三輪霞は、剣だけでいい   作:ケーケーケー

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第二話 先輩たちと、一本目

 

 翌朝、三輪は目覚ましが鳴る少し前に起きた。

 

 知らない天井を見上げて、一度だけ瞬きをする。

 

 そうだった。寮に来たのだった。

 

 家のように、隣で弟が布団を蹴飛ばす音もしない。もう一度寝てしまいそうで、三輪は身体を起こした。

 

 机の上には、昨日もらった学校の案内が置いてある。

 

 今日の予定は、午前が授業、午後が実技。

 

 昨日の続きで、今度は先輩たちも一緒になるらしい。

 

 まずは名前を間違えないようにしよう。

 

 三輪は着替えながら、昨夜、歌姫から教わった三人の名字を頭の中で繰り返した。

 

     *

 

 午前の授業が終わるころには、手帳に新しい言葉がいくつも増えていた。

 

 呪霊の等級。帳。補助監督。

 

 聞いたことのある言葉も、説明を受けると、思っていた意味と少しずつ違う。

 

「……覚えること、多いね」

 

 教室を出ながら言うと、真依が横目で三輪を見た。

 

「入ったばっかりなんだから、当たり前でしょ」

 

「うん。でも、もっとこう、実技が多いのかと」

 

「その実技が午後にあるんじゃない」

 

 そのとおりだった。

 

 三輪は鞄の中へ手帳を戻した。

 

「先輩って、どんな人たちなんだろう」

 

「会えば分かるわよ」

 

 真依はそう言ってから、廊下の先へ視線を向けた。

 

 小柄な、金髪の少女が歩いてくる。

 

 片手には長い箒を持っていた。

 

「真依ちゃん」

 

 少女が声をかけると、真依の表情が少し和らいだ。

 

「西宮先輩」

 

「これからお昼? 私も行く。一年、みんな一緒?」

 

「俺は、このあと別の確認がある」

 

 後ろにいたメカ丸が答えた。

 

「そっか。じゃあ午後ね」

 

 西宮は頷いて、三輪へ顔を向ける。

 

「西宮桃。二年です。あなたが三輪ちゃん?」

 

「はい。三輪霞です。よろしくお願いします」

 

「そんなにかしこまらなくていいよ。困ったことがあったら聞いてね」

 

 笑いかけられて、三輪はほっとした。

 

 真依とも、もう話したことがあるらしい。二人のあとについて歩きながら、午後のことを尋ねる。

 

「先輩も、実技にいらっしゃるんですか?」

 

「うん。顔合わせも兼ねて。……東堂も来るって」

 

 最後のところだけ、声の調子が変わった。

 

 真依が眉を寄せる。

 

「昨日の話、聞いたんですか」

 

「らしいね」

 

「あの、何かあるんですか?」

 

 三輪が二人を見比べると、西宮は少し困った顔で笑った。

 

「何かあったら、歌姫先生のそばにいればいいから」

 

 ますます気になった。

 

     *

 

 午後の集合場所は、建物の外にある稽古場だった。

 

 土が均され、端には稽古用の道具が置いてある。昨日の室内より、ずっと広い。

 

 三輪は歌姫の指示で刀を所定の場所へ置き、木刀を一本選んだ。

 

 メカ丸はすでに来ていた。その隣に、細い目をした長髪の男子生徒が立っている。

 

「加茂憲紀だ。二年になる」

 

「三輪霞です。よろしくお願いします」

 

 真依とメカ丸も挨拶をする。

 

 加茂は一人ずつ顔を確かめてから、三輪の木刀へ目を落とした。

 

「昨日、指導員と打ち合ったそうだな」

 

「はい。二回だけですけど」

 

「そうか。無理はしなくていい。今日の確認は、勝敗だけを見るものではない」

 

「はい」

 

 昨日も似たことを言われた。

 

 受け方を、もう少し見せた方がいいのだろうか。

 

 三輪が考えていると、背後で、砂を踏む音がした。

 

「お前か」

 

 低い声に振り返る。

 

 大きな人だった。

 

 肩幅も、腕も、制服越しで分かるほど厚い。目が合うと、まっすぐにこちらへ歩いてきた。

 

「東堂葵だ」

 

「三輪霞です。よろしくお願いし――」

 

「どんな男が好みだ?」

 

「……はい?」

 

 三輪は、頭を下げかけた姿勢で止まった。

 

 聞き間違いではなかったらしい。東堂は返事を待っている。

 

 先輩の、初対面の人に。

 

 なぜ今、それを。

 

「えっと……優しい人、ですかね」

 

「それだけか」

 

「あ、家族を大切にしてくれる人だと、嬉しいです」

 

 東堂が、しばらく三輪を見ていた。

 

 何か、答え方が決まっていたのだろうか。

 

「東堂」

 

 歌姫の声が飛んだ。

 

「挨拶が済んだら、こっちに来なさい。始める前に話があります」

 

 東堂が三輪の前を離れる。

 

 その背中を見送っていると、真依が隣で呟いた。

 

「真面目に答えなくていいのに」

 

「先に言ってほしかった……」

 

     *

 

 全員が集まると、歌姫が今日の内容を説明した。

 

 一年生と二年生の組み合わせで、短い稽古を行う。相手の力量に合わせ、術式を使う場合は歌姫の許可を取ること。寸止めを原則とし、止めの合図には必ず従うこと。

 

「それから、勝手に組み合わせを変えない。東堂、聞いてる?」

 

「聞いています」

 

「三輪さんの相手は、最初は私が――」

 

「俺にやらせてください」

 

 歌姫が言い終える前に、東堂が進み出た。

 

「昨日の指導員から聞きました。手加減されていたと」

 

 三輪は、手元の木刀を見た。

 

 手加減、という言い方なら、確かにそうだった。

 

 けれど、稽古だから当然だと思っていた。

 

「確認のための稽古よ。あなたが満足するためじゃないわ」

 

「分かっています」

 

 東堂は歌姫を見て答え、次に三輪へ向き直った。

 

「お前はどうだ」

 

「私ですか?」

 

「俺とやれるか」

 

 三輪は東堂の立ち方を見た。

 

 昨日の指導員より、ずっと強い。

 

 身体の大きさだけではない。立っている間にも、動き出すための余計な力がどこにもなかった。

 

「はい。あの、木刀で大丈夫ですか? 先輩は、素手ですよね」

 

「問題ない」

 

「分かりました」

 

 歌姫が二人を見比べる。

 

「まずは術式なし。どちらかが一本取ったところで止めます。いいわね」

 

 返事をして、三輪は稽古場の中央へ出た。

 

 西宮たちが距離を取る。歌姫が横へ回り、二人の手元を見られる位置に立った。

 

 三輪は木刀を構えた。

 

 東堂は、まだ両腕を下げていた。

 

「始め」

 

 合図と同時に、東堂が間合いを詰めた。

 

 速い。

 

 右手が、木刀の柄へ伸びる。

 

 三輪が引けば、さらに踏み込める位置。振れば、その内側へ入れる位置。

 

 三輪は後ろへ下がらず、切っ先を小さく落とした。

 

 東堂の手が、刀身を追って下がる。

 

 その手首の外へ、三輪の木刀が滑った。

 

 彼の腕を払うのではなく、肘が曲がる方向へ押しながら、自分の肩を通す。

 

 東堂の左拳が動いた。

 

 けれど、三輪はもう、その拳が伸びきらない場所にいた。

 

 軸足の向きを変える。

 

 東堂の身体を横切って、木刀を返す。

 

 切っ先が、喉の前に止まった。

 

「そこまで」

 

 歌姫の声で、二人が止まる。

 

 三輪はすぐに木刀を引いた。

 

「ありがとうございました」

 

 東堂は返事をせず、自分の手を見た。

 

 その目が、三輪へ戻る。

 

「もう一本だ」

 

「東堂。今、一度止めると言ったでしょう」

 

「術式の使用を許可してください」

 

 声は大きかったが、先ほどよりも落ち着いて聞こえた。

 

 歌姫が三輪を見る。

 

「続けられる?」

 

「はい」

 

「変化があっても、無理に打ち込まなくていいからね」

 

 三輪は頷いた。

 

 何が変わるのかは分からない。

 

 だから、さっきよりも、少し広く周囲を見た。

 

     *

 

 二本目は、東堂がゆっくり近づいてきた。

 

 三輪の切っ先が届く、その少し外で足を止める。

 

 大きな手が、胸の前へ上がった。

 

 ぱん、と音がした。

 

 目の前にいた東堂が、消えた。

 

 代わりに見えたのは、さっきまで自分の背後にいた歌姫だった。

 

 立っている場所が違う。

 

 背中に、東堂の気配がある。

 

 三輪は振り向こうとするより先に、腰を落とした。

 

 頭のあった場所を、腕が通る。

 

 風が髪を揺らした。

 

 身を低くしたまま左足を引き、相手の方へ向き直る。東堂は空振りした腕を戻しながら、すでに次の一歩を踏んでいた。

 

 三輪は、その前足の外へ出た。

 

 木刀の柄で手首を押さえ、肩が回るのを遅らせる。

 

 東堂が踏ん張る。重い。昨日の相手と同じようには、身体が流れない。

 

 なら、流す必要はなかった。

 

 押していた力を抜き、伸びてきた反対の腕を避けて、横へ抜ける。

 

 木刀が、胴へ向かった。

 

 東堂が両手を合わせる。

 

 また、景色が変わった。

 

 今度は、三輪の足は止まらなかった。

 

 踏み出しかけていた一歩を、移った先の地面へ下ろす。身体の向きを変えながら、木刀を自分の脇へ引きつけた。

 

 すぐそばを、東堂の拳が抜ける。

 

 三輪の木刀は、その拳の下から上がった。

 

 東堂が顎を引く。

 

 切っ先は追わず、手元へ戻る。

 

 三輪は一歩だけ距離を取った。

 

 東堂が笑った。

 

「いいぞ」

 

 両手が、もう一度動く。

 

 音が鳴った。

 

 景色は変わらなかった。

 

 三輪は、東堂を見ていた。

 

 拍手に合わせて、先に身体を回すことはしない。

 

 東堂の目がわずかに細くなる。

 

 次の踏み込みは、低かった。

 

 右、左。

 

 拳を避けた先へ、もう片方の腕が来る。大きな身体に押されれば、木刀の間合いはなくなる。

 

 三輪は二歩、下がった。

 

 ただし、真後ろには下がらない。

 

 東堂が身体を向け直す、そのわずかな遅れに、切っ先を入れた。

 

 彼の手が木刀へ伸びる。

 

 三輪は刃筋をずらし、掴もうとした指の間を通した。

 

 そのまま肩口へ。

 

 東堂が避ける。

 

 木刀は肩を追わず、低く返った。

 

 前へ出ていた膝のすぐ上。

 

 打てば足が止まる位置で、三輪は一度だけ相手に反応を強いた。

 

 東堂の重心が、後ろへ移った。

 

 両手が寄る。

 

 三輪が、その間へ木刀の柄を差し入れた。

 

 手は、合わさらなかった。

 

 東堂の右腕が柄を押し退ける。

 

 その動きに沿って、三輪の木刀が半周した。

 

 力を込めていた腕の外側から、切っ先が戻ってくる。

 

 東堂の左手は、まだ反対側にあった。

 

 喉元で、木刀が止まった。

 

「そこまで!」

 

 歌姫の声が響いた。

 

 今度は、三輪も少し長く息を吐いた。

 

 木刀を下ろす。

 

 東堂は三輪の手元を見つめ、それから、自分の両手を見た。

 

「……止めに来たな」

 

「はい。さっき、手を合わせていたので」

 

「それだけで、あの間に入るか」

 

「危なかったですか?」

 

「お前に言ったんじゃない」

 

 後ろから、加茂が言った。

 

 三輪が振り返ると、彼は腕を組んだまま、東堂を見ていた。

 

「術式を見せたあとで、手を合わせるところまで押さえられた。そういう話だ」

 

「あ……はい」

 

 分かっていたのは、入るための場所があったことだけだった。

 

 手を合わせる動作と、場所が変わることに関係がある。その見当はついたが、使える相手や距離の条件までは分からない。

 

 だから、その動作をされる前に止めた。

 

 それができなければ、次に移った場所で動くつもりだった。

 

「東堂先輩の術式って、場所を入れ替えるんですか?」

 

 尋ねると、東堂が口の端を上げた。

 

「不義遊戯。詳しい話は、また次だ」

 

 そう言って、歌姫へ顔を向ける。

 

「もう一本――」

 

「今日は終わり」

 

 歌姫の返事は早かった。

 

「あなたも、三輪さんも。ほかの確認があるの。勝手に続けないでね」

 

 東堂が不満そうに息を吐いた。

 

 それでも、中央からは退いた。

 

 すれ違いざま、三輪へ言う。

 

「次は、もう少し長くやるぞ」

 

「はい。よろしくお願いします」

 

 三輪は頭を下げた。

 

 顔を上げると、西宮が何とも言えない表情をしていた。

 

「……三輪ちゃん、それ、気軽に約束しない方がいいかも」

 

「えっ」

 

「しつこいから」

 

 真依が横から言った。

 

 東堂は否定しなかった。

 

     *

 

 そのあとは、予定されていた基礎の確認へ戻った。

 

 三輪は木刀を持ったまま、歌姫から呪力の配分を変えるよう指示を受けた。右腕だけ、次に左脚、最後に全身。

 

 言われたとおりに動かすたび、歌姫が記録を取る。

 

 真依は少し離れた的へ向かい、メカ丸は加茂と話をしていた。

 

 全員の確認が済むころには、日が傾き始めていた。

 

 木刀を片づける三輪へ、西宮が近づいてくる。

 

「怪我、してない?」

 

「はい。大丈夫です」

 

「ならよかった。何かあったら、ちゃんと言ってね」

 

「ありがとうございます」

 

 西宮は、自分より背の高い三輪の顔を見上げた。

 

「それと、昼に話しそびれたんだけど、寮の洗濯機、一台だけ脱水が弱いの。窓側のやつ」

 

「そうなんですか」

 

「使えないわけじゃないけど、厚い服は隣ので洗った方がいいよ」

 

 三輪は頷いてから、慌てて鞄を探った。

 

「ちょっと待ってください。書いておきます」

 

 真依が、呆れたようにこちらを見る。

 

「それまで書くの?」

 

「これは紙でもらえないでしょ」

 

 西宮が吹き出した。

 

「大丈夫。忘れたら、また聞いて」

 

 三輪もつられて笑いながら、手帳に短く書き込んだ。

 

 背後で、土を払う音がした。

 

 メカ丸が、自分の手についた砂を落としている。

 

「メカ丸」

 

「何だ」

 

「さっき、場所が変わったの、見えた?」

 

「消えてから現れるまでを追えたわけではない。だが、お前たちの立ち位置が入れ替わったのは確認した」

 

「そっか。私、二回目、どっち向いてた?」

 

 メカ丸が三輪を見る。

 

「自分で分からないのか」

 

「動いたあとは分かるんだけど、変わった瞬間が。あとで見られるなら、見ておきたくて」

 

「……記録はある。先生に確認してからでよければ、見せられる」

 

「ありがとう。お願いします」

 

 三輪は手帳を閉じた。

 

 新しく知ることは、まだまだありそうだった。

 

     *

 

 稽古の記録を持って、歌姫が学長室を訪れたのは、その日の夕方だった。

 

 京都校の学長、楽巌寺嘉伸は、机の上に置かれた用紙へ目を落とした。

 

「東堂が負けたか」

 

「二本とも。二本目は術式の使用も許可しました」

 

「本人は何と」

 

「続きをやりたがっています」

 

 楽巌寺は、そこで初めて顔を上げた。

 

「ならば、取りこぼしただけではなかろうな」

 

 歌姫は頷いた。

 

 東堂は、無関心な相手へ何度も手合わせを求める生徒ではない。

 

 そして今日、彼が稽古のあとまで三輪を目で追っていたのは、彼女がどこまで動けるのか、まだ分からなかったからだろう。

 

「本人は、実力を隠している様子ではありません。こちらの指示に合わせて動いています。ただ――」

 

 歌姫は一度言葉を切った。

 

「どこまでやらせれば、確認したことになるのか、まだ判断できません」

 

 楽巌寺は再び用紙を見た。

 

 指導歴の欄を、指先で押さえる。

 

「教えていた者に連絡を取れ」

 

「はい」

 

「稽古の記録もあるだけ揃えさせろ。入学前に、何があったのかを確認する」

 

 歌姫は書類を揃え、学長室を出た。

 

 廊下の窓から、寮へ続く道が見える。

 

 三輪が真依と並んで歩いていた。

 

 刀袋は、ほかの人にぶつからないよう、身体の内側へ寄せてある。

 

 真依が何か言い、三輪が慌てて鞄の中を探した。

 

 すぐに小さな物を取り出して、ほっとしたように笑う。

 

 部屋の鍵だった。

 

 歌姫は二人の姿が建物の陰へ消えるまで見送り、それから、職員室へ向かった。

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