的の端に開いた穴を見て、真依は眉を寄せた。
外れてはいない。
けれど、狙った場所ではなかった。
朝の射撃場は、まだ冷えていた。指を握り直す。昨夜も少し長く練習したせいか、手に疲れが残っている。
初任務から、数日が経っていた。
地下倉庫の件は、その後、二級相当として報告がまとめられた。生徒だけでの討伐ではなく、歌姫の監督下で救助と祓除を行ったという記録になったらしい。
それでも、三輪の話は広まった。
そもそも、その前に東堂へ勝っている。
校内の人数も少ないのだ。知られない方がおかしい。
真依は残った弾を確かめ、次の的へ向き直った。
背後の通路から、人の声が聞こえた。
「次の実習も、あの一年を前に出すんですか」
「三輪か? いや、配置は歌姫さんが決める。能力の確認も、まだ済んでいないそうだ」
「東堂に勝って、二級も問題なく祓ったんでしょう。あの子がいれば、ほかの一年も随分楽ですね」
笑い声が、通路を過ぎていく。
真依は振り返らなかった。
引き金を引く。
穴は、今度も狙いから少しずれた。
*
「真依、それ、私の紙」
教室で声をかけられて、真依は手元を見た。
集めていた配布物に、三輪の手帳から抜けたらしいメモが一枚混じっている。
「紛らわしいところに置かないでよ」
「ごめん」
三輪が受け取って、自分の手帳へ挟む。
それから何か言いたそうにこちらを見たが、結局、口を閉じた。
その様子まで気になって、真依は視線を逸らした。
今日の午後は、三人での実技だった。
呪霊役の標的と、救助する人を示す目印を使い、建物の中を想定して動く。先日の任務の記録をもとに、歌姫が組んだものだという。
また、三輪が前だ。
配置を聞く前から、それだけは分かった。
*
昼休み、三輪は教室に残ったメカ丸へ、小さな声で尋ねた。
「真依、朝から何かあった?」
「俺は聞いていない」
「そっか」
「本人に聞けばいいだろう」
「うん。でも、私が何かしたのかなと思って」
メカ丸がこちらを向いた。
「心当たりはあるのか」
「この前の任務で、何か……」
言いかけて、三輪は考え込んだ。
教室へ戻ってからも、真依とは話していた。買い物にも一緒に行った。今日だけのことなのか、自分が気づいていなかっただけなのかも分からない。
「分からないなら、決めつけるな」
メカ丸が言った。
「お前が原因とは限らん」
「……そうだね」
三輪は頷いた。
何かあるのなら、話してくれれば聞きたい。
ただ、話したくないことまで無理に聞かれても、困るだろう。
少し考えてから、三輪は午後の実技に使う図面を広げた。
*
稽古場には、背の高い仕切りが並べられていた。
廊下に見立てた通路と、左右に分かれる部屋。奥には、呪霊役の標的がいくつか置かれている。
歌姫が説明を終えると、真依は拳銃を持ち直した。
実弾を使う区画と、三輪たちが動く通路は分けてある。互いの立ち位置が確認できなければ、射撃はしない。
「一度やってから、動き方を相談しましょう。今日は、三輪さんが一人で全部を回る練習ではありません」
「はい」
三輪が返事をする。
その声は、いつもと変わらない。
真依は彼女の左後ろについた。
メカ丸が反対側を確認し、三輪へ短く知らせる。
三輪が進む。
標的の一つへ木刀を当て、次の曲がり角で止まった。
「右、私からは見えない」
「こっちで見えるわ」
真依が答えた。
銃口を向ける。
撃つ前に、三輪の足が視界の端で動いた。
「出ないで」
三輪が止まる。
真依は一拍置き、標的を撃った。
金属の板が、小さく揺れる。
「そこまで。いったん戻って」
歌姫が言った。
三輪たちは通路から出て、図面の前へ集まった。
「今のところ、三輪さんはどう動こうとした?」
「右へ回って、次の標的を見ようとしました」
「真依は?」
「射線に入りそうだったので、止めました」
歌姫は頷いた。
「止める声はよかったわ。次は、その前に互いの動く方向を伝えてみましょう」
三輪が図面へ目を落とす。
「真依。ここにいるとき、どこまで見える?」
指したのは、さっき二人が止まった角だった。
「あんたが前に出なければ、奥の二つ」
「じゃあ、そっちをお願いしてもいい? 私、この壁沿いに進んで、左を確かめるから」
真依は図面を見た。
それから、三輪を見る。
「あんたなら、両方できるでしょ」
三輪の指が止まった。
歌姫が口を開きかけたが、その前に真依は続けた。
「昨日までだって、そうやってたじゃない。見えるところまで行って、さっさと終わらせればいいのに」
稽古場が静かになった。
真依は、自分の声が思っていたより鋭かったことに気づいた。
気づいたが、もう戻せなかった。
三輪は、少しだけ目を伏せた。
「……できると思う」
その返事で、胸の奥がまた、ちくりとした。
「でも、それをやったら、今日の練習にならないから」
真依の眉が動いた。
三輪は図面から手を離した。
「私、真依が撃つときに、どこへ動けばいいか、まだよく分かってない。この前は、言ってくれたから止まれたけど」
声が少し小さくなる。
「毎回、止めてもらうわけにもいかないし。先に合わせておきたい」
「……私に合わせるってこと?」
「お互いに、だと思うけど」
三輪はそこで歌姫を見た。
歌姫が頷く。
「そのための練習よ。遠距離から攻撃する人と、接近する人がいるんだから、一緒に動けるようにならないと」
真依は、図面へ視線を戻した。
ここでまだ何か言えば、三輪ではなく、歌姫へ噛みつくことになる。
「……だったら、最初に言いなさいよ」
「うん。ごめん」
「こっちの壁。そこより奥へ出る前に、声をかけて」
三輪が、示した場所へ印をつけた。
真依はそれを見てから、もう一つ先を指した。
「それと、ここ。あんたがしゃがんでも、後ろにメカ丸がいたら撃てない」
「俺が右側へ残ればいいのか」
メカ丸が尋ねる。
「そう。動くなら先に言って」
話が、ようやく三人分になった。
*
二度目は、最後の標的まで止まらずに進めた。
三輪は角で一度振り返り、真依の位置を確かめてから、約束した側へ寄った。
真依が奥を撃つ。
メカ丸が別の通路を確かめ、三輪が救助の目印へ手を触れる。
それで終わった。
最初より、三輪の動いた距離は短かった。
真依が撃つまで、待つ時間もあった。
「今の動きを覚えておいて。実際の現場では、このとおりにはならなくても、互いの邪魔をしない目安になるから」
歌姫の説明を、三輪が聞いている。
真依はその横顔から目を逸らし、弾を補充した。
自分は、何をしているのだろう。
三輪は、ここへ来てからずっとこうだった。
知らないことは聞く。頼まれれば返事をする。先輩に勝っても、次に話すときには頭を下げる。
それを、力を持っているからできる余裕だと思えば、腹が立った。
けれど、式の符号を間違えたくらいで机へ顔を近づけている姿にまで、そういう意味をつけるのも馬鹿らしかった。
分かっている。
分かっているからといって、朝に聞いた言葉まで消えるわけではなかった。
「真依」
呼ばれて振り返る。
三輪が木刀を下ろして立っていた。
「最後の、あそこから当たるんだね。仕切りで、もっと見えないと思ってた」
「ここからだと、隙間があるの」
真依は自分の立っていた位置を示した。
三輪がそこへ移り、目の高さを合わせる。
「……あ、本当だ」
「あんた、背があるんだから。立ったままと同じには見えないでしょ」
「うん」
三輪は一度立ち上がり、もう一度、膝を曲げた。
何を確かめているのかは分かる。
真依はしばらく見ていたが、やがて声をかけた。
「そこに居座られると、次、私が撃てないんだけど」
「あ、ごめん」
三輪が慌てて退く。
真依はその横を通って、元の位置へ戻った。
*
稽古が終わり、道具を片づけていると、西宮が顔を出した。
「終わった? 先生、もう出てもいいって」
今日は寮で使う物を買い足すため、外出の届けを出していた。
西宮に近くの店を教えてもらったところ、帰り道の途中まで一緒に行けることになっていたのだ。
「三輪ちゃんも来る?」
「え、いいんですか?」
「うん。必要な物があれば」
三輪が少し考える。
「細いペンが欲しいです。図面に書くと、字が潰れちゃって」
真依は手元の紙を見た。
今日使った図面の余白には、三輪の字で、何人分もの注意が書き込まれていた。
「買いに行く物まで、授業の続きなのね」
「真依は?」
「ハンドクリーム」
「あ、私も見ようかな」
「何でも一緒に見なくていいから」
言うと、三輪はちょっと笑った。
西宮が二人を見比べ、それから、持っていた箒を肩へ担いだ。
「じゃあ、戻って着替えてきて。門のところで待ち合わせね」
*
西宮とは途中で別れ、店には二人で入った。
三輪が文房具の売り場で立ち止まり、真依は隣の棚で買う物を探す。
店内には軽い音楽が流れていた。稽古場とは、ずいぶん空気が違う。
「ねえ、真依」
「何」
「この前、任務のあとに買った髪留め、どうだった?」
「普通。使ってるわよ」
「そっか。私、結局、買わなかったから。あの形、留めやすいのかなと思って」
「買えばよかったじゃない」
「予算が」
三輪は値札を見ながら答えた。
真依は鼻で笑った。
「そこは、そんなに迷わないんだ」
「迷ったよ。迷って、やめたの」
ペンを一本選び、三輪が籠へ入れる。
真依も小さなチューブを手に取った。
ふと、売り場の先に、眼鏡を並べた棚が見えた。
細い黒いフレーム。
それだけで、思い出したくない顔が浮かぶ。
東京へ行った、双子の姉。
同じ家を出て、別の学校を選び、あの人はあの人で、自分のやりたいように進んでいるのだろう。
三輪とは何も関係がない。
分かっているのに、強さの話をされるたび、姉の声まで一緒に聞こえるような気がした。
「真依?」
隣から声がして、真依は顔を上げた。
三輪は彼女ではなく、棚の商品を見ていた。
「それ、もう一種類あるね。こっちは無香料だって」
「……知ってる。こっちの匂いが好きなの」
「そうなんだ」
それで終わった。
何を考えていたのかも、なぜ返事が遅れたのかも、聞かれなかった。
真依はチューブを籠へ入れた。
「もう買った?」
「ペンは。あと、髪留めを見るだけ」
「見るだけ、ね」
「……たぶん」
真依は先に歩き出した。
*
門へ戻る途中で、三輪の携帯電話が鳴った。
画面を見て、足が少し遅くなる。
「歌姫先生から。明後日、東京の先生が来るんだって」
「あんたの確認?」
「うん。刀を使うから、手入れをしておくようにって」
真依は、三輪が学校へ持ってきた刀を思い出した。
地下倉庫で、あれが何度動いたのか、自分には正確に数えられなかった。
「今度は、誰が来るの」
「日下部先生、って。名前は聞いたことある。同じシン・陰流の人だって」
三輪は返事を打ち、それから携帯電話をしまった。
真依は前を向いたまま尋ねた。
「また、勝つつもり?」
隣で、三輪が考える気配がした。
「稽古で、勝負するなら」
返事に、ためらいはなかった。
真依は短く息を吐いた。
そこを濁されたら、きっと、もっと嫌だった。
「だったら、さっさと終わらせてよ。先生たち、ずっとあんたの確認ばっかりなんだから」
「うん。……それは、私も、早く済むといいなと思ってる」
その言い方が少し困っていて、真依は思わず横を見た。
三輪もこちらを見た。
「何?」
「別に」
門が見えてくる。
真依は歩いたまま、自分の鞄へ片手を入れた。
「明日の練習。今日つけた印、消さないで持ってきて」
「図面?」
「ほかに何があるのよ」
「うん。分かった」
三輪が頷いた。
真依は、朝に撃った的を思い出した。
狙いから少しずれた穴。
明日も、直さなければならない。
隣で三輪が、買い物袋を持ち替えた。
袋の中には、ペンが一本。
髪留めは、結局買わなかったらしい。
真依は、自分の髪を留めた小さな金具へ指をやり、それから、何も言わずに手を下ろした。