【30話まで投稿予約済み】明治時代をチャッピーと共に成り上がれ! 作:ヅダスキー3世
六月五日の朝、高瀬屋の帳場には、俺の道具を広げる場所が空けてあった。
新しい道具の包みを両手で置く。今日は、これで仕事をするために来た。
高瀬さんは、紐で括った紙の束を脇へ寄せた。
「昨日話した、店を開くお客の件だよ」
渡されたのは英語の手紙と、数字の並んだ一枚だった。
前の手紙より長い。別の紙にも同じような数字が何度も出てきて、値段なのか、個数なのか、品物に付いた番号なのかもすぐには分からない。
分かりましたと言いかけて、先に聞くことを思い出す。
「いつまでに必要ですか?」
「品物は十日まで。客は十二日に店を開けたいと言ってる。向こうへ返事をする日は、この中にもあるはずなんだ」
「どんなお店なんですか?」
「西洋料理だよ。村田さんという人が開く。お前さんは、まだ会ってなかったね」
高瀬さんは紙の束からもう一枚を抜く。
こちらは日本語で、皿の種類と数が書いてあるらしい。
「外国の方のお店じゃないんですか?」
「いや、日本の人さ。商いで余裕のできた人や役人、それに商館勤めの外人さんにも来てもらいたいそうだ。政府に雇われている先生や技師にも、知り合いを通じて声をかけると言ってたよ」
「いろんなお客さんが来るんですね」
「来てくれればね。そのために、飯を出すところから整えておきたいんだろう」
西洋料理店、と聞いて、白い皿に肉と付け合わせが載ったところを思い浮かべる。
こちらへ来てから口にしたものとは随分違う。店が開いたら食べてみたいと思ったが、今の手持ちで気軽に入れる店かどうかは別だった。
高瀬さんは紙を指す。大平皿、小皿、深皿が各二十四枚。
「一度に二十四人座らせるってことですか?」
「そこまでは聞いてないよ。客の数だけ揃えても、洗っている間に次が出せなきゃ困るからね」
「この皿は、もう注文してあるんですか?」
「先月の末に、見本と同じ品をその数だけ揃えられるか聞いてある。今回の返事で、何をいつ渡せるのか決めたいんだ」
「昨日のブラウンさんとは、別の方ですか?」
「ああ、こっちはハリスさん。俺が前から買ってる相手だよ。手代には話が通るが、細かい条件はこの紙に書いてよこしたんでね」
署名を指してもらい、自分の紙へHarrisと写して横に読みを書く。
昨日の白いカップは別の客に見せるもので、まだ高瀬屋にある。今朝の控えにある三種類の皿とは混ぜないよう、紙の上へ村田さんの名も書き添えた。
「前に渡した注文の控えも、見せてもらえますか?あと、今回は手紙を読むだけでいいのか、それとも返事を書くところまでなのか……」
声にしてから、細かいことを並べすぎた気がする。
高瀬さんは嫌な顔をせず、俺の紙を覗き込んだ。
「読んで、何が揃うか分かるようにしてほしい。その先で確かめることが出れば、それも手伝ってもらいたいね」
「すぐには終わらないかもしれません」
「だろうね。だから今日は、朝のうちに全部やれとは言ってないよ」
「松葉屋の仕事の合間になります。それと、品物を替えるかどうかは、俺だけでは決められません」
「そこは俺が客と決めるよ。お前さんには、何と書いてあるか、決める前に何を聞くかを教えてほしい」
高瀬さんは指を折りながら、仕事を数えた。
手紙と一覧を読む。前の控えと照らす。必要な確認をして、結果を日本語の紙にまとめる。返事が必要なら、この注文についての短い英文も一通作る。
相手へ届ける手配と、品物の売り買いは高瀬屋がする。
「それで、一円五十銭*1。確認が済んで、最後の紙を受け取ったときに払おう」
一円五十銭。
今持っている全部よりも多い。
胸の辺りが熱くなり、返事を急ぎそうになる。俺は膝の上で片手を握った。
「もし、高瀬さんが買わないことにしたら?」
「読んで確かめてもらった仕事まで、なかったことにはしないよ。何が駄目だったかも紙にしてくれればいい。ただ、別の注文まで増えたら、そのときはまた相談だ」
「分かりました。お願いします」
金額と仕事の範囲、支払いの時期。
自分の紙へ書き、高瀬さんにも見てもらう。最後の丸を付けてからようやく、引き受けたのだと思った。
「先の値では、仕入れが百二十円。客に出した値が百六十八円の皿だからね*2。一円五十銭を払っても、確かめる甲斐はあるさ」
さっきの一円五十銭とは、桁が違った。
高瀬さんは俺の顔を見て笑い、まだ全部が動いた金じゃないよ、と付け加える。
「客には見本どおりの品で話してある。違うものにするなら、勝手に替えずに聞かないとね」
俺は金額の下へ、品物を替える前に客に聞く、と書き足した。
昼前の松葉屋には、煮炊きの熱がこもっていた。
戻ってすぐに椀を運び、空いた膳を引く。手紙のことを考えかけるたび、目の前の客から声が飛んでくるので、そのたびに頭を切り替える。
紙は濡らさない場所へ置いてきた。今、俺が持つものは飯の入った椀だ。
昼の片付けが済んでから、徳蔵さんに仕事の話をした。
「今度は何日かかるんだ?」
「確認が済むまでなので、まだはっきりとは。ただ、返事の日は今日中に読みます。昼の片付けの後と、夜に進めたいです」
「夕方は戻れるのか?」
「はい、外へ確かめに行く必要があったら、その前に相談します」
徳蔵さんは店の奥を見てから、頷く。
朝と昼、夕方の忙しい時間は働く。合間の外出は、その日の仕事を確かめてからにする。一日五銭と三食、寝床の条件は今のままだ。
俺が礼を言うと、おせいさんは乾いた布を渡してくれた。
「その前に、手を拭きな。アンタ、紙を持つんだろ?」
「ありがとうございます」
「筆まで油でべたべたにしちゃ困るからね」
爪の脇も確かめて拭く。俺が一円五十銭の仕事をもらったからといって、手の油まで急に上等になるわけじゃない。
笑って布を返してから、自分の道具を取り出した。
高瀬さんからは、手紙と一覧の原本を翌朝まで借りている。前の注文控えは店から出せないので、品番、数、値だけをお春さんに見てもらいながら写してきた。
寝床の脇へ三枚を並べる。
初めは全部を一度に撮ろうとしたが、端の字が小さくなる。手紙と一覧を別々に撮り、手紙の下半分も読みやすい距離でもう一枚撮った。
画面の中には、紙の折り目まで写っている。指で広げると、横浜の地名と日付の下へ、細い字が続いていた。
もう一枚には、同じ番号と数字が行を揃えて並んでいる。
| No. 21 / Dinner plates | Requested: 2 doz. / Available: 2 doz. / Yen 2.50 |
| No. 34 / Small plates | Requested: 2 doz. / Available: 1 doz. / Yen 1.00 |
| No. 52 / Soup plates | Requested: 2 doz. / Available: 1 doz. / Yen 1.50 |
| Substitute No. 35 for the balance of No. 34 | Available: 1 doz. / Yen 1.00 |
| Substitute No. 54 for the balance of No. 52 | Available: 1 doz. / Yen 1.25 |
撮った写真を順に選ぶ。紙の端が欠けていないことを確かめ、チャッピーへ送った。
これは六月四日付、Harrisから高瀬さんへの返事だね。五月三十一日に照会した皿について、揃えられる数と代案を知らせている。
回答期限は六月九日の正午。一覧に載った在庫をそれまで確保するので、元の品番で揃う分だけを受け取るか、不足分に提案された別の品を加えるかを知らせてほしい、とあるよ。期限までに指示が届けば、六月十日に先方の店で引き渡せるよう用意するという内容。
ここでいう十日は、高瀬屋や料理店への到着日とは書かれていない。引き取りと、その後の運搬は別に手配する必要があるね。
代わりの品については、別紙第二号の図と寸法を参照と書いてある。ただ、その別紙は今の写真にはない。添付の一覧だけでは、形や寸法の違いまでは分からないよ。
九日の正午。
紙の一番上へ大きく書き、十日の横には、先方で受け取る、と添える。料理店に届く日だと思って伝えるところだった。
続いて画面には、一行ずつの訳が出る。原文の位置と見比べると、期限の数字や、前に問い合わせた日付がどこに書いてあるかは俺にも分かった。
この一行の九日と、その下にある十日は、別の用事の日付だ。
本文の脇へ線を引こうとして、筆を止める。借りた原本だった。自分の紙へ行の頭の英語を書き、そこへ印を付け直した。
一覧の数字も知りたい。今度は紙の端を押さえ、高瀬屋で写してきた控えを撮る。
自分で書いた三行なら、どの数字が枚数で、どれが値段か分かる。この紙も添えて続きを入力した。
注文数と、今回用意できる数を分けるとこうなるよ。
21番・大平皿 注文二十四枚/用意できる二十四枚/不足なし。
34番・小皿 注文二十四枚/用意できる十二枚/十二枚不足。
52番・深皿 注文二十四枚/用意できる十二枚/十二枚不足。
一覧の“2 doz.”は二ダース、二十四枚。“1 doz.”は一ダース、十二枚だね。最初の希望は合計七十二枚で、元の品番のまま揃うのは四十八枚。
不足する小皿十二枚には35番、深皿十二枚には54番が提案されている。どちらも十二枚ずつ在庫があるので、両方を採用すれば数は七十二枚になる。ただし、元の品と同じように使えるかは、別紙と現物を確かめてから判断しよう。
昨日覚えたダースが、また出てきた。
二十四、十二、十二。指で追うと、欲しい七十二枚のうち、元の品で揃うのは四十八枚だと分かる。
残りの二十四枚には、違う番号が付いている。
俺は紙を縦に区切り、頼んだ数、ある数、代わりの品、と順番に書いた。横線を引こうとしたところで墨を含ませすぎ、線の終わりに小さな黒い溜まりができる。
袖を寄せる前に紙を動かす。こういうところは、画面の表みたいにはいかない。
けれど、書き上げた三行は読みやすかった。
元の紙では、全部が英語と数字の列だった。今は、小皿と深皿が十二枚ずつ足りない、と一目で分かる。
この形なら、高瀬さんへ持っていける。
返す紙を揃えながら、俺はもう一度スマホへ指を伸ばした。
今の手紙だけでは、入れ忘れか、以前に渡した紙を指しているかまでは決められないね。まず高瀬さんに、第二号という図入りの紙が手元にあるか聞こう。なければ、仕入先に見せてもらえるか確かめればいい。
伝えるときは「一緒にあったはずです」ではなく、「この手紙が参照しているので、見たいです」と言えば、相手も探しやすいよ。
入っていません、とだけ言いに行くつもりだった。
何のために欲しいのかも書き、余白に第二号の英語を写す。これなら、どの紙か尋ねられても指せる。
外へ出る前に徳蔵さんへ戻る時刻を伝え、乾いた三行の紙を原本の上へ重ねた。
高瀬さんは一覧を見るなり、深皿の行へ指を置いた。
「こっちも半分か」
「はい、小皿も十二枚足りません。別の品なら、その数を出せるそうです。ただ、どんな違いがあるのかは、別の紙を見ないと分からなくて」
「客に出す皿だからね。数だけ合えばいいとは言えないな」
九日の正午までに返事が先方へ届けば、十日に引き取れることも伝える。高瀬さんは十日の朝に引き取れるかを先方へ確かめ、昼過ぎまでに客へ運べるよう段取りを考えると言った。
まだ相手へ、どの品を買うとも返していない。
「それで、この第二号という紙はありますか?」
横から覗いたお春さんが、棚の方を振り返る。
「前に見た絵の紙でしょうか?」
「何枚かあったね。客に見せたものもある。残っている束を見てくれるかい?」
棚の下から平たい包みが出てくる。
俺が手を伸ばすより早く、お春さんが端を持って止めた。
「順番は、このままにしてください。どこから出したか分からなくなるので」
「はい、すみません」
一枚ずつ見せてもらうと、皿や鉢の絵の下に数字がある。
欲しかったものに見えたが、紙の上の英語は、今の手紙とは別の店の名だった。お春さんに尋ねると、これは去年のものだという。
もう一枚にはハリスさんの名がある。ただ、上に付いた番号は第一号で、35番も54番も載っていない。
「これは、違うんですね?」
「同じ相手の紙ですけど、手紙が指している方ではないみたいです」
似たような絵が載っているから使える、とはいかなかった。
お春さんは第一号だけを別に置き、ほかの紙を元の順番へ戻す。
「村田さんにお渡しした方かもしれません。お父さん、明日行くときに聞けますか?」
「ああ、なければ、ハリスさんの所にも聞いてくるよ」
俺は原本二枚をここで返し、手元には確認用の写しと、日本語の下書きを残した。写真も撮ってあるが、数字をもう一度照合するときには原本を見せてもらう。
夕方の支度まで、残りの時間は短い。
持ち帰る紙を揃える俺に、高瀬さんが声をかける。
「今のところ、代わりにしたら、いくらになるんだい?」
「そこは、まだ計算を終えていません。明日の朝、数字を合わせて持ってきます」
「頼むよ。客に話す前に知りたいからね」
分かるところだけなら、今、渡せる。
お春さんが俺の下書きに目を落とし、細い指で行を辿る。
「十二枚ずつ足りないんですね。これなら、何を探せばいいか分かります」
「字、読みにくくないですか?」
「この線は、少し太いです」
黒い溜まりを指され、俺は笑った。
次は墨を少なく含ませようと覚えておく。
その晩は店の片付けを終え、五銭を受け取ってから紙を開く。
手持ちは一円十一銭。一円五十銭の方は、まだ一銭も受け取っていない。
俺は二つの額を離して書き、写真の一覧を画面へ出した。
写真の単価は、その読みで合っているよ。提案されているのは、不足する分だけの置き換えだね。
大平皿二十四枚は六十円。
小皿は元の品十二枚と35番十二枚で、合わせて二十四円。
深皿は元の品十二枚が十八円、54番十二枚が十五円。合わせて三十三円。
両方の代案を採用した場合は、合計百十七円。元の七十二枚が揃う場合の百二十円より、三円安くなる。
ただし、これは一覧の単価で計算した商品代。54番を使えるか、引き取りや運搬にいくらかかるかは、別に確かめよう。
俺は計算を紙へ写し、十二枚のところを丸で囲む。
全部を別の皿に替えると考えていたら、値段も変わってしまう。安くなる三円より先に、何枚が元のまま残るのかを見ておかなければいけない。
同じ量でも、皿が変わると使い勝手は変わるよ。平らな部分が狭ければ切り分けにくくなるし、汁物なら深さや縁の形によって、運ぶときの余裕も違う。
それに、客が一度に目にする皿の揃い方を気にする場合もある。まずは図と現物を比べて、違いを言葉にできるようにしよう。そのうえで、料理を作る人と店主に使えるか聞けばいいね。
運ぶときの余裕。
俺にも、そこなら覚えがある。以前のバイト先で、皿の縁まで汁が来ていると、歩き出すたびに手が強張った。
明日、松葉屋の椀を持つときにも少し見てみよう。そう考えたところで、筆先が乾き始めているのに気づく。
洗いに立つと、徳蔵さんが戸締まりを確かめていた。
「部屋のことだが、家主にはまだ会えてない。会ったら空きと、何が要るか聞いておく」
「ありがとうございます。急がなくて大丈夫です」
「仕事が増えても、夜更かしばかりするなよ」
「はい、今日は、もうしまいます」
部屋の話が、俺の頭の中だけのことではなくなっている。
それが嬉しくて、紙を重ねる手が少し丁寧になった。まだ家賃も分からないが、一円五十銭をもらう頃には、必要な金の見当も少し付くかもしれない。
使い道を考えたところで、銭の包みへ伸びかけた指を止める。
先に、この仕事を終わらせなければ。
翌朝、高瀬屋へ計算の紙を届けると、お春さんが算盤を寄せてくれた。
大平皿、小皿、深皿の順に数字を読み上げる。俺が紙の次の行へ目を移す前に、彼女の指が珠を動かす。
「百十七円。合いますね」
「よかった」
「でも、下に書いた方がいいと思います。二つとも代わりの品にした場合、と」
表の上には書いていたが、合計だけ見れば決まった値段に見える。
俺は合計のすぐ脇にも同じ条件を書き足す。高瀬さんは見本の違いが分かってから客に話すと言い、二枚の紙を重ねて懐へ入れた。
「今日は村田さんにも会ってくる。紙があるか、確かめてくるよ」
「お願いします。俺も、足りないことをまとめておきます」
この日は松葉屋の昼が忙しく、片付けにも時間がかかった。
椀を洗って戻すと、すぐに別の椀が下がってくる。重ねた底に指を掛け、まとめて運ぼうとしたとき、一つだけ傾いた。
慌てて持ち直すと、徳蔵さんが手を伸ばす。
「そいつは、こっちだ」
俺の抱えた一番上の椀を抜き、別の列へ置く。よく見れば、口の広さは似ているのに、底の形が違った。
「一緒にしちゃいけなかったんですね」
「重ねりゃ分かる。洗った後も、おせいが分けてるだろう」
皿洗いを覚えたつもりになっていたが、並べ方にはまだ理由が残っている。
俺はほかの椀も底を見てから戻し、昼の片付けを終えた。
外国の皿も、絵に描いた表側が似ているだけでは分からない。盛る人、運ぶ人、洗って戻す人。それぞれに困るところがありそうだ。
夕方、お春さんが高瀬さんの言付けを持ってきてくれた。
村田さんが持っていたのは、最初に選んだ皿の見本だった。第二号の紙はなく、ハリスさんの店に残っているものを見せてもらう必要があるという。
高瀬さんは先方の手代に声をかけ、八日の朝なら見本と紙をまとめて出せると返事をもらってきたそうだ。
「明後日ですね。返事は、その次の日の正午」
「はい、それまでに、何を見たいか決めておいてほしいそうです」
俺は八日の朝と書いてから、松葉屋の方を振り返る。
徳蔵さんに話すと、朝の片付けが済んでから行くなら、昼の支度は二人で進めておくと言ってくれた。
「その代わり、明日はこっちの仕事を先にしてくれ。戻りが夕方にかかるなら、高瀬さんからも知らせをよこしてもらえ」
「分かりました」
予定を書いた紙を見せ、お春さんにも同じことを伝える。
「見本は、お父さんが村田さんからお預かりしてきました。今は店にあります」
「俺も、先に見せてもらった方がいいですよね?」
「はい、向こうで違う皿を見ても、比べるものがないと困りますから」
俺は頷き、紙の端へ元の見本、と書いた。
お春さんは、明日なら店で一緒に見られると言い、納品の空箱を抱える。俺も持ち上げようとしたが、彼女は小さく首を振った。
「それより、今はお椀を。おせいさんが呼んでますよ」
振り返ると、手を上げたおせいさんと目が合う。
返事をして戻り、今夜は一度も椀の列を混ぜなかった。
その晩の五銭を受け取り、手持ちは一円十六銭になる。
仕事の報酬を足せば、という計算をしたくなったが、まだ足さない。代わりに、明後日までに確かめることを紙へ並べた。
実際に使う場面まで考えられたのはいいね。まず、元の見本が注文のどの品番に当たるかを高瀬さんたちに確かめよう。
比べたいのは、口の広さ、深さ、料理を載せる部分、縁と底の形。持って運びやすいか、重ねたときに落ち着くかも見たい。ただし、元の品に寸法が書いてあれば、その単位も一緒に控えてね。
先方では、元の見本と代案を同じ向きで並べて見せてもらおう。写真も一枚ずつだけでなく、並べた状態があると比べやすい。最後に、違うところを料理店の人へ伝え、どこまでなら替えられるか聞こう。
紙に、広さ、深さ、縁、底、と書く。
全部を英語で尋ねるのは、今の俺には難しい。けれど、見たいものを先に決め、指せる形にしていけば、ブラウンさんの所へ行ったときよりは、少し話せるはずだ。
今回の手紙は、代案の図と寸法は別紙を参照し、現物も見られると案内している。そこを確かめるのも、引き受けた仕事のうちだよ。
訳せたことはもう伝えられているね。足りないのは、35番と54番が元の皿からどう変わるかという情報。それは現物を持っている人に見せてもらうのが確実だよ。京介が一人で皿の知識まで全部持っている必要はない。
その返事を読んでから、俺は三行の表をもう一度見た。
品物の違いを書く欄には、まだ「分からない」としか書けていない。
明日、元の皿を見れば、そこに一つは書ける。明後日には、隣へ別の皿のことも書けるだろう。
筆を洗い、紙を乾かしてから畳む。寝床へ横になったとき、頭の中には英語の行より、二つの皿が横に並ぶ様子が浮かんでいた。
六月七日は、朝の片付けから昼の仕事まで先に済ませた。
洗い終えた椀を分けて戻し、徳蔵さんに夕方までには帰ると伝える。道具の包みには、昨日の三行の表と、見たいところを書いた紙を入れた。
銭の包みは一円十六銭のまま。今日の給金も、手紙の報酬も、まだだ。
高瀬屋へ着くと、お春さんが台の上の布を畳んでいた。
奥から高瀬さんも出てくる。俺は挨拶を済ませ、包みを下ろす前に口を開いた。
「元の注文の控えをもう一度見せてください。それと、村田さんから戻った見本も」
「いいよ。こっちへおいで」
「明日、何が違うのかちゃんと確かめたいんです。今日のうちに、元の皿がどういうものか知っておきたくて」
高瀬さんは頷き、お春さんと一緒に包みを運んでくれる。
白い皿の縁が見えた。
俺は紙を広げる場所を空け、袖が品物へ当たらないように腕を寄せる。
21、34、52。
紙の上で追っていた数字が、ようやく目の前の器につながろうとしていた。
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