三輪霞は、剣だけでいい   作:ケーケーケー

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第三十一話 今は、立たなくていい

 

 真人の手首が、切断面から膨らんだ。

 

 新しい指が伸び、掌の形へ戻っていく。

 

 三輪はそれを見ていた。

 

 治している、というより、形を作り直している。

 

 切り落とした手は、足元で黒く崩れ始めていた。そこから何かが飛びかかってくる気配はない。

 

 だが、目の前の相手からは目を離せなかった。

 

「君が三輪霞?」

 

 真人が首を傾げる。

 

「思ったより、普通の子だね」

 

 三輪は答えなかった。

 

 真人の右足が、わずかに後ろへ動く。

 

 その膝が曲がる前に、三輪の切っ先が上がった。

 

 真人は踏み込みをやめた。

 

 笑ったまま、足を元へ戻す。

 

「喋ってくれないんだ」

 

 三輪は、その場から半歩だけ横へ動いた。

 

 真人と幸吉を結ぶ線の上に、自分を置く。

 

 背後から、掠れた呼吸が聞こえていた。

 

「幸吉くん」

 

「……ああ」

 

「息、苦しい?」

 

「いや。動ける」

 

 返事は、すぐに返ってきた。

 

 けれど、そのあとで息が乱れた。

 

 三輪は身体の向きを保ったまま、短く横目で確認する。

 

 頬に、血が流れている。

 

 片方の肩をかばうように、腕を身体へ寄せていた。

 

 脚はある。

 

 両腕も。

 

 初めて見る彼の身体は、聞いていた状態とはまるで違った。

 

 何があったのか。

 

 どうして治っているのか。

 

 聞きたいことが、いくつも浮かんだ。

 

 その全部より先に、機体の床が軋んだ。

 

 三輪は足裏で振動を確かめた。

 

 この場所は、長く持たない。

 

     *

 

「三輪、そいつに触れられるな」

 

 幸吉が言った。

 

「魂の形を変える。身体を強化していても、安全とは限らない」

 

 三輪は短く頷く。

 

「手だけ?」

 

「いや。身体への接触そのものを避けろ」

 

「分かった」

 

「それと、普通に斬っても――」

 

 真人の身体が、突然低くなった。

 

 膝を曲げたのではない。

 

 胴が細く伸び、床を這うように三輪の足元へ滑ってくる。

 

 三輪は右足を引き、刀を下げた。

 

 刃が真人の肩を捉える。

 

 斬り離す前に、相手の腕が背中側へ伸びた。

 

 幸吉を狙っている。

 

 三輪は刀を引かず、柄を返した。

 

 刃の向きが変わり、伸びた腕の根元を断つ。

 

 同時に左足を踏み替え、幸吉の前へ戻った。

 

 切断された腕が、壁へ当たる。

 

 真人は胴を元の形へ戻しながら、三輪から離れた。

 

「速いなあ」

 

 三輪は追わない。

 

 刀身に残った感触を確かめる。

 

 斬れた。

 

 けれど、呪霊の呪力が大きく崩れた感じはしなかった。

 

「身体を斬っても、魂の形を保てば戻せる」

 

 幸吉が説明を続けた。

 

「俺は簡易領域を仕込んだ攻撃で、術式への対処をした。あいつも、それは警戒している」

 

「分かった。教えてくれて、ありがとう」

 

 三輪は真人を見る。

 

 斬られた肩が、もう繋がり始めていた。

 

 同じ斬り方を繰り返しても、すぐに祓える相手ではない。

 

 なら、まずは近づけない。

 

 幸吉をここから出し、刀を振れる場所を作る。

 

「先生、聞こえますか」

 

 三輪は通信機へ声を出した。

 

「幸吉くんを見つけました。巨大な傀儡の胸の中です。出血と、肩の負傷があります。意識はあります」

 

 雑音が走った。

 

 次いで、歌姫の声が返る。

 

『聞こえてる。今、施設の南側へ入った。降ろせる場所はある?』

 

 三輪は裂けた装甲の外を見た。

 

 水面が近づいている。

 

 機体は少しずつ、貯水池の縁へ傾いていた。

 

「南西の岸に、コンクリートの広い場所があります。そこへ運びます」

 

『分かった。こちらからも確認する。敵は?』

 

「人型の呪霊が一体、目の前にいます。触れられると危険です」

 

『了解。ほかの敵にも注意して』

 

 三輪は返事をして、足元を見た。

 

 降りるなら、傾いた機体の腕を使える。

 

 ただし、途中の装甲が外れかけていた。

 

「幸吉くん。この腕、少し動かせる?」

 

 左手で、外側を示す。

 

 幸吉は表示を見た。

 

「……左なら、まだ動く」

 

「岸へ近づけてほしい。下ろす道に使える?」

 

「できる。だが、急に動かすと、この搭乗部も傾く」

 

「動かす前に言って」

 

「ああ」

 

     *

 

 真人は二人の会話を聞いていた。

 

 三輪は、自分の方を見ている。

 

 幸吉へ話しかけるときにも、視線が大きく外れない。

 

 近づこうとすると、切っ先がそこへ来る。

 

 手を伸ばせば、腕が先に斬られる。

 

 その一太刀自体が、今すぐ致命傷になるわけではない。

 

 だが、幸吉へ届くためには、彼女の前を通らなければならなかった。

 

「その子に、何も聞かないの?」

 

 真人が言った。

 

「どうしてここにいるのか、とか」

 

 幸吉の呼吸が止まる。

 

 三輪の切っ先は動かなかった。

 

「あとで聞きます」

 

 言葉は短かった。

 

 真人が目を細める。

 

「身体、治ってるでしょ。俺が治してあげたんだよ」

 

 三輪は一度だけ、真人の手を見た。

 

 形を変えられる身体。

 

 幸吉の、聞いていたものとは違う身体。

 

 それらが繋がる。

 

 けれど、今の話を、そのまま全部信じることもできなかった。

 

「そうですか」

 

「反応が薄いなあ。もっと驚くと思ったんだけど」

 

「今、あなたから全部聞くつもりはないので」

 

 三輪は刀をわずかに引いた。

 

 真人の左肩が動く。

 

 次に伸びる腕の、起こりだった。

 

 三輪が踏み込む。

 

 今度は、ただの呪力強化ではない。

 

 身体から手へ、手から鍔へ、刀身まで、薄い領域を途切れずに纏わせる。

 

 刃が真人の腕を捉えた。

 

 変形しかけた部分へ、実際に触れる。

 

 その接触点で、術式を中和する。

 

 真人の腕が、不自然に止まった。

 

 三輪は斬り上げ、相手を搭乗部の外へ押し戻す。

 

 真人が装甲の縁を蹴った。

 

 身体を空中へ逃がし、少し離れた肩の外装へ着地する。

 

 切れた腕を見た。

 

 さっきまでとは、違った。

 

「……あれ?」

 

 三輪は踏み込みを戻し、幸吉の前へ立ち直った。

 

 深追いしない。

 

 ここで真人の身体をどう崩せるか、まだ全部は分かっていない。

 

 だが、少なくとも、変形を好きにさせない手段はある。

 

「今のは」

 

 幸吉が言いかける。

 

「展延。刀まで繋いでる」

 

 三輪は答えた。

 

「でも、何でも消せるわけじゃないから。逃げる方を先にするね」

 

「ああ」

 

 幸吉は、三輪の背中を見た。

 

 彼女は、ここへ来てから一度も、自分を責めていない。

 

 そのことが、胸に痛かった。

 

「三輪。俺は――」

 

「うん」

 

「お前たちに、話していないことがある」

 

 三輪はすぐには答えなかった。

 

 真人が、腕を作り直している。

 

 足元では、機体がまた軋んだ。

 

「あとで、聞く」

 

 三輪は言った。

 

「今は、ここを出よう」

 

「だが」

 

「息、さっきより苦しそう」

 

 幸吉は口を閉じた。

 

 三輪は一瞬だけ彼を見た。

 

「説明は、帰ってからでもできるよ」

 

 許されたわけではない。

 

 何もなかったことにされたわけでもない。

 

 ただ、今ここで息を切らしながら話す必要はないと、言われていた。

 

 幸吉は歯を食いしばり、頷いた。

 

     *

 

「腕を動かす。床が左へ傾くぞ」

 

「分かった」

 

 幸吉が操作する。

 

 機体の外で、大きな音がした。

 

 残っている左腕が、水を押し分けながら岸へ伸びる。

 

 搭乗部の床も傾いた。

 

 三輪は左膝を曲げ、足場を低く取った。

 

 右手の刀を真人へ向けたまま、左手を幸吉へ差し出す。

 

「立てる?」

 

「立てる」

 

 幸吉はその手へ伸ばしかけ、自分で床を押した。

 

 膝をつく。

 

 立ち上がろうとした瞬間、肩へ痛みが走った。

 

 身体が傾く。

 

 三輪の手が、彼の上腕を支えた。

 

「待って」

 

 声は、強くなかった。

 

 けれど、幸吉の動きは止まった。

 

「今は、立たなくていい」

 

「……歩ける。もう、脚は」

 

「うん。あるね」

 

 三輪は頷いた。

 

「でも、怪我してるから。今は、私に体重を預けて」

 

 幸吉は自分の脚を見た。

 

 ようやく手に入れた。

 

 動く。

 

 立てる。

 

 なのに、最初に彼女の前でしようとしたことすら、うまくできなかった。

 

 三輪は、そんな彼を急かさなかった。

 

「肩は、どっちが痛い?」

 

「右だ」

 

「じゃあ、そっちは動かさないで。左手で、ここの布を掴める?」

 

 制服の脇を示す。

 

 幸吉は左手を伸ばした。

 

 布の感触が、指へ伝わる。

 

 三輪は彼の身体を支え、立ち上がるより低い姿勢のまま、装甲の割れ目へ近づいた。

 

 真人が動く。

 

 腕が長く伸び、裂けた入口の上から回り込んだ。

 

 三輪は幸吉を自分の左側へ寄せ、刀を返す。

 

 伸びた腕が斬り落とされた。

 

 切断された先を、刀の峰で外へ弾く。

 

 幸吉へは、触れさせなかった。

 

「邪魔だなあ」

 

 真人が言った。

 

 三輪は答えず、外の足場を見た。

 

     *

 

 岸まで伸びた機体の腕は、完全な橋にはなっていなかった。

 

 肘の部分が水へ沈み、途中に大きな段差がある。

 

 肩の外装から手首へ降りるなら、三輪一人では問題ない。

 

 だが、幸吉を支えたままでは、刀を振る角度が限られる。

 

「幸吉くん。左手、しっかり掴んで」

 

「ああ」

 

「少し、揺れるよ」

 

 三輪は一歩踏み出した。

 

 膝で衝撃を吸い、幸吉の身体をできるだけ上下させない。

 

 外装の縁へ足をかける。

 

 そのとき、機体の背後から黒い塊が飛んできた。

 

 真人ではない。

 

 小さな呪霊が、何体も装甲へ這い上がっている。

 

 三輪は刀を振った。

 

 一体。

 

 切り返して、二体目。

 

 最後の一体が足元へ潜り込もうとする。

 

 そこへ、横から小さな光が走った。

 

 呪霊の身体が弾ける。

 

「残っていた機体だ」

 

 幸吉が言った。

 

 少し離れた外装の上で、小さな傀儡が腕を上げていた。

 

「長くは動かせない。だが、周りを見ることはできる」

 

「ありがとう。後ろ、お願い」

 

 三輪は迷わず言った。

 

 幸吉は顔を上げた。

 

 背中を見ていてくれと、頼まれた。

 

 救われるだけの相手として、黙って運ばれている必要はなかった。

 

「……右下、一体来る」

 

「うん」

 

 三輪の刀が、その位置へ下りる。

 

 呪霊は、腕の外装へ触れる前に祓われた。

 

 真人が、さらに上へ移る。

 

 こちらを追うため、身体の形を変えた。

 

「上だ」

 

 幸吉が言う。

 

 三輪は足を止めなかった。

 

 足場の継ぎ目を越え、傾いた腕の下側へ身体を移す。

 

 直後、さっきまでいた場所を、真人の変形した腕が貫いた。

 

 金属が裂ける。

 

 三輪はその腕の付け根へ刃を通した。

 

 接触部へ領域を集める。

 

 変形が一瞬止まり、腕が断たれた。

 

 真人は後ろへ跳んだ。

 

 今度は、すぐに追ってこなかった。

 

     *

 

 歌姫たちは、南西の岸へ到着していた。

 

 藤村は救助用の道具を持ち、別の術師とともに足場を確かめている。

 

 ここから車までの道には、途中で一人、確認役を残してきた。

 

 負傷者を運ぶ経路は、すでに共有されている。

 

「三輪、こちらから見えた。腕の先まで来られる?」

 

『はい。今、向かっています』

 

 金属の腕の上に、二人の姿がある。

 

 一人は三輪。

 

 支えられている少年を見て、歌姫は一瞬、息を止めた。

 

 両脚で足場へ触れ、片手で三輪の制服を掴んでいる。

 

 聞いていた身体の状態とは違う。

 

 だが、確認すべきことは、そのあとだ。

 

「受け取る準備を。頭と右肩に注意して」

 

 藤村が頷く。

 

 別の術師が、岸の上に簡易の搬送具を広げた。

 

 その背後で、茂みが動いた。

 

 歌姫は顔を向けた。

 

 黒い影が、一つではない。

 

「下がって。敵が来る」

 

 術師が前へ出る。

 

 歌姫は通信を切り替えた。

 

「救助地点にも呪霊を確認。三輪、岸へ着くまでは、そのまま進んで」

 

『分かりました』

 

 五条からも連絡が入る。

 

 施設へ入る別の経路で、結界と呪霊の妨害へ対処している。

 

 こちらの人数と、負傷者を回収する場所を伝えた。

 

 敵は、後ろへも手を回していた。

 

 ならば、帰り道を閉じさせない。

 

 歌姫は周囲の術師へ指示を出した。

 

     *

 

 岸が近い。

 

 幸吉は、三輪の肩越しに大人たちの姿を見た。

 

 歌姫がいる。

 

 搬送具が用意されている。

 

 ここまで来れば、彼女だけへ負担をかけずに済む。

 

「三輪」

 

「うん」

 

「左の腰に、小さい筒が二つある」

 

 三輪は彼を支えたまま、視線を落とした。

 

「これ?」

 

「ああ。簡易領域を封じてある。残っているのは、それだけだ」

 

 幸吉は左手を制服から離し、筒を一本抜いた。

 

 指に力を込める。

 

「普通の攻撃が効かない相手に使える。近くで開けば、真人の術式へ干渉できる。だが、短い」

 

「私が持っても、動かせる?」

 

「起動は俺がする。合図してくれ」

 

 三輪は筒を受け取った。

 

「分かった」

 

「展延だけで、全部受けようとするな。あいつは、まだ手を隠しているかもしれない」

 

「うん。気をつける」

 

 三輪は筒を落とさない場所へ収めた。

 

 幸吉はもう一本を握った。

 

 渡し切らない。

 

 自分にも、まだできることがある。

 

 目を上げると、真人が岸に近い装甲へ移っていた。

 

 二人が降りる位置を、先に押さえようとしている。

 

「前に来た」

 

「見えてる」

 

 三輪の返事は静かだった。

 

 幸吉の身体を支える腕にも、余計な力は入っていない。

 

 次の足をどこへ置くのか。

 

 相手がどう動くのか。

 

 彼女は、それを見ていた。

 

     *

 

 真人が両腕を広げた。

 

 片方は槍のように伸びる。

 

 もう片方は薄い刃になり、三輪の退路へ回り込む。

 

 三輪は止まった。

 

 前へ出れば、幸吉の身体が槍の線に入る。

 

 後ろへ戻れば、刃がそこへ届く。

 

 ならば、横。

 

 左足を外装の縁へ置き、幸吉を抱える腕を少し引いた。

 

 槍が、二人の右側を通る。

 

 三輪は刀を立てた。

 

 薄い刃を受け止めず、斜めに逸らす。

 

 金属の上で、異形の腕が滑った。

 

 その先へは追わない。

 

 真人の身体へ、刀の届く距離だけ残す。

 

 次の一歩。

 

 三輪は、真人の足元へ踏み込んだ。

 

 刃先が肩を捉える。

 

 変形の起こりへ展延を重ね、斬り下ろす。

 

 真人の身体が、装甲から弾かれた。

 

 水際の地面へ落ちる。

 

 三輪は、その落下を見届ける前に、岸へ跳んだ。

 

「受け取ってください!」

 

 着地と同時に、歌姫たちが近づく。

 

 三輪は幸吉の身体を支えたまま、膝をついた。

 

 藤村が反対側から肩を支える。

 

 別の術師が、右腕を動かさないように確かめた。

 

「幸吉、聞こえる?」

 

 歌姫の声。

 

「……はい」

 

「今から運ぶわ。無理に動かないで」

 

 幸吉は頷いた。

 

 三輪の制服を掴んでいた指が、ゆっくり離れた。

 

 布に、指の跡が残る。

 

 三輪はそれを見てから、真人の方へ向き直った。

 

 もう、彼を抱えたまま戦う必要はない。

 

 背後には、任せられる人がいる。

 

「三輪」

 

 幸吉が呼んだ。

 

 彼女は振り向かず、声だけで答えた。

 

「ここにいるよ」

 

「俺が、合図をする。筒を使うときは――」

 

「うん。お願い」

 

 三輪は刀を持ち直した。

 

 真人が地面から起き上がる。

 

 裂けた肩を戻そうとしながら、こちらを見ている。

 

 三輪はその姿を見据え、一歩、岸から前へ出た。

 

「先生、幸吉くんをお願いします」

 

「任せて」

 

 歌姫の返事を聞いた。

 

 それから三輪は、刀へ纏わせる領域を、刃先まで整えた。

 

 今度は、相手の動きに合わせて退くためではない。

 

 幸吉のいる場所から、真人を引き離すために。

 

 三輪は、前へ踏み込んだ。

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