三輪霞は、剣だけでいい   作:ケーケーケー

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第九話 断る理由

 

 呪霊を祓ったのは、昼前だった。

 

 古い事務所の三階。使われなくなった会議室に溜まっていたものを、三輪は窓や壁を傷つけずに斬った。

 

 刀を納めたときには、同行した術師が、隣の部屋を確認しているところだった。

 

 そのあと、建物をひととおり調べた。

 

 管理者へ説明し、補助監督へ報告し、鍵を返す相手を待った。

 

 近くに、もう一件、調査の必要な場所があるという話になったのは、その待ち時間だった。

 

「三輪さん、次の予定は?」

 

「今日は、このあと学校に戻るだけです」

 

 答えると、相手は少し安心した顔になった。

 

「こちらから学校へ確認するから、時間が取れれば、もう一か所付き合ってもらえるかな。今の現場から近いんだ」

 

 三輪は頷いた。

 

 近いなら、その方が早いだろう。

 

 調査が済めば、不安に思っている人も安心できる。

 

 学校からの許可を待って、次の場所へ向かった。

 

 帰りの車で窓の外が暗くなっていたときも、三輪は戦闘で疲れたとは感じていなかった。

 

 ただ、鞄の中の教科書は、朝に入れたまま、一度も開いていなかった。

 

     *

 

 それから数日のあいだに、似たことが重なった。

 

 午前中に終わるはずだった調査が、聞き取りの相手を待つうちに午後へ延びる。

 

 戻ってから書く予定だった記録を、夕食のあとに回す。

 

 受けられなかった授業の資料を読み、分からないところを確かめていると、いつの間にか日付が変わりそうになっていた。

 

 三輪は、机の上の紙を二つに分けた。

 

 明日、提出するもの。

 

 明日のうちに、見ておきたいもの。

 

 どちらも、思ったより多かった。

 

 携帯電話を開く。

 

 昼間、メカ丸が送ってくれた板書の写真を、もう一度確かめたかった。

 

 写真の一部が、三輪の教科書とつながらない。

 

『ここ、先生は何て説明してた? 明日でいいので、分かったら教えてください』

 

 画像へ印をつけ、送る。

 

 すぐに返事が来た。

 

『今、やっているのか』

 

 三輪は時計を見た。

 

 もう、こんな時間だったのか。

 

『うん。帰ってから、少し遅くなっちゃって』

 

 返事を打ち、鉛筆を持ち直す。

 

 携帯電話が、また鳴った。

 

『明日の出発は何時だ』

 

『七時。準備はできてるよ』

 

 少し間があった。

 

『なら、もう閉じろ。続きは帰ってからだ』

 

 三輪は画面を見つめた。

 

 質問したところより先に、そちらを返されるとは思わなかった。

 

『あと一つだけなんだけど』

 

『昨日も、そう言っていなかったか』

 

 言っていた。

 

 昨日は教室で、そのあと資料を持ち帰った。

 

 三輪は教科書の端へ目印を挟んだ。

 

『分かった。今日はやめるね。ありがとう』

 

 送ってから、少し考える。

 

『メカ丸も、遅くまで起きてるんだね』

 

 今度の返事は、少し遅かった。

 

『こちらのことはいい。お前は明日、出るんだろう』

 

 三輪は小さく笑った。

 

 何となく、教室で言われているときの声で読めた。

 

『はい。おやすみなさい』

 

 携帯電話を置く。

 

 閉じた教科書の下から、手帳の端が出ていた。

 

 週末の欄に、自分で書いた小さな文字がある。

 

 弟の誕生日。

 

 何か送ろうと思っていたことを、そのとき思い出した。

 

     *

 

 翌日の任務は、午後の早い時間に終わった。

 

 三輪が学校へ戻ると、歌姫が職員室から顔を出した。

 

「お疲れさま。荷物を置いたら、少し話せる?」

 

「はい」

 

 何か報告に抜けがあっただろうか。

 

 思い返しながら席へ着くと、歌姫は机の上へ、ここ数日の予定を並べた。

 

 その横には、三輪が現場から戻った時刻も書かれていた。

 

「昨日、何時に寝た?」

 

 三輪の視線が、紙から上がる。

 

「えっと……十一時を、少し過ぎたくらいです」

 

「その前は?」

 

「もう少し、遅かったです」

 

 歌姫は叱るような顔ではなかった。

 

 それがかえって、答えにくかった。

 

「授業の資料を、夜に読んでいるのね」

 

「はい。でも、分からないところはメカ丸が教えてくれますし、今のところは――」

 

「追いつけてる?」

 

 三輪は、言いかけた言葉を止めた。

 

 読んでいない紙が、部屋の机に残っている。

 

「……まだ、少し」

 

 歌姫が頷いた。

 

「明日の午後の同行は、外します。午前は予定どおり授業を受けて。午後は、空けておいていいわ」

 

「何か、確認ですか?」

 

「休む時間にして」

 

 三輪は、すぐには返事をしなかった。

 

 明日の予定を、頭の中で確かめる。

 

 現場の資料は、すでにもらっていた。遠くはない。調査のあとの護衛に一人欲しいと、頼まれている。

 

「でも、明日は、私が行くことになってますよね」

 

「別の人へ引き継げます。そのための連絡は、こちらでします」

 

「私、戦うのは大丈夫です。怪我もしてません」

 

「ええ。昨日の報告も、そう聞いてる」

 

 歌姫は、紙の一か所を指した。

 

「でも、移動と待機で、これだけ時間がかかってるわね。学校へ戻ってからの分は、この予定に入っていない」

 

 三輪は、その時刻を見た。

 

 任務先へ向かう時間。

 

 現地にいる時間。

 

 戻る時間。

 

 自分でも、何時にどこへ行くかは知っていた。

 

 けれど、それを一週間分並べて見たことはなかった。

 

「現場が延びたときに、次の予定を動かすところまで、こちらが拾えていなかったわ。そこは見直します」

 

「先生のせいじゃ――」

 

「私の仕事の話をしているの」

 

 声は穏やかだった。

 

 三輪は口を閉じた。

 

 歌姫は、次の紙を重ねた。

 

「それから、追加で頼まれたとき。『このあと学校へ戻るだけ』と答えたそうね」

 

「はい」

 

「授業の続きをする時間も、あるでしょう。食事も、刀の手入れも。予定がないわけではないのよ」

 

 三輪は手元へ目を落とした。

 

 帰るだけ、と言ったときの自分を思い出す。

 

 実際には、帰ってからやることがあった。

 

 それを、空いている時間として答えていた。

 

「……頼まれると、行った方がいいかなって、思ってしまって」

 

「どうして?」

 

 三輪は少し考えた。

 

 相手が困っていたから。

 

 自分なら、危険があっても対処できるから。

 

 それと。

 

「お仕事ができれば、家にも、少し多く送れるので」

 

 歌姫が顔を上げた。

 

 三輪は、慌てて続ける。

 

「それだけじゃないんですけど。私が行けば早く終わるなら、その方がいいと思って。現地で待ってる方も、いるし」

 

「うん」

 

 歌姫は最後まで聞いた。

 

「家のことを考えて働きたい、というのは分かりました。だから、そのためにも、続けられる予定にしましょう」

 

 三輪が目を上げる。

 

「同行できる回数と、学校で受ける授業。戻る予定が延びたときに、何を翌日へ回すか。そこまで決めてから引き受けます」

 

 歌姫が、明日の午後の欄へ線を引いた。

 

「断るときは、私が日程を調整していると言っていい。三輪さんが一件ずつ、相手を納得させなくても大丈夫」

 

 紙の上に、空いた場所ができた。

 

 三輪はその欄を見てから、頷いた。

 

「……はい」

 

「明日、何かしたいことはある?」

 

 少し考えてから、三輪は答えた。

 

「弟に送る物を、見に行きたいです」

 

「それなら、行ってきなさい」

 

 歌姫はそこで、ようやく笑った。

 

     *

 

「で、明日は休めるの?」

 

 寮へ戻る道で、西宮が尋ねた。

 

 歌姫との話を終え、教室へ戻ろうとしたところを呼び止められたのだった。

 

「午後だけですけど」

 

「十分。私もちょうど出る予定があるから、途中まで一緒に行こ」

 

 三輪は頷きかけて、立ち止まった。

 

「あの、先生から聞いたんですか」

 

「予定を直したってことはね。その前から、最近、三輪ちゃんをあんまり見ないとは思ってた」

 

「朝と、夜は……」

 

「朝はもう出てるし、夜は戻ってからずっと何かしてるじゃない」

 

 西宮が足を緩めた。

 

「この前、廊下で会ったとき、何の話したか覚えてる?」

 

 三輪は考えた。

 

 洗濯機の話ではない。

 

 あれはもっと前だ。

 

「……えっと」

 

「私が、買い物へ行くけど何か要るって聞いたの。そしたら、あとで考えますって」

 

「あ」

 

「そのままだったから、忙しいんだなと思ってた」

 

「すみません。忘れてました」

 

「いいよ。明日、自分で選べるんだから」

 

 西宮はそう言って、先に歩き出した。

 

 三輪も隣へ並ぶ。

 

 明日の午後の予定を、何時までに終わらせるかではなく、何をしたいかで考える。

 

 それだけのことに、少し時間がかかった。

 

     *

 

 翌日、三輪は午前の授業を最初から最後まで受けた。

 

 途中で呼び出されることもなく、教科書を閉じるところまで、教室にいた。

 

「今日は、これから出るのか」

 

 メカ丸が尋ねる。

 

「買い物。西宮先輩と」

 

「任務は?」

 

「先生が、別の方にお願いしてくれた」

 

 三輪が答えると、メカ丸は短く頷いた。

 

「そうか」

 

 それだけだった。

 

 三輪は鞄を持ってから、隣の席を見た。

 

「この前は、ありがとう。寝ろって言ってくれて」

 

「寝ろとは、書いていない」

 

「教科書を閉じろ、だったね」

 

「……同じことだ」

 

 三輪は笑った。

 

 メカ丸は端末へ視線を戻す。

 

「資料が足りなければ、あとでまとめて渡す。夜中に一枚ずつ確かめるな」

 

「うん。でも、先生にも補習してもらえることになったから。全部、お願いしなくても大丈夫」

 

「なら、そのときに聞け」

 

「分かった」

 

 真依が席を立ち、三輪の机へ一枚、紙を置いた。

 

「昨日の小テストの範囲。次、変わるって」

 

「ありがとう。……あ、ここから先なんだ」

 

「だから、前のとこばっかりやってないで、ちゃんと聞きなさいよ」

 

 三輪は紙を受け取った。

 

 鞄の中へ、すぐしまう。

 

 あとで、と机へ置きっぱなしにしないように。

 

     *

 

 西宮は、買い物のあいだ、何かを急かすことはなかった。

 

 弟はいくつなのか。何が好きなのか。

 

 聞かれて答えるうちに、三輪もだんだん、売り場を見る方へ気持ちが向いた。

 

「筆箱、もうボロボロなんです。でも、まだ使えるって言ってて」

 

「三輪ちゃんみたい」

 

「……そうですかね」

 

「うん」

 

 西宮は笑いながら、棚から一つ取った。

 

「こういうのは?」

 

 三輪は受け取り、留め具を開けてみる。

 

 弟が使う鉛筆や消しゴムを思い浮かべた。

 

 前に欲しがっていた形とは少し違うけれど、こっちの方が、本人の好きな色だった。

 

 値段を確かめる。

 

 それから、棚のほかの商品も見る。

 

「こっちも、見ていいですか」

 

「もちろん」

 

 何種類かを比べて、三輪は最初に取ったものを選んだ。

 

 会計のあとで、誕生日の贈り物だと伝える。

 

 包装された小さな箱を受け取ると、ようやく、ちゃんと間に合うと思えた。

 

 店を出たところで、携帯電話が鳴った。

 

 画面に表示された名前を見て、三輪の背筋が伸びる。

 

 歌姫からだった。

 

「はい、三輪です」

 

『今、少し話して大丈夫?』

 

「はい」

 

 何かあったのだろうか。

 

 三輪は買い物袋を持ち替えた。

 

『来週の合同訓練の連絡です。東京校へ行くことになったから、戻ったら日程を受け取ってね』

 

「東京、ですか?」

 

『ええ。三人とも参加します。詳しい話は明日、教室で』

 

 返事をし、電話を切る。

 

 隣で待っていた西宮が、こちらを見る。

 

「何だって?」

 

「来週、東京校へ行くそうです。合同訓練で」

 

「ああ、その話。日程、決まったんだね」

 

 三輪は頷いた。

 

 東京の学校には、日下部がいる。

 

 それから、師から何度か名前を聞いた、あの人も。

 

 少し考えたところで、西宮が三輪の顔を覗き込んだ。

 

「今、誰のこと考えてた?」

 

「えっ。いえ、その、東京の先生方って、どなたがいらっしゃるのかなと」

 

「日下部さんには会ったよね」

 

「はい」

 

「ふうん」

 

 西宮はそれ以上聞かず、笑って歩き出した。

 

 三輪は少し遅れて、あとを追った。

 

     *

 

 翌朝、歌姫は職員室で、翌週の予定を確かめていた。

 

 三輪への同行依頼は、まだ届いていた。

 

 前回も短時間で終えたから。

 

 近くへ来るなら、こちらにも寄ってもらえないか。

 

 一つずつなら、どれも無茶な頼みには見えない。

 

 歌姫はそれを日程表へ並べ、重なった時間を確かめた。

 

 先行の調査を別の班へ回せば、三輪は必要な場所へ直接向かえる。

 

 現地の聞き取りを先に済ませてもらえば、同行する術師も、情報の少ないまま建物へ入らずに済む。

 

 逆に、急がない調査を三輪へ足し続ければ、緊急の救援を頼める時間がなくなる。

 

 受話器を取り、担当者へ連絡を入れる。

 

「その調査は、明日の別班へお願いします。三輪の午後は空けておきます」

 

 相手の返事を聞いてから、予定を書き直した。

 

     *

 

 三輪は昼休みに、弟への荷物を発送した。

 

 小さな箱の中へ、短い手紙も入れた。

 

 帰り道、携帯電話に届いた連絡を開く。

 

 今日の午後は、変更なし。

 

 授業のあと、歌姫に見てもらいながら、取りこぼしていた範囲を確かめることになっている。

 

 三輪は手帳へ書き込んだ。

 

 その下に、家へ電話をする時間も入れる。

 

 来週は、東京。

 

 知らない人たちと会う前に、まだ準備することがある。

 

 けれど、今日は、夜まで全部を詰めなくてよかった。

 

 三輪は手帳を閉じ、教室へ戻った。

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