新しい教室の机は、前の教室のものとよく似ていた。
三輪は窓際の席に鞄を置き、周囲を見渡した。二年生になったからといって、急に広い部屋をもらえるわけではないらしい。
「何見てるの」
真依が入ってきた。
「ううん。去年と、あんまり変わらないなと思って」
「机を運んだだけだからね」
「そうなの?」
「座ってたでしょ、それ」
三輪は机の端を見た。以前、消しゴムで落とし切れなかった小さな鉛筆の跡がある。
「ほんとだ」
「気づきなさいよ」
真依は自分の席に座り、頬杖をついた。
メカ丸が教室へ来ると、三輪は机の跡を指さして教えた。
「知っている。運ぶのを手伝った」
「えっ、そうだったんだ」
「お前もいたぞ」
いた。いたけれど、どの机を運んだかまでは覚えていなかった。
三輪が笑ってごまかすと、真依が小さく息を吐いた。
*
東京校に新しい生徒が入った、という話を最初に聞いたのは、授業のあとだった。
廊下で西宮が、三輪たちへ声をかけた。
「去年の子たち、もう二年生なんだよね。真希ちゃんたち」
「私たちと同じですね」
三輪は東京で会った顔を思い浮かべた。
真依の姉の真希。言葉の代わりに頷いてくれた狗巻。写真を撮ってくれたパンダ。
それから、刀の扱いを一緒に考えた乙骨。
「乙骨くんは、今、海外にいるんだって」
「海外ですか?」
「うん。勉強も兼ねてるらしいよ」
三輪は驚いて目を丸くした。去年、一緒に稽古したときの控えめな姿を思い出す。
「すごいなあ。言葉、通じるのかな」
「まずそこ?」
真依が言う。
「だって、私だったら、ご飯を頼むのも大変そうで」
「あんたは日本でもメニュー決めるの遅いでしょ」
「比べてから決めたいだけだよ」
西宮が笑った。
「向こうの一年生は、伏黒って子と、女の子が入ったって聞いたよ」
「二人ですか?」
「今聞いてるのはね。名前は、先生に確認した方がいいかも」
三輪は頷いた。
東京にも新しい一年生がいる。自分たちも、いつの間にか先輩になっていた。
「交流会で会うのかしら」
真依が言う。
「そうかもね。三輪、先輩らしくできそう?」
「で、できますよ」
声が少し大きくなった。
西宮と真依が顔を見合わせる。
「今のは何?」
「練習です」
三輪は小さく咳払いをした。
去年、初めて校門をくぐったとき、先輩たちがいるだけで心強かった。
自分も、そう思ってもらえたらいい。
*
その数日後、歌姫に呼ばれた。
職員室には、五条もいた。
「やあ、三輪ちゃん。二年生になったね」
「はい。お久しぶりです」
三輪は頭を下げた。
五条が京都にいることは、朝から聞いていた。手合わせ以来、何度か連絡はあったが、直接会うのは久しぶりだった。
「前に話した乙骨くん、元気にしてるよ。今は海外だけど」
「そうなんですね。よかったです」
百鬼夜行のあと、生存は聞いていた。それでも、本人が次の場所へ進んでいると聞くと、胸の奥が少し軽くなった。
歌姫が椅子を示す。
「座って。今日は、東京の一年生について話があります」
三輪は座った。
五条の表情から、さっきまでの軽さが少し薄れる。
「虎杖悠仁。東京校に入った生徒だよ」
三輪は初めて聞く名前を、心の中で繰り返した。
「彼は、両面宿儺の指を取り込んだ」
すぐに返事はできなかった。
宿儺の名も、その指が特級呪物として残されていることも、授業で聞いている。
「取り込んで……生きているんですか」
「うん。今は、宿儺を自分の中に抑えていられる」
「今は、ですか」
歌姫が頷いた。
「本人の意思で身体を保てている。ただ、何があっても支配を失わないと断言できるわけじゃない」
五条が続ける。
「宿儺が表に出れば、周りの人間が危険にさらされる。だから、虎杖のことを危険視して、処刑を求める声もある」
三輪は膝の上で手を組んだ。
「その人は、何か悪いことをしたんですか」
「指を取り込んだのは、呪霊から人を助けるためだったと聞いているわ」
歌姫が答える。
「ただ、宿儺が出てきた場合に、何もしない保証はない。そこは分けて考える必要がある」
三輪は俯いた。
助けようとした人が、死刑になる。
それは嫌だった。
でも、宿儺が危険だという話も、聞かなかったことにはできない。
「虎杖くんは、そのことを知っているんですか」
「知ってるよ」
五条の返事は短かった。
「残った指を取り込んだあとに処刑する、という猶予を与えられている。僕は、それ以外の道を探してる」
「ほかの道……」
「今すぐ、確実な方法があるとは言えない。でも、本人の人生を、会いもしない人たちだけで決めたくない」
三輪は五条を見た。
この人は、虎杖を知っている。
自分はまだ、名前を聞いたばかりだ。
「私は、会ってみたいです」
「うん」
「宿儺のことも、もっと教えてください。虎杖くんがどんな人でも、周りの人が危なくなるなら、準備しないといけないと思うので」
五条は頷いた。
「それで、今日はお願いがある」
*
東京校の一年生が、近いうちに京都へ来る。
伏黒恵、釘崎野薔薇、そして虎杖悠仁。
五条は、三人を交えた実習と、緊急時の連絡手順の確認を提案した。
「宿儺が出たら、三輪ちゃん一人に任せる、という話じゃないよ。大人もいる。事前に対応を決めて、必要ならすぐ中止する」
歌姫が机の上の用紙を指した。
「場所と立会人は、こちらでも確認するわ。虎杖くん本人にも、誰が何を知っているか説明してから」
「はい」
「あなたの授業と任務も調整する。引き受けるかどうかは、説明を聞いてからでいい」
三輪は用紙を見た。
そこには日程の候補と、当日確認することが並んでいる。
「私でよければ、お願いします」
「うん。ありがとう」
五条は少し笑った。
「新しい一年生、三人とも個性的だから。よろしくね、先輩」
三輪は背筋を伸ばした。
「はい。ちゃんとご挨拶します」
「そこからなんだ」
「大事でしょう」
歌姫が言うと、五条は両手を上げた。
*
教室に戻ると、メカ丸が窓の近くにいた。
「東京の一年生が来るんだって」
三輪は、先生から話してよいと確認された予定だけを伝えた。
「一緒に訓練するのか」
「うん。私も入ることになった」
「練習していた先輩らしい挨拶をするのか」
「聞いてたの?」
「廊下まで聞こえていた」
三輪は机に手をついた。
「そんなに大きかったかな……」
「十分にな」
真依が教室へ入ってきて、二人を見る。
「何の話?」
「東京の一年生が来るんだって」
「へえ」
三輪は鞄から手帳を出した。
日程を書き、名前を三つ並べる。
まだ会ったことのない名前だった。
そのうちの一つを見ながら、職員室で聞いた話を思い返す。
虎杖悠仁。
会えば、何を話すだろう。
宿儺のことを先に聞いていいのか。それとも、学校にはもう慣れたかと尋ねる方がいいのか。
「三輪」
メカ丸が呼んだ。
「何をそんなに考えている」
「挨拶のあと、何を話そうかなって」
「会ってから考えればいいだろう」
「……それもそうだね」
手帳を閉じる。
まず会って、相手の話を聞こう。
真依が机の上に教科書を置いた。
「その前に、今日の課題を忘れないでよ」
「忘れてないよ」
三輪は鞄を開けた。
課題の紙は、ちゃんと入っていた。
少しだけ安心して、二人の前に広げた。