不意に通信が入る。ことの重大性を直感で理解できる。
状況を掴む為、端的に返信する。
「ゆかりさんゆかりさん!大変です!」
「はい」
「マキちゃんが家に来てます!ゆかりさんを訪ねて!」
「聞いてないね」
「やっぱりそうですよね。ちょっと異常なんです。今日はやっぱり無理ですか?何とか帰れませんか?」
「私の部屋に入れてて。何とかする」
「了解です!」
「ごめんね」
あかりには手間を掛けさせるね。しかし何があった?
「ごめんなさーい!リハ抜けます!急用ができました!埋め合わせは必ずします!資料だけ送っててください!目を通します!」
強引に現場を切り上げる。世界ツアーの真っただ中、現地のスタッフを交えた夜通しリモートリハの最中だったが、まあ、たまにはみんなにも休んでもらおう。
しかしここからどう帰る?新幹線、旅客機、チャーター機……。時間を無駄にできない。ヘリだな。
近くの高層ビルにヘリコプターを呼ぶ。何か速いやつだと嬉しい。
移動中、詳しく事情を聴く。
「どういう状況?」
「マキちゃんが、スーツ姿でギターを抱えて家に来まして」
「クレイジーだね」
「ちょっと泣いてるみたいで、あまりにも異常だったので、家に入れちゃってます。だってご自分の家に帰れないような状況ですから」
「その判断は正しい。ありがとう。ご飯食べてそう?」
「あー、伺ってないんですけど、食べてないかもしれないです」
「OK。できればたまに様子を見てあげて欲しい。1時間以内に帰るから。ごめんね迷惑掛けて」
「いえいえ。わかりました」
マキの家は近所だ。それなのにわざわざ我が家に来たということは、家で何かが起きたと考えるのが自然だ。
マキのお父さんに連絡を取る。曰く、朝会ったきり、特に揉めたつもりもない。
なるほど。幼い頃から長年の付き合いであり大変信頼できる人なので、言葉通りに受け取る。
今晩お借りしますね、と宣言しておく。ご迷惑をお掛けします、と謝られたが、困った時はお互い様だ。また後で連絡しよう。
マキが病んで我が家に来ることは過去に何度かあった。お手軽な逃げ場だからだ。しかし今回は家のことではない。
スーツ姿というのも気になる。就活で帰ってきてるのか。就活で何かあったか?悪い大人にいじめられたか?
何処にでも湧く悪い大人にはげんなりする。家に帰れないのはそういうことか。しかしギター?
「ねえ、やばい感じ?」
「やばいかと言われると、えーっと、多分そういう感じではないです。最初はそういうのかなって思ったんですけど」
そういう感じではない。
「多分、口喧嘩とか、そういう感じです」
そういう感じ。なるほど。やばい感じではない喧嘩。つまり男ではない。
少し安堵する。それならご飯でも買って帰るか。
心の傷を癒すには湯船に浸かって食べて寝るしかない。心を欺くにはまず胃袋から。
月が照らす地元の街並み。近所のビルに降り立ち、注文した料理を店で受け取り帰宅する。
「おかえりなさい」
「ただいま」
目線で部屋に居ることを合図される。ごめんありがとう、と手で返す。
おー、居た居た。迷える子羊が。
部屋のろうそくに火を灯す。かぐわしい香りが充満する。
横顔を見上げるように座る。随分と腫れぼったい目をしている。せっかくの大人びたメイクが台無しだ。
心の中で茶化すのを程々にし、引き続き原因を探る。
うん、教えてくれた通り、そういう感じではない。良かった。
日頃のやり取りでも男の存在を感じたことはない。
となると――。ほぼ原因は女友達しかないだろう。大学ではなく、ここに住む女友達。ギターを弾くような関係の。
手でも握ってあげれば良いのだろう。少しは落ち着くだろう。しないけど。
たまにはこんな表情を黙って眺めているのも良い。せっかく我が家に来たんだ。好きにさせてもらおう。
この部屋に最後に呼んだのはいつだったかな。
ベッドが大きく軋む程、飛び跳ねて歌ってモッシュしていた。大体いつもそうだった。
楽しそうなその顔を見て、私も楽しかった。
あの頃と今、何が違うんだろうな。
歳か、環境か、関係か――。
変わったつもりはない。しかし世界はそれを許してくれない。
無音の部屋に火は踊る。その明るさと引き換えに、私たちの関係もいつか尽きるものなのだろうか。
抜け殻のように虚しげなその顔を眺めていると、やりきれない感情が伝わってくる。
太陽が輝いていなければ、月も陰るものだ。
感情を辿ってみる。
恐らくマキは、何かやってはいけないことをした。
もしマキが何かされた側であれば、素直に今の状況を話すからだ。話せないということは、マキの中で何かが引っかかっているわけだ。
ただ、この子は当たり散らかすような子でもなく、何かあった時は謝れる子だ。
それなのに解決できず、黙って俯いたままということは、つまり、ボールは相手側にあると考えられる。
マキとしては今できることがない。相手が動かなければならない。しかし動かない。そういう状態だろう。
そしてマキの方が多分に引きずっている。どうすれば良いかわからない。どうしようもない。
それでもその関係をなくすわけにはいかない。そう思えるだけの相手……。
ということは突き詰めると、今起きていることはつまり、
マキが信頼を置ける人に、悪い人は居ない。そしてマキもまた、悪い人ではない。
はあ。ふふふふふ。そうか。
――――
家に帰れなかったのもそうだ。両親に申し訳なかったからだ。
十数年振りに現れたと思ったらまあこの有様。
何処までも私の心を妬き尽くしていくあいつ。
全てを理解した。鼻で笑う。マキも私が居ることにようやく気づいたらしい。
「お風呂入ってきたら?」
「……ありがとう」
時間が癒してくれるだろう。全て洗い流してくれるだろう。
しかし私はそれを許さない。
燃え尽きるろうそくを替える。この灯火は、ただでは消さない。