【20話まで投稿予約済み】明治時代をチャッピーと共に成り上がれ!   作:ヅダスキー3世

5 / 5
本日2回目の投稿です!


第四話 何これ、古い字読めん

 

 朝の支度を終えると、徳蔵とくぞうさんは竈のそばをおせいさんに任せ、まだ客のいない台へ帳面を広げた。

 厚い帳面の間から小さな紙を抜き、隣の薄い帳面をめくる。片方に指を挟んだまま算盤へ手を伸ばすので、落としそうになった紙を俺が押さえた。

 紙の上には、米屋の名前らしい文字と、四十という数字がある。

 

「これ、昨日の分ですか?」

「そうだ、ゆうべはお前さんに皿を頼んで、そのまま閉じちまったからな。こっちへ写しておこうと思ってさ」

 

 隣から覗くと、縦に並んだ文字の中に『飯代』が見えた。

 別の紙にも飯代十銭。どれをどこへ写すのか、徳蔵さんの指を目で追うだけでは分からない。

 

「これ見にくくないですか?」

 

 算盤を弾く音が止まる。

 しまった。毎日使っているものを横から来て見にくいとは。

 

「あ、いや、俺にはどっちも同じ飯代に見えたので。その、二度書いてあるのかと思って」

「ああ、なんだそういうことか。そりゃ二度も払ってくれるんなら、ありがたいんだがな。こっちは昨日食った分。こっちは前に食った分を昨日払ってくれたんだ」

「同じ人がですか?」

「車屋*1の衆さ。食った者の名はこっちにある。ほら、これが払ってもらった印だ」

 

 教えられたところを見直すと、確かに日付が違う。

 徳蔵さんは俺の顔を見てから、厚い帳面を少しこちらへ寄せてくれた。

 

「京介きょうすけ、大福帳っていうのは見たことないのか?」

「名前くらいなら。時代劇とか……いえ、実物は初めてです」

「じゃあ、見にくいのも仕方ないな。俺はお前さんの服の仕立て方を見ても、さっぱりだしな」

 

 そう言って笑い、抜き出した紙を揃える。

 俺は昨日洗ったシャツの袖口を引いた。仕立て方どころか、洗うのにも人を頼ったばかりだ。

 

 受け取った金と、売った分は違う。

 こういうのを整理するのが、たしか複式簿記だった。仕事探しのときに名前を見かけただけで、何を二つにするのかも知らないが。

 帳面を閉じる徳蔵さんへ、もう一度聞く。

 

「後で、昨日の分だけ別の紙へまとめてみてもいいですか?銭の残りとか、払う分とかを一緒に見られるように」

「お?お前さんそういうのができるのか?」

「まだ、できるか分からないんですけど」

「ははっ、ずいぶん正直だな。いいぞ、手が空いてからなら。帳面の方はいじらないでくれよ」

「はい、別の紙に書きます」

「それと、皿の用事も忘れないでくれ」

 

 忘れていませんと答えたところで最初の客が入り、俺は袖を上げた。

 

◇ ◇ ◇

 

 朝の客が引いてから、空いた桶を洗って伏せる。

 おせいさんに次の仕事がないか聞くと、今のうちに休んでおいでと言われた。店の脇へ回り、壁を背にしてスマホを出す。

 

京介きょうすけ 徳蔵さんが大福帳をつけてた。同じ十銭でも、昨日売った飯代と、前の掛けを昨日もらった分は違うんだって。複式簿記って、そういうのを整理するやつ?今は明治8年の五月二十九日なんだけど、もう日本にあるの?

 

ChatGPT 6 Astra(極高)

 

 うん、複式簿記では、一つの取引を二つの面から記録する。例えば食材四十銭分を掛けで買えば、食材が四十銭分増えたことと、後で払う代金が四十銭増えたことを一緒に残すんだ。

 

 そして、1875年の日本にはすでに紹介されているよ。福沢諭吉ふくざわゆきちの『帳合之法ちょうあいのほう』は、初編が明治6年、複式を扱う二編が明治7年に刊行されている。*2東京の三田にある慶應義塾の先生だね。

 

 徳蔵さんの帳面を使うなら、まず何をどう記録しているか教えてもらおう。前の掛けを回収した十銭は、昨日の売上へ重ねて足さない。そこは徳蔵さんの説明どおりだよ。


 

 福沢諭吉。

 俺の知っている名前が出た。教科書の中にいる人が、ここでは去年、本を出している。

 東京なら、海の向こうでもない。今、どこかで飯を食ったり本を読んだりしているのか。

 

 店へ戻ると、徳蔵さんが約束の帳面を出してくれた。

 読めない字を教わり、前日の控えと照らし合わせる。

 

「こっちは人数。銭はその隣だ」

「あ、五十人分で百銭ですね」

「そうそう、まぁ五十銭じゃ、飯だけだったとしても出せねえな」

 

 徳蔵さんが仕込みへ戻ったところで、帳面と控えを撮影する。

 

帳面と控えの一部

 

五月廿八日
一、飯代受取 五拾人分 金壹圓
一、車屋衆飯代掛 五人分 金拾錢
一、車屋衆前掛受取 金拾錢
一、米屋より米麥外受取 代金四拾錢 掛

 

 台の陰へスマホを下ろし、撮った写真に教わった読み方を添える。

 

京介 昨日、五月二十八日の帳面と控えを撮ったよ。飯代のところは五十人分で百銭だって。車屋の衆の十銭は、昨日食べてまだ払ってない分と、前に食べた分を昨日払ったものが別々にある。まず、帳面にある順番で読みやすく書き出してくれる?読めないところは教えて。徳蔵さんに聞いてくる。

 

 送信してから、開いた帳面へ目を戻す。しばらくして出てきた文字は、元の記録と見比べられるよう、同じ順番に並んでいた。

 

ChatGPT 6 Astra(極高)

 

松葉屋 五月二十八日の記録

 

 帳面・控えの読み下し

 一、前日より繰越の銭 五十銭

 一、飯代その場で受取り 五十人分 百銭

 一、飯代掛け 車屋の衆五人分 十銭

 一、車屋の衆より前の掛け受取り 十銭

 一、米屋より米麦ほか受取り 代四十銭、掛け

 一、薪代払い 三銭

 一、京介へ本日の給金払い 五銭

 一、米屋へ前の掛け払い 二十銭

 一、家の用へ取り分け 十銭

 閉店後、銭箱の中 一円二十二銭


 

 昨日もらった五銭が、俺の名前の隣にある。店の方から見れば、払った五銭だ。

 読み下しを元の帳面と見比べ、教わった数字を確かめてから続きを打つ。

 

京介 教わった数字と合ってる。これをさっきの複式簿記にできる?昨日いくら売れて、いくら使って、銭がいくら残ったのか分かるようにしたい。俺は簿記を習ったことがないから、書き方も教えてほしい。これだけじゃ足りないところがあれば、また聞いてくるよ。

 

 ところが返事には、先に確かめたいことが並んだ。

 

ChatGPT 6 Astra(極高)

 

 食材を四十銭分買ったことは分かるけれど、その日に何銭分使ったかは、これだけでは決められないね。朝にあった分と、閉店時に残った分を仕入れ値で確かめられる?

 

 あわせて、朝の掛けの残り、薪三銭分をその日に使い切ったか、「家の用」の十銭が何の支払いかも聞いてほしい。賄いと家族の食事がどこに含まれるかも、先に揃えておこう。


 

 そうか。今朝炊いた米だって、昨日から残っていた分だ。

 スマホをしまい、徳蔵さんが包丁を置くのを待つ。

 

「また聞いてもいいですか?」

「今度はどこだ?」

「昨日の朝と、店を閉めたときに、食べ物がどのくらい残っていたかなんですけど」

「それなら……あったあった、こっちの控えだぜ。昨日は米の残りも見たからな」

 

 朝に三十銭分あって、四十銭分が届き、終いには二十銭分。

 徳蔵さんは指を折り、米や麦だけではなく、味噌なども含めた数字だと教えてくれる。俺の賄いもそこから出しており、夫婦が家で食べる分は別に分けているという。

 薪は昨日買って使った三銭分。米屋への二十銭は前から残っていた払いで、車屋から受け取った十銭も、それまで残っていた掛けの全部だった。

 

「家の用っていう十銭は、何を買ったんですか?」

「まだ何も。店の銭から、うちの暮らしの分へ移したんだ」

「じゃあ、仕入れとは別なんですね」

「そりゃそうだ。何でもかんでも飯の勘定に混ぜたら、おせいに叱られちまう」

「私が叱る前に、あんたが気づいとくれよ」

 

 奥から返ってきた声に、徳蔵さんが肩をすくめる。

 笑って礼を言い、確認した数字を借りた紙へ書き足す。

 

 店の端へ戻り、聞いたばかりのことを紙と見比べながら入力する。朝にあった分と、終わりに残った分。そこを取り違えたら、聞き直した意味がない。

 

京介 聞いてきたよ。昨日の朝、食材は仕入れ値で三十銭分。そこへ四十銭分が届いて、閉店時には二十銭分残った。米や麦だけじゃなく、味噌なども含めた額だって。俺の賄いもこの食材から出していて、徳蔵さん夫婦が家で食べる分は別に分けてある。薪は昨日買った三銭分をその日のうちに使い切ったそうだよ。朝の掛けは、車屋の衆からもらう十銭と、米屋へ払う二十銭。それを昨日それぞれ受け取ったり払ったりして、前からの分は全部済んでる。「家の用」の十銭は、何か買ったんじゃなくて、店の銭から家の暮らしの分へ移しただけ。家賃や道具の勘定は今回の控えには入ってないよ。この範囲で、朝の残りから昨日一日の取引まで表にしてくれる?売った分、手元の銭、これからもらう分と払う分も、それぞれいくらになるか知りたい。表の見方も教えて。

 

 五月二十八日の分だけになっているか読み返してから送信すると、左右に分かれた表が出てきた。

 

ChatGPT 6 Astra(極高)

 

 確認できた範囲を現代の科目名で整理するね。単位はすべて銭。借方は左、貸方は右の欄の名前で、毎回「借金した」「金を貸した」という意味になるわけではないよ。

 

 まず朝の残高は、現金50、売掛金10、食材30。これに対して買掛金20がある。この範囲の差額70を開始時点の元入金として置く。店全体の財産や開業資金を表す数字ではないよ。

 

開始残高の借方貸方
現金50、売掛金10、食材30買掛金20、元入金70

 

五月二十八日・借方貸方
現金100売上100
売掛金10売上10
現金10売掛金10
食材40買掛金40
燃料費3現金3
給料5現金5
買掛金20現金20
事業主貸10現金10
食材費50食材50

 

 最後の食材費は、朝30+仕入れ40-残り20=50。京介の賄いも含むので、食事の売値をもう一度費用に足さない。「事業主貸」は店から家計へ移した十銭で、店の営業費用には入れていないよ。

 

 各項目を集計すると、現金122、売掛金10、食材20、買掛金40。売上は110、今回数えた費用は58だから、差引52銭。家賃などを引く前の数字だね。


 

 取引の三行目を指でなぞる。

 前の飯代をもらったところには、売上という文字がない。代わりに、もらえるはずの金が減って、その分だけ現金が増えている。

 米屋へ払った二十銭のところも同じだった。払うはずの金が減り、現金も減る。

 二度書く方が面倒に見えたが、後から金の動きを辿れるようになっているらしい。

 

「京介、そこの器だけ下げておくれ」

「はい!」

 

 おせいさんの声にスマホを伏せ、客の立った席へ向かう。

 戻って洗い物を済ませてから、ようやく筆を取った。毛先へ墨を含ませすぎ、最初の『現』が真っ黒になる。

 裏返しても、滲みが透けている。

 

「もう少し、ここで落としな」

 

 通りかかったおせいさんが、硯の縁を示してくれた。

 習字の授業で大きな『山』を書いたときとは、勝手が違う。

 数字は徳蔵さんの帳面にならい、漢数字に直して写すことにした。

 『122』を『一円二十二銭』と書き、もう一枚には項目ごとの結果をまとめていく。

 

松葉屋 五月二十八日の商い

 

売った飯の代 一円十銭
受取り済み 一円/まだ受け取らぬ分 十銭
使った食材 五十銭
薪 三銭/京介の給金 五銭
差引 五十二銭(家賃などを引く前)
閉店時の銭 一円二十二銭
このうち米屋へ払う分 四十銭
米屋への払いを分けた残り 八十二銭
※この残りからも家賃や次の仕入れに銭が要る
車屋の衆から受け取る分 十銭
残る食材 仕入れ値で二十銭分

 

 徳蔵さんを呼ぶ前に、百と十をもう一度足した。

 現金の計算も辿り直す。俺の五銭も、一回だけ引かれている。

 

「できました。見てもらえますか?」

「どれどれ、お?こっちは字が大きいな」

「細かい方から、こっちへまとめたんです」

 

 徳蔵さんは紙を受け取ると、先に元の控えを脇へ置いた。

 一円二十二銭を見て頷き、四十銭のところへ指を下ろす。それから売った飯代へ戻り、算盤を二、三度弾いた。

 俺は濡れた筆を持ったまま、その手元を見ている。

 

「うん、合ってる。……おお、確かにこいつは見やすいな」

「本当ですか?」

「売れた分と銭箱にあった分、払いに取っておく分が一緒に見える。こっちの紙をめくって、あっちを探してってしなくていい」

 

 徳蔵さんは俺の書いた一枚を開いた帳面の間へ挟んだ。

 俺の書いたものが、人の帳面に挟まっている。まだ持っていた筆を置き、空いた指を一度握った。

 

「何ですか?それ」

 

 入口から声がして、顔を上げた。

 お春おはるさんが小さな包みを抱えて立っている。頼まれていた布巾をおせいさんへ渡すと、徳蔵さんの手元を覗き込んだ。

 

「京介が、ウチの勘定をまとめてくれたんだ」

「へえ、少し見てもいいですか?」

「はい、まだ字がちょっと汚いんですけど」

「大丈夫、ちゃんと読めますよ。ここは米屋さんへ払う分なんですね。うちみたいに、月の終わりにまとめてもらう代も書けるんですか?」

「書けると思います。納めたときに、まだ受け取ってない分として残して、お金をもらったら、こっちへ……」

 

 口だけでは怪しくなり、細かい方の紙を寄せる。

 飯代の十銭を指すと、お春さんも隣の欄へ目を動かした。

 

「なるほど、納めた日といただいた日が違っても、両方残るんですね」

「そうです。俺、最初は同じ飯代を二度足しそうになって」

「京介、お前さんこういうのはどこで覚えたんだ?」

 

 徳蔵さんの問いに、口を開きかけて止まる。

 チャッピーに聞きました、と答えて済むなら、それが一番早い。代わりに、さっき画面で見た名前を思い出した。

 

「西洋の帳面のつけ方なんです。東京の三田にある慶應義塾の福沢諭吉という先生が、『帳合之法』っていう本にしているそうで」

「福沢先生?あの学問の本の?」

「はい、そちらも書いている先生です」

「へええ、偉い先生が、米屋への払いまで教えてくれるのか?」

「京介さん、その福沢先生に教わったんですか?」

 

 お春さんまで顔を上げるので、俺はすぐ首を振る。

 

「いえ!直接お会いしたことはないです。俺もやり方を教わりながらで、今日まとめられたのは、徳蔵さんが元の帳面を読んでくれたからです」

「そうか、それにしたって、こうして出てくると面白いな」

「その本、私にも読めるでしょうか?」

 

 本そのものは、俺も読んでない。

 名前を言ったら、中身の話になる。当然だった。

 

「本の難しさまでは、まだ分からなくて。でも、掛けのところはお春さんの方が俺より早く分かりましたよね?」

「それは、うちでも同じような払いがありますから」

「俺はそこから教わったんです。やり方なら、一緒に確かめられると思います」

「じゃあ今度、うちの取引でもやってみたいです。父にも見せたいわ」

 

 また今度、と言われた。

 頷いてから、そこへつけ足す言葉を探していると、おせいさんが皿の包みを持ってくる。

 

「今度もいいけど、今日の用はどうするんだい?」

「あっ、ちょっと行ってきます!」

「そんなに慌てなくていいよ。昼の前に戻ればいいんだから。お春ちゃん、一緒なら道も分かるね」

 

 前掛けを外して上着を着る。ネクタイは結ばず、欠けた皿の包みを両手で受け取った。

 徳蔵さんに紙の扱いを尋ねると、集計の一枚は置いて、細かい方は高瀬さんへ見せていいと言われた。墨の乾きを確かめて畳み、皿とは別に持つ。

 店を出ると、お春さんが歩幅を少し緩めて待っていてくれた。

 

◇ ◇ ◇

 

 本町通の方へ進むにつれ、荷を運ぶ人が増えてきた。

 お春さんは向かいから来る荷車を見て、俺の袖へ軽く触れる。端へ寄ると、積まれた俵がすぐ脇を通り過ぎていった。

 

「その包み、ぶつけないでくださいね」

「はい、これ以上欠けたら見本にもならないので」

「ふふ、大きさだけならまだ分かりますけど」

 

 彼女は俺の胸元に挟んだ紙を見る。

 

「父、きっと気に入りますよ。ああいう帳面」

「そうでしょうか?」

「お金の話なら、いつまでも聞いてますから」

 

 連れていかれた店には、入口から奥まで器が並んでいた。

 伏せた飯碗、重ねた皿、口を紙で覆った壺。木箱の間には人が一人通れるだけの道があり、俺は皿の包みを腹へ寄せて入る。

 奥にいた男が顔を上げると、お春さんが先に声をかけた。

 

「ただいま。こちらは松葉屋さんの京介さん。お皿のことでいらしたの」

「おう、お帰り。……ああ、お前さんが京介か。春から聞いてるよ」

 

 男は笑みを浮かべ、俺の顔から洋服、皿の包みへと目を動かした。

 

「高瀬たかせ宗兵衛そうべえといいます。うちの娘が世話になってるね」

「左江内さえない京介きょうすけです。こちらこそ、お世話になっています」

「それで、皿を何枚ご入り用だい?」

 

 包みを開くと、高瀬さんは挨拶の続きを待たず、皿を持ち上げた。

 底を返し、縁の欠けへ指を添えて、お春さんに棚の場所を言う。

 

「同じくらいの大きさで六枚、煮魚に使いたいそうです。今日は品物と値段を聞いてくるようにと」

「煮魚なら、少し縁があった方がいいな。春、そっちの深い方も出しておくれ」

 

 台に二種類の皿が並ぶ。

 青い柄の細かいものと、縁に線を引いただけのもの。俺が柄の方へ目を向けると、高瀬さんはもう一方を手前へ出した。

 

「店で毎日使うなら、俺はこっちを勧めるね。揃えて置けるし、また足すときにも探しやすい。こっちは一枚三銭五厘だ」

「六枚で……」

「二十一銭ですね」

 

 俺が五厘を六つ集めている間に、お春さんの算盤は止まっていた。

 首を縦に振ってから、用意してもらった紙へ金額を書く。

 

「柄のある方は、一枚五銭。六枚なら三十銭だ。どっちも見本は貸すから、徳蔵さんに選んでもらいな」

「ありがとうございます。ちなみになんですけど、まとめて買えば少し安くなったりは……しますか?」

 

 尋ねると、高瀬さんの口元がもう少し上がる。

 

「ちゃんと聞くじゃないか。じゃあ、安い方を六枚で二十銭*3。松葉屋さんへの値段だよ。これより先は、徳蔵さんと話させておくれ」

「はい、そう伝えます」

「春、紙も二十銭に直しといて。後で違う額を持たせちゃいけない」

 

 お春さんが俺の書いた二十一銭を一本の線で消し、その横へ二十銭と書き入れる。

 手慣れた字を見ていると、彼女は隣の書付もこちらへ向けた。

 

「これは、枚数を確かめてもらえますか?私が出しますから」

「ええと、この字は何ですか?」

「小皿です。ここから下が小鉢」

 

 小皿と言われればそう見えるが、最初は小の次が読めなかった。

 一枚ずつ出してもらい、現物を数えて頷く。足し算はできても、書いてある品物が分からないと始まらない。

 六枚を揃えたところで、お春さんが父親へ、松葉屋の帳面の話をした。

 

「掛けの分も銭の残りも、一緒に確かめられるんですって。京介さん、その紙、見せてもいいですか?」

「徳蔵さんには、見せてもいいと言っていただいてます」

 

 紙を広げると、高瀬さんは皿の値を話していたときより身を乗り出した。

 右と左の欄を順に見て、食材四十銭の行へ爪を当てる。

 

「買った分をこっちにも残すのか。支払う日と、相手の名前はどこへ書くんだい?」

「今回は米屋さんの分だけなので、名前は別に……あ、何軒もあったら、これだけじゃ分かりませんね」

「そうだろう?全部でいくら払うか分かっても、誰にいつ払うかが抜けたら困る」

「うちの掛け帳と、見比べられるようにすれば?」

「うん、それならいい。春、そこを覚えときな。払う日を間違えたら、次に品を回してもらえなくなる」

 

 高瀬さんは紙から顔を上げ、今度は俺を見る。

 

「これを毎日つけるなら、どのくらい手がかかる?」

「今日は、何度も聞き直したので。慣れたらどのくらいかは……流石にまだ」

「そうか、それで銭の取り違えが減るんなら、紙代くらい惜しくないね。春、お前もちょっとやってみるかい?」

「はい、京介さんと、今度教わりながらやってみようって」

 

 高瀬さんの指が止まった。

 紙を畳む手つきが急に丁寧になり、俺へ返す前にもう一度、顔を見られる。

 

「お前さん、年はいくつだい?」

「二十五です」

「所帯は?」

「いえ、独りです」

「どこから横浜へ?」

 

 答えに詰まると、お春さんが見本の皿と包み布を父親の前へ寄せた。

 

「お父さん。京介さん、昼までに戻るんですから」

「分かってるよ。これから付き合う相手のことは、少し聞いておこうと思ってね」

「帳面のお話でしょう?」

「帳面のお話だとも。……京介さん、うちの娘は、まだ若いんでねえ。そこのところは、どうぞよろしく」

 

 何をよろしくされたのか、一拍遅れて分かった。

 俺が口を開く前に、お春さんが小さく息を吐く。

 

「いつもは、嫁ぐ相手くらい自分で決めろって言うくせに」

「言ってるだろう。俺は、誰にしろとも言っちゃいない」

「じゃあ、どうして今そんなことを聞くの?」

「皿を包んでくる」

 

 逃げた。

 高瀬さんは見本の皿を持ち、棚の向こうへ引っ込んでしまった。

 俺はお春さんと目が合い、笑っていいのか分からず口を結ぶ。

 

「すみません。誰にでも、ああなんです」

「大事にされてるんですね」

「ええ、母が労咳ろうがいで亡くなってから、余計に。一人娘だからって、いつまでも子供扱いで」

 

 労咳。たしか結核のことだったか。

 何か言おうとしたが、お春さんはもう書付を片付け、棚の向こうへ、布は二枚使ってと声をかけている。

 

「父の方が、古い布を使い続けるんです。もう薄くなってるのに」

「自分の分はまだ使えるだろう。人様へ渡すものと一緒にしちゃいけないよ」

 

 声と一緒に、包みを持った高瀬さんが戻ってくる。

 結び目を引いて確かめ、返すときも皿の間に布を挟むよう念を押す。持参した欠け皿は別に包んでもらい、借りる二枚と重ねて抱えた。

 

 入口へ向かう途中、荷を運び込んでいた男と行き合った。

 道を空けると、木箱の横に黒い文字が見える。

 

GLASS

 

「ガラス、ですか?」

 

 口から出た言葉に、高瀬さんが振り向く。

 

「ほう、そっちの字も読めるのかい?」

「これぐらいなら。学校で習った英語なので」

「学校で英語をねえ。……ちょいと待っておくれ」

 

 高瀬さんは帳場へ戻り、引き出しから折った紙を取り出した。

 さっきまでの俺の身の上を探る顔から、品物を確かめるときの顔に戻っている。

 

「見本を頼んだ先から、手紙が来ていてね。いつもの人に読んでもらおうと思ってたんだが…お前さん、これも分かるかい?」

「難しいものは読めるかどうか。まず見せてもらってもいいですか?」

「ああ、もちろん。……おっと、昼までだったね」

 

 表を見てから、高瀬さんは紙を畳み直した。

 俺も長居したことに気づき、皿の包みを抱え直す。

 

「明日でも、松葉屋さんの用が済んでからでいい。急ぎの返事じゃないんだ。無理なら、いつもの人へ持っていくからさ」

「分かりました。あとで徳蔵さんに聞いてみます」

 

 箱の『GLASS』だけなら、中学生の俺でも読めただろう。手紙一枚となったらどうだろうか。

 

◇ ◇ ◇

 

 松葉屋へ戻ると、まだ昼の客は来ていなかった。

 二つの見本と値段を伝えると、徳蔵さんは縁に線のある方を選び、明日返しに行くとき、六枚で二十銭の方を頼んでくれと言った。納品と払いは、後で店同士が確かめるそうだ。

 手紙の話もすると、朝の片付けが終わってからならいいと許してくれた。

 

 その晩の給金を合わせ、俺の銭は十五銭になった。

 筵へ座って銭を包み、スマホを取り出す。朝のやり取りを開き、入力欄へ指を触れた。

 

京介 徳蔵さん、紙を見て「見やすい」って言ってくれたよ。自分の帳面と金額を確かめてから、間に挟んでくれた。うれしかった。今日も給金を五銭もらって、所持金は十五銭。皿は六枚で二十銭の方を頼むことになったけど、松葉屋の買い物だから俺の銭からは払わない。それと、高瀬屋で箱のGLASSって字を読んだら、手紙も読めるか聞かれた。難しいものは分からないから、まず見せてほしいとは伝えた。明日、見本の皿を返して注文を伝えた後に見せてもらうことになったんだ。見本を頼んだ先からの手紙で、急ぎじゃないし、無理ならいつもの人に頼むって。俺の英語は高校で習ったくらいなんだけど、大丈夫かな?

 

ChatGPT 6 Astra(極高)

 

 紙を使ってもらえたんだね。徳蔵さんが自分の帳面と照らして、合っていると確かめてくれたのもよかった。所持金は十五銭。皿代の二十銭は松葉屋の支払いとして、分けておこう。

 

 手紙は、まず実物を見てから一緒に確かめよう。今は「必ず読めます」と約束していないし、高瀬さんも難しければ別の人へ頼めると言っている。読めない字や分からないところは、そのまま伝えていいよ。


 

 箱の一語が読めたくらいで、ずいぶん先まで引き受けた気がしていた。明日はまず、手紙を見せてもらうところからだ。

 返す皿の包みを筵の脇へ寄せ、スマホをしまう。

 

 翌朝、高瀬屋へ行くと、お春さんはまだ店の奥にいた。

 借りた二枚を返して注文を伝え、値段と枚数を確かめてから、昨日の手紙を見せてもらう。

 高瀬さんが広げた紙には、細い線がびっしりと並んでいた。

 

 英語……なのか?

 

 文字はつながり、山のような線が続いている。数字らしいものは見つかるのに、その前後が読めない。学校で見た筆記体とも、何かが違う気がした。

 

「どうだい?」

「少し時間をいただけますか?字の形から確かめたいので」

「ああ、ならそこの台を使いな。汚れるものはどけるから」

 

 高瀬さんが客に呼ばれ、入口へ出ていく。

 俺は紙を明るい方へ寄せ、背中で手元を隠してスマホを出した。折り目の影を避けようと向きを変え、手紙全体を一枚に収める。

 

撮影した手紙の一部

 

… Muster …
… Lieferung …

 

京介 高瀬さんに見せてもらった手紙。品物の見本を頼んだ先から来たそうなんだけど、俺には字が読めない。これ、英語なの?

 

ChatGPT 6 Astra(極高)

 

 英語ではなく、ドイツ語の可能性が高いよ。古い手書きなので読みにくいけれど、「Muster」「Lieferung」と読めそうな語がある。見本や納入に関する言葉だね。

 

 ただ、折り目のところはまだ判別しにくい。名前と数字を取り違えないよう、そこをもう少し近くで見せてもらえる?


 

 ドイツ語。

 俺が習ったことのない言葉だった。

 それでも画面の中には、読めそうな文字が二つ、もう拾われている。

 入口の方で、高瀬さんが客と値段の話をしていた。俺は折り目をそっと押さえ、もう一度スマホを構えた。

 

*1:
ここでは人力車を引いて働く人たちを指す。

*2:
慶應義塾大学メディアセンターの書誌では初編を1873年6月、二編を1874年6月とする。同書での呼称は単式が「略式」、複式が「本式」。https://dcollections.lib.keio.ac.jp/ja/fukuzawa/a19/68 https://dcollections.lib.keio.ac.jp/ja/fukuzawa/a19/70

*3:
皿の単価と値引きは、架空の高瀬屋での個別価格。六枚20銭は京介の現金日給5銭の4日分に当たるが、その仕事には三食と寝床も付く。明治8年横浜の皿の相場を示す数字ではない。




面白かったら、お気に入り登録と高評価よろしくお願いします!!

土日だけ一日2回投稿にします!
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。