店に入ってから、三輪はメニューを三回開いた。
一回目は値段を見た。
二回目は写真を見た。
三回目は、値段と写真を見比べた。
「先輩、まだ決まってないんですか?」
向かいの席から、釘崎が尋ねる。
「うん……こっちの抹茶のもおいしそうなんだけど、こっちは団子が二本ついてて」
「両方頼めばいいじゃないですか」
「それはちょっと、予算が」
隣で虎杖がメニューを覗いた。
「俺、団子の方にしますよ。先輩が抹茶の頼んだら、一本交換しません?」
「あ、いいの?」
「はい。釘崎も何か交換する?」
「私はこれ。あと、このわらび餅も頼む」
「二つも?」
「せっかく来たんだから、食べたいもの食べるの」
伏黒はすでに注文を決め、卓上の水を飲んでいた。
「伏黒くんは何にするの?」
「温かいお茶と、団子を」
「伏黒も団子か。じゃあ、俺はこっちの――」
「俺の分まで交換に使うな」
釘崎が笑った。
三輪はようやくメニューを閉じた。
「じゃあ、私、抹茶のにする」
「決まったなら呼ぶわよ」
釘崎が店員へ声をかける。
注文が終わると、三輪は鞄から小さな財布を出し、中身を確認した。
今月の食費。家へ送る分。刀の手入れに必要なもの。
今日のおやつ代も、ちゃんと残してある。
「先輩、ほんとに細かいですね」
虎杖が言う。
「大事だよ。使ってから足りないってなると困るから」
「俺、そういうのあんま考えてなかったな」
「虎杖くんは、寮のご飯は食べてる?」
「食べてます。すげえうまいです」
「それならよかった」
釘崎が肘をついた。
「さっきから、お母さんみたいになってません?」
「えっ」
「食べてるかとか、寝てるかとか」
「寝てるかは聞いてないよ」
「聞こうとはしてたんですね」
三輪は口を閉じた。
聞こうとはしていた。
虎杖が声を上げて笑う。
「寝てますよ、先輩。ちゃんと」
「……そっか」
それならよかった。
*
注文したものが届くと、虎杖は約束どおり、団子を一本差し出した。
三輪も抹茶の菓子を取り分ける。
「ありがとう。じゃあ、これ」
「うまそう!」
「ちょっと、私にも」
釘崎が皿を寄せる。
伏黒は自分の団子を守るように、皿を少し手前へ引いた。
「別に取らないわよ」
「さっき三人で分けるって言っただろ」
「四人って言ったの、あんたでしょ」
「俺が言ったのは人数の話だ」
虎杖が堪えきれずに吹き出す。
三輪も笑いながら、抹茶をひと口飲んだ。
ほどよく苦い。
甘いものを食べたあとに飲むと、ちょうどよかった。
「先輩」
虎杖が、団子の串を置いた。
「今日、言ってくれたことなんですけど」
「うん?」
「怖くても、助けてもらえばいいって」
三輪は、演習場での会話を思い出した。
「俺、助けてもらう前に、自分でどうにかしなきゃって思うことが多くて」
「うん」
「でも、今日みたいに誰かが見てくれてるなら、頼ってもいいんですよね」
「もちろん」
三輪は頷いた。
「虎杖くんが誰かを助けたいと思うのと同じで、虎杖くんを助けたい人もいると思うよ」
虎杖は少し黙って、それから隣を見た。
伏黒が目を逸らす。
「何だよ」
「いや、何でも」
「言いたいことがあるなら言え」
「伏黒、たまには素直に言えば?」
「釘崎には関係ないだろ」
三輪は三人を見た。
出会って間もないはずなのに、それぞれの声が、もう自然に重なっている。
自分たちが一年生になったばかりの頃は、どうだっただろう。
真依は今より少し、話しかけるときの距離が遠かった。
メカ丸とは、同じ教室にいても、何を聞いていいか分からないことが多かった。
いつの間にか変わったことは、一度には思い出せない。
けれど、こういう時間が積み重なったのだと思う。
*
その日の夕方、東京校の三人を見送ったあと、歌姫から呼び出しがあった。
職員室には五条と、数枚の資料が広げられている。
「今日の実習、お疲れさま」
「ありがとうございました」
三輪が頭を下げると、五条は机を指した。
「座って。三輪ちゃんにも、聞いておいてほしい話がある」
資料には、任務中の連絡方法や、救援を要請した時刻が書かれていた。
百鬼夜行の記録も混じっている。
「今回のことで、東京と京都、それぞれで確認したいことが増えたの」
歌姫が言った。
「現場へ出る人が、危険度の変更をどう伝えるか。救援が来るまで、どこへ退くか。連絡が取れなくなったとき、どうやって位置を確かめるか」
三輪は用紙を見た。
「今日の訓練も、そのためですか?」
「ええ。予定どおりに進まなかったとき、誰か一人の判断だけに頼らないため」
五条が資料の端を押さえる。
「僕や三輪ちゃんが近くにいれば、助けに行けるかもしれない。でも、毎回同じ現場にいるわけじゃない」
三輪は頷いた。
京都の百鬼夜行でも、いくつもの場所から同時に連絡が入った。
自分が駐車場へ向かっていたとき、西側では東堂たちが戦っていた。
どちらも、一人では受け持てない広さだった。
「救援を呼ぶ前に、現場で片づけようとしてしまうこともあります」
三輪は言った。
「呼んだあと、結局大丈夫だったら、申し訳ないなって思う人もいるかもしれません」
「いるでしょうね」
歌姫はすぐに答えた。
「でも、必要かどうかを確かめるために呼んでいい。空振りだったことを、責めない仕組みにしたいわ」
五条が頷く。
「上には僕からも言うよ。助けを呼んだことで評価を下げられたら、誰も呼ばなくなる」
「あなた一人が言うだけでは足りないから、文書にも残します」
「はいはい」
「返事が軽い」
三輪は、少しだけ笑いそうになった。
歌姫が別の用紙を取り出す。
「通信機材については、メカ丸にも相談しているの。傀儡の操作や遠隔連絡の経験があるから」
「メカ丸に?」
「ええ。機材を作ってもらうというより、現場で使いにくいところを一緒に確かめてもらう」
三輪は頷いた。
彼なら、教室で工具を並べながら、細かいところまで見てくれそうだった。
「私にも、できることはありますか」
「実際に持って動いてみて。邪魔にならないか、手袋をしたまま操作できるか、戦いながら取り出せるか」
「分かりました」
「それから」
歌姫は三輪を見た。
「あなた自身も、必要なら呼ぶこと」
三輪は目を瞬いた。
「はい」
「返事は早いけど、ちゃんと考えてね」
「考えてます」
「以前、休暇の埋め合わせに任務を増やそうとした人が言っても、説得力がないのよ」
「……はい」
五条が口元を押さえた。
三輪はそちらを見ないようにした。
*
数日後、教室の机に、小さな端末が置かれた。
携帯電話より一回り小さく、片手で握れる大きさだった。
「試作品だ」
メカ丸が言う。
「持ち歩けるか確かめてくれ」
三輪は端末を手に取った。
側面に大きめのボタンが一つ。反対側には、誤って押さないための覆いがついている。
「これを押すの?」
「覆いを開けて、長く押す。短く触れただけでは作動しない」
「どこに繋がるの?」
「今は試験用の受信機だ。実際に使うときは、学校側の担当者へ通知する予定になっている」
三輪は覆いを開いた。
手袋をしたままでも指が入る。ボタンを押し続けると、机の向こうの受信機が小さく鳴った。
「おお」
「成功だ」
「位置も分かるの?」
「確認できる範囲には限りがある。建物や電波の状態によって、正確に出ないこともある」
「じゃあ、場所は自分でも伝えないと」
「そうだ。これは万能なものじゃない」
メカ丸は地図を出した。
「声が届くなら、現在地と状況を言う。言えない場合でも通知が届けば、最後に確認できた位置から探す」
三輪は端末を見た。
「これ、誰が持つの?」
「まずは必要な任務に合わせて、数人で試す。結果を見てからだ」
「私も、任務につけて行っていい?」
「先生の許可が出てからな」
「うん」
真依が横から手を伸ばした。
「私にも見せて」
三輪が渡すと、真依は片手で覆いを開けた。
「銃を持ってるときでも、これなら押せそうね」
「どこに付けるかは、各自で試してくれ」
「腰より腕の方がいいかも」
「走っているときに引っかからないかも見たい」
三輪は自分の制服の袖へ目を落とした。
「刀を抜く手とは、反対側がいいかな」
「そういう話を、実際に動いて確かめるんだ」
メカ丸が言う。
「分かった。じゃあ、稽古場で――」
「授業のあとだ」
三輪は時計を見た。
あと十分で授業が始まる。
「……あとでね」
真依が端末を机へ戻しながら、笑った。
「先輩、落ち着いてください」
「真依まで」
*
放課後、三輪は左腕に端末をつけ、稽古場を歩いた。
走る。しゃがむ。刀に手をかける。
袖の内側へ入れると邪魔にならなかったが、いざ取り出そうとすると、覆いが布に引っかかった。
「こっちは駄目かも」
メカ丸へ伝える。
「どこで引っかかった」
「ここ。急いで引っ張ると、袖ごとずれる」
「なら、固定する位置を変える」
彼は留め具を外し、袖の外側へ移した。
三輪はもう一度走った。
今度は取り出しやすい。だが、腕を大きく動かしたとき、端末が鞘へ当たった。
「あ、今の音」
「聞こえた。少し上だな」
何度か試し、最後は腕よりも腰の後ろ側に落ち着いた。
刀の抜き差しには当たらず、左手で届く。
「これなら大丈夫そう」
「転んだときも確認する」
「え、転ぶの?」
「転ばない保証があるのか」
「……ないです」
三輪は受け身を取るように床へ転がった。
端末が背中と床の間に挟まる。
「ちょっと痛い」
「位置を変える」
「これ、また最初から?」
「そのための試験だ」
真依が壁際から見ていた。
「最強でも、端末の位置はすぐ決まらないのね」
「うん……難しい」
三輪は起き上がり、腰の留め具を外した。
刃をどこに通せばいいかなら、見れば分かることが多い。
けれど、いつも使わない道具を、邪魔にならず、すぐ取り出せる場所につけるのは別の話だった。
「メカ丸、これ、もう少しだけ小さくできる?」
「中身を変えれば可能かもしれない。だが、ボタンも小さくなる」
「ああ、それだと押しにくいか」
「薄くする方を考える」
「うん。お願いします」
「俺は先生か」
「あ、ごめん。お願い」
メカ丸は端末を受け取った。
真依が壁から離れる。
「私も試す。転ぶのは一回でいい?」
「結果による」
「嫌な答え」
三輪は笑いながら、場所を空けた。
*
幸吉は、端末を受け取ったあとも、教室で三輪たちの会話を聞いていた。
どこに付けるか。
誰に通知するか。
連絡が来たとき、近くにいる術師へどう伝えるか。
どれも、必要な話だった。
三輪が救援を呼べば、誰かが向かう。
真依が動けなくなれば、最後に確認できた場所を手がかりに探せる。
そういう仕組みを、自分は作ろうとしている。
同時に、自分は学校の内側で知ったことを、外へ渡していた。
結界の点検日を伝えたときの声が、まだ耳に残っている。
『約束は守る』
京都校の人間には手を出さない。
その約束だけを、信じるしかなかった。
いや。
信じている、という言い方も違うのかもしれない。
他に道がないと思い、必要な言葉を自分へ繰り返しているだけだ。
「メカ丸」
三輪の声で、意識が戻った。
「聞いてた?」
「ああ」
「さっきの端末、落としても壊れない方がいいよね」
「当然だ」
「じゃあ、次は落とす試験?」
「高さを変えてな」
「それは私がやっていい?」
「いいが、壊すことが目的じゃないぞ」
「分かってるよ」
三輪が笑う。
幸吉は、傀儡の手元にある端末を見た。
助けを求めるための道具。
それを持つ三輪には、必要なとき、迷わず使ってほしい。
自分が彼女に何を隠していても、その願いだけは本当だった。
*
その日の夜、三輪は手帳に、新しい項目を書き足した。
任務の前に確認すること。
連絡先。担当区域。退路。
それから、救援を呼ぶ条件。
書きながら、虎杖の言葉を思い出す。
自分でどうにかしなきゃ、と思うことが多い。
三輪にも、分かる気がした。
刀が届くなら、自分で斬れる。
足が動くなら、次の場所へ行ける。
そう考えて、周りへ頼む前に、自分で背負ってしまうことがあった。
けれど、あの日の京都では、藤村が人を案内し、真依が持ち場を引き継いだ。
西宮が上から道を見て、メカ丸が駐車場の外を守った。
自分一人で、六人を見つけて、建物の中と外を同時に守れたわけではない。
三輪はペンを持ち直した。
『分からなければ、聞く』
その下に、もう一行。
『必要なときは、助けを呼ぶ』
書いてから、少しだけ眺めた。
自分にも、後輩にも、同じことを言えるように。
携帯電話が震える。
釘崎からだった。
『今日はごちそうさまでした。次は別の店も行きましょう』
三輪は驚いて、すぐに返事を打った。
『こちらこそ、ありがとう。次までに予算を考えておくね』
送ってから、少し堅かったかもしれないと思う。
すると、すぐに返事が来た。
『私も考えておきます』
三輪は笑った。
手帳を閉じて、机の上へ置く。
窓の外では、春の風が木の枝を揺らしていた。
明日は授業がある。
端末の試験も、まだ続く。
三輪は明日の予定をもう一度確かめ、携帯電話を枕元に置いた。