三輪霞は、剣だけでいい   作:ケーケーケー

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AI利用です


第三話 強いことと、知っていること

 

「東堂君にも、ですか」

 

 受話器の向こうで、しばらく声が途切れた。

 

 翌朝、歌姫は三輪の指導に当たっていた人物へ電話をかけていた。入学手続きの際にも一度話している。そのときは、よく稽古をする、素直な子だと聞いた。

 

 今も、その説明が間違っていたとは思わない。

 

 ただ、随分と足りなかった。

 

「術式を使った二本目も、三輪さんが取りました。昨日の映像も送っています」

 

「今、見ています」

 

 小さく、何かを操作する音がする。

 

 歌姫は机の上に、入学時の資料を広げた。

 

「一つ、確認させてください。三輪さんには、こちらで実力を抑えるように指示しましたか?」

 

「いいえ。人に怪我をさせないように、とは言いましたが」

 

「そうですか」

 

「加減はできます。その子は」

 

 映像の再生音が止まった。

 

「私では、もう確かめられなくなっていたんです。どこまで動けるのか」

 

 歌姫はペンを置いた。

 

「……いつからですか」

 

「最初に一本を取られたのは、基本の打ち込みを教え終えたころでした。もちろん、最初は私も、稽古として受けていました。それで少しずつ難しくして、癖を直して、次には同じ入り方をさせないようにして」

 

 声が、わずかに笑った。

 

「次には、直っているんですよ。こちらがそう言った理由まで、分かっている。いずれは追い越されると思いましたが、あれほど早いとは」

 

「では、入学前にはもう、勝てなかったと」

 

「ええ。手を抜いてもらって、ようやく稽古が続くくらいには」

 

 歌姫は、昨日の三輪を思い出した。

 

 東堂の手が合わさる、その前へ入った足。

 

 同じことをすれば止められると分かってからも、身体がそちらへ動いてしまう。三輪の剣には、そういうところがあった。

 

「報告書に、もう少し詳しく書いていただきたかったです」

 

「すみません。ただ、私が勝てないという話と、東堂君に勝つという話は、同じではないでしょう」

 

 それは、そうだった。

 

 指導者が自分の教え子を高く評価することも珍しくない。歌姫自身、書類にどんな文言があれば、昨日を予想できたかと問われれば困る。

 

「教えた内容と、最後の稽古の様子をまとめて送ってください。できれば、こちらへ来ていただける日も」

 

「分かりました。……あの子、何か困ってはいませんか」

 

 その質問だけ、先ほどまでと調子が違った。

 

 歌姫は窓の外へ目を向ける。

 

 朝の校舎には、まだ人影が少ない。

 

「今のところは。授業もきちんと受けています」

 

「それなら、よかった」

 

「ただ、遠慮していることはあるかもしれませんね」

 

「そういうところはあります。家のことになると特に。必要な物でも、なくて済ませようとするので」

 

 歌姫は、そのことも書き留めた。

 

「気にかけておきます」

 

 礼を交わして電話を切る。

 

 手元には、三輪が何をできるかという記録と、何を聞いておくべきかという覚え書きが残った。

 

 歌姫は両方を、一緒に資料へ挟んだ。

 

     *

 

「ここだ」

 

 メカ丸の声に合わせて、画面が止まった。

 

 教室のモニターには、昨日の稽古が映っている。歌姫の許可を得て、授業の前に見せてもらえることになっていた。

 

 三輪は机に手をつき、少し身を乗り出した。

 

 画面の中では、自分と東堂が向かい合っている。

 

「次で入れ替わる」

 

 映像が動く。

 

 東堂の手が合わさり、二人の位置が変わった。

 

 三輪は目を細めた。

 

「……あ、本当だ」

 

「何がだ」

 

「足。向きは、変わってないんだね」

 

 入れ替わる直前に下ろそうとしていた足は、移った先で、そのまま同じ方を向いている。昨日は身体を回して対応したが、あの瞬間に何が変わって、何が変わらなかったのかまでは見えていなかった。

 

「少なくとも、昨日の二回はな」

 

「うん」

 

 場所が変わった直後の自分を、もう一度見せてもらう。

 

 真依が、後ろの席から声をかけた。

 

「勝ったのに、そんなに見ることある?」

 

「あるよ。次は同じようにやらせてもらえないかもしれないし」

 

「東堂先輩と、まだやるつもり?」

 

「約束しちゃったから……」

 

 あのとき西宮が何とも言えない顔をした理由は、今なら少し分かる。

 

 三輪は画面から顔を上げて、メカ丸を見た。

 

「ありがとう。見られてよかった」

 

「まだ続きがあるが」

 

「あ、でも、授業の準備もしないと」

 

「あと四分ある」

 

 教室の時計を見る。

 

 確かに、四分あった。

 

「じゃあ、もう一回だけ。最初のところから、お願いしてもいい?」

 

 メカ丸が端末を操作する。

 

 真依は頬杖をつき、今度は自分も画面へ目を向けた。

 

     *

 

 その日の午後、一年生の三人は、車で校外へ出た。

 

 向かったのは、使われなくなった研修施設だった。門の脇に、色の褪せた案内板が残っている。建物は三階建てで、周りを低い塀に囲まれていた。

 

「今日は講習です。呪霊の調査と祓除は済んでいますが、勝手に別の場所へ行かないこと」

 

 車を降りた歌姫が説明する。

 

 担当の補助監督が門の鍵を開け、その隣で西宮が箒を持ち直した。今日は先輩として、一年生の実習を手伝うのだという。

 

 三輪は肩から下げた刀袋を、身体の脇へ寄せた。

 

「刀は、そのままでいいですか?」

 

「ええ。今日は抜かずに終える予定です」

 

 歌姫は全員を門の内側へ入れてから、補助監督へ頷いた。

 

 短い呪詞が唱えられる。

 

 頭上から、黒いものが下りてきた。

 

 三輪は思わず空を見上げた。

 

 明るかった敷地が、薄暗くなる。遠くの車の音は聞こえるのに、塀の向こうは見えなくなっていた。

 

「これが帳です」

 

 補助監督が言った。

 

「今日は、中で何をしているか外から分からないようにしています。出入りを禁じる条件はつけていません」

 

「条件で、変えられるんですか?」

 

 三輪の質問に、補助監督が頷く。

 

「はい。ですから、帳を見たという連絡だけで、性質まで伝わるわけではありません。入れたのか、出られたのか。それも現場の大事な情報です」

 

 三輪は手帳を開きかけた。

 

「最初は見て。あとで書く時間を取るから」

 

 歌姫に言われ、手を止める。

 

「はい」

 

「まず、建物の入り口と、敷地の出口を確認しましょう」

 

 西宮が一同の前へ出た。

 

「正面の門以外にも、裏に通用口があるの。あと、右側の塀に壊れてるところがあるから、そこは近づかないでね」

 

 短い説明のあと、西宮が箒にまたがった。

 

 ふわりと、その身体が浮き上がる。

 

「わ……」

 

 三輪の声が漏れた。

 

 西宮が振り返る。

 

「どうしたの?」

 

「あ、すみません。飛べるんだ、と思って」

 

「上から見た方が分かりやすいこともあるからね。戻ったら、どこが見えなかったかも教える」

 

 箒が建物の上へ昇っていく。

 

 三輪はつい目で追いかけ、真依に袖を引かれた。

 

「こっちは、こっち」

 

「あ、うん」

 

 三人で玄関へ向かう。

 

 強くなっても、ああいうことができるようになるわけではない。

 

 便利そうだし、少し羨ましかった。

 

     *

 

 最初の課題は、建物の見取り図を確かめることだった。

 

 渡された図面には、廊下と部屋と階段が記されている。ただし、使えない通路や、置きっぱなしになった家具までは載っていない。

 

 実際に歩いて、通れる場所を確認していく。

 

 三輪は二階の廊下で立ち止まった。

 

 行き止まりに見える場所の手前に、細い扉がある。

 

「ここも、開けて確認するんですよね」

 

「ええ。ただし、先に」

 

 歌姫が続きを待つ。

 

 三輪は、扉から一歩離れた。

 

「扉の向こうに何かいないか、ですか?」

 

「それも。今、一緒にいる二人がどこにいるかは?」

 

 振り返る。

 

 真依はすぐ後ろ。メカ丸は廊下の反対側で、別の扉を確認していた。

 

 三輪は声をかけた。

 

「メカ丸。こっち、開けるね」

 

「少し待て。そちらへ行く」

 

 戻ってきたメカ丸を待ってから、扉を開ける。

 

 中は狭い物置だった。窓はなく、棚には空の箱がいくつか残っている。

 

「何かあったら、すぐ戻ればいいと思ってました」

 

 三輪が言うと、歌姫は物置の中を見ながら頷いた。

 

「戻れるとしても、二人から見えなくなったでしょう。呼びに来るか、待つか、その判断が必要になるわ」

 

「……はい」

 

 今の扉なら、開けて中を見て、戻るまでにほとんど時間はかからない。

 

 それでも、こちらが何をするか知らされなければ、待つ方には分からないのだ。

 

 三輪は図面の物置へ印をつけた。

 

 その隣へ、小さく扉の開く向きも書き足す。

 

「これも要る?」

 

 真依が覗き込んだ。

 

「帰るとき、向こうに立ってたらぶつかるかもしれないし」

 

 扉は廊下へ向かって開く。

 

 真依はしばらく図面を見てから、何も言わず、自分の紙にも同じ印をつけた。

 

     *

 

 見取り図の確認が終わると、今度は人を運び出す練習になった。

 

 被救助者に見立てた人形を二階から玄関まで運ぶ。建物の中には敵がいる想定で、歌姫が途中で条件を加える。

 

 三輪は人形の脇へしゃがんだ。

 

 背負って走れば、すぐに外へ出られる。

 

 そう思って、手を止めた。

 

「先生。この人は、怪我をしてますか?」

 

「倒れていた理由は、分かっていません」

 

「動かして大丈夫か、先に見た方がいいんですね」

 

 歌姫が頷く。

 

「実際の確認の仕方は、これから教えます。今は、持ち上げられる重さかどうかだけで決めないことを覚えて」

 

 手順を教わり、用意された担架へ人形を移す。

 

 三輪とメカ丸が前後を持ち、真依が廊下の先へ出た。

 

 階段の手前で、西宮が待っている。

 

「正面の階段は通れません」

 

 課題の条件が、一つ増えた。

 

 三輪はすぐに、先ほど見た廊下の奥へ目を向けた。

 

「裏の階段なら――」

 

「待って。そっちは狭かった」

 

 真依が言った。

 

「踊り場、これ持って曲がれる?」

 

 担架の長さを見る。

 

 確かに、階段を下りるだけならともかく、途中で向きを変えるには窮屈だ。

 

 三輪一人なら、手すりを越えて下りられる。

 

 今は、それでは駄目だった。

 

「じゃあ、反対側の渡り廊下から。あっちに、もう一つ階段があったよね」

 

「そこまでの扉を見てくる。少し待って」

 

 真依が先に進む。

 

 三輪とメカ丸は、人形の傾きに気をつけて担架を下ろした。

 

 何もしていないようで、少し落ち着かない。

 

 けれど、自分が確かめに行けば、今度は担架を運ぶ人数が減る。

 

「そちらを持ち上げるのが、少し早い」

 

 メカ丸が言った。

 

「あ、ごめん。傾いてた?」

 

「次は、声を合わせろ」

 

「うん。分かった」

 

 ほどなく真依が戻ってくる。

 

「通れる。扉も開けてきた」

 

「ありがとう。じゃあ、持ち上げるね。せーの」

 

 今度は、担架が水平に上がった。

 

     *

 

 玄関を出たところで、講習はいったん終わった。

 

 手帳を広げる時間をもらい、三輪は忘れないうちに書き込んでいく。

 

 同じ場所で待つ人を決める。

 

 連絡するときは、自分のいる階と部屋を伝える。

 

 負傷者がいるときは、通れる道も変わる。

 

 隣へ座った真依が、水の入ったペットボトルを開けた。

 

「あんた、さっき、本気で運ぼうとしてたでしょ」

 

「最初? うん。背負えると思ったから」

 

「担架でも、一人で持てそうだったけど」

 

「持てるよ。でも、揺らさないのは難しいね」

 

 三輪は自分の手を見る。

 

 速く動くことと、横になった人を揺らさずに運ぶことは、同じではなかった。

 

「真依が先に見てくれて、助かった。あの階段、私だけだったら使ってたと思う」

 

 真依はペットボトルを口元へ運びかけて、止めた。

 

「……見れば分かるでしょ」

 

「うん。見たのに、思いつかなかった」

 

 三輪が答えると、真依は今度こそ水を飲んだ。

 

 少し離れたところから、西宮が戻ってくる。

 

「上からは、裏口の前までは見えた。でも、屋根が出てるところの下は見えなかったよ」

 

 そう言って、三輪の開いた見取り図を指差した。

 

「ここにいたら、私からは分からない。上にいるから全部見えるって思わないでね」

 

「はい」

 

 三輪は、示された場所に斜線を引いた。

 

 先輩の箒は、やっぱり便利だった。

 

 けれど、下から伝えなければならないこともある。

 

 紙の上に、最初にはなかった印が増えていく。

 

     *

 

 帰り支度の前に、歌姫が三人を呼び集めた。

 

「今日やったことは、任務のごく一部です。実際には、分からないことがもっと多いまま動くことになります」

 

 下ろされた帳の向こうに、夕方の空が戻っていた。

 

「三輪さん」

 

「はい」

 

「今朝、あなたに教えていた方と話しました」

 

「先生と、ですか」

 

 三輪の背筋が少し伸びた。

 

「また来てくださるそうよ。稽古の様子も、聞かせてもらいました」

 

「……何か、言ってました?」

 

「困っていないか、気にしていたわ」

 

 それを聞いて、三輪は少しだけ笑った。

 

「昨日も、連絡をもらいました。ちゃんとご飯を食べてるかって」

 

「食べてる?」

 

「はい。おいしいです」

 

「それならよかった」

 

 歌姫も笑い、それから、話を戻した。

 

「あなたの戦闘技術は、引き続き確認します。ただ、それが済んでも、すぐに一人で任務へ出すつもりはありません」

 

「はい」

 

「経験のある人と現場へ出て、調査と報告、救助の手順を覚えてもらいます。二人も同じです」

 

 真依とメカ丸が頷いた。

 

 三輪は、書き込みの増えた見取り図を折り畳んだ。

 

 刀を抜けば、目の前の相手には勝てる。

 

 そのことに、迷いはない。

 

 けれど今日、運び出したのは、動かない人形一体だった。敵もいない。通れないと言われた階段も、本当は使えた。

 

 それでも、教えてもらうことはいくつもあった。

 

「よろしくお願いします」

 

 歌姫へ頭を下げてから、三輪は二人にも向き直った。

 

「真依も、メカ丸も」

 

「急に何」

 

「今日、一緒でよかったなと思って」

 

 真依が、返事に困ったような顔をする。

 

 その横で、メカ丸が言った。

 

「次は、声をかける前に担架を上げるなよ」

 

「分かってるって。次はちゃんと合わせる」

 

 三輪が答えると、真依が小さく笑った。

 

     *

 

 学校へ戻ったあと、三輪は借りた道具を片づけてから、刀を部屋へ戻した。

 

 朝には見なかった着信が、携帯電話に残っている。

 

 師からだった。

 

 今朝の電話で、何か心配させてしまったのだろうか。

 

 三輪は机に座り、かけ直した。

 

「もしもし。霞です。すみません、講習に出ていて」

 

 すぐに、聞き慣れた声が返ってきた。

 

 学校はどうか。部屋に困ったことはないか。新しい刀はまだ買わなくていい、今のを手入れして使うように。

 

 三輪は一つずつ返事をした。

 

「はい。今日、現場の練習をしました。帳も見せてもらって」

 

 手帳を開く。

 

 担架のことを話すと、電話の向こうで笑われた。

 

「持てると思ったら、すぐ持ち上げるから」

 

「今日は、持ち上げる前に聞きました」

 

「それならいい」

 

 三輪も笑った。

 

 こちらへ来る前、最後の稽古を終えたあとにも、師はあれこれと注意をした。

 

 剣のことではなかった。

 

 困ったら先生へ相談すること。必要な連絡を後回しにしないこと。帰省するときは、前の日ではなく、もっと早く知らせること。

 

 あのときは、何度も聞いているのに、と思っていた。

 

「先生」

 

「何ですか」

 

「同級生、二人とも、ちゃんと話してくれます」

 

 今度は、笑い声がしなかった。

 

「そう」

 

「はい。先輩も、いろいろ教えてくれました」

 

「それはよかった」

 

 少しの間、電話の両側が静かになった。

 

 三輪は手帳を閉じた。

 

「また、稽古をつけてください」

 

「学校で、きちんと教わりなさい」

 

「それとは別です」

 

 師は困ったように息をついて、それから、日程を確かめると言った。

 

 電話を終えたころ、廊下から戸を叩く音がした。

 

「三輪。歌姫先生が呼んでる」

 

 真依の声だった。

 

「今行く。何だろう」

 

「任務の説明だって。まだ行くんじゃないわよ。日程と、持ってく物の話」

 

 三輪は閉じたばかりの手帳を、もう一度鞄へ入れた。

 

 刀袋へ伸ばしかけた手を止める。

 

 今から行くのは、説明を聞くための教室だった。

 

 戸を開けると、真依が腕を組んで待っていた。

 

「遅い」

 

「ごめん。先生と電話してた」

 

「歌姫先生?」

 

「ううん。剣を教えてくれた先生」

 

 真依が、少しだけこちらを見る。

 

「何の話?」

 

「ご飯、食べてるかって」

 

「子供じゃないんだから」

 

「そうなんだけどね」

 

 三輪は部屋の鍵をかけた。

 

 真依と並んで、教室へ向かう。

 

 明日からの予定を、一人ではなく、三人で聞きに行くために。

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