

「こっち、引き継ぐ」

 

 真依が歩道の端へ立っていた。

 

 後ろには、別の術師が二人いる。

 

『三輪、北側へ移動を。立体駐車場に取り残された人がいる。西宮の案内で向かって』

 

 歌姫の指示を聞き、三輪は真依を見る。

 

「屋上から、まだ来てる」

 

「聞いてる。あんたが行ったら、こっちは道を閉じて下がるから」

 

 真依は銃口を上げた。

 

「早く行きなさい」

 

 三輪は頷いた。

 

「お願いします」

 

 交差点を離れる直前、もう一度だけ振り返る。

 

 藤村が避難を終えた店の扉を確かめ、真依がその先を見ていた。

 

 任せられる。

 

 三輪は、北へ走った。

 

     *

 

『次の角、右は駄目。人が詰まってる』

 

 西宮の声に、三輪は足を止めず、一本先の道へ回った。

 

 メカ丸と地図で確かめた、遠回りの道だった。

 

 屋根の上を、何かが追ってくる。

 

 三輪が見上げる前に、突風が通り抜けた。

 

 黒い羽が何枚も散り、上空に箒の影が見える。

 

『前を見て。上は私が見る』

 

「ありがとうございます!」

 

 駐車場の入口には、車が斜めに止まっていた。

 

 その脇で、メカ丸が片腕を上げている。

 

「三階に六人。階段は、内側から塞がれている」

 

「呪霊?」

 

「それもいる。だが、車の落ち方がおかしい。下の出口へ寄せてある」

 

 三輪は入口の上を見た。

 

 コンクリートに、細いものが何本も貼りついていた。

 

 糸に似ているが、風で動かない。

 

 建物の中へ、続いている。

 

『三輪。駐車場の東側、外から壁に近づいてる人影がある』

 

 西宮の報告。

 

 三輪は、入口の縁に貼られた紙片を見つけた。

 

 そこだけ、呪力の流れが違う。

 

「人を中へ集めて、出口を塞いでる」

 

 言葉にすると、メカ丸が東側へ顔を向けた。

 

「そちらは俺が止める。中へ行け」

 

「分かった」

 

 通信の向こうで、歌姫が応援を回すと答えた。

 

 三輪は車のボンネットへ足をかけ、入口を越えた。

 

     *

 

 中は暗かった。

 

 非常灯の光が、赤く床へ落ちている。

 

 下り坂の途中に、腹を上にした車があった。その下から、何本もの脚が伸びている。

 

 三輪が近づくと、脚が一斉に動いた。

 

 車が持ち上がる。

 

 投げるつもりだ。

 

 三輪は、その下へ入った。

 

 車を支える脚を二本、低い位置で断つ。

 

 傾いた車の下を抜け、残る脚の付け根へ刃を返す。

 

 車体が床を叩いた。

 

 呪霊の胴は、その音の向こうで崩れた。

 

 坂を上がる。

 

 二階に、腹の長い呪霊がいた。梁へ幾重にも巻きつき、奥へ続く道を塞いでいる。

 

 三輪は足を緩めなかった。

 

 開いた口から、針のようなものが飛ぶ。

 

 身体の周囲へ、簡易領域を絞って開く。

 

 侵入を捉えた刀が動く。

 

 針を払った刃が、そのまま下へ戻った。

 

 噛みついてきた口の横へ踏み込む。

 

 一太刀。

 

 梁を巻いた胴が、力を失った。

 

 三輪は崩れる前にその向こうへ出て、三階へ声をかけた。

 

「助けに来ました! どこにいますか!」

 

「こっち!」

 

 柱の陰から、男の声がした。

 

 六人。

 

 子供が二人、大人が四人。うち一人は、足を押さえて座っていた。

 

 三輪が近づくと、頭上で、きしむ音がした。

 

 天井を覆っていた糸が動いている。

 

 その中央に、人の顔に似た膨らみがあった。

 

     *

 

 床へ降りた糸が、駐車した車を引いた。

 

 三輪は逃げ遅れた人たちの前へ立つ。

 

 右の車。左の車。

 

 引かれる向きと、人がいる位置を見る。

 

 糸を片側から切れば、もう片側の力で車が横へ振れる。

 

 その先には子供がいた。

 

「皆さん、柱の後ろへ。動ける方は、この方を支えてください」

 

 足を押さえた女性へ目を向けると、隣の男性が頷いた。

 

「合図したら、階段へ行きます」

 

 天井の顔が口を開けた。

 

 糸が、三輪へ落ちる。

 

 三輪は前へ出た。

 

 最初の束を斬る。左右へ広がる二束の間を抜け、その根元へ届く位置まで踏み込む。

 

 右足を軸に、刃を返した。

 

 左右の車を引いていた糸が、ほとんど同時に切れる。

 

 タイヤが床を擦り、二台が止まった。

 

 まだ、天井には何本も残っている。

 

 三輪は柱の下を走った。

 

 呪霊が新しい糸を伸ばす。

 

 それが人に届く前に、三輪の刃が進路を横切った。

 

 踏む場所は、一つ先まで決めてある。

 

 束を斬り、車止めへ足をかけ、背の低い車の屋根へ上がる。

 

 天井の顔が、引っ込もうとした。

 

 遅い。

 

 伸ばし切った糸が戻るより先に、三輪は跳んでいた。

 

 切っ先を、膨らみの下へ入れる。

 

 刃筋を立て、両手で引き抜いた。

 

 呪霊が裂けた。

 

 天井へ貼りついていた糸が、一斉に張りを失う。

 

 三輪は着地し、刀を上げたまま周囲を確かめた。

 

 動くものはない。

 

 車も止まっている。

 

 柱の陰から、子供が顔を出した。

 

「……もう、いい?」

 

 三輪は頷いた。

 

「はい。歩けますか?」

 

 子供は、隣の大人の手を握り直した。

 

     *

 

 階段を塞いでいたのは、折れた手すりと、引き倒された案内板だった。

 

 三輪は手すりの絡んだ箇所を切り、板を壁へ寄せた。

 

 下から、応援の術師が上がってくる。

 

「負傷者が一人です。足を痛めています」

 

「引き受ける。上は?」

 

「確認した範囲の呪霊は祓いました。屋上と、車の中の確認をお願いします」

 

 三輪は六人が下り始めるのを見届け、入口へ戻った。

 

 メカ丸の足元に、人が座らされていた。

 

 両手は後ろへ拘束され、傍らで別の術師が所持品を調べている。

 

 男は三輪を見ると、顔を上げた。

 

 足元の袋に、入口と同じ紙片が入っていた。

 

「……もう、出てきたのか」

 

 三輪は答えず、メカ丸を見る。

 

「怪我は?」

 

「問題ない。こいつが、外から呪具を仕掛けていた」

 

 メカ丸の肩には、浅い傷があった。

 

 動作に支障がないことを確かめてから、三輪は通信機へ手を添えた。

 

「駐車場、六人を救出。現在、屋上と車内を確認中です。呪詛師一名を確保しました」

 

『了解。三輪はその場で待機。次の移動先を確認します』

 

 男が、短く笑った。

 

「あっちもこっちも、大変だな」

 

 三輪は男へ目を向けた。

 

「これを仕掛けたのは、あなたですか」

 

「どうせ、そいつが言ったんだろう」

 

「中に、人がいました」

 

 男の笑いが止まる。

 

 三輪は声を荒らげなかった。

 

 まだ確認していない車がある。今、聞きたいのはそこだった。

 

「ほかに、何を仕掛けましたか」

 

 拘束した術師も男へ向き直り、問いを引き継いだ。

 

 三輪は一歩離れた。

 

 自分がどこへ動くかを見て、人のいる場所へ手を出している。

 

 それは、分かった。

 

 けれど、この男が計画のどこまで知っているのかは分からない。東京で何が起きているのかも、ここからは見えなかった。

 

『三輪、西側へ向かって。駐車場はこちらの班で引き継げます』

 

 歌姫の声に、三輪は顔を上げた。

 

「はい」

 

 メカ丸が、通りの向こうを示す。

 

「合流地点まで、道は空いている」

 

「そっちは?」

 

「このまま北側を見る。西宮の報告も聞こえている」

 

 三輪は頷き、走り出した。

 

     *

 

 西側の通りには、大きな呪霊の残骸があった。

 

 消えていくその向こうで、東堂が肩を回している。

 

「遅いぞ、三輪」

 

「すみません。引き継ぎに来ました」

 

「奥の大物は片づけた。細かいのが、まだ裏へ回っている」

 

 東堂は顎で建物の並びを示した。

 

 その隣で、加茂が矢をつがえる。

 

「裏手の避難が終わっていない。私が出口側を押さえる。三輪、内側を頼む」

 

「はい」

 

 矢が飛ぶ。

 

 路地を横切ろうとした呪霊が、壁際へ縫い止められた。

 

 三輪はその横を抜けた。

 

 店の裏口に、数人が固まっている。

 

 足元へ伸びていた腕を斬り、戸口と人の間へ身体を入れた。

 

「こちらから出られます。前の方についていってください」

 

 加茂の声が、出口から返ってくる。

 

 上から、西宮が次の位置を知らせる。

 

 三輪は刀を引き、襲いかかった呪霊を斬った。

 

 もう一体。

 

 壁を這う一体。

 

 最後の人が路地を抜けるまで、刃の届く範囲へ入ってくるものは、すべてそこで落ちた。

 

     *

 

 やがて、新しい呪霊の流入が細くなった。

 

 なくなったと判断するには、まだ早い。

 

 三輪は閉まった店の前で足を止め、息を整えた。

 

 腕は動く。

 

 刃にも、異常はない。

 

 通信機から、各区域の報告が聞こえた。

 

 避難完了。負傷者搬送。残存する呪霊の確認。

 

 真依の声も、メカ丸の声もある。

 

 三輪は刀を納めず、通りを見渡した。

 

 割れた窓の内側に、小さな飾りがぶら下がっていた。

 

 星の形をした紙だった。

 

 さっきまで店の中にいたのだろう人たちは、今はもう、誘導先へ移っている。

 

『三輪、次の区画を確認します。北へ二百メートル、店舗裏の通路』

 

「分かりました」

 

 返事をして、歩き出す。

 

 その先で、一つ、扉が開いた。

 

 年配の女性が、恐る恐る顔を覗かせている。

 

「もう、出てもいいんでしょうか」

 

 三輪は足を止めた。

 

 刀を持つ手を少し下げ、相手の見えるところへ立つ。

 

「ご案内します。ほかに、中にいらっしゃる方は?」

 

 まだ、夜は終わっていなかった。

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