三輪霞は、剣だけでいい   作:ケーケーケー

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第六話 真依の機嫌

 

 的の端に開いた穴を見て、真依は眉を寄せた。

 

 外れてはいない。

 

 けれど、狙った場所ではなかった。

 

 朝の射撃場は、まだ冷えていた。指を握り直す。昨夜も少し長く練習したせいか、手に疲れが残っている。

 

 初任務から、数日が経っていた。

 

 地下倉庫の件は、その後、二級相当として報告がまとめられた。生徒だけでの討伐ではなく、歌姫の監督下で救助と祓除を行ったという記録になったらしい。

 

 それでも、三輪の話は広まった。

 

 そもそも、その前に東堂へ勝っている。

 

 校内の人数も少ないのだ。知られない方がおかしい。

 

 真依は残った弾を確かめ、次の的へ向き直った。

 

 背後の通路から、人の声が聞こえた。

 

「次の実習も、あの一年を前に出すんですか」

 

「三輪か? いや、配置は歌姫さんが決める。能力の確認も、まだ済んでいないそうだ」

 

「東堂に勝って、二級も問題なく祓ったんでしょう。あの子がいれば、ほかの一年も随分楽ですね」

 

 笑い声が、通路を過ぎていく。

 

 真依は振り返らなかった。

 

 引き金を引く。

 

 穴は、今度も狙いから少しずれた。

 

     *

 

「真依、それ、私の紙」

 

 教室で声をかけられて、真依は手元を見た。

 

 集めていた配布物に、三輪の手帳から抜けたらしいメモが一枚混じっている。

 

「紛らわしいところに置かないでよ」

 

「ごめん」

 

 三輪が受け取って、自分の手帳へ挟む。

 

 それから何か言いたそうにこちらを見たが、結局、口を閉じた。

 

 その様子まで気になって、真依は視線を逸らした。

 

 今日の午後は、三人での実技だった。

 

 呪霊役の標的と、救助する人を示す目印を使い、建物の中を想定して動く。先日の任務の記録をもとに、歌姫が組んだものだという。

 

 また、三輪が前だ。

 

 配置を聞く前から、それだけは分かった。

 

     *

 

 昼休み、三輪は教室に残ったメカ丸へ、小さな声で尋ねた。

 

「真依、朝から何かあった?」

 

「俺は聞いていない」

 

「そっか」

 

「本人に聞けばいいだろう」

 

「うん。でも、私が何かしたのかなと思って」

 

 メカ丸がこちらを向いた。

 

「心当たりはあるのか」

 

「この前の任務で、何か……」

 

 言いかけて、三輪は考え込んだ。

 

 教室へ戻ってからも、真依とは話していた。買い物にも一緒に行った。今日だけのことなのか、自分が気づいていなかっただけなのかも分からない。

 

「分からないなら、決めつけるな」

 

 メカ丸が言った。

 

「お前が原因とは限らん」

 

「……そうだね」

 

 三輪は頷いた。

 

 何かあるのなら、話してくれれば聞きたい。

 

 ただ、話したくないことまで無理に聞かれても、困るだろう。

 

 少し考えてから、三輪は午後の実技に使う図面を広げた。

 

     *

 

 稽古場には、背の高い仕切りが並べられていた。

 

 廊下に見立てた通路と、左右に分かれる部屋。奥には、呪霊役の標的がいくつか置かれている。

 

 歌姫が説明を終えると、真依は拳銃を持ち直した。

 

 実弾を使う区画と、三輪たちが動く通路は分けてある。互いの立ち位置が確認できなければ、射撃はしない。

 

「一度やってから、動き方を相談しましょう。今日は、三輪さんが一人で全部を回る練習ではありません」

 

「はい」

 

 三輪が返事をする。

 

 その声は、いつもと変わらない。

 

 真依は彼女の左後ろについた。

 

 メカ丸が反対側を確認し、三輪へ短く知らせる。

 

 三輪が進む。

 

 標的の一つへ木刀を当て、次の曲がり角で止まった。

 

「右、私からは見えない」

 

「こっちで見えるわ」

 

 真依が答えた。

 

 銃口を向ける。

 

 撃つ前に、三輪の足が視界の端で動いた。

 

「出ないで」

 

 三輪が止まる。

 

 真依は一拍置き、標的を撃った。

 

 金属の板が、小さく揺れる。

 

「そこまで。いったん戻って」

 

 歌姫が言った。

 

 三輪たちは通路から出て、図面の前へ集まった。

 

「今のところ、三輪さんはどう動こうとした?」

 

「右へ回って、次の標的を見ようとしました」

 

「真依は?」

 

「射線に入りそうだったので、止めました」

 

 歌姫は頷いた。

 

「止める声はよかったわ。次は、その前に互いの動く方向を伝えてみましょう」

 

 三輪が図面へ目を落とす。

 

「真依。ここにいるとき、どこまで見える?」

 

 指したのは、さっき二人が止まった角だった。

 

「あんたが前に出なければ、奥の二つ」

 

「じゃあ、そっちをお願いしてもいい? 私、この壁沿いに進んで、左を確かめるから」

 

 真依は図面を見た。

 

 それから、三輪を見る。

 

「あんたなら、両方できるでしょ」

 

 三輪の指が止まった。

 

 歌姫が口を開きかけたが、その前に真依は続けた。

 

「昨日までだって、そうやってたじゃない。見えるところまで行って、さっさと終わらせればいいのに」

 

 稽古場が静かになった。

 

 真依は、自分の声が思っていたより鋭かったことに気づいた。

 

 気づいたが、もう戻せなかった。

 

 三輪は、少しだけ目を伏せた。

 

「……できると思う」

 

 その返事で、胸の奥がまた、ちくりとした。

 

「でも、それをやったら、今日の練習にならないから」

 

 真依の眉が動いた。

 

 三輪は図面から手を離した。

 

「私、真依が撃つときに、どこへ動けばいいか、まだよく分かってない。この前は、言ってくれたから止まれたけど」

 

 声が少し小さくなる。

 

「毎回、止めてもらうわけにもいかないし。先に合わせておきたい」

 

「……私に合わせるってこと?」

 

「お互いに、だと思うけど」

 

 三輪はそこで歌姫を見た。

 

 歌姫が頷く。

 

「そのための練習よ。遠距離から攻撃する人と、接近する人がいるんだから、一緒に動けるようにならないと」

 

 真依は、図面へ視線を戻した。

 

 ここでまだ何か言えば、三輪ではなく、歌姫へ噛みつくことになる。

 

「……だったら、最初に言いなさいよ」

 

「うん。ごめん」

 

「こっちの壁。そこより奥へ出る前に、声をかけて」

 

 三輪が、示した場所へ印をつけた。

 

 真依はそれを見てから、もう一つ先を指した。

 

「それと、ここ。あんたがしゃがんでも、後ろにメカ丸がいたら撃てない」

 

「俺が右側へ残ればいいのか」

 

 メカ丸が尋ねる。

 

「そう。動くなら先に言って」

 

 話が、ようやく三人分になった。

 

     *

 

 二度目は、最後の標的まで止まらずに進めた。

 

 三輪は角で一度振り返り、真依の位置を確かめてから、約束した側へ寄った。

 

 真依が奥を撃つ。

 

 メカ丸が別の通路を確かめ、三輪が救助の目印へ手を触れる。

 

 それで終わった。

 

 最初より、三輪の動いた距離は短かった。

 

 真依が撃つまで、待つ時間もあった。

 

「今の動きを覚えておいて。実際の現場では、このとおりにはならなくても、互いの邪魔をしない目安になるから」

 

 歌姫の説明を、三輪が聞いている。

 

 真依はその横顔から目を逸らし、弾を補充した。

 

 自分は、何をしているのだろう。

 

 三輪は、ここへ来てからずっとこうだった。

 

 知らないことは聞く。頼まれれば返事をする。先輩に勝っても、次に話すときには頭を下げる。

 

 それを、力を持っているからできる余裕だと思えば、腹が立った。

 

 けれど、式の符号を間違えたくらいで机へ顔を近づけている姿にまで、そういう意味をつけるのも馬鹿らしかった。

 

 分かっている。

 

 分かっているからといって、朝に聞いた言葉まで消えるわけではなかった。

 

「真依」

 

 呼ばれて振り返る。

 

 三輪が木刀を下ろして立っていた。

 

「最後の、あそこから当たるんだね。仕切りで、もっと見えないと思ってた」

 

「ここからだと、隙間があるの」

 

 真依は自分の立っていた位置を示した。

 

 三輪がそこへ移り、目の高さを合わせる。

 

「……あ、本当だ」

 

「あんた、背があるんだから。立ったままと同じには見えないでしょ」

 

「うん」

 

 三輪は一度立ち上がり、もう一度、膝を曲げた。

 

 何を確かめているのかは分かる。

 

 真依はしばらく見ていたが、やがて声をかけた。

 

「そこに居座られると、次、私が撃てないんだけど」

 

「あ、ごめん」

 

 三輪が慌てて退く。

 

 真依はその横を通って、元の位置へ戻った。

 

     *

 

 稽古が終わり、道具を片づけていると、西宮が顔を出した。

 

「終わった? 先生、もう出てもいいって」

 

 今日は寮で使う物を買い足すため、外出の届けを出していた。

 

 西宮に近くの店を教えてもらったところ、帰り道の途中まで一緒に行けることになっていたのだ。

 

「三輪ちゃんも来る?」

 

「え、いいんですか?」

 

「うん。必要な物があれば」

 

 三輪が少し考える。

 

「細いペンが欲しいです。図面に書くと、字が潰れちゃって」

 

 真依は手元の紙を見た。

 

 今日使った図面の余白には、三輪の字で、何人分もの注意が書き込まれていた。

 

「買いに行く物まで、授業の続きなのね」

 

「真依は?」

 

「ハンドクリーム」

 

「あ、私も見ようかな」

 

「何でも一緒に見なくていいから」

 

 言うと、三輪はちょっと笑った。

 

 西宮が二人を見比べ、それから、持っていた箒を肩へ担いだ。

 

「じゃあ、戻って着替えてきて。門のところで待ち合わせね」

 

     *

 

 西宮とは途中で別れ、店には二人で入った。

 

 三輪が文房具の売り場で立ち止まり、真依は隣の棚で買う物を探す。

 

 店内には軽い音楽が流れていた。稽古場とは、ずいぶん空気が違う。

 

「ねえ、真依」

 

「何」

 

「この前、任務のあとに買った髪留め、どうだった?」

 

「普通。使ってるわよ」

 

「そっか。私、結局、買わなかったから。あの形、留めやすいのかなと思って」

 

「買えばよかったじゃない」

 

「予算が」

 

 三輪は値札を見ながら答えた。

 

 真依は鼻で笑った。

 

「そこは、そんなに迷わないんだ」

 

「迷ったよ。迷って、やめたの」

 

 ペンを一本選び、三輪が籠へ入れる。

 

 真依も小さなチューブを手に取った。

 

 ふと、売り場の先に、眼鏡を並べた棚が見えた。

 

 細い黒いフレーム。

 

 それだけで、思い出したくない顔が浮かぶ。

 

 東京へ行った、双子の姉。

 

 同じ家を出て、別の学校を選び、あの人はあの人で、自分のやりたいように進んでいるのだろう。

 

 三輪とは何も関係がない。

 

 分かっているのに、強さの話をされるたび、姉の声まで一緒に聞こえるような気がした。

 

「真依?」

 

 隣から声がして、真依は顔を上げた。

 

 三輪は彼女ではなく、棚の商品を見ていた。

 

「それ、もう一種類あるね。こっちは無香料だって」

 

「……知ってる。こっちの匂いが好きなの」

 

「そうなんだ」

 

 それで終わった。

 

 何を考えていたのかも、なぜ返事が遅れたのかも、聞かれなかった。

 

 真依はチューブを籠へ入れた。

 

「もう買った?」

 

「ペンは。あと、髪留めを見るだけ」

 

「見るだけ、ね」

 

「……たぶん」

 

 真依は先に歩き出した。

 

     *

 

 門へ戻る途中で、三輪の携帯電話が鳴った。

 

 画面を見て、足が少し遅くなる。

 

「歌姫先生から。明後日、東京の先生が来るんだって」

 

「あんたの確認?」

 

「うん。刀を使うから、手入れをしておくようにって」

 

 真依は、三輪が学校へ持ってきた刀を思い出した。

 

 地下倉庫で、あれが何度動いたのか、自分には正確に数えられなかった。

 

「今度は、誰が来るの」

 

「日下部先生、って。名前は聞いたことある。同じシン・陰流の人だって」

 

 三輪は返事を打ち、それから携帯電話をしまった。

 

 真依は前を向いたまま尋ねた。

 

「また、勝つつもり?」

 

 隣で、三輪が考える気配がした。

 

「稽古で、勝負するなら」

 

 返事に、ためらいはなかった。

 

 真依は短く息を吐いた。

 

 そこを濁されたら、きっと、もっと嫌だった。

 

「だったら、さっさと終わらせてよ。先生たち、ずっとあんたの確認ばっかりなんだから」

 

「うん。……それは、私も、早く済むといいなと思ってる」

 

 その言い方が少し困っていて、真依は思わず横を見た。

 

 三輪もこちらを見た。

 

「何?」

 

「別に」

 

 門が見えてくる。

 

 真依は歩いたまま、自分の鞄へ片手を入れた。

 

「明日の練習。今日つけた印、消さないで持ってきて」

 

「図面?」

 

「ほかに何があるのよ」

 

「うん。分かった」

 

 三輪が頷いた。

 

 真依は、朝に撃った的を思い出した。

 

 狙いから少しずれた穴。

 

 明日も、直さなければならない。

 

 隣で三輪が、買い物袋を持ち替えた。

 

 袋の中には、ペンが一本。

 

 髪留めは、結局買わなかったらしい。

 

 真依は、自分の髪を留めた小さな金具へ指をやり、それから、何も言わずに手を下ろした。

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