三輪霞は、剣だけでいい   作:ケーケーケー

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AI利用です


第二十九話 身体を取り戻した日

 

 真人の腕が伸びた。

 

 刃物のように薄くなった指先が、幸吉の首へ迫る。

 

 幸吉は床を蹴った。

 

 身体が、思ったとおりに動いた。

 

 そのことに驚いている暇はなかった。背中から水へ落ちる。衝撃と冷たさが、いっぺんに皮膚へ広がった。

 

 痛くない。

 

 いや、痛みはある。床へ触れた肘も、水を打った背中も、確かに痛い。

 

 けれど、それは生まれてからずっと身体を覆っていた痛みとは違った。

 

 動いたから、ぶつかったから生じる痛み。

 

 避ければ、次は受けずに済む痛みだった。

 

 幸吉は水の中で身体をひねった。

 

 上から真人が覗き込んでいる。

 

「動けるじゃん」

 

 楽しそうな声だった。

 

 幸吉は返事をしなかった。

 

 水底へ向けて呪力を送る。

 

 隠してあった機構が動き、太い腕が水面を突き破った。

 

     *

 

 真人の足元で、床が割れた。

 

 水と瓦礫が跳ね上がる。その間を、幸吉の身体を包んだ機械の腕が上昇した。

 

 真人は軽く跳び、壁を蹴って距離を取る。

 

「へえ。そんなものまで用意してたんだ」

 

 幸吉は腕の内側を駆け上がり、開いた搭乗口へ飛び込んだ。

 

 走れる。

 

 脚が自分の体重を支える。

 

 今まで傀儡を動かすことで知っていたはずの動作が、自分の身体で行うと、まるで違うものに感じられた。

 

 手すりを握る指。

 

 金属を踏む足裏。

 

 息を吸う胸。

 

 全部が、自分のものだった。

 

 座席へ身体を収め、固定具を下ろす。

 

 正面の表示が次々に点灯した。

 

 究極メカ丸、絶対形態。

 

 この日のために、長い時間をかけて準備したものだった。

 

 身体を動かすことのできなかった年月。

 

 その間に蓄えた呪力を、機体の内部へ封じてある。

 

 使えば、減る。

 

 取り戻すには、また時間がかかる。

 

 だから、ここで無駄にはしない。

 

 生きて、ここを出るために使う。

 

 巨大な機体が立ち上がった。

 

 天井を押し破り、外の光が差し込んでくる。

 

 幸吉は一瞬、目を細めた。

 

 空だった。

 

 機械の視界で何度も見た空。

 

 それを、自分の目が見ていた。

 

     *

 

「ずいぶん大きいね」

 

 真人は崩れた建物の上へ着地した。

 

 その後ろ、少し離れた場所に、夏油傑の姿をした男が立っている。

 

 額の縫い目は、遠目にも見えた。

 

 幸吉は外部音声を開いた。

 

「取引は終わった。もう、お前たちに協力する理由はない」

 

「うん。だから、今度は遊ぼうって言ってるんだよ」

 

 真人が笑う。

 

 幸吉は機体の腕を上げた。

 

 掌の中央へ呪力が集まる。

 

 照準を合わせる。

 

 真人は、こちらが何をするか見ている。

 

 それなら、最初の一発は当てられる。

 

 掌から、光が走った。

 

 呪力の奔流が建物の一部を呑み込み、地面を削る。

 

 真人の姿が、その中へ消えた。

 

 幸吉は撃ち終わるより先に、別の画面を開いた。

 

 通信。

 

 まず、学校へ繋ぐ。

 

 何があったかを伝える。

 

 自分が何をしていたかも、敵が誰なのかも。

 

 すべて、話す。

 

 接続要求を送る。

 

 返答はなかった。

 

 画面に警告が出る。

 

 外部への通信が、遮られている。

 

 幸吉は顔を上げた。

 

 空の色が、変わっていた。

 

 薄暗い膜が、周囲を包んでいる。

 

 帳。

 

 外へ出られるかどうか以前に、まず声を閉じ込められていた。

 

     *

 

 煙の中から、小さな影が飛び出した。

 

 真人だった。

 

 身体を獣のように変え、瓦礫を足場に跳ぶ。

 

 幸吉は機体の左腕を振った。

 

 太い拳が真人を捉え、横へ叩き飛ばす。

 

 だが、真人は空中で身体を変えた。

 

 腕が翼のように広がり、姿勢を立て直す。着地したときには、すでに人の形へ戻っていた。

 

「派手だけどさ」

 

 真人が自分の肩を回した。

 

「それで俺を倒せるの?」

 

 幸吉は答えない。

 

 普通の攻撃だけでは足りないことは、分かっていた。

 

 真人は魂へ触れ、身体の形を変える。

 

 損傷した身体を、魂の形に合わせて戻す。

 

 大きな呪力をぶつければ、それで確実に祓える相手ではない。

 

 だから、そのための手段も用意した。

 

 機体の腕の中で、小さな筒が送られる。

 

 簡易領域を封じたもの。

 

 数は限られている。

 

 ここで使い切れば、その先の対抗手段が減る。

 

 真人が地面を蹴った。

 

 身体を細くし、機体の足元へ潜り込む。

 

 幸吉は右膝を引き、踏みつけるふりをした。

 

 真人が避ける。

 

 その先へ、左の掌を向けた。

 

 呪力を絞った砲撃。

 

 大きく広げず、進路へ撃ち込む。

 

 真人が上へ跳んだ。

 

 機体の胸部へ手をかけ、そのまま搭乗口を目指す。

 

 狙いは、幸吉自身だった。

 

「そこか」

 

 幸吉は左腕を戻した。

 

 掌の内側に、真人を包むような空間を作る。

 

 封じた筒を、作動させた。

 

 小さな領域が開く。

 

 真人の表情が変わった。

 

 次の瞬間、機体の指が閉じた。

 

 肉を潰すような、短い音。

 

 真人は腕を失いながら、指の隙間から抜け出した。

 

 地面へ落ち、膝をつく。

 

「……今の、何?」

 

 笑いが、少し薄れていた。

 

 幸吉は息を吐いた。

 

 一つ。

 

 残りの数を確認する。

 

 効く。

 

 だが、知られた以上、次は同じように近づいてこないだろう。

 

 勝つにも、逃げるにも、相手の次の動きを見なければならなかった。

 

     *

 

 療養場所では、歌姫が補助監督の報告を聞いていた。

 

「移動に使われたと思われる痕跡が見つかりました。ただ、道路へ出たあたりで分かりにくくなっています」

 

「周辺の車の出入りも確認して。本人の身体では、ここから一人で遠くへ動くのは難しいはずよ」

 

 三輪は、部屋の入口でその話を聞いていた。

 

 幸吉が普段使っていた機材は、記録を残しながら確認されている。

 

 表示の一部は、まだ動いていた。

 

「先生」

 

 三輪は歌姫を見る。

 

「この機械、学校と繋がっているものだけじゃないんですよね」

 

「ええ。傀儡の操作や、別の場所の設備も含まれているみたい。ただ、私たちには、全部は分からない」

 

 歌姫は図面へ視線を落とした。

 

 幸吉が書き込んだ、予備の通信設備。

 

 そこから伸びる配線は、入口脇のものとは別になっていた。

 

 補助監督が、表示を確かめる。

 

「こちら、外部の設備との接続記録が残っています」

 

「場所は分かる?」

 

「登録されている名称だけです。位置の情報は、まだ確認できていません」

 

 三輪は画面へ近づきかけ、足を止めた。

 

 触ってはいけない。

 

 分からないまま操作すれば、手がかりを消すかもしれない。

 

「幸吉くん、自分の身体がある場所と、傀儡を置いている場所は違うって、言っていました」

 

 三輪は覚えていることを話した。

 

「学校にいる傀儡だけじゃなくて、別のものも動かしているなら……そこに、行っている可能性はありませんか」

 

「あるわね」

 

 歌姫は頷いた。

 

「ただ、場所を一つに絞る根拠はまだない。記録を調べながら、周辺の確認も続ける」

 

 補助監督が別の機材へ連絡する。

 

 三輪は、その横で立っていた。

 

 刀を持って走ることならできる。

 

 けれど、向かう先が分からなければ、何も始まらない。

 

 その事実が、胸の奥へ重く残った。

 

     *

 

 機体の装甲が裂けた。

 

 真人の腕が槍のように伸び、右肩の関節へ突き刺さる。

 

 幸吉は機体を捻り、装甲ごとそれを引き剥がした。

 

 右腕の動きが鈍る。

 

 表示が赤く変わった。

 

 真人は、簡易領域を仕込んだ掌へ近づかない。

 

 機体の可動部を狙い、姿を変えながら少しずつ削ってくる。

 

 幸吉は砲撃を放った。

 

 真人が地面へ伏せる。

 

 爆風の向こうで、細い身体が走った。

 

 幸吉は照準を追わせかけ、やめた。

 

 真人の身体の一部が、地面へ残っている。

 

 囮だ。

 

 本体は、機体の足元へ回っていた。

 

 左腕を下ろす。

 

 爪のように変わった手が、掌の縁を削る。

 

 幸吉は指を閉じず、横へ払った。

 

 真人が飛ぶ。

 

 その着地へ、足を踏み込んだ。

 

 地面が割れ、真人の姿勢が崩れる。

 

 幸吉は砲撃を続けなかった。

 

 今必要なのは、ただ大きく撃つことではない。

 

 相手が避けた先へ、次の攻撃を置く。

 

 三輪の映像を、一緒に見たときのことを思い出した。

 

 逃げた相手へ追いつくより前に、その進路へ剣を運んでいた。

 

 自分に同じ剣は使えない。

 

 だが、機体の腕と脚、残された呪力で、選択を狭めることはできる。

 

 左から払う。

 

 真人が下へ潜る。

 

 そこへ、右足。

 

 さらに奥へ跳ぼうとした身体へ、損傷した右腕を向ける。

 

 真人が、一瞬だけ止まった。

 

 幸吉はその間に、通信画面へ目を走らせた。

 

 まだ、繋がらない。

 

 帳の外へ出るか。

 

 あるいは、外へ通じる場所を一瞬でも作るか。

 

 ここで真人を倒せたとしても、もう一人がいる。

 

 そのことを忘れるわけにはいかなかった。

 

     *

 

 夏油傑の姿をした男は、戦いを眺めていた。

 

 自ら前へ出る様子はない。

 

 それが、かえって幸吉を追い詰めていた。

 

 真人だけなら、機体の出力を集中させることもできる。

 

 だが、もう一人の力も、逃げる経路も、分からない。

 

 そして、三輪たちは、まだ何も知らない。

 

 幸吉は正面を見たまま、外部設備へ短い命令を送った。

 

 帳の中に置いた予備の傀儡。

 

 戦闘用ではない、小さな機体だ。

 

 これまでは、外周の確認に使っていた。

 

 その一つを、地面へ沿わせて動かす。

 

 目立つ動作をさせない。

 

 自分の機体へ真人の注意が向いている間に、建物の陰から出す。

 

 学校の受信機へ届かなくても、療養場所の予備設備へは繋がるかもしれない。

 

 そこから学校へ、中継できれば。

 

 幸吉は呼吸を整えた。

 

 治ってから、全部自分で片づけるつもりだった。

 

 敵を倒して、情報を持ち帰り、それから、謝るつもりだった。

 

 だが、それは、今この場所で死ねば何も残らない考えでもあった。

 

 救援を呼ぶ条件。

 

 生徒たちへ説明した言葉が、頭をよぎる。

 

 続行が危険だと判断したとき。

 

 一人では対応できないとき。

 

 声で伝えられなくても、まず通知する。

 

 幸吉は、予備機の送信を作動させた。

 

     *

 

「反応がありました」

 

 補助監督の声に、三輪は顔を上げた。

 

 歌姫がすぐに画面へ寄る。

 

「本人?」

 

「まだ分かりません。予備設備に外部から接続要求が入りました。ただ、途中で切れています」

 

「記録は?」

 

「残っています。接続元の識別もあります」

 

 部屋の空気が変わった。

 

 それまで動かなかった画面に、短い文字列が表示されていた。

 

 三輪には、意味が分からない。

 

 歌姫も同じだった。

 

 しかし、通信担当の補助監督は、別の用紙を取り出した。

 

「登録機材の一覧と照合します」

 

 紙をめくる音がした。

 

 三輪は息を止めそうになり、ゆっくり吐いた。

 

 急かしても、照合は早くならない。

 

 目の前で調べてくれている人の邪魔をしない。

 

「これです。外部の中継用機体。配置先の記録があります」

 

「現在地は?」

 

「固定配置の記録なので、今も同じ場所かは分かりません。ただ、この周辺です」

 

 地図が開かれる。

 

 山の間に、古い設備用の道路が一本伸びていた。

 

 その先に、閉鎖された施設の印がある。

 

 歌姫は携帯電話を取り出した。

 

「現地へ確認を。場所は送ります。五条にも連絡して」

 

 三輪は刀袋を手に取った。

 

 歌姫がこちらを見る。

 

「三輪は私と行くわ。藤村さん、車をお願い」

 

「はい!」

 

 三輪は頷いた。

 

 手がかりが一つ見つかっただけだ。

 

 そこに幸吉がいると、決まったわけではない。

 

 それでも、今は向かう先ができた。

 

     *

 

 予備機の映像が、突然、暗くなった。

 

 幸吉は歯を食いしばった。

 

 最後に見えたのは、地面へ落ちる影だった。

 

 もう一人が、動いた。

 

 夏油の姿をした男が、建物の陰から小さな残骸を拾い上げている。

 

「こんなものも用意していたのか」

 

 穏やかな声が、外部音声から聞こえた。

 

「連絡が欲しかったなら、そう言ってくれればよかったのに」

 

 幸吉は返事をしなかった。

 

 接続は、一瞬だけ通った。

 

 何が届いたかは分からない。

 

 音声も送れなかった。

 

 位置情報も、完全には渡っていないかもしれない。

 

 だが、要求は送った。

 

 それまで、何もなかった画面の向こうへ。

 

 真人が機体の腕へ飛び乗った。

 

「よそ見してる場合?」

 

 幸吉は左腕を振り上げる。

 

 真人を振り落とし、機体の胸部を守る。

 

 まだ、身体は動く。

 

 この機体も、立っている。

 

 残りの呪力を確かめ、幸吉は次の筒を送った。

 

 もう、全部を一人で終えることにこだわらない。

 

 誰かが気づいてくれるまで。

 

 声が届くところへ出られるまで。

 

 自分がしたことを、自分の口で話すまで。

 

 生きる。

 

     *

 

 車の中で、三輪は地図を見ていた。

 

 細い道路。

 

 途中で舗装の切れる区間。

 

 施設の入口へ向かう道は、一つしか記録されていない。

 

「この先は、車で進めない可能性があります」

 

 藤村が言った。

 

「分かりました」

 

 歌姫は通信を確認している。

 

 現地へ近い術師にも連絡が入った。五条も事情を把握し、移動を始めているという。

 

 三輪は刀を袋から出し、鞘ごと抱え直した。

 

 車窓の向こうで、山の稜線が近づく。

 

 もう一度、幸吉へかけてみた。

 

 返事はなかった。

 

 だが、さっきとは少し違う。

 

 彼の機材から、外へ向けた接続要求があった。

 

 それが自動のものか、本人が送ったものかは、まだ分からない。

 

 三輪は携帯電話をしまった。

 

 道が曲がる。

 

 その先で、鳥が一斉に飛び立った。

 

 少し遅れて、遠くから低い音が聞こえる。

 

 雷ではない。

 

 山の向こうで、何かが崩れた音だった。

 

 三輪は顔を上げた。

 

 歌姫も、同じ方向を見ている。

 

「藤村さん、ここで止めて」

 

 車が減速する。

 

 三輪は鞘を握った。

 

 まだ、幸吉の姿は見えない。

 

 けれど、その先に戦いがあることは、もう分かった。

 

 車が止まる。

 

 扉を開けると、湿った土の匂いがした。

 

 三輪は地面へ足をつき、音のした方向へ目を向けた。

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