【30話まで投稿予約済み】明治時代をチャッピーと共に成り上がれ! 作:ヅダスキー3世
九月十五日、机へ置いた注文の紙に、濡れた手の跡が付いた。
明日のために洗った鍋から、水が袖口まで伝っていたらしい。拭いた指がまた濡れ、紙の隅を少し毛羽立たせてしまった。
明日は松葉屋へ四十包み、小野屋へ二十包み。
全部で六十包みという数字を眺めながら、袖をまくり、もう一度手を拭く。
おりんさんが初めてキャラメルを買ってくれたのは八日だ。取り置いていた一包みを届けると、その場で紙を開き、一粒を口へ入れた。
切れ長の目が丸くなり、それからゆっくり細くなる。
「……もう一つ、食べてしまいそう」
そう言いながら包みを閉じたのに、帰り際に見ると、また端を開いていた。
その話をおまつさんたちにもしてくれたらしい。今度は小野屋でも売りたいと主人から話があり、四粒四銭、店へ四厘という松葉屋と同じ条件を決めたところだ。
松葉屋へは八日と十二日に三十包みずつ出し、どちらも次を作る前に売り切れた。お春さんとおりんさんの取り置きも八日分から渡し、二人から受け取った四銭ずつは松葉屋の売上へ入れてある。
お春さんは、一粒だけ先に食べて残りを大切そうに包み直していた。おりんさんの顔を思い出したことは、もちろん言わなかった。
今度の六十包みは、店が全部買い取ってくれる数ではない。松葉屋で待っている客と、小野屋が聞いてきた注文に、店先へ置く分を足した数だ。
これなら売れそうだと喜んでから、四鍋分の菓子をいつ切るか、いつ包むかで困った。
おきぬさんには、十六日の午後も手伝えるか先に尋ねてある。ただ、これまで頼んだのは三十包みの包装までだ。倍にする話も、切り分けをお願いする話も、まだしていない。
化粧水の注文も別の紙にある。
高瀬屋に残っていたガラス三本と、小野屋の陶器二本はもう売れた。両方から次を頼まれ、おりんさんは、品を見たい人がほかにもいると言う。
売れないと困るはずなのに、売れても机の前で困っている。
包む手がもう一本あればと考えていた頃より、欲しい手が増えてしまった。
夜、松葉屋の手伝いを済ませて帰ると、俺は菓子の控えを開いた。
量を変えて試した跡や、うまく切れなかった日に書いた注意が残っている。これを読みやすく写せば、おきぬさんにも作ってもらえるのではないか。
彼女が鍋を見てくれる間に、俺は化粧水の仕込みへ行ける。二人で別々に作れば、もっと増やせそうだ。
新しい紙へ材料の名を書き、スマホを手に取った。
人に仕事を頼んで増やす方向はいいと思う。ただ、今の段階で正確な配合と製造の全工程をそのまま書いて渡すことは勧めない。まず、どの作業に時間を取られているかと、何を自分の手元に残すかを分けて考えよう。
材料の名の横へ数字を書こうとしていた筆が止まる。
危ない火を使わせるからだろうか。それなら、最初は隣で教えるつもりだった。
火や器具の扱いも大切だけれど、今回気になったのは商売としての製法の扱いだよ。おきぬさんの人柄を疑う材料がある、という意味ではない。
京介は材料を買い、失敗した分も負担して、売れる味と口当たりへ近づけてきたね。何をどれだけ入れ、どの順に扱い、どこで加熱を終えるか。その組み合わせには、同じ失敗をせず作り始められる価値がある。紙を渡し、実際の判断まで教えれば、相手の中にもその知識が残る。仕事を終えたときに紙を返してもらっても、覚えた内容まで回収することはできない。
もちろん、製法を知れば誰でもすぐ同じ商売ができるわけではない。材料の確保、道具、作る腕、売り先も必要だよ。それでも、まだ仕事の範囲や長く働く条件を決めていない段階で、全体をまとめて伝える必要があるかは考えたい。秘密にする範囲、必要な共有、対価や継続の条件を整理してから任せる方がいい。
今までの話では、切り分け、包装、店への運搬にも京介の時間を使っている。この部分なら、材料の配合や煮詰め方を教えずに頼める。まずそこを任せ、京介が製造へ戻れる時間を増やしてみよう。何を何個、どんな状態に仕上げるかは十分に教える必要があるけれど、作業に必要な説明と製法全体の開示は同じではないよ。
書きかけの紙を見る。
砂糖の字の脇には、まだ何もない。ここへ数字を入れ、火から下ろすときのことも書くつもりだった。
俺が何度も見直す紙だから、人に渡しても分かりやすいだろうと思っていたのだ。
その分かりやすさが、今は少し怖かった。
今すぐ日本で特許を取って守る、という前提にはできない。京介がいる明治八年、1875年は、日本の特許制度が一度止まり、本格的に始まる前の時期に当たるんだ。
元の世界の記録では、1871年、明治四年に最初の特許法に当たる「専売略規則」が公布された。けれど、制度の利用や運用がうまく進まず、翌1872年に施行が中止されている。その後、1885年、明治十八年四月十八日に「専売特許条例」が公布される。今からなら約十年先だね。*1
だから、今ここで製法を広く伝えた後に、日本の特許権を取得して模倣を止めよう、という計画には頼れない。これは、当時はどんな約束も意味がない、何をしても許される、という話ではないよ。特許による保護と、相手との取引上の約束は分けて考える必要がある。秘密を扱う約束をする場合も、その時点の制度と実際の取引に即して考えることになる。
特許は、作り方を誰にも見せず、自分の物だと宣言するだけの仕組みでもない。一般に、発明の内容を明らかにすることと引き換えに、条件を満たした発明へ一定期間の権利を与える制度だよ。何をどこまで保護できるかは国や時期によって違うし、京介が作っている商品の配合が、そのまま特許になるとも決められない。*2
外国の制度を使う可能性は、出願先、発明の内容、資格、費用、手続を調べてから検討できる。将来、精製方法などに独自の改良ができたときには、その改良について公開する前に考えよう。今のお菓子の全工程を明日誰かへ渡してよいかという問題は、それまで待ってはくれない。まずは、配合を伝えなくても頼める仕事から分担するのが、京介の今の規模には合っていると思う。
「十年……」
声にしてから、鍋の方を見た。
明日もう一つ作れるかと考えていたのに、守ってくれる仕組みはそんな先の話らしい。
特許という言葉なら知っている。取れば真似をされないのだろうと、肝心なところを知らないまま便利な札のように考えていた。
俺はスマホへ聞けば、配合の考え方も、失敗した理由も教えてもらえる。
分からなければ、もう一度聞けばいい。何度尋ねても、代わりに何を教えてくれるのかと問われたことはない。
だから、おきぬさんにも同じように教えればいいと思った。
あの人が包みを早く仕上げるところは、すごいと思える。自分が画面を見ながら覚えたことには、それほどの値打ちがあると考えていなかった。
水を付けて毛羽立たせた紙の隣に、配合の控えがある。
片方には、これから受け取るかもしれない代金を書いた。もう片方がなければ、その注文へ渡す品を作れない。
俺は数字を写す前の紙を裏返す。
危なかった。
明日、親切に教えているつもりで、全部渡すところだった。
ただ、しまい込む前に一つ気になったことがある。
その人には、器具の扱いや原料処理を確かめてもらうために必要な部分を共有してきたんだね。すでに知っている工程について、今から京介しか知らない秘密だったことにはできない。原料処理を一緒に進める相手がいることと、商品の最終配合や二つの商品の全工程を新しく渡すことは、分けて整理しよう。
必要な技術協力まで断って、一人で無理に作業することは勧めないよ。今後その人と仕事を広げるなら、共有済みの内容と新たに頼む範囲を確認する。おきぬさんには、冷ました菓子を切って包むところから頼める。人に任せる仕事を選び、そこはきちんと教え、決めた対価を払う。全部を自分で抱えることだけが守り方ではないんだ。
画面を置き、机の上の紙を分けた。
分量と火の加減を記した方は、試作の控えと一緒に包む。明日見せる紙には、いつもの大きさに切ること、四粒を一包みにすること、納める店ごとの数を書く。
切る幅は実物で見せないと分かりにくそうだ。端が小さくなったら勝手に一粒へ数えず、脇へ分けてもらおう。
そこまで書くと、教えることはまだいくつもあると分かった。
手渡す紙の字が減ったのに、明日何を頼むかは前よりはっきりしている。
翌朝、おきぬさんへ話すと、彼女は初めに六十包みという数を聞き返した。
「昨日聞いたのより、増えたんだね?」
「すみません。小野屋でも置いてもらえることになって。切り分けからお願いできればと思ったんですが、午後だけで終わりそうでしょうか?」
「切るのは、やってみないと何とも言えないよ。最初は見てくれるんだろう?」
「はい、いつもの大きさに切った物も残しておきます」
これまでは、俺が小皿へ四粒ずつ載せて彼女へ渡していた。その切り分けから任せるので、三十包み四銭の約束をそのまま倍にする話にはしない。
午後の半日まで、六十包みの切り分けと包装で十銭。今日のほかに十八日と二十日も頼みたいと伝えた。
「もし時間までに終わらなければ、残りは俺がやります。次の量は今日の様子を見て相談させてください」
「それなら引き受けるよ。十八日は出られるけど、二十日は遅くまで待てないからね」
「今日と同じ頃に来てもらえるよう、先に用意します」
おきぬさんは、刃物と台は俺のところの物を使うのかと尋ねた。そうだと答え、手を洗う場所や、包みを置くところも一緒に確かめる約束をする。
十銭は終わった日に渡す。菓子が売れてから、という条件にはしなかった。
松葉屋では、おせいさんに運ぶ人の心当たりを尋ねた。
彼女は俺の顔より先に、抱えた注文の控えを見る。
「アンタまで一緒に歩くなら、初めの一回は仕事を教えるつもりで頼むんだよ。荷物だけ渡して、後は知りませんじゃ困るからね」
「はい、道と渡す人を一緒に確かめます」
「じゃあ清吉に聞いてごらん。今日は近くで手が空くと言ってたから」
紹介された清吉さんは、近隣の店で荷運びや使い走りをしている青年だった。俺より少し若そうで、話を聞く間も箱の底へ手を入れ、持ち上げたときに傾かないか確かめている。
松葉屋と小野屋へ品を届け、受け取った人に数を確かめてもらい、控えと空の運び箱を戻す。半日までで四銭。まず十六日、十八日、二十日の三回だ。
代金の集金は俺がする。注文を聞かれたときも、その場で受けずに話を持ち帰ってもらう。
「二十日は小野屋へ瓶も届けたいんです。菓子の箱とは分けます」
「何本くらいです?」
「六本を考えています。無理に一度で持たず、店ごとに分けて運ぶつもりで」
「じゃあ、その日は先に見せてください。紐も確かめたいんで」
高瀬屋の分は、翻訳の仕事へ行くときに俺が持つことも伝える。菓子と瓶では持ち方も違う。ただ持っていってください、と言うだけでは、向こうも返事のしようがないのだ。
控えへ内容を書き足し、おせいさんにも決まったことを伝えた。
家へ戻ると、鍋へ向かう前に昨日買った器を並べる。
菓子専用の切り台と浅い器、それに運ぶ箱の追加で二十四銭。これで冷ます場所と、包みを置く場所を分けられる。
松葉屋の朝の掃除も、高瀬屋の手紙も済ませてきた。四鍋分の乳は朝に受け取り、これから順に煮る。
鍋を大きくしたわけではない。いつもの量で、同じ手順を繰り返す。
おきぬさんが来るまでに配合と加熱を終えるため、今日は切り分けへ手を出さず、冷ます器を次々に並べていった。
途中で包み紙を畳みたくなっても、そちらには触れない。頼むと決めた仕事が目に入るたび、自分で片付けそうになる手を戻す。
午後、おきぬさんが来たときには、最後の器も冷ましているところだった。
鍋と原料を片付けた台の上へ、最初に仕上がった分を出す。彼女は手を洗って袖を整え、俺が切るところを横から見た。
「このくらいの幅でお願いします。四つで一包みです。ここが細くなったら、端は別にしておいてください」
「揃った分へ、小さいのを足して四つにはしないんだね?」
「はい、一包みの量が変わってしまうので」
初めの一列は俺が切り、次を彼女に渡す。
刃を下ろす向きはすぐに揃った。けれど、三つ目で少し幅が狭くなる。見本の一粒を横へ置くと、おきぬさんは近づけて見比べ、自分から切る線を直した。
数ができればいいと思って任せていたら、気づかなかったかもしれない。
「端の分は、この小皿でいいかい?」
「お願いします。売る方へ戻さず、俺が後で見ます」
包み紙を置く場所まで決まると、彼女の手が早くなった。
切った物を一粒ずつ遠くへ運ばず、手元で四つ揃えてから紙へ移す。前に俺へ教えてくれた段取りが、そのまま続いている。
見ているうちに何か手伝いたくなって、小皿へ手を伸ばすと、彼女が顔を上げた。
「そっちは終わった分。これから切る方は、こっちだよ」
「あ、すみません」
「別の用があるんじゃなかったのかい?」
ある。
明日の原料の相談も、次の瓶の注文も、まだ済んでいない。
俺は四十と二十に分ける場所をもう一度示し、切り方が揃っているのを確かめてから帳面を持った。包んでおいた配合の控えも懐へ入れる。今朝の量を書き込んだ紙は、台の上に残さない。
「少し外しても大丈夫ですか?」
「困ったら、戻るまでそこへ分けておくよ」
戸口で振り返ると、彼女はもう次の紙へ菓子を載せていた。
俺が持って出るのは、まだ空の箱だ。帰ってきたら、中へ入れる品ができている。
そのことが落ち着かなくて、戸の閉め方までいつもより遅くなった。
高瀬屋で次の瓶を頼むと、高瀬さんが控えを俺の方へ向けた。
販売用はガラス八本と陶器十六本。二回に分けて使う。ガラスは四色を二本ずつ、色合いまで前と全く同じにはならないことも確かめた。
瓶と栓で八十銭を払うと、数え終えた金が向こうの手へ移る。
前の仕込みの瓶代より多い。それでも、紙の上には納める先がもう二つある。
「菓子は間に合うのか?」
「今、おきぬさんが切って包んでくださっています。今日は運ぶ人もお願いしました」
「そうか。それで、ここへ来られたんだな」
言われて、俺も頷く。
瓶を頼んでいるこの間にも、家では仕事が進んでいるはずだ。
お春さんが、書き終えた控えを畳んで渡してくれる。
「今度は、お菓子を作るところも教えるんですか?」
「いえ、作るところは俺がやります。切って包んでもらえるだけでも、こうして出てこられるので」
「では、京介さんのお菓子のままですね」
ぱっと笑った顔に、こちらも頬が緩んだ。
味が変わらないという意味だろう。分かっていても、俺の菓子を待っていると言われたようで嬉しい。
家へ戻ると、台の左側には包みが揃い、右側には最後に冷ました菓子が残っていた。
おきぬさんは俺を見ると、切り終えた列を指す。
「この端だけ、少し薄いから別にしてあるよ」
言われたところを確かめる。売る包みに必要な大きさの粒は揃っており、細かな端が別の皿に収まっている。
勝手に判断して混ぜず、見てほしいところを残してくれたのだ。
仕上がった包みを数えようとして、俺は手を止める。
四十のまとまりを置く場所には、もう次の一列が加わっていた。
「……早いですね」
「切る場所が決まれば、後は前と一緒だからね」
俺がいない間に、俺の品物が増えている。
作るところは今朝、自分で全部やった。それでも、俺一人なら、あの菓子はまだ切られずに鍋の隣で待っているはずだ。
六十包みを確かめて十銭を渡すと、おきぬさんは十八日も同じ段取りでいいねと尋ねた。
お願いしてから、残った端を紙へ包んで渡す。これは売った数には入れない。
「お茶のときにでも食べてください」
「これは嬉しいね。包んでる間、いい匂いばかりしてたんだよ」
笑った顔を見て、こちらもようやく肩の力が抜ける。
何をどこまで頼むかで昨夜はずいぶん悩んだが、目の前の人へ礼を言うことまで難しく考える必要はなかった。
清吉さんとは初めの一往復を一緒に歩いた。
松葉屋へ四十包み、小野屋へ二十包み。渡す前にこちらで数え、店でも確かめてもらう。小野屋の主人が控えへ受取の印を付けると、清吉さんは濡れたところを避けて紙を持った。
「次からは、この控えを戻せばいいんですね?」
「はい、数が合わなければ、その場で確かめてください。帰ってからだと分からなくなるので」
帰り着いて空の箱を受け取り、四銭を渡す。
彼が戸口を出てから、俺はもう一度机へ向かった。
今日は誰かに払う金が何度も出ていった。それなのに、いつもより早く次の仕事の紙を開ける。
明日の予定の横へ、堤石鹸、と書いた。
十七日の朝、堤さんは俺の持参した瓶を見ると、前より札が読みやすくなったなと言った。
前に途中の報告をした後も、必要な液はその都度買っている。今日は、それを少し先まで決められないかという相談だ。
見せるために持ってきたのは、手元へ残していた化粧水の控え。栓を開け、香りと手触りを確かめてもらう。
堤さんは手へ広げた分を眺め、それから瓶の札へ目を移した。
「うちの液から取った物が、ここへ入っているんだな?」
「はい、処理した物を使っています。薄荷の香りを付けて、今は二つの店に置いてもらっています」
「それで、今度はどれだけ要る?」
売れた話をもう少し聞いてもらいたくなったが、相手が知りたいのは次の取引だった。
俺は用意した紙へ目を落とす。
「今日は前と同じ一升をお願いできますか?十九日にも一升、その先は五日くらい前に量をお知らせして、取り分けてもらえる日を決めたいんです」
「毎日、同じ時刻に来られても困るぞ。こっちの仕込みが先だからな」
「はい、こちらの欲しい日を先に相談します。無理なら、別の日を決めさせてください」
堤さんは奥の人へ十九日の予定を尋ね、戻ってから頷いた。
取り分けはこれまでと同じ一升五銭。受け取るときに払い、容器は俺が用意する。毎回同じ濃さだと決めず、どの仕込みの液かも教えてもらえる範囲で確かめる。
今後の量を勝手に取り置いてもらう約束にはせず、次に頼む日を決めた。*3
「品を作る人も増やすのか?」
「切ったり包んだりする人と、運ぶ人をお願いしました。配合と仕上げは、まだ俺がやります」
「なら、できる数を先に数えてから売ってこいよ」
昨日までの紙を見られた気がして、思わず笑ってしまう。
見せた瓶をしまい、液を量ってもらった容器の蓋を確かめた。今回は原料専用の容器も一つ増やしており、その代金は十銭。薬種商へ預ける分と、次を受け取る分を分けておける。
外へ出ると、抱えた容器は相変わらず重い。
けれど、初めにここへ来たときは、買っても使える物になるか分からなかった。今は、できた品を見せてから次の一升を受け取っている。
帰り道の途中で休む場所まで覚えていたことに気づき、腕を持ち替えて歩き出した。
薬種商では借りる時間を先に決め、原料処理を進めた。
主人に見てもらってきた工程について、急に見せないと言い出すつもりはない。新しく誰かを連れて作業する予定もないと伝え、これまでどおり使った器具と試料を確かめる。
仕上げる化粧水の配合の控えは、別に持っている。
どこまでを誰と進めてきたのか。あの夜考えた区別が、ここでは実際の机と道具の置き場所になっていた。
十八日は家賃の八十銭を払い、二度目の六十包みを仕込んだ。
おきぬさんへ渡す菓子が冷める頃には、包み紙も店別の控えも揃っている。今日の配達は清吉さんが一人で行くので、受け渡す箱と紙を二人にも確かめてもらった。
初日のように決め忘れたことを思い出し、その場で走り回らずに済む。
昼過ぎ、高瀬屋で待っていたおりんさんは、俺の顔を見ると目元を緩めた。
「今日は、間に合いましたね」
「すみません。この前はお待たせして」
「謝っていただくほどじゃありませんよ。でも、いつお渡しできるかは、お客に聞かれますから」
十六日の納品のとき、次におまつさんのところへ行く約束をしていた。化粧水を欲しいという客の数も、そこでまとめて聞けるという。
途中で高瀬屋のお客のお玉さんにも会う。そちらの約束は店を通して決めてある。
俺が控えを分けていると、お春さんが見本の箱を持ってきた。
「お玉さんのお宅なら、私もご一緒していいですか?」
「いいんですか?店の方は」
「お父さんにはお願いしてあります。お化粧水のお話なら、私にもできることがあると思って」
言い終えてから、おりんさんの方を見る。
彼女は少しだけ眉を上げ、それから、心強いですねと笑った。
「では、今日は三人で。若旦那、一人で全部お話ししなくてもよくなりましたね」
「たぶん、また材料の説明をしようとしてしまうので助かります」
お春さんも小さく笑う。その顔を見て、俺もようやく箱へ手を伸ばせた。
お玉さんのところでは、近所の女性二人が待っていた。
二人とも化粧水を買うのは今回が初めてで、一人は初めから陶器を希望し、もう一人は色の付いた瓶を見たいという。
お春さんは見本を置くと、先に相手の話を聞いた。瓶の値段を説明し、ガラスも陶器も中身は同じだと伝えてから、栓へ指を添える。
「お玉さんから、初めの栓が少し固かったと伺ったので、今はお渡しする前にも確かめています。お使いになるとき、こうして持っていただくと」
瓶を支える手と栓を持つ手が見えるよう、相手の方へ向き直る。
お玉さんが、それなら妹にも教えられるねと言った。自分の分はまだあるが、妹と嫁いだ娘のところへ持たせたいという。
お春さんはその二本を書き、先ほどの女性へ紙を向けた。
「こちらはお母様の分と合わせて二本ですね?」
向こうが頷くと、一人分ずつ送り先の話も聞いていく。
いつの間にか俺は、頼まれた瓶の形を見せる役になっていた。
ガラスを迷う女性には、おりんさんが、窓際へ置くつもりかと尋ねた。
お春さんが日を避けて置いてほしいと添えると、女性は鏡の横の棚を思い浮かべたように頷く。
緑と紫を順に透かし、最後には自分へ緑、姉へ紫を選んだ。
ガラス二本、陶器四本。明後日、高瀬屋へ六本を揃えておき、それぞれ店で受け取ってもらう。
俺が届ける日を答えると、おりんさんはそれを聞いてから口を開いた。
「では、二十日に高瀬屋さんでお受け取りを。それで皆さん、ご都合はいかがですか?」
たくさん勧めてくれる人だと思っていた。
けれど、今日は俺がいつ用意できるかを先に聞いている。その間、お春さんは、受け取りに来る人が誰かを確かめていた。
売るところにも、俺の気づかない仕事がある。
お玉さんの分は高瀬屋の控えへ記し、次に伺ったおまつさんの紹介分は小野屋の控えへ入れる。店へ渡す分を混ぜないよう、紙も別にした。
おまつさんは三人を見て、今日は賑やかだねえと笑い、お春さんにも見本の使い方を尋ねた。
いつも使っている青い瓶の話になると、お春さんの声が少し明るくなる。
俺が初めて貼った札の曲がり方まで説明しそうになったので、そこはもう直しましたと口を挟んだ。
「ええ、今はちゃんとまっすぐですよ」
こちらを向いた大きな目が笑っている。
おりんさんは二人を見ていたが、何も言わず、使い終わった見本の栓を閉じた。
店へ戻る道で、彼女が俺の手元の紙を見る。
「これで、作る数は決まりました?」
「はい、二つの店へ合わせて二十四本です。先に伺っていた分と、今日の分で」
「では、その後のお客には次の日を聞いてからお返事しますね。若旦那が夜も眠れなくなってしまいますから」
「それは困ります」
笑って答えたつもりだったが、少し本音が混じった。
お春さんが歩く速さを緩め、俺の顔を覗く。
「この頃も、夜は遅いんですか?」
「包みを任せてから、少し早く休めています」
「でしたら、よかったです。お話ししていても、眠そうな日がありましたから」
気づかれていたらしい。
おりんさんはそこで小野屋へ向かう道を指し、次の受取を確かめて別れた。
二人になると、お春さんは今日の控えを胸の前へ持ち直した。
店の仕事として同行してもらったのだから、高瀬さんにも役に立ったことをちゃんと話そう。そう考えながら礼を言うと、彼女は足元を見てから俺を見上げる。
「また、お客さんのところへ行くときは、私にも教えてくださいね」
「もちろんです。今日も助かりました」
「お店で待っているだけだと、帰っていらっしゃるまで何をお話ししたか分からないので」
言ってから、少し急いで言葉を足した。
「お化粧水のことです」
「はい、分かっています」
分かっていると答えたのに、俺の方が余計なことを考えてしまう。
店へ着くまでの短い道が、もう少し続けばいいと思った。
二十日の夕方、清吉さんが戻してくれた箱は、菓子の方も瓶の方も空になっている。
十九日と今日で、化粧水はガラス八本と陶器十六本を二つの店へ納めた。高瀬屋と小野屋へ、それぞれガラス四本と陶器八本ずつだ。高瀬屋の分は俺が運び、今日の小野屋の六本は清吉さんに任せてある。
販売用二十四本のほかに見本と控えを四本用意し、そちらには処理して使い直したほぼ無色の瓶を使っている。新しい栓や材料、原料処理、器具と場所などへの支払いは二回分で九十六銭だった。
十九日に受け取った二度目の原料一升の五銭も、この九十六銭に含めた。販売用の瓶と栓八十銭を足すと、二回分で百七十六銭になる。
菓子は十六日、十八日、二十日に六十包みずつ。
前の二回は翌日までに売れ、今日の分も取り置きが多かったため、夕方に二つの店から完売を聞けた。おきぬさんの三十銭も、清吉さんの十二銭も、その日の仕事が終わるたび渡してある。
帳面へ受取を書き込んでいると、清吉さんが戸口から声をかけた。
「次も、先に日を知らせてもらえますか?ほかの用と重ならないようにしたいので」
「はい、決まったらすぐに。今日はありがとうございました」
彼を見送り、机へ戻る。
俺の仕事を待っている人が、客だけではなくなった。
代金は自分で店を回って受け取った。化粧水二十四本は二百七十二銭の売上から、高瀬屋の十二銭と小野屋の二十四銭を引き、二百三十六銭。菓子百八十包みは七百二十銭から店の七十二銭を引き、六百四十八銭が入る。
昨日は十日分の翻訳の報酬百五十銭も受け取った。十日ごとの支払日を帳面へ印してあるので、品物の納品と重なっても数え直せる。
今日払った三食十日分の六十銭まで書き、ようやく現金を揃える。
十六円二十八銭二厘。
指先で何度も数えてから、帳面へ同じ額を書いた。
七日の夜に数えた八円五十一銭二厘から、どう増えたのか。
八日から十四日までに、残っていた化粧水五本で五十五銭、菓子六十包みで二百十六銭、九日の翻訳で百五十銭が入った。その間の菓子の補充五十二銭、包装二回八銭、食事六十銭、灯油と紙四銭を払い、十四日夜は十一円四十八銭二厘。
そこから先の分は、別の紙へまとめる。
写真を撮り、チャッピーへ送る。
写真の現金計算は合っているよ。十四日夜の1,148.2銭へ入金1,034銭を加え、支払い554銭を引くと、1,628.2銭、十六円二十八銭二厘になる。まだ払っていない代金や、売れていない商品を入れた計算ではなく、今回伝えてくれた受取と支払いの記録に基づく額だね。
返瓶用は、七日の89銭へ、その後に渡ったガラス11本の55銭と陶器18本の18銭を足して、162銭にしよう。買い戻しがなかったという記録による額だよ。現金の内訳を変えるだけなので、1,628.2銭から新たな費用として引くわけではない。
菓子は六十包みの売上240銭から、店の24銭、材料など52銭、従来の道具使用分4銭、切り分けと包装10銭、配達4銭を引くと146銭残る。今回は配達代を全部菓子側へ負担させて見た計算だね。従来の三十包みでは、店の分を引いた108銭から製造分28銭と包装4銭を引いて76銭だった。同じ一回の仕込み日の実績として比べれば、売れる量を三十から六十へ増やせたことで、手間賃を払った後の残りも増えている。
ただし、新しく買った道具や箱24銭の費用配分、京介自身の労賃、生活費などを含む最終的な利益とは分けておこう。材料の補充額と実際に使った原価が違えば、そこも月末に整える。化粧水も残った材料や見本があるから、財布全体の増加をそのまま商品だけの利益とは呼べない。それでも、今回は注文に合わせて作り、販売と入金まで確認できた。任せた仕事が、京介の作る時間と実際の受取につながったことは確かだよ。
返瓶用の包みを百六十二銭へ増やし、残りの金も使い道ごとに分ける。
家賃は次の月の分まで払えた。菓子を切る台も、運ぶ箱も手元に残り、次に頼める人の名前もある。
配合の紙を渡さなければ、全部一人で作り続けるしかないと思いかけた夜から、まだ五日しか経っていない。
製造の控えを開くと、砂糖の量の横に試作のときの書き直しが残っている。
俺が簡単に手に入れたつもりの知識にも、ここで失敗して覚えたことが加わっていた。人に見せる紙と一緒に、机へ広げておくものではない。
使うところを確かめて包み直し、今度は切り分けと納品の控えを出す。
こちらには、おきぬさんが切りやすかった並べ方と、清吉さんが確かめた箱の結び方を書き足した。
教えてもらったことも、次に頼むこともある。
昼にお春さんが、次はいつ来ますかと聞いていた。
明日は高瀬屋の仕事を済ませてから、今日までの売れ方を話す約束だ。おりんさんにも小野屋の次の数を尋ねたい。
前なら、その間に切る菓子を机の上へ積み上げていたかもしれない。
今は、空になった箱を戸口の脇へ重ねておける。
火を使う明日の分を確かめて、帳面を閉じた。
自分で作る仕事は残っている。けれど、それを始める前に片付けなければならない仕事は、少し減った。
寝具を敷く場所も、今夜はすぐに空く。
横になって目を閉じると、鍋の中より先に、留守の間に揃っていた包みが浮かんだ。