三輪霞は、剣だけでいい   作:ケーケーケー

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AI利用です


第四話 初任務は、三人で

 

 出発の朝、三輪は鞄を閉めてから、もう一度開けた。

 

 携帯電話。予備の電池。筆記用具。飲み物。

 

 昨夜の説明で言われた物は、全部入っている。

 

 刀も、手入れを済ませた。

 

 鞄の口を閉めたところで、廊下から声がした。

 

「まだ確認してるの?」

 

 戸を開けると、真依が立っていた。

 

「忘れ物、ないかなと思って」

 

「昨日も同じこと言ってた」

 

「昨日あっても、今日出したかもしれないし」

 

「出したの?」

 

「……出してない」

 

 真依が呆れた顔をする。

 

 三輪は鞄を肩へかけ、刀袋を手に取った。

 

 鍵をかけると、今度は探さずに済むよう、鞄の内ポケットへ入れる。

 

 今日は、本当の任務だった。

 

     *

 

 目的地は、市街地の外れにある古い建物だった。

 

 以前は営業所として使われ、今は一階の事務室と地下の倉庫だけを、ときどき管理会社が利用しているらしい。

 

 夕方に人のいない地下から音がする。入った作業員が、ひどい吐き気を訴えた。

 

 車の中で聞いた話を思い返しながら、三輪は窓の外を見た。

 

 建物の脇には、荷物を下ろすための坂道がある。地下へ、そのまま車で入れる造りだった。

 

「事前の調査では、三級相当の呪霊と判断しています」

 

 車を止めた補助監督が、後部座席を振り返った。

 

「ただし、地下には物が多く、奥までは確認できていません。連絡が入りにくい場所もあります」

 

「建物の中に、人は?」

 

 歌姫が尋ねる。

 

「今朝、管理会社へ確認した時点では、今日の使用予定はないとのことです。こちらでも、もう一度確かめます」

 

 歌姫が頷き、三人へ向き直った。

 

「私は一緒に入ります。まずは調査。状況が違えば、いったん戻ること。分からないまま奥へ進まないでね」

 

 三輪たちは返事をした。

 

 車を降り、帳が下りるのを待つ。

 

 昨日と違って、西宮はいない。上から様子を見てもらうことはできなかった。

 

 三輪は建物の側面を見上げ、それから、地下へ続く坂道へ目を戻した。

 

「メカ丸、入口の先を見てもらってもいい?」

 

「分かった。お前たちは、少し後ろにいろ」

 

 メカ丸が先に進む。

 

 真依は、その右後ろについた。手には拳銃がある。

 

 三輪も刀袋を外し、鞘を左腰へ差した。

 

 歌姫が最後に、外の補助監督へ連絡を入れた。

 

「四人、地下の搬入口から入ります。通信が切れたら、まず入口で確認を。こちらから定時連絡がなければ、追加の手配をお願いします」

 

 聞こえた返答を確かめてから、歌姫も歩き出す。

 

 坂道を下りるにつれて、外の明るさが背中へ遠ざかった。

 

     *

 

 シャッターは、半分ほど開いていた。

 

 脇の通用扉も、鍵が開いている。

 

 メカ丸が扉を押し、内側を確かめた。

 

「入口付近に、動いているものはない」

 

 中は、古い紙と湿った埃の匂いがした。

 

 天井には何本も配管が走り、その下へ金属製の棚が並んでいる。壁際には段ボール。中央の通路には、台車が一台。

 

 その台車の上に、開いたままの工具箱があった。

 

 三輪は、すぐに歌姫を見た。

 

「先生。これ」

 

「ええ」

 

 埃の積もっていない工具。床に置かれた、新しい缶コーヒー。

 

 誰も来ていない場所には見えなかった。

 

 歌姫が補助監督へ連絡する。

 

 少し途切れた声が返った。

 

『……会社から、今。別の担当が、点検の依頼を……二名、こちらへ向かったと』

 

「到着の確認は?」

 

『取れていません。電話も――』

 

 音が切れた。

 

 歌姫が入口へ半歩戻る。

 

 そのときだった。

 

 倉庫の奥で、何かが擦れた。

 

 段ボールが、一つ落ちる。

 

 それから、棚の陰で、長い指が動いた。

 

「下がって」

 

 歌姫が言う。

 

 三輪は右足を引き、二人の前へ出た。

 

 棚の上から、顔が覗いた。

 

 人の頭が、横に引き伸ばされたような顔だった。耳のあるはずの場所まで口が裂け、濡れた歯が重なっている。

 

 身体はまだ、見えない。

 

 天井の暗がりへ、何本もの腕が伸びていた。

 

 見た目は、気持ちが悪かった。

 

 けれど、どこまで届く腕なのかは分かる。

 

 三輪は鯉口を切った。

 

「三輪さん、退路を確保して。二人は入口へ」

 

「はい」

 

 呪霊が口を開ける。

 

 天井に張りついていた腕の一本が、棚を越えて飛んできた。

 

 三輪の右手が動いた。

 

 金属の擦れる音が、短く響く。

 

 伸びてきた腕が、手首の少し上で切れた。

 

 断面から黒いものが散り、指先が床へ落ちる前に崩れた。

 

 三輪は刀を戻さず、そのまま身体の前へ下ろした。

 

 腕の一本が切れても、呪霊は棚から離れなかった。

 

 奥で、何かを引きずる音がした。

 

「……だれか」

 

 声だった。

 

 呪霊の口とは、別の場所から聞こえた。

 

「先生。奥に、人がいます」

 

「分かった。メカ丸、場所を確認できる?」

 

 入口近くまで戻っていたメカ丸が、棚の側面へ回る。

 

 真依が拳銃を上げた。

 

「三輪、左に出ないで。そこ、私が見る」

 

「うん」

 

 三輪は左足を動かしかけていたのを止め、正面の呪霊へ向き直った。

 

 細い腕が、二本、棚の隙間から伸びる。

 

 一本は三輪へ。

 

 もう一本は、メカ丸の方へ。

 

 乾いた銃声がした。

 

 メカ丸へ向かった腕が、途中で折れる。

 

 三輪は自分へ来た腕を切り落とし、棚の端へ半歩寄った。

 

 前へ出れば、胴まで届く。

 

 ただ、その胴が、何を押さえているのか分からなかった。

 

「二人いる」

 

 メカ丸の声がした。

 

「一人は棚の奥。もう一人は、その手前で倒れている。呪霊の身体が、棚の上に被さっている」

 

「棚は?」

 

 三輪が尋ねる。

 

「傾いている。右側の支柱が外れているな」

 

 歌姫が短く指示を出した。

 

「私は奥へ回る。真依、こちらへ腕が伸びたら止めて。メカ丸は手前の人を。三輪さん、その位置を保てる?」

 

「はい。大丈夫です」

 

 呪霊の喉が膨らんだ。

 

 太い腕が、天井から剝がれる。

 

 配管に触れ、錆の粉が落ちた。

 

 三輪は切っ先をわずかに上げた。

 

     *

 

 倉庫へ響いたのは、重い打撃音ではなかった。

 

 刀が通る、細い音だった。

 

 上から来た腕が、三輪の頭へ届く前に切れる。

 

 横から回った腕も、その後ろから伸びた指も、同じところで失われた。

 

 三輪はほとんど、立つ場所を変えていない。

 

 鞘を握る左手も、肩も、余計に動かさない。

 

 真依は銃を構えたまま、その横顔を見た。

 

 東堂との稽古では、木刀だった。

 

 何かが止まるたびに歌姫が声をかけ、二人は距離を取った。

 

 今は、止める声がない。

 

 相手も、打たれたところで退かない。

 

 それでも、三輪の前を通る腕はなかった。

 

「真依、そっちに一本」

 

「見えてる」

 

 棚を這った細い腕へ、真依が撃つ。

 

 銃弾が当たった腕を、メカ丸が踏みつけた。そのまま倒れていた男性の脇へしゃがみ、声をかける。

 

 男性が、小さく返事をした。

 

「動かせる。先に出すぞ」

 

 メカ丸が男性を支えて、入口の方へ戻る。

 

 歌姫は棚の奥へ身体を入れていた。

 

「足が挟まってる。三輪さん、まだ待って」

 

「はい」

 

 呪霊が身を捩った。

 

 傾いた棚が、きしむ。

 

 三輪の目が、胴の下へ向いた。

 

 いま斬れば、身体が崩れる。その重みがなくなった瞬間に、棚がどちらへ動くか。

 

 床に這う腕を切り、三輪は声をかけた。

 

「先生。そちらへ倒れそうなら、支えます」

 

「大丈夫。足は抜けた。今、こちらへ移す」

 

 歌姫の声のあとに、靴が床を擦る音がした。

 

 呪霊が、そちらへ顔を向ける。

 

 三輪が一歩、踏み込んだ。

 

 切っ先が、呪霊の顎の下を通る。

 

 口から伸びかけたものが切れ、呪霊の顔が三輪へ戻った。

 

「三輪、右側、空いてる」

 

 真依が言った。

 

 移された男性と歌姫は、左奥にいる。

 

 メカ丸と、もう一人は入口の脇。

 

 右の荷下ろし用の空間には、誰もいなかった。

 

「二人とも確保したわ」

 

 歌姫の声がする。

 

 三輪は頷いた。

 

「斬ります」

 

 それだけ言って、右へ回った。

 

 呪霊の目が追ってくる。

 

 残った腕が、まとめて動いた。

 

 三輪はその下へ入った。

 

 刀を持つ手が、身体の横へ引かれる。

 

 足が、床を捉える。

 

 次の瞬間には、刀身は反対側へ抜けていた。

 

 呪霊の身体が、斜めにずれた。

 

 天井へ伸びていた腕が垂れ、顔が口を開いたまま、右側の床へ落ちていく。

 

 三輪は刀を返し、棚へ絡んでいた最後の腕を切った。

 

 外れた支柱が鳴る。

 

 彼女は鞘を持つ左手で棚の枠を受け、倒れないところまで押し戻した。

 

 床へ落ちた呪霊は、もう形を保っていなかった。

 

 黒い輪郭がほどけて、コンクリートの染みの上へ消えていく。

 

 棚を壁へ預けてから、三輪は歌姫の方を見た。

 

「怪我、ありませんか?」

 

     *

 

 助け出された男性二人は、補助監督の手配した救急車へ引き継がれた。

 

 地下で作業を始めて間もなく、急に気分が悪くなったらしい。そのあと棚が倒れ、出られなくなったのだという。

 

 何がいたのかは、二人にもはっきり見えていなかった。

 

 ただ、奥に残されていた男性が、歌姫へ何度も頭を下げていた。

 

 三輪たちは再び地下へ戻り、ほかに人がいないことと、呪霊の残りがないことを確かめた。

 

 終えて地上へ出るころには、三輪の靴は埃で白くなっていた。

 

「三人とも、こっちへ」

 

 歌姫が車のそばで呼ぶ。

 

「まず、怪我は?」

 

 それぞれが答える。

 

 メカ丸の腕には擦れた跡があったが、動きに支障はないという。

 

 歌姫は全員を見てから、短く息を吐いた。

 

「事前の情報より、危険度が高い現場でした。詳しい判定は記録を確認してからだけど、少なくとも、予定していた三級の調査としては扱えません」

 

 三輪は頷いた。

 

「人がいる可能性が分かった時点で、外への連絡と増援の要請は入れています。救助へ動く判断をしたのは私です。報告にも、そう書きます」

 

 歌姫は、三輪の左手へ目を落とした。

 

「棚を支えたとき、痛めなかった?」

 

「大丈夫です。手も、切れてません」

 

 手のひらを見せると、歌姫は確かめてから頷いた。

 

「三輪さんが前を守ってくれたから、奥の人を出せました。ありがとう」

 

「いえ。皆さんの場所が分かったので」

 

 三輪は二人を見た。

 

「メカ丸、奥、よく見えたね」

 

「お前が正面を引き受けていたからな。棚の横へ回れた」

 

「そっか。……真依も、ありがとう。左から来るの、任せられたから助かった」

 

「こっちに出ないって、言ったでしょ」

 

「うん。だから、出なかった」

 

 真依は、言葉を探すように口を閉じた。

 

 歌姫が三人へ、車に乗るよう促す。

 

「細かい話は、学校に戻ってから。まず水を飲んで、少し休みましょう」

 

 三輪は刀袋を座席の脇へ収め、鞄から飲み物を取り出した。

 

 一口飲んで、もう一口飲む。

 

 思っていたより、喉が渇いていた。

 

     *

 

 帰り道の途中で、歌姫が消耗品を買うために車を止めてもらった。

 

 報告に使う物を補助監督と揃える間、必要な物があれば買ってきてよいと言われる。

 

 三輪は真依と一緒に店へ入り、日用品の棚へ向かった。

 

 洗剤は、まだ買っていなかった。

 

 寮の備品と、自分で用意する物の区別が、ようやくついたところだったのだ。

 

「こっちの方が、量は多いね」

 

 三輪は二つの商品を見比べる。

 

「置くところあるの?」

 

 真依に言われ、部屋の棚を思い浮かべた。

 

「あると思うけど……最初は、小さい方かな」

 

「詰め替えだけ買っても、容器ないでしょ」

 

「あ」

 

 手に取っていた袋を戻す。

 

 真依が、今日初めて、声を出して笑った。

 

「あんた、そういうとこあるわよね」

 

「まだ、会って何日も経ってないのに」

 

「もう分かるくらいあるの」

 

 三輪も笑いながら、容器つきの洗剤を籠へ入れた。

 

 ほかに買う物を思い出そうとしたところで、真依がふと、声を落とした。

 

「さっきの呪霊」

 

「うん?」

 

「最初から、斬れたの?」

 

 三輪は真依を見た。

 

 彼女の視線は、棚に並んだ商品へ向いていた。

 

「斬れたよ」

 

 答えると、真依の指が、値札の前で止まった。

 

「でも、下に何があるのか見えなかったから。人がいるって分かってからは、なおさら」

 

「……そう」

 

「腕だけなら、こっちに来たところで斬れるし。待ってた方がいいと思った」

 

 真依はしばらく黙っていた。

 

 三輪は、籠の持ち手を握り直した。

 

「あの、遅かった?」

 

「違う」

 

 返事は、すぐに来た。

 

「だったらいい」

 

「うん」

 

 何か言いたかったのかもしれない。

 

 けれど、真依は話を続けなかった。

 

 三輪も無理に尋ねず、レジの方へ歩き出した。

 

「真依は、何か買わないの?」

 

「帰りに向こうを見る。髪留め」

 

「あ、私も見たい」

 

「時間、確認しなさいよ」

 

 三輪は慌てて腕時計を見た。

 

 戻るように言われた時刻までは、まだ少しあった。

 

     *

 

 車へ戻ると、メカ丸は後部座席に座っていた。

 

 歌姫たちはまだ、少し離れたところで電話をしている。

 

「待たせた?」

 

「時間内だ」

 

 メカ丸が答える。

 

 三輪は買い物袋を足元へ置き、座席へ腰を下ろした。

 

「腕、大丈夫?」

 

「動作は問題ない。戻ってから確認する」

 

「何か、手伝えることある?」

 

 メカ丸が、わずかに顔を向けた。

 

「必要なら言う」

 

「うん。言ってね」

 

 真依が反対側の扉から乗り込んだ。

 

 三輪は買った物を寄せて、彼女の足元を空ける。

 

 ほどなく歌姫と補助監督が戻ってきた。

 

「全員いるわね。帰りましょう」

 

 車が動き出す。

 

 三輪は窓の外を見た。

 

 さっきまで薄暗い地下にいたのに、道には買い物帰りの人がいて、自転車が走っている。助け出された二人も、病院で診てもらったあと、それぞれの家へ帰れるだろうか。

 

 鞄の中で、携帯電話が鳴った。

 

 家からだった。

 

 今日は何時ごろなら電話をしていいか、という短いメッセージ。

 

 三輪は画面に指を置いた。

 

『夜なら大丈夫。終わったら、こっちからかけるね』

 

 送ってから、携帯電話をしまう。

 

 隣で真依が目を閉じた。

 

 反対側では、メカ丸が静かに前を向いている。

 

 三輪も座席へ背中を預けた。

 

 寮へ戻ったら、まず刀の手入れをしよう。

 

 それから報告を書いて、家へ電話をして。

 

 明日使う制服を、洗濯しなければならない。

 

 足元の袋が、車の揺れに合わせて小さく音を立てた。

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