三輪霞は、剣だけでいい   作:ケーケーケー

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第十七話 帰れた人と、帰らない人

 

 扉の奥には、もう一人いた。

 

 年配の女性が振り返って声をかけると、店の奥から、杖をついた男性が出てきた。

 

「すみません。脚が悪いもので」

 

「急がなくて大丈夫です。段差だけ、気をつけてください」

 

 三輪は戸口の破片を靴で端へ寄せた。

 

 先ほどまで、ここを走って通った。

 

 扉が開かなければ、中に人がいると分からなかったかもしれない。

 

「ずっと、こちらに?」

 

「ええ。外へ出るなって聞こえたものですから」

 

 女性は三輪の刀へ目を落とし、それから、すぐに顔へ戻した。

 

 三輪は店の名前と人数を通信で伝えた。

 

 返ってきた案内に従い、二人を大通りの手前まで連れていく。

 

 そこには、藤村がいた。

 

「こちらでお預かりします」

 

「お願いします。奥の通路は、これから確認します」

 

 男性が、頭を下げかけた。

 

 杖が少し浮き、女性がその肘を支える。

 

「そのままで、大丈夫です」

 

 三輪も小さく頭を下げた。

 

 二人がゆっくり離れていくのを見てから、店の並ぶ通路へ向き直る。

 

 次の扉は閉まっていた。

 

 三輪は、今度は足を止めて叩いた。

 

     *

 

 最後に抜いたのは、倉庫の天井裏へ逃げ込んでいた呪霊を祓うためだった。

 

 棚の向こうへ下がってもらい、梁へ届く位置から一度だけ跳ぶ。

 

 刃が通る。

 

 降りてきたときには、もう、棚を揺らしていた音は消えていた。

 

 三輪は周囲を確かめ、刀を納めた。

 

 鍔が鞘へ触れる音が、思っていたより大きく聞こえた。

 

『三輪、そちらの確認が終わったら交代です。集合地点へ戻って』

 

「はい。倉庫内に二人。お怪我はありません。出口までご案内してから戻ります」

 

 歌姫が了承する。

 

 倉庫の男性は何度も礼を言いながら、床へ落ちた商品を拾いかけた。

 

「あの、お荷物は、あとで。まず、ご一緒に」

 

「ああ……そうですね」

 

 男性は手を引っ込めた。

 

 割れた箱を見つめる、その横顔を覚えた。

 

 呪霊がいなくなっても、元どおりにはならないものが、通りのあちこちに残っていた。

 

     *

 

 集合地点の一角に、長机が出ていた。

 

 戻った者が名前を伝え、怪我の有無を聞かれている。

 

 三輪も自分の名前を言い、診てもらってから、通行の邪魔にならない場所へ下がった。

 

 指先が少し冷たい。

 

 手袋を外して、両手を擦る。

 

「ほら」

 

 真依が、温かい缶を差し出した。

 

「ありがとうございます」

 

「何で敬語なの」

 

「……あ。ありがとう」

 

 三輪は受け取り、両手で包んだ。

 

 真依は隣へ座ると、自分の缶を開けた。

 

 しばらく、二人とも話さなかった。

 

 少し先では、家族と連絡の取れない人が、補助監督へ何かを説明していた。

 

 同じ名前を、何度も繰り返している。

 

 三輪が腰を浮かせると、真依もそちらを見た。

 

「今、聞いてるでしょ」

 

「うん」

 

「同じこと、二回言わせることになるわよ」

 

 三輪は座り直した。

 

 助けが必要なのは分かる。

 

 けれど、刀を持って近づけばいいわけではなかった。

 

 やがて補助監督が別の用紙を持って戻り、その人を机の向こうへ案内した。

 

 三輪はそこまで見てから、缶を開けた。

 

 甘い匂いがした。

 

「……甘い」

 

「飲む前から分かるでしょ」

 

「でも、おいしい」

 

 真依は返事をせず、自分の缶へ口をつけた。

 

     *

 

 東京からの知らせは、いくつかに分かれて届いた。

 

 新宿側の戦闘が収束へ向かっていること。

 

 東京校でも戦闘が起きたこと。

 

 乙骨たちには生存の確認が取れており、負傷者の治療が行われていること。

 

 三輪は、最後の説明で顔を上げた。

 

 白い制服。

 

 刀の握りを確かめながら話した、控えめな声。

 

 真希も、狗巻も、パンダも、あの学校にいる。

 

「詳しいことは、確認が済んでから伝えます」

 

 歌姫は資料を閉じた。

 

「皆の担当区域も、まだ確認が続いてる。今分かっていることだけを、報告書へ残してね」

 

 三輪は頷いた。

 

 自分が見た範囲と、人から聞いたことを、分けて書く。

 

 何度も直された書き方だった。

 

 膝の上で用紙を広げる。

 

 駐車場の六人は、全員が搬送先か避難先へ移ったと、すでに連絡を受けていた。

 

 最後に案内した倉庫の二人も、確認が取れている。

 

 一つずつ書いていく。

 

 途中で、名前を知らない人が何人もいることに気づいた。

 

 子供の手を引いていた人。

 

 足を痛めていた女性を支えた人。

 

 助けたときの顔は覚えているのに、名前は知らなかった。

 

 三輪は、引き継いだ場所をできるだけ正確に書いた。

 

     *

 

 高専へ戻った頃には、日付が変わっていた。

 

 歌姫に報告書を渡し、刀の状態を確かめる。

 

 手入れを済ませて顔を上げると、廊下の先から小さな金属音が聞こえた。

 

 メカ丸が、肩の傷を確かめていた。

 

「そこ、自分で直せるの?」

 

 三輪が声をかけると、彼は顔を向けた。

 

「表面だけだ。中は明日見る」

 

「そっか」

 

「お前も、もう休め」

 

「うん。その前に、お礼だけ」

 

 メカ丸の手が止まった。

 

「駐車場で、外を見ててくれて、ありがとう。中の人、全員出られたって」

 

「聞いた」

 

「うん」

 

 そこで話は終わるはずだった。

 

 けれど、メカ丸は工具を置いた。

 

「……六人だったな」

 

「うん。上にいたのは、六人」

 

「見落としていなくて、よかった」

 

 三輪は彼を見た。

 

 入口で伝えられた人数。

 

 その数字を、彼もずっと覚えていたのだと分かった。

 

「ほかの階も、確認してもらったよ」

 

「そうか」

 

 メカ丸はもう一度だけ頷いた。

 

 三輪は壁際へ寄り、刀袋を持ち直した。

 

「今日ね、最後の方、お店に残ってた人を案内したんだけど」

 

「ああ」

 

「私、走ってるとき、そこの扉、見てなかった」

 

 黙って聞いている気配があった。

 

「外からは分からなかった。開けてもらって、初めて、中に人がいるって分かったの」

 

「だから、確認して回ったんだろう」

 

「うん」

 

「なら、次もそうすればいい」

 

 三輪は目を伏せ、少し息を吐いた。

 

「……うん。そうする」

 

 答えは短かった。

 

 短く言ってもらえて、助かった。

 

 メカ丸が、こちらを見る。

 

「怪我はないんだな」

 

「さっき、診てもらった。大丈夫」

 

「分かった」

 

 それを聞いてから、彼は工具をしまい始めた。

 

 三輪も刀袋を肩へかけた。

 

「おやすみ」

 

「ああ」

 

     *

 

 足音が廊下から消えても、与幸吉はしばらく、傀儡の視界を切らなかった。

 

 誰もいない廊下。

 

 遠くで閉まる扉の音。

 

 自分のいる部屋には、夜明けを知らせる窓もなかった。

 

 身体の置き方を少し変えるだけで、痛みが走る。

 

 彼は息を止め、収まるのを待った。

 

 傀儡の肩の傷は、自分の傷ではない。

 

 あの場所で三輪の顔を見て話しても、自分がそこへ立っていたことにはならない。

 

 それでも、声は聞けた。

 

 人数を告げたときの返事も、戻ってきてからの礼も。

 

 無事だと言う、その声も。

 

 直接見て確かめられる日が、いつか来るだろうか。

 

 幸吉は、閉じた扉へカメラを向けたまま、もう一度、さっきの会話を思い返した。

 

     *

 

 夏油傑の死亡が伝えられたのは、そのあとだった。

 

 三輪は教室で、歌姫の説明を聞いた。

 

 百鬼夜行を起こした呪詛師は死亡した。

 

 協力した者の一部は拘束され、一部は逃走している。残る呪霊と被害の確認も続く。

 

 それ以上の詳しい経緯は、まだ知らされなかった。

 

 三輪も、どう倒されたのかを尋ねなかった。

 

 東京校での戦闘。

 

 負傷した生徒たち。

 

 そして、死んだ人の名前。

 

 順番に聞いても、頭の中で、まだ一つの出来事にならなかった。

 

「五条先生は」

 

 気づくと、口に出していた。

 

「ご無事なんですよね」

 

「ええ」

 

 歌姫が答えた。

 

 三輪は頷いた。

 

 携帯電話には、あのとき撮ってもらった写真が入っている。

 

 連絡先を開きかけて、やめた。

 

 何と送ればいいのか、まだ言葉が見つからなかった。

 

     *

 

 京都の学生たちが知ったのは、そこまでだった。

 

 夏油傑の遺体が、誰の手を経て、どこへ運ばれたのか。

 

 通常の処理から外れたその行方を、三輪が知る機会はなかった。

 

 やがて、その肉体が再び目を開けたとき、額には縫合の跡があった。

 

 身体を動かす者は、もう、夏油傑ではなかった。

 

 指を曲げる。

 

 掌へ集まる呪力と、そこへ刻まれた術式の感触を、ゆっくりと確かめる。

 

 羂索は、まだ誰もその名を呼ばない場所で、借りた身体を起こした。

 

     *

 

 帰省の日が決まるまで、さらに数日かかった。

 

 追加の聞き取りと、担当区域の確認。

 

 三輪の分が終わると、歌姫は改めて休暇の用紙を返した。

 

「家へ連絡して。移動の予定が決まったら、こちらにも知らせてね」

 

「はい。ありがとうございます」

 

 部屋へ戻り、帰省用の鞄を棚から下ろす。

 

 菓子の箱は、そのまま入っていた。

 

 賞味期限を見てから、服を詰め直す。

 

 今度は、出発の日付が決まっている。

 

 携帯電話を開くと、家から短い返事が来ていた。

 

『駅まで行く』

 

 そのあとに、弟のものらしい文字で、何時、と続いている。

 

 三輪は時刻を打ち、少し考えてから付け足した。

 

『お土産もあるよ』

 

     *

 

 改札の向こうで、弟が先に気づいた。

 

 手を上げ、何か言いながら母の袖を引く。

 

 三輪は鞄を持ち直して、そちらへ歩いた。

 

「ただいま」

 

「遅い」

 

 弟はそう言いながら、鞄の持ち手を取ろうとした。

 

「こっちは重いから、こっちお願い」

 

 小さい方の袋を渡す。

 

 下の弟が、中身を覗こうと背伸びをした。

 

 母が、帰ってから、と止める。

 

 いつもの声だった。

 

 家へ着くと、玄関には出しっぱなしの靴があり、部屋の机には、約束どおり、いろいろな物が並んでいた。

 

「これ、前のと違うんだよ」

 

「待って。上着だけ脱がせて」

 

「先にこっち」

 

「順番にしてってば」

 

 三輪は笑いながら鞄を置いた。

 

 刀袋は人の通らない場所へ寄せ、菓子の箱を母へ渡す。

 

 それから、机の前へ座った。

 

「写真、撮ってもいい?」

 

「何で?」

 

「学校の友達にも、見せる約束したから」

 

 弟は少し考え、机の上の物を並べ替え始めた。

 

「じゃあ、こっちから」

 

「うん」

 

 三輪は携帯電話を構えた。

 

 画面の端に、自分の指が入っている。

 

 直して、もう一度。

 

 ちゃんと見えるように撮ってから、メカ丸へ送った。

 

『帰ったよ。これから説明してもらうところ』

 

 送信を終えるより先に、弟が話し始めた。

 

 三輪は携帯電話を置き、その声へ顔を向けた。

 

 今度は、急いで聞かなくてよかった。

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