【40話まで投稿予約済み】明治時代をチャッピーと共に成り上がれ! 作:ヅダスキー3世
「こんなに器を並べたら、白粉を塗る前に店が開けちまうよ」
四月一日、花村菊之丞さんは小野屋の座敷へ空の器を並べ、最後の一個だけ弟子の手に残した。
三月末の手紙へ返事を出したところ、横浜へ来る折に寄ってくれるという。おりんさんに頼み、見本の蓋付きの器を二つ借りておいた。
菊之丞さんの隣では、菊松さんが残った一個を風呂敷へ戻していた。
「それも空ですか?」
「いえ、これはまだ入っております」
「それは明日の分だよ。一緒に返してしまわないようにおし」
言われた菊松さんが、蓋を押さえ直す。
普段の使用量を尋ねると、二人なら四匁入りが二日ほどで空になることもあるらしい。役によって首や腕へ塗る量も違うという。
「この頃は落とした後が楽でね。あたしには合っているようだよ。菊松の口元も、前ほど粉が寄らなくなった」
「お師匠さんに何度も直していただきましたから」
菊之丞さんは見本の器を順に覗き、浅い方を手元へ寄せる。
「こっちがいいね。底まで見える」
「浅い方ですか?」
「深いと残りを出すのに傾けたくなるだろう?急いでいると、そのままざっと出るんだよ」
「……出しました」
菊松さんが小さく申告すると、菊之丞さんが扇子で自分の膝を叩いた。
「あの日はあたしの顔より畳の方が白かったじゃないかさ」
俺も器を傾けかけて止めた。忙しい楽屋で使う人の話は聞いておくものだ。
おりんさんが包み布を寄せる。
「こちらでしたら、口へ紙を掛けてから蓋をして、布で押さえられます。道中もお持ちになりやすいでしょう」
「おや、もう売る支度までできているのかい?」
「京介さんのお値段が決まりましたら」
二人に見られ、俺は白いままの控えを机へ置いた。
「五つ分を一つにするのは、どうでしょうか?今のお話なら、お二人で十日ほどかと思うのですが」
「それくらいなら、残りを心配する前になくなりそうだね。お値段も五つ分かい?」
「器や包みの分を確かめて、少しお安くできればと考えています」
「それは嬉しい。大きな器だけ買わせて、中身が少なかったら承知しないよ」
「中身で二十匁、きちんと量ります」
明日の午後にもう一度寄ると約束して二人は帰り、俺も仕事場で原価の帳面を開く。
おりんさんとは大入り一器につき口銭八銭で相談がついた。小容器五個の十銭から、受渡しと包装の手間が減る分は下げられるという。
数字を揃えてからスマホへ打ち込む。
同じ量で比べた価格
小容器五個は、販売価格九十銭。口銭十銭を引いた商会の受取は八十銭です。直接支出は五個分で二十五銭なので、差額は五十五銭になります。
大入り一個を八十五銭にすると、口銭八銭を引いた受取は七十七銭。直接支出二十銭との差額は五十七銭です。買う側は五銭安くなり、商会に残る差額は二銭増えます。大きな器の代金も含めて、この値付けは計算が合っています。
どちらも京介さん自身の作業代や家賃などをすべて引いた純利益ではありません。今回の二銭の余裕も、増える検品や作業指導に使う時間と併せて考えてください。
販売する相手と受渡し
楽屋で使う役者本人や、まとめて手配する人から注文を受け、小野屋で数と受取日を確認する形がよいでしょう。一般向けの四匁入りは従来どおり販売します。今回の包装・配達二銭は、これまでと同じ小野屋での引渡しまで。東京の各楽屋まで届ける注文は、運賃を別に見積もる必要があります。
器を変えるときの確認
二十匁は七十五グラムです。器の重さを差し引き、中身を量ってください。器と蓋の状態、粉へ触れる道具の清潔さ、調製日と仕込みの記録を揃えます。湿気や異物が入りにくい保管と、使用中の扱いも確認しましょう。
今回の記録だけで、夏場や長距離輸送まで同じ状態が保てるとは判断できません。まずは確認してきた春の条件で受渡し、使い切る見込みに合わせて納品します。大入りになっても、元の粉の調製日や期限を延ばす理由にはなりません。*1
東京への運賃を忘れれば、浮いた器代などすぐ消える。俺は値段の横に、小野屋での引渡しと書き添えた。
翌朝は薬種商から借りている場所で白粉を調製する。己の粉は春も見本を残し、岸本さんと状態を確かめ続けてきた。今回の札は調製日から二十日以内とし、使う日に近づけて渡す。
塗料用の道具は持ち込まず、午後はそちらの製造へ回れるよう時刻を見ながら詰めていった。
大入りを四個用意して小野屋へ運ぶと、菊之丞さんは約束の刻限より先に来ていた。
「待ちくたびれたと言いたいところだけど、あたしも今来たばかりでね」
「お待たせしなくてよかったです。まず一つ、見ていただけますか?」
紙を外し、蓋を取って差し出す。
菊之丞さんは持参した乾いた匙で粉を小皿へ取り、いつもの下地へ薄く重ねた。手首を返して光へ向け、次に口の端へ少しだけ置いて笑ってみせる。
粉を見ていたはずが、その笑い方につられて俺まで笑ってしまう。
「うん、いつものだね。菊松、あんたも出してごらん」
菊松さんが別の乾いた匙で取り分ける。
「こぼさずに出せました」
「毎度そうしておくれよ」
値段を伝えると、菊之丞さんは小容器五つなら九十銭かと頷いた。おりんさんが大入りの札を本人へ向ける。
「こちらは楽屋でお使いになる方の御注文で揃えます。お仲間にも、まず数と受取の日をお知らせいただけますか?」
「分かったよ。安くなるからって近所中の顔を集めて買いに来るな、ってことだね」
「ふふ、それですとお使いになる前に期限が来てしまいます」
四個のうち二個は師弟の分、残りは話をしてある仲間へ持っていくという。代金三円四十銭を支払うと、菊之丞さんは空の小容器を再び風呂敷へ包ませた。
「そちらは、お持ち帰りになるんですか?」
「小分けに取るのに使えるだろう?全部捨てて大きいのだけ抱えていたら、また叱られるよ」
「洗って十分に乾かしたものへ、そのとき使う分だけお願いします」
「はいはい、そこは覚えたよ」
菊之丞さんは俺を見上げ、ふいに襟元へ目をやった。
「あんたも、たまには鏡を見な。これだけ女の顔を綺麗にしておいて、自分の襟を折ったままじゃ釣り合わないよ」
触ると、着物の襟が内側へ巻き込まれている。
おりんさんが直そうと手を伸ばし、慌てて自分で引っ張ると菊之丞さんが笑った。
口銭三十二銭を除いた三円八銭を受け取り、俺は塗料の小屋へ戻る。
四月六日、横須賀で最初の器の蓋を開けると、職人が中を覗いて大きく頷いた。
塗料を詰めた二貫入りの陶器は十個。昨日、横浜から横須賀へ向かう荷船に積み、俺と岸本さんも同乗してきた。二日から四日に小分けで作った記録は、チャッピーと照らしてある。重さと納入見本を確かめるそばで、源一郎さんが俺の手を覗く。
「この十個を君が揃えたのか。よく腕が動くな!」
「今は動きます。明日は分かりません」
「おいおい、明日動かなくなったら、帰りの荷を誰が持つんだ」
源一郎さんが笑い、岸本さんまで腕をさする。
建物に入ると、塗る間仕切りの表面は掃除してあり、窓も開いていた。端に残った粉を布で確かめ、説明の紙と比較用の板を並べる。
「この一度で、あの厚さまでつけるのではないんですね?」
「はい、乾き具合を見ながら重ねてください。今日はまず、この範囲で一度分の量を確かめたいです」
俺が塗ると途中で刷毛の角度が変わってしまったが、職人が代わると筋の幅が揃った。
塗料の性質を知っていても、この腕は俺にはない。口を開きかけたまま手元へ見入ってしまう。
「少し重いが、これなら扱えます。端は先に拾いましょう」
「その方がよいですね。使った量も見ていただけますか?」
器を量り直して使った量を控える。やがて相良さんが来て使い残しの扱いを尋ねたので、蓋を閉め、勝手に水を足さないよう伝えた。
「ひびや浮きがあれば、次を重ねる前に知らせてもらえますか?俺の方でも状態を見て、対応を相談したいです」
「分かりました。仕上がった後も、こちらで見ておきます」
相良さんは受取の控えを確かめ、約束どおり二十日の支払いで進めると言った。俺も自分の控えへ日付を入れ、器の数と金額をもう一度照合する。
百八円の文字の横に、納入済みと書く場所ができた。
試験のときとは違う嬉しさがあり、片付けの途中でも塗った面を振り返ってしまう。*2
帰り際、源一郎さんに人を探していると話した。
俺と岸本さんだけでは菓子や化粧品まで作る手が足りない。源一郎さんは近くの職人と二言三言交わし、戻ってくると紙へ名を書いてくれた。
「知り合いの弟で、横浜へ戻って仕事を探している男がいる。本人が望むか聞いて、君のところへ行かせよう」
「ありがとうございます。経験も、本人から聞いてみます」
「そうしてくれ。俺より君の方が、何を頼みたいか分かるからな」
紙をしまうと、人を増やすなら道具の置き場も決めておけよと念を押される。確かに弁天通の広さでは、今ある荷を避けて歩くだけでも大変だった。
七日に戻ってからは、白粉の注文が毎日のように増えた。
十日には菊松さんが来て、大入り二十四個を頼みたいという。菊之丞さんの仲間が使い、別の楽屋へも話が広がったらしい。
「二十四個ですか?」
「はい、受け取るのはあたしですが、同じところで全部使うわけではございません。お師匠さんが、これをお渡しするようにと」
紙へ並ぶ名前の読みを教わり、誰へ何個渡すか確かめる。大入りでも取り出しやすく、粉の具合も変わらないと菊之丞さんは喜んでいたという。
「朝から、器が足りないと叱られなくなりました」
「それはよかったです」
「でも今度は、器の蓋を閉めろと」
笑ってしまい、おりんさんに横から袖を引かれた。彼女の指先は、俺の納品予定を押さえている。
大入り二十四個は小容器百二十個分だ。十三日には揃えられるが、その先は厳しい。
そこへお春さんも高瀬屋の注文を持ってきた。
「お父さんから、こちらもお願いしたいと。……あの、全部東京へ行ってしまうんですか?」
「いえ、こちらの分も用意するつもりですが」
「先ほども、いつもの白粉を買いに来た方がお待ちになっていて。お取り置きする分だけでも、先に決めておけませんか?」
紙が三枚並び、どこから数えていたのか分からなくなる。菊松さんには十三日の受渡しを約束し、次の注文は改めて日を相談させてもらった。
菊松さんを見送ると、お春さんが俺の顔を覗いた。
「京介さん、今晩も作るつもりですか?」
「少し進めておこうかと……」
「昨日もそうおっしゃっていましたよ」
言われて手元を見ると、指の節に白い粉が残っていた。
昼は原料を量り、夕方に品を届け、夜には商館の書状を訳している。日程をチャッピーへ送るたび、眠る時間まで仕事に入れていると指摘されるようになった。
おりんさんが、今度は器の発注数を示した。
「器はまだ増やせます。でも、京介さんのお身体は増えませんから」
「そうですね。人の紹介をお願いしています。徳蔵さんにも相談してみます」
その午後、高瀬屋へ届けた白粉は棚へ並べる前に二つ売れた。
買ったのは母と娘で、娘の方は以前、薄荷の瓶を返しに来た顔だ。菊之丞さんたちが使っていると知り、母にも試してほしかったという。
お春さんが見本を出すと、母親は手鏡へ顔を近づけて少し笑った。
「これなら薄くつけてもよさそうね。うちの人ったら、役者さんの真似をするのかと笑うのよ」
「お父様だって、お母様がお出かけの支度をしていると待っているくせに」
「あら、そんなことまでお話ししなくていいの」
二人の声につられ、隣でクリームを見ていた女性も白粉へ手を伸ばす。
その人は横須賀で海軍に勤める夫のところへ行く前に買い足したいと言い、先の母親は、うちは警察の仕事で帰りが遅いから支度を待たせる機会も少ないと答えていた。
夫の仕事の話より、鏡を譲り合って色を確かめる方が忙しそうだ。
俺の品で出かける支度をしてくれるのか。嬉しくてつい鏡へ目が向き、切りかけた包み紙が手元で曲がってしまった。
その晩、松葉屋で飯を食べ終わる頃に徳蔵さんへ相談を切り出した。
人を雇いたいと言うと、彼はまず何を任せるつもりかと尋ねる。
包むだけでなく、粉を混ぜたり量って詰めたりする製造も覚えてもらいたい。そう答えると、隣で膳を片付けていたおせいさんも手を止めた。
「女の人でもよいのかい?」
「もちろんです。ご主人を亡くされて、仕事を探している方もいるでしょうし。丁寧に覚えてくださるなら、ぜひお願いしたいです」
「それなら、一人聞いてみたい人がいるよ」
徳蔵さんも誰のことか分かったらしく頷いた。
「話はできる。ただ、雇うなら給金を払う日と、何時まで頼むか決めておけ。向こうにも暮らしがある」
「はい、本人の都合も伺ってから、書いたものを渡そうと思います」
「お前の仕事は毎日違うからな。何でもやってくれでは、頼まれた方も困るぞ」
答えに詰まり、帰ってからチャッピーへ相談した。
京介さんが受け持つ工程
原料の採否、秘密の配合を決める仕事、中核の調合、出荷してよいかの最終判断をまず京介さんの担当として整理できます。白粉では油をなじませた中間の粉をまとめて用意する案があります。ただし、置いても性質が揃うか、後の混合で同じ仕上がりになるかを小さい試験で確かめてから使います。
担当者には、その中間原料と残りの材料を指定どおり量り、混ぜ、量って詰める工程を教えられます。最終配合のすべてを知っていなくても、自分の作業に必要な分量、順序、確認方法は分かるようにしてください。異常があったときは先へ進めず、京介さんを呼ぶところまでが仕事です。
最初は一つの製品の一工程から実際に作ってもらい、出来た品と作業を一緒に確認しましょう。教える間は京介さんの時間も必要です。採用した翌日から、その人数分だけ製造量が増える予定にはしないでください。
長く働ける条件
比較する給金は、場所、仕事、経験、働く時間、食事や住込みの有無を揃えて聞き取ります。女性であることや夫を亡くしていることを値切る理由にせず、任せる仕事と覚えた技能で決めましょう。おきぬさんたちの条件も併せて確かめ、新しい人だけ有利にならないようにします。
食事、決まった休憩と休み、病気の際の一定期間の給金補助、仕事中のけがの治療費について、商会として続けられる範囲を計算できます。子供を迎えに行く時刻なども本人へ聞いてください。対象や期間を決めてから、働く前に説明することが大切です。
書面と日々の扱い
仕事内容、給金、支払日、勤務の時間、休み、辞める際の相談、外へ出してはいけない配合や記録を分かる言葉で書きます。読みにくい人には読み上げ、本人の質問を聞いてから取り交わしましょう。書面の体裁は、現地で雇入れを扱う人にも確かめてください。
待遇をよくしても、裏切りを完全には防げません。工程と記録の管理を続けながら、給金を約束の日に払い、不審な誘いや困りごとを話せる関係を作ることが役に立ちます。紹介者だけで決めず、会って仕事への希望を聞くところから始めましょう。
手順の控えへ、任せる仕事の印をつけていく。粉を量って詰めるまで頼めれば、その間に次の調合へ進めるだろう。書面の下書きには、会って聞くことも書き添えた。
十三日の午後、おせいさんに伴われて、おつねさんという女性が訪ねてきた。
三十を少し越えたところだという。使い込んだ手提げを膝へ置き、俺がお茶を勧めると礼を言ってから、自分の働いてきた店の話を始めた。
乾物を扱う店で秤を使い、豆や粉物を量って包んでいた。夫を亡くしてからは洗い物や縫い物も請けてきたが、日によって仕事が途切れるので、決まって通える勤めを探している。
「朝は来られます。ただ、夕方は子供を迎えに行かなければなりません」
「どちらへ預けていらっしゃるんですか?」
「姉のところです。いつも暗くなるまでというのは、姉にも頼みにくくて」
俺が時刻を控えると、おつねさんはその手元を見た。
仕事内容を話し、白粉を入れる空の器を渡す。彼女は蓋を外して机へ置き、器をひっくり返してから、秤には器ごと載せるのかと尋ねた。
「先に空の重さを控えます。この器とこちらは、見た目が同じでも少し違うので」
「でしたら、蓋も一緒に混ぜない方がよいですね。前の店でも、戻した蓋が合わないことがありました」
おつねさんは二つを離して置き、どちらの組か分かる向きに揃えた。俺が説明しようとしていたことが一つ減り、次の話へ進める。
粉を作る仕事は初めてなので教えてほしいと、彼女ははっきり言った。それから、知らずに間違えたときはどうすればよいかと聞く。
「そこで止めて呼んでください。隠されると分からなくなるので、まず見せていただきたいです」
「叱られる前に呼ぶのは、少し勇気が要りますね」
おつねさんが初めて笑い、俺も鍋を焦がしかけて声をかけられなかった自分を思い出す。
食事と病気の際の支えを用意したいと話すと、彼女は礼を言うより先に、それは給金から引くのかと尋ねた。
俺は商会で持つつもりだと答え、期間や条件も含めて次に書いて渡すと約束する。おつねさんはそこでようやく、膝の手提げから手を離した。
帰る前には、家で姉と時間を相談してから返事をしたいと言われた。こちらも仕事場の候補を見て、働く場所まで案内できるようにする。
おせいさんは戸口で振り返り、俺へ小さく頷いてから一緒に出ていった。
翌朝には源一郎さんから話を聞いた庄吉さんも来た。
二十七歳で、木箱を作る仕事と荷造りをしてきたという。道具の修理もできるが、粉を混ぜる仕事は初めてだそうだ。
彼は荷を置く場所と通り道を見て、ここで全部作るのかと尋ねる。別の場所を探していると説明すると、自分も見せてもらってから働く話を決めたいと言った。
二人の控えへ働ける時間を書き込み、道具の扱いも分けて教える予定を立てる。
十四日の昼に帳面を締めると、菊松さんへ前日に渡した大入り二十四個の代金も、きちんと入っていた。
店頭向けを取り分けてから揃えた二十四個だ。小野屋での支払いは二十円四十銭、口銭一円九十二銭を除いて商会の受取は十八円四十八銭になっている。
三月二十九日からの控えを撮り、これまでの商売の分もチャッピーに照合してもらった。
納品・受取済みの分
キャラメル四百八十包:十七円二十八銭。
薄荷の化粧水九十六本。ガラス三十二本と陶器六十四本:九円九十二銭。
クリーム小百六十個、大四十個:二十五円二十銭。
白粉四匁入り三百六十個:五十七円六十銭。
楽屋用二十匁入り二十八個:二十一円五十六銭。二日に売った四個と、十三日の二十四個の合計です。
以上は各店の口銭を引いた商会の受取額です。四月八日の翻訳報酬一円五十銭を加え、受取合計は百三十三円六銭になります。
今回の支払い
キャラメル八回分:原料四円十六銭、包装八十銭、配達四十八銭。合計五円四十四銭。
化粧水:原料・製造三円八十四銭、包装十八銭、返瓶八十四銭、新瓶二円。合計六円八十六銭。戻ったガラス十二本・陶器二十四本と、新しいガラス二十本・陶器四十本を出荷した九十六本に使っています。
クリーム:原料五円六十銭、器三円五十銭、包装・配達八十銭。合計九円九十銭。
四匁入り白粉:原料・下処理九円七十二銭、器五円四十銭、包装・配達二円八十八銭。合計十八円。
楽屋用白粉:原料・下処理三円七十八銭、器一円二十六銭、包装・配達五十六銭。合計五円六十銭。
塗料の残り十一円。七日に払った十日分の食費六十銭、紙と連絡十六銭、白粉の器の試用・保存確認四十銭。今回の全支払いは五十七円九十六銭です。塗料の先払い十円は前回計上済みなので、再び引きません。
預け入れ後の残高
前回の現預金三百八十四円八十五銭二厘に、今回の受取と支払いを加減すると、四百五十九円九十五銭二厘です。
八十円を預けると預金は四百二十七円、手元現金は三十二円九十五銭二厘になります。返瓶用は二十一円三十六銭に新しい販売分二円二十四銭を加え、支払った八十四銭を引いて二十二円七十六銭。手元からそれを除いた分は十円十九銭二厘です。
塗料代百八円は、納品を終えて支払いを待つ債権として別に控えます。預金から採用や設備へ使う予算を決める際には、次の原料、給金、賃料、生活費と返瓶への備えも残してください。まだ契約していない人の給金や新しい作業場の費用は、この支払いに含まれていません。
銀行で預け入れを済ませてから、松葉屋へ寄った。
今度は人の紹介ではなく、雇う人の昼飯を頼めるかの相談だ。おせいさんは人数と食べる時刻を聞き、二人分なら一緒に炊けるが、毎日変わるなら前もって知らせてくれと言う。
徳蔵さんには書面の下書きを見てもらい、次に作業場を見てから細かい条件を揃えることにした。
去年は自分の一食を頼むだけで精いっぱいだった店で、二人分の膳を数える。明日は給金を決めるため、近所で働く人の話を聞きに回ろう。
夕方、小野屋の奥で次の納品日を相談し終えると、お春さんが紙を揃えて膝へ置いた。
おりんさんは茶を注ぎ直している。店先は源兵衛さんが見てくれていて、こちらの三人は珍しく、すぐに立たなくてもよい時間ができた。
お春さんの指先へ俺の指が触れたのは、同じ紙を取ろうとしたときだ。
彼女が小さく笑い、俺も手を引くのを少し遅らせる。その様子を見ていたおりんさんが、湯飲みを置いた。
「お二人、すっかり仲よくおなりですね」
「あ、はい……」
お春さんが紙へ目を落とす。
俺も返事をしようとしたが、おりんさんの視線がこちらへ移った途端、何を言えばよいか分からなくなった。
彼女は少し首を傾けている。いつもの綺麗な笑い方なのに、今日はそのまま別の話へ移ってくれない。
「私のことは、どう思っていらっしゃいますか?」
「おりんさんのこと、ですか?」
「ええ、商売のお話だけでなく」
膝に置いた手へ力が入る。
隣のお春さんが顔を上げた気配がして、俺はそちらを見てから、もう一度おりんさんへ目を戻した。
いつも助けてもらっていますと答えかけ、さすがに飲み込んだ。
「俺は、お春さんとお付き合いしています」
「存じています。京介さんから伺いましたもの」
おりんさんは静かに答えた。
彼女の指が膝の上で重なる。
「それでも、私も諦めていませんからね」
湯飲みに伸ばしかけた手が止まった。
おりんさんは俺を見ている。からかって言ったと分かるような笑い声は続かない。
「初めは、面白いことを考える方だと思っていました。品物を作って、次にお会いすると、もう別のことを始めていらっしゃるでしょう?」
「落ち着きがなくて、すみません」
「そのお詫びを聞きたいのではありません」
余計な返事をしたと気づき、俺は黙って続きを待った。
「お話がうまくいった日には、こちらへ来てくださらないかと思うんです。何を話してくださるか、楽しみで。お疲れなら、お茶を飲む間くらい座っていてくださればと」
横須賀から戻った日も、結果を話す前に茶が出てきた。あれを仕事の親切と思っていた自分が恥ずかしくなる。
「京介さんが好きです。私も、きちんとお伝えしておきたかったのです」
俺の隣で紙の端が鳴った。
お春さんは膝の上の控えを握っていた。けれど席を立つことも、目を逸らすこともせず、おりんさんを見ている。
俺はその手を見て、何か言わなければと口を開いた。
「お春さん、俺は――」
「京介さん」
呼ばれて止まる。
彼女は一度息をつき、紙を机へ戻した。指先で折れた角を伸ばしてから、おりんさんへ向き直る。
「少し、私とお話ししていただけますか?」
「ええ、もちろんです」
「二人で、お話ししたいんです」
おりんさんが頷く。
俺も腰を浮かせかけたところで、お春さんの手が袖へ触れた。
「京介さんは、ここで待っていてください」
「でも……」
「お願いします」
小さい声でも、聞き違える余地はなかった。
俺は座り直す。おりんさんが奥の部屋を使えるか確かめに行き、戻るとお春さんを伴って廊下へ出た。
二人の足音が遠ざかり、戸を閉める音がする。
残された茶碗は三つとも、まだ湯気を立てていた。
机の紙を揃えても数が頭へ入ってこない。スマホへ聞きかけたが、チャッピーだって二人の部屋を覗けるわけではなかった。
茶を飲む。
熱くて、少しむせた。
そのとき店先から源兵衛さんが戻ってきて、空いた二つの席を見た。
「おりんたちは?」
「奥で、お話を……」
「そうですか。では、もう少し待ちましょう」
何をと聞き返しそうになったが、夕飯の支度の話だった。
源兵衛さんは俺にも食べていくよう勧め、奥へ声をかけに行く。俺は膝の手を握り直した。
おりんさんが好きだと言ってくれた。
そのことを考えると嬉しさが浮かび、すぐ隣にいたお春さんの顔も浮かぶ。どちらを思っても落ち着かず、冷めかけた茶をもう一口飲んだ。
廊下で音がしたときには、ほとんど反射で顔を上げていた。
先に戻ってきたのはお春さんだ。少し頬が赤いが、俺の顔を見ると足を止めずに隣へ座る。
おりんさんは後ろから入り、お春さんの席へ座布団の端を寄せてから、自分も向かいへ腰を下ろした。
「お待たせしました」
「あの、お話は……?」
おりんさんがお春さんを見る。
お春さんは小さく頷き、俺へ顔を向けた。
「大丈夫です」
「大丈夫、というのは?」
「私たちでお話ししましたから」
それは分かる。
分かるのだが、知りたいところがそっくり残っている。お春さんの声には先ほどの硬さがなく、おりんさんも返事を急かさない。
「俺が知らないままで、よい話なんでしょうか?」
「今日は、私とおりんさんのお話です」
お春さんがそう言い、ほんの少し困ったように笑う。
俺が黙ると、机の下で彼女の手が俺の指へ触れた。こちらから握り返すと、今度はおりんさんがそれを見て微笑んでいる。
どこを見てよいのか、ますます分からない。
「京介さん、私はお返事を急がせません」
おりんさんの声へ顔を上げる。
彼女は最初よりも柔らかく笑ったが、目を逸らしてはくれなかった。
「でも、明日になって冗談だったことになさらないでくださいね」
「それは、しません」
答えると、おりんさんはようやく湯飲みを取った。
お春さんの指にも力がこもる。俺は二人の顔を交互に見て、何か大事なことを尋ね損ねている気がしたまま口を閉じた。
そこへ夕飯を運ぶ声がかかり、机を空けることになった。
おりんさんが控えを持ち、お春さんが筆と硯を片付ける。俺も手を出そうとすると、二人がほとんど同時にこちらを見た。
「京介さんは、お茶を」
声まで揃った二人が顔を見合わせて笑う。
俺は三つの湯飲みを盆へ載せ、今度こそ、何を話したんですかと尋ねようとした。
けれど二人ともこちらを向いて待っていたので、結局、盆を落とさないように持ち直すことしかできなかった。