「はー、また知らない車乗ってる。誰から?」
「知らない人」
「もー、ホントいつか
「その辺は信頼できる整備士さんに何とかしてもらってるから」
世界的アーティスト結月ゆかりは、日々色んな人から車をプレゼントされている。
わかる。だって可愛いし、人格者だし。自分のものにしたくなるよね。なびくとも思えないけど。
そんな出所もわからない、得体の知れない車に乗せてもらう。大きいけど何か、狭い?低い?スポーツカーっぽい。
ゆかりんの家に泊めさせてもらった翌日、一度家に帰って荷物をまとめ、飛行機に乗る為に空港へ向かおうとしていた。
「これ屋根とか開くの?」
「うん。らしいよ」
「やってみてよ」
「えー、暑いじゃん」
「ちょっとだけちょっとだけ」
興味津々なわたしに負けたゆかりんは、しぶしぶ手元を操作する。フロントガラスに液体が飛び散る。
「それ違うね」
「ウォッシャーだったわ」
「それも違うね」
「何か空気出てきたわ」
「熱い熱い熱い熱い」
「ヒーターだったわ」
適当にボタンを押すゆかりん。そのうち席ごと射出されそうで怖い。
「おーそれっぽい音がした」
「開いたじゃん。あはははは」
オープンカーになる。街行く人たちの視線が集まる。まるで有名人になった気分だ。
いっそ、ゆかりんのサングラスを借りて有名人気取りしてみよう。
「あーちょっと!こらーっ」
「これ何ていう車なの?」
「んー?コルベット」
「へー、凄いの?」
「知らない」
サングラスを奪い返される。
お互い車に興味がないので何もわからない。何もわからないが、間違いなく楽しい時間を提供してくれている。
「もう閉めていい?」
「焼けるよね」
良く晴れた日の直射日光を若干名残惜しく思いつつ、屋根を閉じてもらう。
「秋にまた一緒に乗りたいね」
「私の運転で良ければね」
何処にでも行きたいよ。
……これはわたしの独りよがりではないのだろうか。
人の気持ちがわからなくなってしまっている。ゆかりんのことですら良くわからない。
謝るチャンスはあった。いや、今朝しかなかった。
今を逃せば、次は何か月後か……。
しかし、伝えるべき言葉がわからない。もしわかったら、その時に電話で伝えれば良い。そうするしかない。そう思い込んで逃げてきた。ゆかりんに促されるまま。
スマホだけは強く握っている。モカちゃんからの連絡をいつでも受け取れるように。他力本願の極みだ。
運転中のゆかりんの方を見る。サングラス越しの横顔からは、どんな表情も受け取れない。
昨日は結局そのままお風呂を借り、ご飯を食べ、ベッドを借りて眠った。
中1の時以来だった。家に帰りたくない時、良く世話になったものだった。
いつの間にか新調していたベッドも、全てを忘れさせてくれるような寝心地の良さだった。
――今回も、忘れる為に逃げ込んだのかもしれないな。
ゆかりんがこちらの視線に気づいたのか、一瞬視線を向けてくる。適当に笑っておく。
流していたラジオが急に調子を変える。何だろう。臨時ニュース?
「…………」
アナウンサーが冷静な、いや緊迫さを含んだ口調で事件を語る。世界の何処かで尋常ではないことが起きていると理解した。
何か……やばい?
電話が鳴る。わたしのではなくゆかりんのだ。ハンズフリーで応答する。
誰かと英語で会話している。内容は理解できる。息を殺しつつ、盗み聞きをしていること以上に緊張が走る。
通話を終え、浅いため息をつくゆかりん。再度ラジオが流れ始めるが、消してしまった。
「ゆかりん、今のって……」
何か大変な事件が海外で起きてしまった。そしてその煽りを受け、ゆかりんの次のツアーが保留となった。
恐らくそのままキャンセルとなるだろう。誰もが言葉の裏の意味を読み取れるようなニュアンスで伝えられていた。
「どうするの?」
「うーん?特に何もしないけど。オフが増えただけ」
思った以上に平静な声で答える。まあ確かに、できることもないか。
「マキ、世界っていうのはね、広いんだよ」
アクセルを踏みなおし突っ走る。この車の真の力を解放したかのようだ。
世界を周るゆかりんの言葉には説得力がある。一つの国に行けなくなったからといって、世界がなくなったわけではない。
空港が見えてきた。高速を降りて信号を待つ。名残惜しいが、気持ちだけ降りる準備をする。
「……終わったことはね、戻せないけど」
頬杖を突いて、窓の向こうを眺めながらゆかりんがぽつりと呟く。わたしは即座に居直る。
「私なら、"音の縁"の力を信じてみるかな」
「えっ?」
飛びきりのキメ顔でわたしの方を向く。言葉と仕草に思わずドキッとしてしまう。
「フライトまでまだ時間あるでしょ?ご飯でも食べてたら?」
「あ、うん。ゆかりんもどう?」
「私は仕事」
「あ、そうだよね……。ごめんね?昨日も仕事だったよね」
「ううん。大丈夫」
多くを語らないゆかりん。わたしが語らずとも、全てを呑み込んでくれるようなその深い懐。
その優しさに、昨日から助けられっぱなしだ。
いや、ずっと、助けられっぱなし。
「この借りはいつか絶対に返すから」
「ふーん、覚えとこー」
乗降場で停車したので降りようとしたところ、手で制してきた。
先に降りたゆかりんがエスコートしてくれるらしい。まるで女王様の気分だ。
「また帰ってきてね」
「うん。元気でね。配信とかずっと観てるから」
笑いながら手を振る。周囲と比べると比較的サバサバとしたやり取りに見えるかもしれないが、大体伝わっていることだろう。
ただ今は、正しく受け取れている自信はない。そんな気持ちも、伝わっていることだろう。
荷物とギターケースを抱え、ターミナルビルに入る。
視細胞がビルの明るさに順応しようとしていたその刹那、雷鳴が鳴り響いたような感覚に陥った。
何だろう。
まだ見届けてくれていたら悪いので後ろを振り返ってみたが、紫色の派手な車は既に走り去っていた。