三輪霞は、剣だけでいい   作:ケーケーケー

30 / 31
AI利用です


第三十話 帰り道を残す

 

 車を降りると、もう一度、山の向こうで音がした。

 

 木々が震え、枝に残っていた水滴が落ちる。

 

 三輪は音の方向を見た。

 

 遠くの空に、薄い膜がかかっている。山の斜面に沿うように下りた、帳だった。

 

「先生、あそこです」

 

「見えてる」

 

 歌姫は藤村へ地図を渡した。

 

「この道を戻れる状態にしておいて。救急の車両が入れるのは、どこまで?」

 

「下の分岐までなら確実です。その先は道幅が足りません」

 

「分かった。搬送は、そこを中継にするわ」

 

 三輪は刀袋を車へ置き、刀を腰へ差した。

 

 鞘の位置を確かめ、通信機をつけ直す。

 

 歌姫がこちらを見る。

 

「帳の内側には、敵がいる可能性が高い。本人が何をしているのかも、まだ分からない」

 

「はい」

 

「幸吉を見つけたら、まず状態を伝えて。私たちは後ろから入る。救出したあと、どこへ運ぶかまで確認してから動くわ」

 

 三輪は頷いた。

 

 早く行きたい。

 

 さっきから、ずっとそう思っている。

 

 けれど、連れ出した先に誰もいなければ、負傷した彼を抱えたまま戦うことになる。

 

「この道を戻れば、藤村さんがいるんですね」

 

「ええ。途中に確認役も置く。別の道へ出ることになったら、必ず知らせて」

 

「分かりました」

 

 歌姫が通信機へ手を添える。

 

「こちら庵。現地の帳を確認。三輪と接近します。五条の現在地は?」

 

 返ってきた声を聞きながら、彼女は山道へ足を向けた。

 

 三輪も隣へ並ぶ。

 

 湿った土の上に、タイヤの跡が残っていた。

 

     *

 

 右腕が、動かなくなった。

 

 機体の表示に警告が重なり、肩の関節から火花が散る。

 

 幸吉は左腕を振り、近づいた真人を押し返した。

 

 足元の水が跳ねる。

 

 真人は崩れたコンクリートへ着地し、そのまま身体を薄く変えて機体の陰へ滑り込んだ。

 

 見失う。

 

 幸吉は機体を回した。

 

 外装を引き裂く音が、すぐそばでした。

 

 真人の指先が、搭乗部の近くまで届いている。

 

「見つけた」

 

 声が近い。

 

 幸吉は固定具へ背中を押しつけ、左腕を胸元へ戻した。

 

 装甲ごと真人を引き剥がす。

 

 だが、その身体は柔らかく伸び、指の間から抜けていった。

 

 右腕の不調を、相手も把握している。

 

 両側から同時に挟むことができない。

 

 残された簡易領域の筒を確認する。

 

 使えるものは、もう多くない。

 

 幸吉は、一つを左の掌へ送った。

 

 真人は、そこを見ている。

 

 仕掛けがあると知った相手に、同じ手は通じにくい。

 

 ならば、通じないことを使う。

 

 機体の左手を開く。

 

 真人が、その正面から外れた。

 

 幸吉は掌を追わせず、腕をさらに上へ伸ばした。

 

 狙いは、真人ではない。

 

 帳の上方へ向けて、呪力を放つ。

 

 光が膜を叩いた。

 

 周囲の木々が照らされ、黒い空に、わずかな揺らぎが走る。

 

 外へ開いたのか。

 

 完全に破れたのか。

 

 確かめる時間はなかった。

 

 幸吉は、残っている別の小型傀儡へ命令を送った。

 

 通信要求。

 

 短報を優先。

 

 長い説明は入れない。

 

 今いる場所と、敵の情報。

 

 それだけを、外へ。

 

     *

 

 三輪たちが帳の縁へ近づいたとき、通信機が短く鳴った。

 

 雑音が混じる。

 

 歌姫が足を止めた。

 

『……与……幸吉』

 

 三輪は息を止めた。

 

 いつもの声とは違った。

 

 傀儡の外部音声を通した響きではない。

 

 掠れて、息が混じり、ところどころが途切れる。

 

『旧……貯水……施設……』

 

「幸吉! 聞こえる?」

 

 歌姫が呼びかける。

 

 返事はない。

 

 だが、音声は続いていた。

 

『敵……二体……真人……触れ……るな……』

 

 三輪は通信機へ指を添えた。

 

「幸吉くん、三輪です。今、近くまで来てる」

 

 雑音が強くなる。

 

『……すま……』

 

 そこで、途切れた。

 

 呼び出し音も残らない。

 

 三輪はその場から動けなかった。

 

 聞こえた。

 

 彼の名前が。

 

 彼の声が。

 

 けれど、何を謝ろうとしたのかは分からなかった。

 

「今の音声、記録できた?」

 

 歌姫が別の回線へ尋ねる。

 

『はい。発信した機材の識別も取れています』

 

「地図と照合して。旧貯水施設、こちらの北東にあるものね」

 

『一致します。送信元はその周辺です』

 

 歌姫は三輪へ顔を向けた。

 

「場所が絞れたわ」

 

「はい」

 

 三輪の声は、今度ははっきり出た。

 

「生きています」

 

「ええ」

 

「私、先に行きます」

 

 歌姫は一度だけ、地図と帳を見比べた。

 

 道を一緒に歩いていては、三輪の足を止める。

 

 ここから先で必要なのは、すぐに彼へ届く者と、帰る道を確保する者だった。

 

「北東の施設。人を見つけても、敵の性質が分かるまで不用意に触れないで」

 

「分かりました」

 

「私は入口と退路を確保する。五条にも短報を回します」

 

 三輪は頷いた。

 

 左手を鞘へ添える。

 

 足を置く先を見る。

 

 帳の内側へ、一歩踏み込んだ。

 

     *

 

 接続が切れたことを、幸吉は表示で知った。

 

 どこまで届いたのか、分からない。

 

 伝えたかったことの半分も話せなかった。

 

 それでも、最後に何か聞こえた気がした。

 

 自分の名前を呼ぶ声。

 

 近くまで来ている、という言葉。

 

 幸吉は、その声を確かめるように、もう一度接続を試みた。

 

 画面は応答しない。

 

「今の、何をしたの?」

 

 真人が機体の左腕へ立っていた。

 

 幸吉は顔を上げる。

 

 掌を向けるには近すぎる。

 

 真人の足元へ向け、装甲の一部を切り離した。

 

 金属板とともに、真人の姿が落ちる。

 

 幸吉は機体を後退させた。

 

 貯水池の縁。

 

 水面に、巨大な機体の影が揺れている。

 

 あと少し。

 

 何を根拠に、そう思うのかは分からない。

 

 けれど、もう一度送れれば、次はもっと正確な場所を伝えられる。

 

 生きていれば、できることは残っている。

 

 真人が地面を蹴った。

 

 今度は上へ来ない。

 

 機体の脚へ、腕を突き立てた。

 

 関節の隙間から、変形した肉の刃が入り込む。

 

 警告音。

 

 片膝が折れた。

 

 視界が大きく傾く。

 

 幸吉は左腕を地面へつかせ、機体が倒れ切るのを防いだ。

 

 身体を固定具へ押しつける。

 

 自分の身体は、まだ無傷に近い。

 

 それを包む機体が、次々に壊れていく。

 

 真人は、ようやく手に入れた彼の身体へ、少しずつ近づいていた。

 

     *

 

 三輪は山の斜面を走った。

 

 道を選ぶのは、足を着く一瞬前まで。

 

 濡れた葉を避け、露出した根を踏み越える。

 

 正面の木々の向こうで、光が弾けた。

 

 呪力の砲撃。

 

 その下に、大きな金属の影が見える。

 

 傀儡だった。

 

 普段教室で話しているメカ丸とは、比べものにならない大きさがある。

 

 片腕が垂れ、脚の一部が崩れていた。

 

 三輪は走りながら通信する。

 

「大きな傀儡を確認しました。北東の貯水池です。戦闘が続いています」

 

『了解。入口から救助班を入れる。五条もこちらへ向かってるわ』

 

「はい」

 

 視線を上げる。

 

 機体の近くに、一つ、動く影。

 

 人に見える。

 

 だが、その腕の形が変わった。

 

 細く伸び、次の瞬間には、太い刃のようになる。

 

 幸吉の短報を思い出す。

 

 真人。

 

 触れるな。

 

 三輪は刀を抜かず、まず距離を測った。

 

 今いる斜面から水際まで。

 

 そこから傀儡の脚。

 

 あの高さへ届く足場は、どこにあるか。

 

 傀儡が大きく揺れた。

 

 三輪は進路を変えた。

 

 入口を目指すより、機体の倒れる側へ回った方が早い。

 

 土を蹴る。

 

 目の前に、黒い塊が落ちてきた。

 

 呪霊だった。

 

 道を塞ぐように口を開ける。

 

 三輪は抜いた。

 

 一太刀。

 

 胴を断ち、崩れる前にその脇を抜けた。

 

 続いて、木陰から二体。

 

 鞘を引き、刀を返す。

 

 踏み込みは止めない。

 

 二体が、ほとんど同時に消えた。

 

 わざわざ立ち止まって相手をする必要はなかった。

 

 だが、敵がここへ置いたものなら、自分の接近は、もう知られただろう。

 

 三輪は刀を低く持ち、さらに足を速めた。

 

     *

 

 額に縫い目のある男が、林へ目を向けた。

 

 配置していた呪霊との繋がりが、続けて切れた。

 

 一体ずつ、時間をかけて祓われたのではない。

 

 同じ線の上を、何かが駆け抜けている。

 

「真人」

 

 男が声をかける。

 

「そろそろ、終わらせた方がいい」

 

 真人は機体の脚から顔を上げた。

 

「今、いいところなんだけど」

 

「三輪霞が来る」

 

 真人の目が、面白そうに細くなった。

 

「ああ。あの剣の子?」

 

「そうだよ。今の君が、ここで彼女の相手まで続ける必要はない」

 

「花御が切られた相手だっけ」

 

 真人は、自分の腕へ目を落とした。

 

 幸吉の簡易領域によって受けた傷は、いつものように、ただ形を戻せば済むものではない。

 

 戦闘の最初ほど、余裕は残っていなかった。

 

「帰れってこと?」

 

「準備はする。君は、こちらへ戻れる位置を保って」

 

 男は真人だけでなく、貯水池の周囲を見た。

 

 救援が来たなら、幸吉一人を消して終える段階ではなくなる。

 

 三輪の次には、別の術師が来る。

 

 五条悟が現れる可能性もある。

 

 ここで真人まで失うわけにはいかなかった。

 

 男の足元から、黒い影が広がった。

 

 その中へ、複数の呪霊が潜っていく。

 

     *

 

 機体の胸部に、亀裂が入った。

 

 真人は装甲を削り、搭乗部へ指を差し込もうとしていた。

 

 幸吉は左の掌を胸元へ戻す。

 

 簡易領域を封じた筒が、機構の途中で止まった。

 

 表示が点滅する。

 

 腕の損傷が、送り込みの経路にまで及んでいた。

 

「くそ……!」

 

 幸吉は手動へ切り替えた。

 

 固定具を外し、座席の脇へ腕を伸ばす。

 

 筒の一本を掴む。

 

 指が滑りかけ、握り直した。

 

 新しく手に入れた手だ。

 

 まだ、思うように扱い切れない。

 

 それでも、掴めた。

 

 真人の指が、装甲の隙間へ入る。

 

 幸吉は身体を横へ倒し、筒を差し込んだ。

 

 小さな領域が開く。

 

 真人が腕を引いた。

 

 直後、機体の外側で声がした。

 

「また、それか!」

 

 装甲が殴りつけられる。

 

 幸吉の身体が床へ投げ出された。

 

 肩を打つ。

 

 息が止まる。

 

 起き上がろうとした手の下で、金属板が沈んだ。

 

 機体が、倒れ始めていた。

 

     *

 

 三輪が水際へ出たとき、巨大な傀儡は片腕をついたまま傾いていた。

 

 胸の一部が裂けている。

 

 その隙間に、人影が見えた。

 

 男の子。

 

 自分と、同じくらいの年頃。

 

 姿を見たことはない。

 

 それでも、三輪は迷わなかった。

 

「幸吉くん!」

 

 叫んだ声が、貯水池へ響く。

 

 人影が動いた。

 

 顔を上げた。

 

 その反応だけで、もう十分だった。

 

 三輪は崩れたコンクリートを踏み、機体の脚へ飛び移った。

 

 表面が滑る。

 

 足首を返し、装甲の継ぎ目へ靴をかける。

 

 次の足場へ。

 

 その間にも、機体は傾いている。

 

 急がなければ、搭乗部ごと水へ沈む。

 

 三輪は鞘を左手で押さえ、右手の刀を身体へ寄せた。

 

 肩の外装へ飛びつく。

 

 崩れた部材が、頭上から落ちてきた。

 

 刀を上げる。

 

 支えていた細い接合部を断ち、落ちる向きを外へ変える。

 

 重い金属が、水面を叩いた。

 

 幸吉のいる場所が見える。

 

 その手前で、何かが這い上がった。

 

 人の姿をした呪霊。

 

 真人が、こちらを見た。

 

「本当に来た」

 

 三輪は返事をしなかった。

 

 相手の手と、肩と、足の位置を見る。

 

 幸吉との間に、どれだけの距離があるか。

 

 次の一歩を、どこへ置けば届くか。

 

 真人は笑いながら、幸吉の方へ向き直った。

 

     *

 

 幸吉は声を聞いた。

 

 機体の外から。

 

 通信機でも、傀儡の耳でもない。

 

 自分の耳へ、直接届いた声だった。

 

 三輪が、自分を呼んでいる。

 

 顔を上げると、裂けた装甲の向こうに、青い髪が見えた。

 

 来てはいけない。

 

 そう言おうとした。

 

 敵がいる。

 

 自分は、彼女たちへ嘘をついていた。

 

 ここへ来た理由も、身体が治った理由も、何一つ話していない。

 

 けれど、声になるより先に、真人が降りてきた。

 

「じゃあ、最後に」

 

 腕が伸びる。

 

 細い刃ではなかった。

 

 開いた、人の手。

 

 その掌が、幸吉へ向かう。

 

 触れられてはならない。

 

 幸吉は身体を引いた。

 

 背中が機体の壁へ当たる。

 

 もう、後ろへは下がれない。

 

 残った筒を持ち上げようとする。

 

 肩が痛む。

 

 指が、間に合わない。

 

 真人の掌が、目の前まで来た。

 

 その軌道を、銀色の線が横切った。

 

 手首が離れる。

 

 斬られた先が、幸吉の頬へ触れる直前で弾かれた。

 

 続いて、足音がした。

 

 彼と真人の間へ、一人分の影が入る。

 

 三輪だった。

 

 左足を前に置き、刀を下げず、真人へ向けている。

 

 息は上がっていた。

 

 けれど、切っ先は揺れていなかった。

 

「三輪……」

 

 幸吉が呼ぶ。

 

 彼女は顔を向けなかった。

 

 相手から目を離さず、短く答えた。

 

「うん。来たよ」

 

 真人の腕が、切断面から動き始める。

 

 三輪は、ほんの半歩、幸吉へ近づいた。

 

 その身体を、自分の背中の後ろへ収めるように。

 

「先生たちも、すぐ来るから」

 

 それから、刀を構え直した。

 

 幸吉の目の前に、今度は彼女の背中があった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。