三輪霞は、剣だけでいい   作:ケーケーケー

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AI利用です


第八話 報告書に収まらない

 

 補助監督の藤村が三輪霞の名前を覚えたのは、本人と会うより先だった。

 

 東京の一級術師が推薦に関わっている一年生。

 

 京都校の東堂を、稽古で二度制した。

 

 同行者の欄へ書く名前を確かめるつもりで開いた資料には、そういうことが記されていた。

 

 日下部篤也の所見は、短かった。

 

 剣術および簡易領域の運用について、自分を上回る。

 

 藤村は一度、前のページへ戻った。

 

 学年を確かめ、もう一度読む。

 

 書き間違いではないらしい。

 

 ただ、それをどう受け取ればよいのかは、まだ分からなかった。

 

     *

 

 日下部が京都校を訪れてから、一月余りが過ぎていた。

 

 三輪は何度か、上級生や教師の同行する現場へ出た。

 

 調査をして、位置を伝え、必要なら刀を抜く。戻ってから、記録に分からないところがあれば説明する。

 

 少しずつ慣れたこともある。

 

 同級生と一緒に受けられなかった授業を、あとから埋めることも増えた。

 

 その日、三輪は二年生の加茂、西宮とともに、山間の観光施設へ向かっていた。

 

 同行する歌姫の携帯電話が鳴ったのは、山道へ入ってしばらくしてからだった。

 

「……停止したのは、どちら側ですか」

 

 歌姫が窓の外を見る。

 

 斜面の向こうに、索道の支柱が見えていた。

 

「乗客は六人。係員とは連絡が取れるんですね。分かりました。扉を開けずに待つよう、伝えてください」

 

 電話が切れる。

 

 運転席の藤村が、道の先へ目を向けたまま尋ねた。

 

「故障では、ないんですか」

 

「車両の上で何かが動いたと、係員が確認したそうです」

 

 車内が静かになった。

 

 最初に連絡があったのは、山麓駅の周辺で続いていた異音と、従業員の体調不良だった。

 

 調査では二級程度の呪霊が疑われていたが、姿を捉えきれていなかった。学校側が現場へ向かう間に、運行を止め、客を下ろす手配が進んでいた。

 

 ところが、最後に山を下りていた車両が、途中で動かなくなった。

 

 初めは設備の故障だと思われていたという。

 

 歌姫が三人へ向き直る。

 

「到着したら、まず乗客と呪霊の位置を確認します。救助を優先。構内の人たちを外へ出すのは、係員と私が対応するから」

 

 加茂が頷いた。

 

 西宮は、座席の脇に置いた箒へ手を伸ばす。

 

 三輪は、膝の上の刀袋を持ち直した。

 

     *

 

 山麓駅の待合室には、客と従業員が集まっていた。

 

 窓の外を見ている人。携帯電話で話している人。係員へ何度も質問する人。

 

 藤村は歌姫とともに責任者へ声をかけ、待合室から人を移す経路を確かめた。

 

 その横を、三輪たちが通り過ぎていく。

 

 細い少女だった。

 

 挨拶の際には、名乗ってから頭を下げていた。荷物を下ろすときも、人の足元へぶつけないよう持ち替えていた。

 

 刀袋を外しても、その印象は変わらない。

 

「西宮。風は?」

 

 加茂が尋ねる。

 

「上で確かめる。今のところ、強くはない」

 

 箒に乗った西宮が、駅の屋根を越えた。

 

 加茂と三輪は、係員に案内されて乗降場へ向かう。

 

 藤村も、無線機を持ってあとに続いた。

 

 屋外へ出ると、湿った山の匂いがした。

 

 空は白く曇っている。

 

 止まった車両は、乗降場から数十メートル離れた場所にあった。斜面が落ち込む手前で、宙にぶら下がっている。

 

 その屋根に、黒い塊があった。

 

 初めは、大きな布が引っかかっているように見えた。

 

 塊の端が、ゆっくり持ち上がる。

 

 薄い膜が開いた。

 

 その下に、節のある脚がいくつも折り畳まれていた。

 

「……おかしいな」

 

 藤村の声が漏れた。

 

 資料にあった残穢の規模と、目の前にいるものが合わない。

 

 車両の窓の内側で、人影が動く。

 

 呪霊の脚が、窓のそばへ下りた。

 

「三輪、まだ出るな」

 

 加茂が言った。

 

 三輪は頷き、乗降場の端で止まった。

 

 頭上から、西宮の声が届く。

 

「六人とも車内。屋根に一体。脚が、上の設備に絡んでる」

 

 加茂が弓を取った。

 

「窓へ伸びているものを落とす。西宮、上へ逃がさないでくれ」

 

「分かった」

 

 矢が放たれた。

 

 窓へかかりかけていた脚が、弾かれる。

 

 黒い塊が顔を上げた。

 

 膜が、開く。

 

 屋根に張りついていた身体が、起き上がった。

 

 大きかった。

 

 身体の半分が屋根の端からはみ出し、長い脚が車両を挟む。

 

 顔に当たる場所には、丸い穴が並んでいた。

 

 穴の一つから、係員に似た声がした。

 

『お降りください』

 

 車内の人影が、扉の方へ動いた。

 

「開けないで!」

 

 西宮が叫ぶ。

 

 藤村は無線機を口へ寄せた。

 

「係員からもう一度、乗客へ連絡を。外の声には従わないように!」

 

 黒い脚が、扉の縁へかかった。

 

 三輪が、加茂を見る。

 

「先輩。私、車両へ行きます。乗客のいる側の脚を、押さえてもらえますか」

 

 加茂の視線が、一瞬、彼女の足元へ下りた。

 

 乗降場の先には、空間がある。

 

 車両までは、歩くための道などなかった。

 

「渡れるのか」

 

「はい」

 

 返答は短かった。

 

 無線の向こうで状況を聞いていた歌姫が、指示を出す。

 

『三輪さんが接近。加茂君と西宮は援護を。藤村さんは、その位置から車内を見ていてください。追加の応援も要請しています』

 

 三輪が刀の柄へ手を置いた。

 

「行きます」

 

     *

 

 藤村には、最初の一歩がよく見えなかった。

 

 少女が乗降場の端へ出た。

 

 次には、斜め上を走る鋼索のそばにいた。

 

 一度、足が触れる。

 

 身体が沈むより先に、次の足が出る。

 

 藤村が息を呑んだときには、三輪は車両の屋根へ降りていた。

 

 呪霊の脚が、彼女へ振り下ろされる。

 

 刀が光った。

 

 一本、落ちる。

 

 藤村は思わず車両へ目を凝らした。

 

 落ちたのは、黒い脚だけだった。

 

 すぐ隣を走る鋼索には、傷一つついていない。

 

 三輪は足を広げすぎず、屋根の中央へ立った。

 

 足元が揺れる。

 

 彼女も同じ分だけ、膝を緩めた。

 

「動かないで、そのままでいてください」

 

 車内へ向けて言う。

 

 呪霊の顔が、三輪へ寄った。

 

 丸い穴が、いっせいに開く。

 

『お降りください』

 

「三輪ちゃん、上!」

 

 西宮の声がした。

 

 膜が風を打ち、屋根の上へ影がかぶさる。

 

 三輪の身体が低くなった。

 

 脚の一本が、彼女のいた場所を通る。

 

 金属の屋根が、浅くへこんだ。

 

 三輪は振り返らず、刀を返した。

 

 脚の先が切れて飛ぶ。

 

 その動きとほとんど同時に、乗客のいる側へ伸びた別の脚を、加茂の矢が逸らした。

 

「左は見ている。前へ集中しろ」

 

 加茂の声が届く。

 

「はい」

 

 三輪が答えた。

 

 藤村は、自分の無線機を握り直した。

 

 刀を振る場所として、あの屋根は狭すぎる。

 

 相手は大きい。脚も多い。下には一般人がいる。

 

 けれど、三輪は大きく振りかぶらなかった。

 

 伸びてくる脚の、その関節へ。

 

 身体を支えている一本の、少し内側へ。

 

 刃が通るたび、呪霊の姿勢が変わった。

 

 車両を揺らすほど大きな動きをする前に、支えが一つずつ失われていく。

 

 黒い塊が、屋根から浮いた。

 

 膜を広げ、空へ逃れようとする。

 

 西宮の箒が、その上へ回った。

 

 打ち下ろされた風に、薄い膜が煽られる。

 

 呪霊の身体が傾いた。

 

「三輪ちゃん、右!」

 

 三輪はすでに、そちらへ向いていた。

 

 屋根の縁へ踏み込む。

 

 黒い脚が、頭の上へ迫る。

 

 刀が、下から上へ通った。

 

 硬そうな外殻が開き、その奥へ刃が入る。

 

 呪霊の身体が、ひどく小さく折れたように見えた。

 

 大きなものが、山の斜面へ落ちていく。

 

 いや、落ちきる前に、形が崩れていた。

 

 まだ一筋、車両の上へ絡みついていた脚を、三輪が切り離す。

 

 車両が揺れた。

 

 三輪は片膝をつき、屋根の枠へ手をかけた。

 

 揺れが、少しずつ収まる。

 

 西宮が周囲を大きく回った。

 

 加茂は弓を下ろさないまま、落下した方角を見ていた。

 

 しばらくして、三輪が顔を上げた。

 

「中の方、怪我はありませんか」

 

 窓越しに、何人かが頷いたらしい。

 

 三輪はそれを見てから、こちらへ片手を上げた。

 

 藤村は、無線機の通話ボタンを押した。

 

 何を、どこから報告するべきか。

 

 考えるより先に、声が出た。

 

「車両の上から、対象が消えました。乗客六名、全員、車内にいます」

 

     *

 

 救助がすべて終わるまでには、さらに時間がかかった。

 

 呪霊がいなくなったからといって、すぐ運転を再開できるわけではない。

 

 係員が設備の状態を確かめ、歌姫が受け入れ場所を整えた。加茂は駅と車両の間を見守り、西宮は上空から、残る異常がないか調べ続けた。

 

 三輪は車両の上に残った。

 

 係員の声が届いたかを、窓から中へ確認する。待っているあいだに不安になった人へ、もう少しここにいてほしいと伝える。

 

 藤村が三輪と話したのは、六人全員が待避所へ移されたあとだった。

 

 彼女は乗降場の隅で、靴についた汚れを落としていた。

 

「三輪さん」

 

「はい」

 

「その……身体の方は」

 

「大丈夫です。制服、少し汚れましたけど」

 

 そう言って、膝の辺りを見る。

 

 確かに、黒い筋がついていた。

 

 藤村は、自分でも妙な質問だと思いながら尋ねた。

 

「怖くは、なかったですか」

 

「足場は、気になりました」

 

 三輪は、止まった索道を見た。

 

「揺らすと中の人が転びそうだったので。最初から全部、落とすわけにはいかなくて」

 

 藤村は黙った。

 

 彼女は、勝てるかどうかの話をしていなかった。

 

 どの脚から斬るか。

 

 どちらへ身体を落とすか。

 

 あの場所で、そこまで考えて動いていたらしい。

 

「先輩たちが見てくれて、助かりました」

 

 三輪が言う。

 

 その視線の先で、加茂が西宮と話していた。

 

 声をかけられたのに気づき、二人がこちらを見る。

 

「三輪。怪我がなければ、先生へ報告に行くぞ」

 

「はい」

 

 三輪は刀袋を持ち上げ、藤村へ頭を下げた。

 

 藤村はその背中を見ながら、日下部の所見を思い出した。

 

 短い文章だった。

 

 あれ以上、書きようがなかったのかもしれない。

 

     *

 

 その日の報告書は、一度、確認のために差し戻された。

 

 呪霊の規模と、一年生が担った範囲が一致しない。

 

 討伐の経過を、もう少し詳しく記してほしい。

 

 連絡を受けた藤村は、添付した資料を開き直した。

 

 乗客の人数。位置。各術師の配置。

 

 現場で残した映像には、三輪が車両へ渡るところから、姿勢を低くして刀を振るところまでが映っている。

 

 ただ、刀の動き自体は、ほとんど追えていなかった。

 

 藤村は、加茂と西宮の説明を追記した。

 

 西宮は上から見た脚の位置と、三輪が斬った順番を覚えていた。

 

 加茂は、三輪が動いた瞬間と、自分が矢を放った時機を分けて話した。

 

 二人とも、少女が一人で全部をやったとは言わなかった。

 

 自分たちが何をして、その間に三輪が何を済ませたのかを、具体的に説明した。

 

 書き足した報告を送信し、藤村は椅子へ背中を預けた。

 

 しばらくして、別の問い合わせが入る。

 

 今度は、三輪の同行可能な日程についてだった。

 

     *

 

 数日後、三輪は歌姫から、等級に関する通知を受け取った。

 

 これまでの実績と、複数の術師による確認を経て、二級として登録されることになったという。

 

 一級への推薦も進んでいるが、そちらは別の手順があるらしい。

 

「すぐに一人で行く任務が増える、という意味ではないからね」

 

 歌姫が、先に念を押した。

 

「はい」

 

 三輪は通知の紙を両手で持った。

 

 正式な等級が上がったことより先に、頭へ浮かんだものがある。

 

「あの、先生」

 

「何?」

 

「任務の手当って、変わりますか」

 

 歌姫は一度、三輪の顔を見た。

 

 それから、別の用紙を取り出す。

 

「担当する内容と、実際に出た任務によります。ここは事務の方からも説明してもらいましょう。分からないまま予定を立てないようにね」

 

「はい。ありがとうございます」

 

 話を聞き終えてから、三輪は廊下の窓際で携帯電話を開いた。

 

 家へ送る文面を、少し考える。

 

 多く送れそうだと、先に言ってしまっていいのだろうか。

 

 まだ、実際の額は分からない。

 

 三輪は一度、打ちかけた文を消した。

 

『学校で、等級が上がりました』

 

 そこから書き直す。

 

 弟たちに説明しても、何のことか分からないかもしれない。

 

 それでも、まずは、決まったことだけを知らせたかった。

 

 送信して、画面を閉じる。

 

「三輪」

 

 背後から、加茂の声がした。

 

「通知を受け取ったか」

 

「はい。先日は、ありがとうございました」

 

 頭を下げると、加茂は首を振った。

 

「あの現場の話なら、お前が乗客のところへ着いてくれてよかった」

 

 三輪は顔を上げた。

 

「こちらこそ、矢があったので、前を見ていられました」

 

「ああ」

 

 加茂は短く頷いた。

 

「ただ、次も同じように組めるとは限らない。同行する相手には、できることを先に伝えておけ。先方が知っていると思うな」

 

「……はい」

 

 日下部にも、似たことを言われた。

 

 強さを隠しているつもりはない。

 

 けれど、自分が何をできるのかを、相手に分かるように話すのは難しかった。

 

 加茂が手に持っていた書類を見て、三輪は尋ねた。

 

「先輩も、これから任務ですか?」

 

「下調べだ。明日の配置を確認してくる」

 

「お気をつけて」

 

 加茂は軽く手を上げ、職員室の方へ歩いていった。

 

     *

 

 教室へ戻ると、真依が三輪の席を指した。

 

「予定、追加されてるわよ」

 

 机の上に、新しい連絡用紙が置かれていた。

 

 翌日の出発時刻と、担当する場所。

 

 別の術師に同行し、建物の調査へ出るらしい。

 

「朝、早いね……」

 

 三輪が呟く。

 

「授業は?」

 

 メカ丸が尋ねた。

 

「戻ってから、資料をもらうことになってる」

 

「今日の続きだぞ」

 

「うん。今のうちに見ておく」

 

 三輪は鞄を下ろし、教科書を出した。

 

 通知をもらって、家へ連絡して。

 

 少し落ち着いたところだったが、明日の荷物も、あとで確かめなければならない。

 

 真依が連絡用紙の端を押さえた。

 

「帰る時間、書いてないけど」

 

「終わり次第、だって」

 

「ふうん」

 

 真依は手を離した。

 

 三輪は紙を手帳へ挟み、今日の授業で開いていたページを探した。

 

 携帯電話が鳴る。

 

 家からの返事だった。

 

 おめでとう、のあとに、無理をしないようにと書いてある。

 

 三輪は少し笑って、短く返した。

 

『大丈夫。明日も、先生たちと一緒だから』

 

 送ってから、携帯電話を机の隅へ置く。

 

 その隣に、明日の予定が挟まった手帳があった。

 

 この前までは空いていた欄に、任務先の名前が一つ増えていた。

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