真人の手首が、切断面から膨らんだ。
新しい指が伸び、掌の形へ戻っていく。
三輪はそれを見ていた。
治している、というより、形を作り直している。
切り落とした手は、足元で黒く崩れ始めていた。そこから何かが飛びかかってくる気配はない。
だが、目の前の相手からは目を離せなかった。
「君が三輪霞?」
真人が首を傾げる。
「思ったより、普通の子だね」
三輪は答えなかった。
真人の右足が、わずかに後ろへ動く。
その膝が曲がる前に、三輪の切っ先が上がった。
真人は踏み込みをやめた。
笑ったまま、足を元へ戻す。
「喋ってくれないんだ」
三輪は、その場から半歩だけ横へ動いた。
真人と幸吉を結ぶ線の上に、自分を置く。
背後から、掠れた呼吸が聞こえていた。
「幸吉くん」
「……ああ」
「息、苦しい?」
「いや。動ける」
返事は、すぐに返ってきた。
けれど、そのあとで息が乱れた。
三輪は身体の向きを保ったまま、短く横目で確認する。
頬に、血が流れている。
片方の肩をかばうように、腕を身体へ寄せていた。
脚はある。
両腕も。
初めて見る彼の身体は、聞いていた状態とはまるで違った。
何があったのか。
どうして治っているのか。
聞きたいことが、いくつも浮かんだ。
その全部より先に、機体の床が軋んだ。
三輪は足裏で振動を確かめた。
この場所は、長く持たない。
*
「三輪、そいつに触れられるな」
幸吉が言った。
「魂の形を変える。身体を強化していても、安全とは限らない」
三輪は短く頷く。
「手だけ?」
「いや。身体への接触そのものを避けろ」
「分かった」
「それと、普通に斬っても――」
真人の身体が、突然低くなった。
膝を曲げたのではない。
胴が細く伸び、床を這うように三輪の足元へ滑ってくる。
三輪は右足を引き、刀を下げた。
刃が真人の肩を捉える。
斬り離す前に、相手の腕が背中側へ伸びた。
幸吉を狙っている。
三輪は刀を引かず、柄を返した。
刃の向きが変わり、伸びた腕の根元を断つ。
同時に左足を踏み替え、幸吉の前へ戻った。
切断された腕が、壁へ当たる。
真人は胴を元の形へ戻しながら、三輪から離れた。
「速いなあ」
三輪は追わない。
刀身に残った感触を確かめる。
斬れた。
けれど、呪霊の呪力が大きく崩れた感じはしなかった。
「身体を斬っても、魂の形を保てば戻せる」
幸吉が説明を続けた。
「俺は簡易領域を仕込んだ攻撃で、術式への対処をした。あいつも、それは警戒している」
「分かった。教えてくれて、ありがとう」
三輪は真人を見る。
斬られた肩が、もう繋がり始めていた。
同じ斬り方を繰り返しても、すぐに祓える相手ではない。
なら、まずは近づけない。
幸吉をここから出し、刀を振れる場所を作る。
「先生、聞こえますか」
三輪は通信機へ声を出した。
「幸吉くんを見つけました。巨大な傀儡の胸の中です。出血と、肩の負傷があります。意識はあります」
雑音が走った。
次いで、歌姫の声が返る。
『聞こえてる。今、施設の南側へ入った。降ろせる場所はある?』
三輪は裂けた装甲の外を見た。
水面が近づいている。
機体は少しずつ、貯水池の縁へ傾いていた。
「南西の岸に、コンクリートの広い場所があります。そこへ運びます」
『分かった。こちらからも確認する。敵は?』
「人型の呪霊が一体、目の前にいます。触れられると危険です」
『了解。ほかの敵にも注意して』
三輪は返事をして、足元を見た。
降りるなら、傾いた機体の腕を使える。
ただし、途中の装甲が外れかけていた。
「幸吉くん。この腕、少し動かせる?」
左手で、外側を示す。
幸吉は表示を見た。
「……左なら、まだ動く」
「岸へ近づけてほしい。下ろす道に使える?」
「できる。だが、急に動かすと、この搭乗部も傾く」
「動かす前に言って」
「ああ」
*
真人は二人の会話を聞いていた。
三輪は、自分の方を見ている。
幸吉へ話しかけるときにも、視線が大きく外れない。
近づこうとすると、切っ先がそこへ来る。
手を伸ばせば、腕が先に斬られる。
その一太刀自体が、今すぐ致命傷になるわけではない。
だが、幸吉へ届くためには、彼女の前を通らなければならなかった。
「その子に、何も聞かないの?」
真人が言った。
「どうしてここにいるのか、とか」
幸吉の呼吸が止まる。
三輪の切っ先は動かなかった。
「あとで聞きます」
言葉は短かった。
真人が目を細める。
「身体、治ってるでしょ。俺が治してあげたんだよ」
三輪は一度だけ、真人の手を見た。
形を変えられる身体。
幸吉の、聞いていたものとは違う身体。
それらが繋がる。
けれど、今の話を、そのまま全部信じることもできなかった。
「そうですか」
「反応が薄いなあ。もっと驚くと思ったんだけど」
「今、あなたから全部聞くつもりはないので」
三輪は刀をわずかに引いた。
真人の左肩が動く。
次に伸びる腕の、起こりだった。
三輪が踏み込む。
今度は、ただの呪力強化ではない。
身体から手へ、手から鍔へ、刀身まで、薄い領域を途切れずに纏わせる。
刃が真人の腕を捉えた。
変形しかけた部分へ、実際に触れる。
その接触点で、術式を中和する。
真人の腕が、不自然に止まった。
三輪は斬り上げ、相手を搭乗部の外へ押し戻す。
真人が装甲の縁を蹴った。
身体を空中へ逃がし、少し離れた肩の外装へ着地する。
切れた腕を見た。
さっきまでとは、違った。
「……あれ?」
三輪は踏み込みを戻し、幸吉の前へ立ち直った。
深追いしない。
ここで真人の身体をどう崩せるか、まだ全部は分かっていない。
だが、少なくとも、変形を好きにさせない手段はある。
「今のは」
幸吉が言いかける。
「展延。刀まで繋いでる」
三輪は答えた。
「でも、何でも消せるわけじゃないから。逃げる方を先にするね」
「ああ」
幸吉は、三輪の背中を見た。
彼女は、ここへ来てから一度も、自分を責めていない。
そのことが、胸に痛かった。
「三輪。俺は――」
「うん」
「お前たちに、話していないことがある」
三輪はすぐには答えなかった。
真人が、腕を作り直している。
足元では、機体がまた軋んだ。
「あとで、聞く」
三輪は言った。
「今は、ここを出よう」
「だが」
「息、さっきより苦しそう」
幸吉は口を閉じた。
三輪は一瞬だけ彼を見た。
「説明は、帰ってからでもできるよ」
許されたわけではない。
何もなかったことにされたわけでもない。
ただ、今ここで息を切らしながら話す必要はないと、言われていた。
幸吉は歯を食いしばり、頷いた。
*
「腕を動かす。床が左へ傾くぞ」
「分かった」
幸吉が操作する。
機体の外で、大きな音がした。
残っている左腕が、水を押し分けながら岸へ伸びる。
搭乗部の床も傾いた。
三輪は左膝を曲げ、足場を低く取った。
右手の刀を真人へ向けたまま、左手を幸吉へ差し出す。
「立てる?」
「立てる」
幸吉はその手へ伸ばしかけ、自分で床を押した。
膝をつく。
立ち上がろうとした瞬間、肩へ痛みが走った。
身体が傾く。
三輪の手が、彼の上腕を支えた。
「待って」
声は、強くなかった。
けれど、幸吉の動きは止まった。
「今は、立たなくていい」
「……歩ける。もう、脚は」
「うん。あるね」
三輪は頷いた。
「でも、怪我してるから。今は、私に体重を預けて」
幸吉は自分の脚を見た。
ようやく手に入れた。
動く。
立てる。
なのに、最初に彼女の前でしようとしたことすら、うまくできなかった。
三輪は、そんな彼を急かさなかった。
「肩は、どっちが痛い?」
「右だ」
「じゃあ、そっちは動かさないで。左手で、ここの布を掴める?」
制服の脇を示す。
幸吉は左手を伸ばした。
布の感触が、指へ伝わる。
三輪は彼の身体を支え、立ち上がるより低い姿勢のまま、装甲の割れ目へ近づいた。
真人が動く。
腕が長く伸び、裂けた入口の上から回り込んだ。
三輪は幸吉を自分の左側へ寄せ、刀を返す。
伸びた腕が斬り落とされた。
切断された先を、刀の峰で外へ弾く。
幸吉へは、触れさせなかった。
「邪魔だなあ」
真人が言った。
三輪は答えず、外の足場を見た。
*
岸まで伸びた機体の腕は、完全な橋にはなっていなかった。
肘の部分が水へ沈み、途中に大きな段差がある。
肩の外装から手首へ降りるなら、三輪一人では問題ない。
だが、幸吉を支えたままでは、刀を振る角度が限られる。
「幸吉くん。左手、しっかり掴んで」
「ああ」
「少し、揺れるよ」
三輪は一歩踏み出した。
膝で衝撃を吸い、幸吉の身体をできるだけ上下させない。
外装の縁へ足をかける。
そのとき、機体の背後から黒い塊が飛んできた。
真人ではない。
小さな呪霊が、何体も装甲へ這い上がっている。
三輪は刀を振った。
一体。
切り返して、二体目。
最後の一体が足元へ潜り込もうとする。
そこへ、横から小さな光が走った。
呪霊の身体が弾ける。
「残っていた機体だ」
幸吉が言った。
少し離れた外装の上で、小さな傀儡が腕を上げていた。
「長くは動かせない。だが、周りを見ることはできる」
「ありがとう。後ろ、お願い」
三輪は迷わず言った。
幸吉は顔を上げた。
背中を見ていてくれと、頼まれた。
救われるだけの相手として、黙って運ばれている必要はなかった。
「……右下、一体来る」
「うん」
三輪の刀が、その位置へ下りる。
呪霊は、腕の外装へ触れる前に祓われた。
真人が、さらに上へ移る。
こちらを追うため、身体の形を変えた。
「上だ」
幸吉が言う。
三輪は足を止めなかった。
足場の継ぎ目を越え、傾いた腕の下側へ身体を移す。
直後、さっきまでいた場所を、真人の変形した腕が貫いた。
金属が裂ける。
三輪はその腕の付け根へ刃を通した。
接触部へ領域を集める。
変形が一瞬止まり、腕が断たれた。
真人は後ろへ跳んだ。
今度は、すぐに追ってこなかった。
*
歌姫たちは、南西の岸へ到着していた。
藤村は救助用の道具を持ち、別の術師とともに足場を確かめている。
ここから車までの道には、途中で一人、確認役を残してきた。
負傷者を運ぶ経路は、すでに共有されている。
「三輪、こちらから見えた。腕の先まで来られる?」
『はい。今、向かっています』
金属の腕の上に、二人の姿がある。
一人は三輪。
支えられている少年を見て、歌姫は一瞬、息を止めた。
両脚で足場へ触れ、片手で三輪の制服を掴んでいる。
聞いていた身体の状態とは違う。
だが、確認すべきことは、そのあとだ。
「受け取る準備を。頭と右肩に注意して」
藤村が頷く。
別の術師が、岸の上に簡易の搬送具を広げた。
その背後で、茂みが動いた。
歌姫は顔を向けた。
黒い影が、一つではない。
「下がって。敵が来る」
術師が前へ出る。
歌姫は通信を切り替えた。
「救助地点にも呪霊を確認。三輪、岸へ着くまでは、そのまま進んで」
『分かりました』
五条からも連絡が入る。
施設へ入る別の経路で、結界と呪霊の妨害へ対処している。
こちらの人数と、負傷者を回収する場所を伝えた。
敵は、後ろへも手を回していた。
ならば、帰り道を閉じさせない。
歌姫は周囲の術師へ指示を出した。
*
岸が近い。
幸吉は、三輪の肩越しに大人たちの姿を見た。
歌姫がいる。
搬送具が用意されている。
ここまで来れば、彼女だけへ負担をかけずに済む。
「三輪」
「うん」
「左の腰に、小さい筒が二つある」
三輪は彼を支えたまま、視線を落とした。
「これ?」
「ああ。簡易領域を封じてある。残っているのは、それだけだ」
幸吉は左手を制服から離し、筒を一本抜いた。
指に力を込める。
「普通の攻撃が効かない相手に使える。近くで開けば、真人の術式へ干渉できる。だが、短い」
「私が持っても、動かせる?」
「起動は俺がする。合図してくれ」
三輪は筒を受け取った。
「分かった」
「展延だけで、全部受けようとするな。あいつは、まだ手を隠しているかもしれない」
「うん。気をつける」
三輪は筒を落とさない場所へ収めた。
幸吉はもう一本を握った。
渡し切らない。
自分にも、まだできることがある。
目を上げると、真人が岸に近い装甲へ移っていた。
二人が降りる位置を、先に押さえようとしている。
「前に来た」
「見えてる」
三輪の返事は静かだった。
幸吉の身体を支える腕にも、余計な力は入っていない。
次の足をどこへ置くのか。
相手がどう動くのか。
彼女は、それを見ていた。
*
真人が両腕を広げた。
片方は槍のように伸びる。
もう片方は薄い刃になり、三輪の退路へ回り込む。
三輪は止まった。
前へ出れば、幸吉の身体が槍の線に入る。
後ろへ戻れば、刃がそこへ届く。
ならば、横。
左足を外装の縁へ置き、幸吉を抱える腕を少し引いた。
槍が、二人の右側を通る。
三輪は刀を立てた。
薄い刃を受け止めず、斜めに逸らす。
金属の上で、異形の腕が滑った。
その先へは追わない。
真人の身体へ、刀の届く距離だけ残す。
次の一歩。
三輪は、真人の足元へ踏み込んだ。
刃先が肩を捉える。
変形の起こりへ展延を重ね、斬り下ろす。
真人の身体が、装甲から弾かれた。
水際の地面へ落ちる。
三輪は、その落下を見届ける前に、岸へ跳んだ。
「受け取ってください!」
着地と同時に、歌姫たちが近づく。
三輪は幸吉の身体を支えたまま、膝をついた。
藤村が反対側から肩を支える。
別の術師が、右腕を動かさないように確かめた。
「幸吉、聞こえる?」
歌姫の声。
「……はい」
「今から運ぶわ。無理に動かないで」
幸吉は頷いた。
三輪の制服を掴んでいた指が、ゆっくり離れた。
布に、指の跡が残る。
三輪はそれを見てから、真人の方へ向き直った。
もう、彼を抱えたまま戦う必要はない。
背後には、任せられる人がいる。
「三輪」
幸吉が呼んだ。
彼女は振り向かず、声だけで答えた。
「ここにいるよ」
「俺が、合図をする。筒を使うときは――」
「うん。お願い」
三輪は刀を持ち直した。
真人が地面から起き上がる。
裂けた肩を戻そうとしながら、こちらを見ている。
三輪はその姿を見据え、一歩、岸から前へ出た。
「先生、幸吉くんをお願いします」
「任せて」
歌姫の返事を聞いた。
それから三輪は、刀へ纏わせる領域を、刃先まで整えた。
今度は、相手の動きに合わせて退くためではない。
幸吉のいる場所から、真人を引き離すために。
三輪は、前へ踏み込んだ。