交流会の日程が決まったのは、夏の暑さに慣れ始めた頃だった。
「今年は京都でやるの?」
三輪が尋ねると、真依は配られた用紙を机へ置いた。
「そう書いてあるでしょ」
「うん。ちゃんと読んだんだけど、会場の準備も私たちがするのかなって」
「訓練場の整備なら、たぶん先生たちがやるでしょ。私たちは自分の準備だけしてればいいんじゃない?」
メカ丸が用紙を覗き込む。
「形式は、まだ決まっていないようだな」
「去年と違うのかな」
「東京と京都で相談中だそうだ」
三輪は手帳を開き、交流会の日に印をつけた。
東京校の一年生たちとは、春に一度会っている。
釘崎からは、あのあとも時々連絡が来た。新しく見つけた店の写真や、学校帰りに買った服の話。虎杖と伏黒が喧嘩をしたと思ったら、次の日には一緒にご飯を食べていた、という話もあった。
「釘崎さん、またお店に行きたいって言ってたんだ」
「交流会の前に?」
「終わったあと。時間があったら」
「勝っても負けても、遊ぶ気なのね」
「だって、お店は逃げないけど、帰る時間は決まってるから」
真依は少し考えたあと、「それはそうね」と言った。
メカ丸が紙の端を押さえる。
「東京の二年生も来るんだな」
「うん。パンダと狗巻くんと……」
三輪はそこで言葉を止めた。
真依の顔を見る。
「真希さんも、来るって」
「知ってる」
真依は自分の鞄を開き、用紙をしまった。
それ以上、何も言わない。
三輪も、無理に話を続けなかった。
姉妹がどんな言葉を交わすかは、自分が決めることではない。
「乙骨くんは、海外から戻るのかな」
別の話をすると、メカ丸が首を横に振った。
「今の予定では、参加しないそうだ」
「そっか。元気にしてるといいね」
東京校で一緒に稽古したとき、乙骨は自分の刀に流す呪力を、何度も確かめていた。
海外でも、同じように刀を持っているのだろうか。
三輪は手帳を閉じた。
交流会は、学生同士が力を確かめ合う場だ。
勝ちたいとは思う。
けれど、終わったあとに一緒にご飯を食べたり、話をしたりすることも、同じくらい楽しみだった。
*
その日の放課後、京都校の生徒全員が集められた。
教室には歌姫と、楽巌寺校長がいた。
三輪は入室してすぐ、いつもと違う空気に気づいた。
歌姫の前には、交流会の資料が置かれている。けれど校長の手元にある紙は、それとは別のものだった。
全員が着席する。
楽巌寺は、生徒たちを順に見た。
「東京校の一年生、虎杖悠仁については聞いておるな」
三輪の背筋が伸びる。
宿儺の器であることを、三輪は歌姫と五条から聞いていた。
ただし、それを誰がどこまで知っているのかは、彼女自身には分からない。
加茂が答えた。
「宿儺をその身に宿している、と」
「そうじゃ。あれは、いつ災いをもたらすか知れぬ存在」
真依が腕を組む。
西宮は黙って校長を見ていた。東堂は壁際に立ち、表情を変えない。
メカ丸の視線は、校長の手元にある。
「上層部は、虎杖の存在を危険視しておる。交流会の期間中も、油断するな」
三輪は、膝の上で手を重ねた。
危険だということは、分かる。
虎杖自身にも、宿儺を制御できなくなる可能性があると聞いている。
だから、交流会でも何かあったときの対応は必要だ。
しかし、楽巌寺の次の言葉は、それだけでは終わらなかった。
「訓練中に不測の事故が起こったとしても、器を失うことを惜しむ必要はない」
教室が静かになった。
三輪は顔を上げた。
「校長先生」
「何じゃ」
「それは、どういう意味ですか」
楽巌寺は、三輪を見た。
「文字どおりじゃ。宿儺を宿す者を野放しにしておくことはできぬ。機会があれば、確実に対処する」
「虎杖くんが、宿儺に身体を奪われたときの話ですか」
三輪は聞いた。
自分の聞き違いであってほしかった。
「器である以上、いつ何が起きてもおかしくない」
「でも、今は虎杖くんが自分で身体を動かしています」
「それが、いつまで続く」
「分かりません」
三輪は正直に答えた。
「だから、何かあったときの準備は必要だと思います。でも――」
彼女は一度、息を吸った。
「学生同士の訓練で、事故に見せかけて虎杖くんを殺すなら、私は従えません」
真依が三輪を見る。
メカ丸も、わずかに顔を向けた。
楽巌寺の眉が動く。
「お前は、器に情を移したか」
「会いました。一緒に訓練もしました」
三輪は視線を逸らさなかった。
「それで、あの人が宿儺を宿していることが、危なくなくなったとは思いません。でも、虎杖くんは私たちを信じて、訓練に来ます」
春の日を思い出す。
虎杖が、怖かったと話したこと。
釘崎と団子を分けて、伏黒と言い合っていたこと。
「その人を、訓練の相手として迎えてから殺すのは、違うと思います」
「違う、では済まされぬ。万が一、宿儺が暴れれば、どれほどの人間が死ぬと思う」
「分かりません。でも、たくさんの人が危ないと思います」
「ならば――」
「だから、準備します」
三輪の声は大きくなかった。
それでも、教室の隅まで届いた。
「宿儺が出たとき、誰が退避を指示するのか。先生たちに、どう知らせるのか。私も、止めるために動きます」
「お前が必ず間に合うという保証はない」
「はい」
三輪は頷いた。
「私が別の場所にいたら、すぐには行けません。だから、私だけで何とかするつもりでもありません」
楽巌寺が歌姫を見る。
「お前も、その考えか」
歌姫は資料を閉じた。
「学生に、交流会を使って殺害させる指示には反対します。虎杖くんの危険性に備えることとは、別の話です」
「現実に犠牲が出てからでは遅い」
「だから、事前に条件を決めます。曖昧な命令のまま、生徒を現場へ出すことはできません」
楽巌寺は机の上の紙へ手を置いた。
「五条の言いなりか」
「私自身の判断です」
歌姫の返答は、はっきりしていた。
教室にはまだ、他の生徒もいる。
三輪は自分が言ったことで、全員の答えまで決まったわけではないと分かっていた。
加茂が口を開く。
「校長。宿儺が表に現れ、他者への攻撃を始めた場合は」
「そのときは、当然、排除する」
「虎杖本人が身体を保っている場合は?」
楽巌寺はすぐには答えなかった。
加茂は続ける。
「我々がどこまでの行動を許され、何をすれば責任を負うのか。明確にしていただきたい」
真依が小さく息を吐いた。
「それ、私も聞きたい。あとで事故だったって言われても、困るし」
西宮も口を開く。
「相手が危ないからって、私たちに全部やらせるのは違うと思います。大人は、どこにいるんですか」
東堂は腕を組んだまま言った。
「俺は、自分の目でそいつを見る。会う前から、他人の都合で決める気はない」
全員が、三輪と同じ理由で反対しているわけではなかった。
けれど、それぞれが、自分の言葉で問い返していた。
楽巌寺はしばらく黙り、それから歌姫へ言った。
「条件を詰める。五条も呼べ」
「分かりました」
それで話が終わったわけではない。
校長は最後まで、虎杖の処刑を危険への対策だと考えていた。
その顔を見て、三輪はもう一度、自分の手を握った。
*
教室を出たあと、真依が三輪に追いついた。
「あんた、言うと思った」
「……うん」
「校長の前でも、全然引かないのね」
「ちょっと緊張したよ」
「ちょっと?」
「結構」
真依は三輪の顔を見た。
「見えなかった」
「そうかな」
三輪は廊下の窓へ目を向けた。
手は震えていない。
けれど、声を出す前、胸の中は落ち着かなかった。
「真依は、虎杖くんのこと、どう思う?」
「会ってないから、知らない」
真依は即答した。
「宿儺が危険なのは本当でしょ。でも、だからって、訓練中にこっそり殺せって言われるのは気に入らない」
三輪は頷いた。
「私が嫌だからって、あんたと同じ考えになる必要はないし」
「うん」
「真希にも会うし、東京校のことは、東京校を見てから決める」
「うん」
真依が三輪を睨んだ。
「さっきから、それしか言わないわね」
「だって、私もそう思うから」
「……そう」
真依は少しだけ歩く速さを緩めた。
三輪も隣に並ぶ。
「釘崎さん、交流会のあとにお店行きたいって」
「その話、今する?」
「今じゃなくてもいい?」
「別にいいけど」
「真依も来る?」
「行くかどうかは、終わってから決める」
「分かった」
それで十分だった。
*
その夜、幸吉は教室で端末の点検をしていた。
交流会でも使う予定の通信機材だ。
緊急信号を受けたとき、担当の補助監督へどう通知するか。別の回線が塞がった場合、予備の受信機へ切り替わるか。
一つずつ確認する。
校長の言葉は、幸吉の中にも残っていた。
宿儺の器を、機会があれば排除する。
彼にとっても、宿儺が危険な存在であることに疑いはない。
けれど、三輪が教室で何を言うかは、ある程度予想できていた。
彼女は強い。
それでも、強いから相手を簡単に扱っていいとは考えない。
百鬼夜行の夜、駐車場で救った六人のことを、何日も覚えていた人間だ。
交流会の最中に誰かが殺されそうになれば、三輪は止めるだろう。
その判断が、自分に向けられたとしたら。
幸吉は工具を置いた。
彼女は、自分の秘密を知らない。
知らないまま、端末を一緒に試し、困ったら呼ぶと言った。
この通信系統が完成すれば、学生たちは前より助けを求めやすくなる。
一方で、幸吉は学校の情報を、外へ渡している。
自分が守ろうとしているものと、危険にさらしているものが、同じ場所にあった。
端末の表示が変わる。
試験用の信号が届いた。
『受信確認』
画面の文字を見て、幸吉は記録を残した。
今は、手を止められない。
*
後日、三輪は歌姫と一緒に、校長室へ呼ばれた。
室内には五条もいた。
「来たね、三輪ちゃん」
「はい」
楽巌寺は机の向こうに座っている。
前に教室で話したときと同じように、その視線は厳しかった。
歌姫が資料を開く。
「交流会中の対応を確認します」
虎杖が本人の意思で行動している間、学生同士の訓練を利用して危害を加えない。
宿儺が表に現れ、周囲への危険が生じた場合は、まず参加者を退避させる。
学生が一人で判断を抱え込まないよう、教員と補助監督へ直ちに連絡する。
緊急時は交流会を中止する。
三輪は、一つずつ聞いた。
「私が近くにいるときは、退避する時間を作ります」
「無理に一人で抱える必要はないわ」
歌姫が言う。
「はい。でも、私が一番近いときは、私が止めます」
五条が三輪を見る。
「その場合、僕も向かう。どっちかがいるから、もう片方は何もしなくていい、とは考えないで」
「分かりました」
楽巌寺は資料を見たまま言った。
「器に危険がないと認めたわけではない」
「はい」
三輪は答える。
「校長先生が、心配されていることも分かります」
「分かっておるなら、処刑に反対する理由はないはずじゃ」
三輪は少し考えた。
「私には、まだ分からないことがたくさんあります。宿儺をどうすればいいのかも、虎杖くんを助ける方法があるのかも」
五条も歌姫も、口を挟まなかった。
「でも、分からないから、虎杖くんが生きている間に、できることを探したいです」
楽巌寺の手が、杖を握る。
「その間に、犠牲が出たらどうする」
三輪は黙った。
出ない、と言うことはできない。
自分がどれだけ強くても、見えないところで起きることまでは止められない。
「その責任は、私たち大人が負います」
歌姫が言った。
「学生に曖昧な指示を出し、あとから事故だったと処理するのではなく、何が起きたかを確認して、必要な対応を取ります」
五条も続けた。
「僕が虎杖を預かった。危険への備えも、本人を生かす方法を探すのも、僕の責任だよ」
楽巌寺は五条を見た。
「お前が責任を取れば、死んだ者が戻るとでも?」
「戻らない」
五条は軽く笑わなかった。
「だから、何も考えていないわけじゃない。危険を減らすために、今日ここで話してる」
長い沈黙があった。
やがて楽巌寺は、資料の端を指で叩いた。
「この条件は受け入れる。だが、器の処刑が必要という私の考えは変わらん」
「それは分かっています」
歌姫が言った。
三輪も頷いた。
校長を説得できたわけではない。
今回、学生たちが集まる場所で何をしてはいけないか、何か起きたら誰が動くかを決めた。
それだけでも、曖昧なまま迎えるよりはよかった。
*
校長室を出ると、五条が三輪の隣を歩いた。
「ありがとね」
「え?」
「虎杖のこと。会ってから、自分で考えてくれて」
三輪は首を振った。
「まだ、分からないことばかりです」
「それでいいよ。分からないまま、考えるのをやめないでくれれば」
五条は窓の外を見た。
演習場では、誰かが訓練しているらしく、乾いた音が聞こえる。
「ただ、三輪ちゃんにも約束してほしい」
「はい」
「虎杖を守るために、他の生徒を危険に置かないこと。逆に、他の誰かを守るために、虎杖を最初から切り捨てないこと」
三輪は頷いた。
「難しいけど、考えます」
「うん。難しいよ」
五条は、そこでようやく、いつもの笑い方をした。
「だから、先生たちも一緒に考える」
三輪は少し安心した。
「お願いします」
「任せて」
その返事を聞いてから、三輪は足を止めた。
「あの、五条先生」
「何?」
「交流会が終わったら、一年生たちとお店に行く約束をしていて」
「うん」
「予定が変わらなければ、行っても大丈夫でしょうか」
五条は一瞬、黙った。
それから、笑った。
「虎杖たちが聞いたら喜ぶと思うよ」
「よかったです」
「ただし、僕のお土産も忘れずに」
「そこは自分で買いなさい」
後ろから来た歌姫に言われ、五条が振り返る。
三輪は二人のやり取りを聞きながら、手帳を取り出した。
交流会の日。
そのあとに、小さく書き足す。
『釘崎さんたちと、お店』
まだ決まっていないことは、いくつもある。
虎杖のことも、宿儺のことも、校長の考えも。
それでも、訓練が終わったあとに、また一緒に座って話したかった。
三輪は手帳を閉じ、二人のあとを追った。