「はいー」
「こんばんは、あの」
「どちら様でしょうか?」
「弦巻マキです」
「えっ、マキちゃん!?え、どうかされましたか?」
「あの、ゆかりさん居ますか?」
「ゆかりさんは今日は……あっ、えっと今は家には居ないんですけど」
気づけばゆかりんの家の前に居た。
気持ちを整理したかった。自分の家に帰らず、そのまま来てしまった。
しかしゆかりんは居ないらしい。じゃあ帰るしかないか。
「マキちゃん、上がっていかれませんか?ゆかりさんはそのうち戻ると思います」
「……良いですか?」
「もちろんです!」
開いたドアの向こうからあかりちゃんが優しく出迎えてくれた。が、わたしの無様な容姿を見て、顔が引きつっていた。
混乱しながら気遣ってくれる。
「ど、どうかされましたか?あ、あ、こちらへ」
ゆかりんの部屋に通してもらう。入るのは恐らく久々だけど、思考が停止しているので何の感慨もない。
「ごめんねあかりちゃん」
「スーツ脱がれてください。暑いでしょう。エアコンエアコン、えっと、ちょっと待っててくださいね」
断る間もなく、冷たいお茶とおしぼり用のタオル、ゆかりんの物と思われる部屋着等々が出てきた。気の利く言葉も出てこないわたしに。
「ごめんねあかりちゃん」
「えっと、あ、私リビングに居りますので、いつでも呼んでくださいね!ゆかりさんはもうすぐ帰って来るかなと思います!」
一人にした方が良いと察してくれたのか、わたしがそういう態度だったのか。そっとドアを閉めて行った。
夜分に人の家に勝手に上がり込んでおいて、一体どんなご身分なのか。
ただ、許される関係だ。今はお言葉に甘えさせてもらう。
「はあ……」
大失敗。最低なことをしてしまった。
名刺をもらったことなんて、一切言う必要がなかった。
ちょっと休んでもらうだけで良かったはずなのに。
魔が差してしまった。勝手に諦めてしまった。
モカちゃんは今日までずっと本気で打ち込んでくれていたのに。
人それぞれにペースというものがある。最初から明確な期日も設定していないのに、急に曲が完成するわけもない。
それでもモカちゃんは、わたしの期待に懸命に応えようとしてくれていた。
そんなことも理解できずに、わたしはあんな自分勝手なことを……。何て愚かなんだろう。
モカちゃんの涙を見て、初めて自分の間違いに気づいた。
己の無神経さを嘆き、視界が涙で滲む。
もっとできることがあったはずだ。それは今日だけじゃない。今までずっとだ。
仲良くなったのなら、もうモカちゃんにあの日の友達のことを伝えても良かったんじゃないか。
そうすればもっと、少なくとも音楽だけで繋ぎ留められるような関係ではなかったかもしれないのに。
今年に入ってから、モカちゃんの楽曲投稿サイトは動いていない。わたしがその活動の邪魔をしてしまった。
自由だったその音楽を、わたしが不自由なものに変えてしまった。
ゆかりんのライブに来てもらったことも、失敗だったのだろう。
何もしなければどんどん遠くなってしまいそうな今の関係を変えたかった。せめてあの日のように、2人で同じ音楽を共有したかった。
でも明らかにモカちゃんの反応は良くなかった。ライブ後もとても晴れやかな気分をしているとは思えなかった。
結局それも、モカちゃんの音楽表現を阻害する結果となってしまったのだろう。
わたしの身勝手で、中途半端に関係を繋ぎ留めてしまったばかりに。
軽率なわたしのせいで……。
「うっ……」
仲良くなりたかった。あの日のように。抱きしめられたかった。笑い合いたかった。歌い合いたかった。
憧れだったあの子に、わたしも上手になったって、褒めてもらいたかった……。
でも全部独りよがりだった。モカちゃんの気持ちなんて何一つ考えていなかった。
もう会えないかもしれない。もう戻れないかもしれない。
やり直す方法が思いつかない。伝えられるメッセージがない。きっとどんな言葉も届かない。
せめてモカちゃんの傷だけでも拭いたい。忘れて欲しい、こんな身勝手な人間のことを。
元のモカちゃんに戻さないと。
でも、どうすれば……。
あの日の記憶が再び薄れゆく。ごめん、お母さん……。
何かに縋りたい気持ちになった時、紫色の髪とにんまりとした口が、わたしの視界に入っていることに気づく。
部屋にはいつしかキャンドルが灯されていた。