高校生活2年目の晩春。十数年振りの地元での生活も、2年目となった。
季節感には慣れた。しかし学校生活に慣れたとは言えない。
長いイギリス生活では友達ができなかった。それでも良いかなと思っていた。日本人なので。
ただ、地元に帰ってしまえばその考え方は通用しない。日本語が喋れるから。コミュニケーション能力がそのまま友達の有無に反映される。
日本語が喋れるといっても、日本語での会話は家族としかしてこなかったので、同世代の距離感やノリを掴みづらい。そういった部分が、私の心と居場所を更に追いやってしまう。
そして学力もおぼつかない。いや学力は完全に自分のせいかもしれないけど……。そこはいつも深く考えないようにしている。
今日も襲いくるやり取りと課題を何とかやり過ごし、家に帰りながら猫を追いかけている。
猫は良い。どんな拙い言葉も聞き流してくれるから。
「ん……?」
猫に導かれるようにして、一軒の喫茶店に辿り着く。こんなところにお店なんてあったんだ。
ここは幼少期に遊んでいた公園から程近い場所。あの公園は、私が覚えている数少ない地元の風景の一つだ。
"喫茶店マキ"。看板を見る限り、紅茶をメインに取り扱っているお店のようだ。ほほう……。
家から徒歩圏内に紅茶のお店。期待を胸にドアを開ける。笑顔のおじさんが迎えてくれた。
入った瞬間、ふとノスタルジーを覚えた。何だろうこの感覚は。
促されるままソファへ腰かける。メニューはこれかな。凄い、紅茶が選り取り見取りだ。
お店の傾向を掴むには定番の紅茶を頼むべきだろう。しかし今はそういう気分ではない。これほどの茶葉を取り揃えているお店だ。イギリス帰りの者として、こちらも相応の気概を見せようではないか。
「すみません。あの、えっと、ルフナティーを1つください」
かしこまりました。店員さんが下がっていく。店主さんなのかな。お一人で切り盛りされているようだ。
他にお客さんは居ない。落ち着く。店内の雰囲気も良い。この時点でもう大当たりだ。
スマホをいじっていると、ルフナティー、と別の何かがきた。ケーキ?
「あっ、えっとそれは頼んでないですけど」
「こちらはサービスでございます」
「あ、じゃあいただきます……。ありがとうございます……」
店主さんが一瞬申し訳なさそうな表情を浮かべた。すみません、突然のことだったので適切なリアクションができませんでした。
いわゆる本場のショートケーキだ。小さめなので今のお腹具合にちょうど良い。
紅茶を頂く。
ああ……、幸せだ。偽りのないルフナティー。間違いない。地元で最高のお店に逢えた。
改めて他のメニューを調べてみる。ラプサンスーチョンとケーキのセットがおすすめらしい。なかなか通好みのお店なのかもしれない。
幸せな時間を堪能し会計を済ませる時、今度は日曜日に是非いらしてください、と店主さんに勧められた。
「あ、はい。おいしかったです。ありがとうございました」
日曜日、何かあるのだろうか。メニューに何か書かれていただろうか。
いずれにしてもこのお店はリピート確定だ。次は日曜日に来てみよう。
* * *
その後、何度かお店に通っている。日曜日にも行った。ただ日曜日はお客さんが多いので、少し落ち着かない。そんな時は、ヘッドホンをして自分のことに集中している。
他の部分で日曜日に何が違うのか良くわかっていないけど、平日と比べてマイナスイオンを多量に浴びていることだけはわかる。今日も店内にマイナスイオンが溢れている。そしてその成分の発生源は……、
「お待たせしました。こちらはニルギリティーでございます」
「ありがとうございます」
この店員さんだ。かなり年齢が近いであろうこの店員さんは、日曜日に良く見かける。
立ち振るまいが良く、裏表がなさそうなこの笑顔に癒される。傍に座っても笑って許してくれそうな、不思議な安心感がある。
少しお話ししてみたい気もする。しかし他のお客さんも多い為、軽率に声を掛けるわけにもいかない。紅茶を頂きつつ、私は作業を続ける。
作業というのは曲探しとメモだ。ネットDJとして、配信に使えそうな良い曲をネット上から拾い集めている。また自作の曲に対するインスピレーションが湧いた時、急いでメモを取っている。
今日も青い鳥のSNSを探索する。このネット社会、毎日毎秒数多くの曲があらゆる形で発表され、そこに簡単にアクセスできることは良い。
しかし、ありふれたニュアンスの曲が多いのもまた事実。配信用としてストックはするが、物足りない気持ちになることが多い。
今日も退屈な音楽の濁流を縫っていると、ふとあるポストが目に入った。あるギタリストのポストらしい。
「この人私より年下だって~~~~~~~凄いよね~~~~~~~~~泣いちゃう」
自虐的なポストに添えられていたのは、ローカルなライブの映像のようだ。打ち込みに比べると生音はやはり良い。耳もリセットされる。どれどれ聴いてみよう。
ギュイィィィィィィィィン↑↑↑!!!ギャギャギャッ!!
タララララララララララララララテッテッテッテッ!
うわあ……。ギターの音が激しすぎて電子データが耐えられていない。しかしその高速で緻密なプレイングは、過激な音の渦の中で一音一音を丁寧に紡いでいる。凄い……。テクニックとかはよくわからないけど、ギタリストが凄いと言っているわけだから凄いのだろう。
演奏者の顔が映し出される。んっ?あれっ!??
「あはははは。それわたしです」
「ひっ!?」
外から声が聞こえたので慌ててヘッドホンを外す。
「あー、すみません。音が漏れてたもので」
「ひゃっ!?あっ!すみません!!」
ええっ!?いつもあれだけ気をつけているのに!何で音漏れなんて……!
しかし恥ずかしい気持ちも即座に失ってしまうような衝撃。そう、このギターの演奏者は、このお店の店員さんだ。
「あっ」
「わたしが入ってるバンドのライブなんです、それ。音おっきいですよね」
「いえっ、えっ、凄いですね」
突然の出来事に、凄いですね、しか言えない。
「あははは、ありがとうございます」
「ギター、演奏されてるんですか?」
「そうなんですよー。こうやって見ると恥ずかしいですねー」
あら、照れていらっしゃる。可愛い。
「ははは……、素敵な演奏だと思います。良く指が動きますね」
「わー、ありがとうございます。ライブだったから結構練習したんですよねー」
「この中盤のリフからの滑らかな音の繋ぎ方、とっても好きです」
「えー嬉しいです。ありがとうございますホント」
とても可愛らしい笑顔を向けてくれた。完璧な受け答えができた。
……あ、でも会話の終わらせ方がわからない。もう少しお話ししてみても良いのかな?
ちょうど他のお客さんからの注文が入ったことで、その場はそのまま終わってしまった。
ヘッドホンを装着し直し、もう一度聴く。
……うん、明らかにうまい。プロか?
ギターって、何年でここまで上達するものなんだろう。センスもやっぱり必要なのかな。
ポストの返信欄を見る。みんなも賞賛している。あの人はどうやら高校生らしい。良く見ると本人も返信していた。
「マキ……」
なるほど、この喫茶店の名前だ。繋がった。
フォローしようか一瞬悩んだが、元々SNSはそういう運用をしていないので、ブックマークするだけに留めた。
もっと聴きたい。アカウントを辿りたい。帰ろう。今ここで聴くには音漏れが怖いし、恥ずかしい。
「またいらしてください」
「はい、また来ます」
マキさんに笑顔で見送られた。
気分が良い。おいしい紅茶、素敵な音色、そして素敵な人。
「そんなこともあるんだなあ……」
思わぬ偶然に軽く放心しながらも、マイナスイオンを纏った私は早々に帰宅し、マキさんの過去の演奏を漁るのであった。