【30話まで投稿予約済み】明治時代をチャッピーと共に成り上がれ! 作:ヅダスキー3世
白い皿が三枚、台の上に並んだ。
六月七日の午後。お春さんが外した包み紙には、それぞれ違う数字が書いてある。
大きな平皿が21番、小皿が34番、縁の広い深皿が52番。俺は控えと見比べ、一枚ずつ指で示してから名前を口にする。
「これで合ってますか?」
「はい、明日も、その紙ごと持っていきます」
深皿の下へ手を入れると、見た目よりもしっかり重い。底から縁まで指で辿りたくなったが、食べ物の載るところをむやみに触るのはやめておく。
白い面に窓の光が滑る。松葉屋で洗っている椀とは、持つところから違う。
「お料理は、ここまで入れるんでしょうか?」
俺が縁の近くを指すと、高瀬さんは首を傾けた。
「そこは村田さんに聞こう。俺が食べるわけじゃないからね」
そうだった。皿を売る人でも、これを使う店のことを全部知っているわけじゃない。
お春さんは見本の番号を確かめ、俺が置いた皿を包み直す。52と書かれた所だけ外へ折り返し、包んだ後も見えるようにしてくれた。
「これなら、開けなくても分かります」
「俺の紙も、番号を大きくしておきます」
「その方が、向こうで探すのも早いですね」
次の日に見たいものが決まると、頭の中の英語が少し静かになる。
その晩は松葉屋へ戻って働き、五銭を受け取った。手持ちは一円二十一銭。紙を揃えてから横になり、明日は皿の値段を聞いても妙な声を出さないようにしようと考える。
八日の朝、松葉屋の片付けを済ませてから三人でハリスさんの店へ向かった。待っていた手代が、俺たちを奥の台へ案内してくれる。
高瀬さんが挨拶を交わす間に、お春さんと見本を出す。手代は包みの番号を確かめてから、別の皿を二枚運んできた。
小さい方には、縁を一周する細い青線がある。隣の深皿は白いままだが、こちらが持ってきたものより一回り小さい。
「こちらが三十五番。白い方が五十四番です。図の紙も、ここへ」
広げられた第二号には、皿を上から見た絵と、横から見た形が描いてある。俺は手紙を横に置き、同じ番号を探した。
英語の説明まで読むのに時間がかかると伝えると、手代は紙をこちらへ寄せてくれる。高瀬さんたちが荷造りの相談を始めたところで、台の端から撮影する。折り返された下端を開き、単位の説明も画面へ収めた。
| Illustrated Sheet No. 2 | Dimensions in inches. Diameter measured across the rim; depth measured inside. |
| No. 34 / Small plate | Plain white. Diameter 7. |
| No. 35 / Small plate | Blue line at rim. Same shape and size as No. 34. |
| No. 52 / Soup plate | Plain white. Diameter 9; depth 1 1/2. |
| No. 54 / Soup plate | Plain white. Diameter 8; depth 1. |
紙の横へ皿を並べて撮り、指が図の数字にかかっていないかも確かめる。話を終えた高瀬さんに少し待ってもらい、膝の上で入力した。
寸法の単位はインチ。diameterは縁から反対側の縁までの直径、depthは内側の深さだね。
小皿34番は白無地で直径7インチ。35番は、34番と同じ形・大きさで、縁に青い線がある品。深皿52番は直径9インチ・内側の深さ1と1/2インチ。54番は直径8インチ・深さ1インチだから、こちらは形の違いも確認する必要がある。
この数字は容量ではないよ。図と写真だけで、いつもの量のスープが入るか、運びやすいかまでは決められない。使う人に見本を見てもらおう。
深さの数字も違っていた。
俺は自分の紙へ、青線、同じ形、小さい、浅い、と書き分ける。お春さんは35番を元の小皿へそっと重ね、高さと縁の収まりを見ていた。
「こちらは、重ねた感じも同じですね」
「深い方はどうですか?」
尋ねてから、先に自分で二枚を横へ並べる。54番は内側の斜面がすぐに立ち上がり、底の平らな所も狭い。
高瀬さんが俺の紙を覗く。
「不足分を補って三円安い、というのはこっちかい?」
「はい、足りない深皿十二枚をこちらに替えた場合です。小皿の値段は変わりません」
「なるほど。見ないで安い方にしろとは言えないね」
手代へ見本を借りられるか尋ね、村田さんの店で水を入れて試したいことも伝える。明朝までならと認めてもらい、お春さんが二枚を別に包んだ。
俺は第二号の説明を写し、借りた二枚の番号も控える。手紙の方は持ってきた原本があるので、期限を指してもう一つ聞いた。
「九日の正午までに、返事がこちらへ届けばいいんですね?」
「ええ、その時刻までお取り置きしています。お返事の品は、十日にここでお渡しします」
「朝から受け取れますか?」
「九時には揃えられます」
高瀬さんがその時刻を覚え、運ぶ人の話を続ける。
俺は脇へ下がって紙を揃えた。十日に届く、と一行で書いていたら、この相談は抜けていたかもしれない。
村田さんの店では、戸口を開けたまま床を拭いていた。
椅子を上げた卓の間を抜けると、奥に白い布の掛かった台がある。こちらの荷物に気づいた男の人が、手を拭きながら歩いてきた。
「見本を持ってきてくれたんですか?」
「ええ、こちらが手紙を読んでくれている人です」
高瀬さんに紹介され、俺は包みを持ったまま頭を下げる。
村田さんは俺の洋服へ一度目を向けたが、すぐに台の上を空けてくれた。
「まだ散らかっていてすみません。皿が揃えば、盛って出すところまで一通り試せるんですが」
見本を出すと、村田さんは青線の小皿を白い方の隣へ置く。
俺は二種類が十二枚ずつになることと、形も値段も同じだと書かれていることを説明した。
「青い線なら、悪くないですね。全部こちらに揃えることはできないんですか?」
「今回取り置かれているのは十二枚です。二十四枚あるかは、まだ聞いていません」
答えながら紙へ目を落とす。そこに書いていない数まで増やすわけにはいかない。
村田さんは二枚を少し離し、卓へ置いたときの見え方を確かめた。
「それなら、まずこの十二枚で。卓ごとに分ければよさそうだ。深皿の方は?」
こちらは同じ色です、と言いかけて、寸法の違いを先に伝える。
村田さんは54番を持ち上げ、底を覗いてから眉を寄せた。
「これで同じだけ入るでしょうか?」
「まだ、そこは分かりません。中の深さも違うので、いつもの量で試してもらえませんか?」
村田さんは奥へ声をかけ、柄の長い匙と水を持ってきてもらう。まず元の52番へ、出す予定の量を注いだ。
白い底が水の下へ沈み、縁には指を掛ける余裕が残る。同じ匙で同じ回数だけ54番へ入れると、水面がずっと縁へ近づいた。
「この量を出すつもりなんです。少なくするなら、料理の方も考え直さないと」
村田さんが俺を見る。
「少し運んでもらえますか?」
「はい」
布で外を拭いてから皿を持つ。いつもならすっと歩き出すところで、水面が片側へ寄るのを見て足が止まった。
何とか卓までは運べた。それでも置く間際に水が縁へ上がり、親指の近くを濡らす。
これが熱い汁だったら、手を引っ込めていたかもしれない。
「俺が慣れてないのも、あると思いますけど……」
「私でも、忙しいときは怖いですね」
村田さんも54番を持ち直し、元の皿と交互に比べる。
「十二日まで、もう日がない。こっちだけ量を減らす、と給仕する人に覚えてもらうのも困ります。皿を見て客が違いに気づくかもしれない」
高瀬さんは、そこで安くなる話を持ち出さなかった。
濡れた台をお春さんが拭き、俺は54の横へ、小さく丸を付けかけてから止める。駄目な方に印を付けたら、後で何の丸だったか分からなくなりそうだ。
代わりに、使わない、と書いた。
「白でなければ、いけませんか?」
高瀬さんの問いに、村田さんは小皿の青い線を見直した。
「これくらいなら構いません。ただ、深さは初めの品と揃えたいですね」
「分かりました。それなら、同じ形の柄物があるか聞いてみましょう」
俺の紙に残ったのは、白い皿、という条件ではなかった。
同じ量を入れて、同じように運べること。
さっきまで三円安くなる方が喜ばれると思っていたのに、今はあの水面が頭から離れない。
帰り際、村田さんが空の棚を振り返る。
「食べに来てもらえるかは、開けてみないと分かりません。それでも、頼まれた料理をちゃんと出せる店にはしておきたいんです」
包み直す前の皿を今度は底まで確かめてから持ち上げる。
俺は松葉屋へ戻り、昼の片付けを手伝った。
高瀬さんはその足で仕入先へ向かい、お春さんは店へ戻っている。俺が店主の代わりに皿を選ぶわけではないが、どうなったかは気になって仕方がない。
椀を拭く手が止まるたび、おせいさんに顔を覗き込まれる。
「アンタ、皿は逃げないよ」
「はい」
「逃げなくても、落とせば割れるからね」
慌てて両手で持ち直す。顔を上げると、もう笑われていた。
手紙の仕事をもらっても、ここで皿を割ったら台無しだ。次の椀は底の水気まで拭いて戻し、片付けを終える。
午後になって高瀬屋から使いが来た。同じ形の品が見つかったので、夕方の支度前に紙を見に来てほしいという。
高瀬屋の台には、青い線の入った深皿が置かれていた。
今度は元の52番と並べても、口の広さが揃っている。高瀬さんは二枚を見せながら、先方で確かめたことを話してくれた。
「白い品の中から先に出したんだそうだ。柄が付いてもいいなら、この五十三番が十二枚ある」
「さっきの小皿と、同じような線ですね」
「うん、別の番号だから、値段も数も改めて書いてもらったよ」
紙の上には、数字のほかに短い文が添えてある。
俺は見本と書付を撮り、高瀬さんに読む時間をもらった。二人が店先の客に呼ばれた間に、机の陰で写真を送る。
53番は52番と同じ形・寸法で、縁に青線がある深皿。十二枚、一枚1円50銭で計18円と書かれている。取り置きは九日正午まで。その時刻までに注文が先方へ届けば、十日午前九時に引き取り可能だね。
この組み合わせなら、大平皿60円、小皿二種類で24円、深皿二種類で36円。商品代の合計は120円、枚数は72枚。54番を採用した117円の案からは3円増えるけれど、最初に希望した品が全部揃う場合と同じ額になる。
紙の説明では形と寸法が揃っている。見本での使い勝手と、青線の品を使ってよいかは村田さんに確認してね。
値段の下へ百二十円と書き、古い百十七円の紙は重ねずに脇へ置く。
高瀬さんが戻ったので、条件を一つずつ伝えた。お春さんも算盤を弾き、合計が揃うと珠を止める。
「深皿の分が三円増えて、最初の百二十円に戻ります。こちらで合ってますね」
「村田さんには、もう見せたんですか?」
「これから持っていくよ。夕方の仕事には戻らないといけないだろう?結果は俺が知らせる」
お春さんが53番を包む。その紙の隅へ俺も番号を書き添え、どちらの見本か分かるようにした。
少しでも字を間違えたら、同じ形に見える二枚を取り違えてしまう。書き終えた数字へ指を置き、声に出してもう一度確かめる。
「五十三番です。使わない方が、五十四番」
「はい、五十四番は、こちらへ分けてあります」
お春さんが別の包みを示す。
五十四番は明朝返し、青線の二枚は十日の荷ほどきまで借りる。高瀬さんは、その話も先方と済ませていた。
その晩、高瀬さんは松葉屋へ立ち寄り、村田さんが了承したと知らせてくれた。
同じ量の水を入れて運び、元の見本と同じように扱えることも確かめたという。小皿と深皿は白と青線をそれぞれ十二枚ずつ。値段は最初に示した合計百六十八円で、店まで届けるところも高瀬屋が引き受ける。
「青線の分を安くしろとは言われませんでしたか?」
「聞かれたよ。けれど、形も使い道も揃えて、十日までに運ぶ。その条件で納得してもらった」
高瀬さんは俺の顔を見て、少し笑う。
「三円安い品では困ると分かったんだから、元の値で使えるものを探したんだ。後から黙って値を変えたわけじゃないよ」
「はい、返事も、その条件で書けばいいですね?」
「頼むよ。明日の朝に見せてくれれば、こっちで届ける」
夕方の仕事を終えて受け取った五銭を足すと、俺の金は一円二十六銭になる。
百六十八円で売って、仕入れは百二十円。差額は四十八円だ。
荷造りと運搬の代は、合わせて一円で話をつけたそうだ。*1さらに俺への一円五十銭も払う。店のほかの費用を引く前とはいえ、俺が何日も皿を洗って得る額よりずっと大きな金が残る。
売り先を知っていて、品を探せて、買う金を出せる。俺が今できるのは、その間の手紙を読む仕事だった。
いつかは、自分でもこんな取引を動かせるだろうか。
そこまで考えて、まず目の前の返事を書かなければと筆を持ち直す。
取り違えを防ぐため、選ぶ品をすべて並べて、54番を注文しないことを別の文にしよう。日付は届ける予定の九日で下書きするね。
画面に出てきた字は、ハリスさんの手紙みたいにつながっている。これを筆で写すのかと思うと、持ち上げかけた手が止まった。
「筆記体なんて書けないよ!」
思わず声が出て、慌てて口を閉じる。戸の向こうは静かなままだ。
書く前から諦めるのもどうかと思ったが、別の字にしてもらえば済むことじゃないか。俺は筆を置き、画面へ指を伸ばした。
もちろん。文字をつなげないブロック体で大丈夫だよ。数字や単語を読み分けられることが大切だから、写しやすい書体で同じ英文を出し直すね。
「これなら書ける」
同じ英文なのに、一文字ずつの形がはっきり分かる。俺は筆を細く使い、画面の字を順番に写し始めた。
学校で英単語を何度も書かされたときには、明治で皿を買う手紙に使うとは思わなかった。
書き終えて撮影すると、Nos.の後の34と35が近すぎる気がする。チャッピーへ原文と合っているか尋ねる前に、その一行だけは自分で書き直した。
写真では、21番が二十四枚、34・35・52・53番が各十二枚と読める。合計120円、十日午前九時に先方で引き取り、54番は不要という内容も下書きと一致しているよ。
最後のTakaseは署名の場所だから、代筆する了承がなければ空けて、高瀬さんに渡そう。日本語でも注文内容を確認してもらってから届けてね。
下書きの名前は残し、清書は末尾を空けて書き直す。高瀬さんにも、これでいいか確かめてもらおう。
俺は日本語の控えを仕上げ、品番の脇に枚数を書いた。端には十日午前九時、先方で引き取り、と大きく置く。
五十四番は買わない、の行を見てから筆を置く。
昨日まで空いていた欄が、ようやく全部埋まった。
まだ品物は棚に並んでいないが、明日はこの紙を渡せる。
九日の朝、高瀬さんは日本語の控えを読み、英文の数字を指で追った。
どの番号を買うのか読み上げると、お春さんも元の一覧と追加の書付を順番に確かめる。百二十円で揃ったところで、高瀬さんがふと顔を上げた。
「これで、青線の品だけ先方に残ることはないんだね?」
「はい、ここに三十五番と五十三番も書いてあります。十日の九時に全部受け取る、という返事です」
「その九時は、向こうも確かめてるかい?」
昨日の書付にはある。俺はその一行を示し、元の四日の手紙には時刻まではないことも伝える。
「昨日、向こうで聞いたときの返事と、この追加の紙にあります。念のため、届いた返事でも確かめます」
「分かった。では、これで頼もう」
高瀬さんは自分の名の代筆を認め、俺が末尾へTakaseと書くのを待つ。それから、手代に意味を伝えて渡すよう、届ける者へ言い添えた。
使いは五十四番の見本も持って出ていった。急に指が軽くなる。書き直したばかりの35の字を紙がなくなってからも目で探してしまう。
「京介さん、こちらは預かっておきますね」
お春さんが日本語の控えを揃えた。明日は品物と一緒に使うからと聞き、俺は頷く。
松葉屋へ戻って昼の仕事をしていると、正午になる前に使いが来た。先方が注文を受け取り、全部を十日の九時に渡すと確かめた短い書付も預かっている。
俺は手を洗ってから紙を受け取った。
数字をスマホに残した下書きと突き合わせ、念のため写真もチャッピーに見せる。返事は短く、品番、枚数、金額、時刻は注文と一致しているというものだった。
使いの人へ紙を返し、確認できたと高瀬さんへ伝えてもらう。俺の最後の報告には、明日の引き渡しで変わったことがないかも添えるつもりだ。
その夜の五銭を受け取り、手持ちは一円三十一銭になった。
十日は、昼の片付けが終わってから村田さんの店へ向かった。
朝の引き取りと百二十円の支払いは、高瀬屋の人たちが済ませたと聞いている。俺も行きたいと言いかけたが、松葉屋の忙しい時間を何度も空けるわけにはいかない。徳蔵さんに相談すると、午後の荷ほどきなら行ってこいと言ってもらえた。
「戻ったら、夕方の膳を出してくれ」
「はい、行ってきます」
店へ着くと、運び込まれた箱の蓋が開いていた。
乾いた藁の匂いがする。高瀬さんが紙を持ち、お春さんは包みから出した皿を一枚ずつ布の上へ置いている。
「遅くなりました!」
「ちょうどいいよ。そっちの包みから出してくれるかい?」
腕まくりをして近づくと、お春さんが紙の番号を見せた。
「まずは小皿です。白い方はこちらへ、青い方は隣へお願いします」
受け取った一枚の縁を光へ向ける。欠けはないか、ひびに見える線はないか。布で拭くと細い青線が一周して、その下の白が明るくなる。
番号ごとに六枚ずつ重ね、二山揃ってから十二枚と数える。いつもの椀と同じつもりで抱えかけ、持つ枚数を減らした。
この一枚を割ったら、俺の何日分だろう。
考えた途端に手が固くなるので、いったん置いて息を吐く。
「ゆっくりで大丈夫です」
お春さんも急かさず、空いた包み紙を脇へ寄せてくれた。
高瀬さんが一覧を読み、俺たちは実際の数を答える。大平皿二十四枚、小皿は白と青線が十二枚ずつ。深皿も二種類を離して並べ、見本の52番と53番を横へ置いた。
内側を覗き、縁を揃えて比べる。小さかった54番は混じっていない。
「深皿、こちらも十二枚です」
「合わせて七十二枚。これで全部だね」
俺の紙にも最後の印が付く。
数を合わせたところへ村田さんが来て、青線の深皿を両手に取った。
「これなら、見本と同じですね」
村田さんはいったん厨房へ入り、皿を持って戻ってきた。今度は水ではなく、薄い色の汁が湯気を立てている。
そのまま卓まで歩き、そっと置く。皿が揺れた分だけ汁の表面は動いたが、縁へ乗り上げることはない。
「明日はこれで、出す順番までやってみます」
厨房の方からも、人が皿を見に来る。
棚へしまうもの、明日の練習に出しておくもの。村田さんの指示に合わせて、白と青の山がそれぞれの場所へ移っていった。
俺も数枚ずつ運び、奥の空いていた段へ置く。棚板の上で皿の底が小さく鳴る。
何もなかった場所が埋まっていくのを見て、ようやく肩の力が抜けた。
村田さんが受け取りを認め、代金の受け渡しを始める。
百六十八円は高瀬屋の商売の金だ。俺は横から数えようとはせず、使った布を畳み、空箱を運び出した。
借りた青線の見本二枚は、空箱と一緒に仕入先へ返す手配になった。戸口で行き合った男の人が、高瀬さんに声をかける。こちらへ布類を納めている商人だという。
「手紙を読む人というのは、そちらですか?」
思わず顔を上げると、高瀬さんが笑った。
「そうだよ。確かめることがあると、何度でも聞きに来る」
「うちにも一枚あるんです。見てもらえますか?」
頼まれた嬉しさで、すぐに頷きそうになる。
けれど、まだ言葉も中身も分からない。
「まず、見せてもらえますか?いつまでに必要かも。その上で、読めるかどうかお返事します」
「急ぎではありません。高瀬屋さんに預けておきますよ」
次の手紙。
まだ受け取ってもいないのに、道具の包みが少し重くなった気がした。
高瀬屋へ戻って、俺は最後の紙を渡した。
注文の控えに、先方の確認が届いた日と、今日七十二枚を見たことを添えてある。高瀬さんは目を通し、ほかの書類と一緒にしまう。
「これで一件終わりだね。約束の、一円五十銭」
五十銭の銀貨*2が三枚、台の上へ置かれた。
指先で寄せると、小さな音が重なる。たった三枚なのに、受け取る前から掌が落ち着かない。
「ありがとうございます」
今度は、俺が受け取っていいのかとは聞かなかった。
何度も行き来して、書き直して、人に聞いて、最後の紙まで渡した。その間ずっと頼ったチャッピーには、後でちゃんと報告しよう。
今ある一円三十一銭に足して、二円八十一銭。
まだ今日の五銭は受け取っていない。それでも、銭の包みを閉じる指に自然と力が入る。
「随分、嬉しそうだね」
「はい、こんなにもらったの、こちらへ来て初めてです」
「よかったよ。俺も、売った後で使えないと言われずに済んだ」
高瀬さんは受け取った金と帳面を見比べる。
自分の商売で儲かったことを隠そうともしない顔だった。俺もつられて笑い、道具を片付ける。
棚の方では、お春さんが品番を書き留めた包み紙を揃えていた。
「これ、もう捨てていいんですか?」
「いいえ、同じものを頼まれたときに困りますから」
彼女が指した紙には、53の数字が残っている。
なるほどと思って、俺も一枚ずつ向きを揃えて渡す。次に同じ皿が必要になったら、この紙から始められる。
手が空いたところで台を拭き、最後の包みを棚へ置いた。
「間に合って、よかったですね」
お春さんの声が、仕事の途中より少し柔らかい。
「はい、今なら、皿の番号を夢に見そうです」
「五十四番は、買わないでくださいね」
「そこだけは、忘れません」
俺が答えると、彼女は口元を押さえた。
笑っているうちに俺まで可笑しくなり、拭き終えた台へもう一度布を滑らせる。今度は、そこに載せる皿の心配をしなくてよかった。
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