……何?
頭の中に爆音が響く。痛い。
ん、う……。明るい……?
うわ!寝てた!?
飛び起きる。同時に銅鑼を鳴らされたような鈍い頭痛が体中まで響き渡る。
「いった……」
頭を抱える。
覚えてない。いつから寝てた?今何時?
泣き疲れて寝たらしい。辺りを見回す。誰も居ない。頭が痛い。
頭が痛い原因の半分は、恐らく外から響くこの爆音……。現実だった。何?雷?
音が聞こえなくなったので胸を撫で下ろす。が、胸が痛い。
何も解決していない。マキちゃんはもう居ない。机には飲みかけのカップ、モニターには曲の残骸だけが映し出され――。
「オラアアアアアアアッ!!!!宮舞モカハ何処ダアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!」
「ひいいっ!!??」
突然窓の外から呼ばれた。空耳だと信じたかったけど、絶対に私の名前だった。
街中の家々に当たり、残響がこだまする。街を包む空気がビリビリと震えている様がわかる。
「今スグ出テ来ヤガレウラアアアアアアアアアアアッッ!!!!」
ただでさえ通る声が、スピーカーによって拡張されている。
この声の主は間違いなく、結月さんだ。
慌てて窓を開ける。居た。例のスピーカーを全面展開し、その神々しい姿のまま街を闊歩している。まるでお巡りさんの漫画みたいだ。
「わわわわわわわわわわ」
常軌を逸した事態を収める為、とにかく急いで家を出た。
「宮舞モカハアアアアアアアアッッ!!!!」
「はい!はい!!ここに居ます!!!!」
「おー居たわ」
スンと鳴りを潜めるスピーカーを収納する。……何か別の次元に収納されたように見える。
そのままツカツカと音を立てながら歩み寄って来る。息をのむ間もない。
「おいこら手前、どういうことだ」
「は、は……」
結月さんは激昂している。やばいやばいやばい。気圧されたまま壁に追いやられる。
「マキに何をした。おい」
いつも以上に低い声が体を突き刺す。こ、殺される……。
「あっ、えっ、わっ」
言葉が出ない。こんなに人の顔を近くに置いたことがない。しかし結月さんはこの距離で黙っている。何か、何か言わなくては……。
「すすみませんっ、すみませんでしたっっ!!」
やはり謝ることしかできない。
「……あのな」
「ひゃ」
息を吐き、一瞬俯く結月さん。何か、言葉を、気持ちを、恨みのようなものを、溜めた?
逃げたい。逃げられない。受け止めなければならない。私はこれ以上怒鳴られないように祈った。
何でもします。神に誓います。助けて、助け――。
「お前のこと羨ましかったのはなあ!!マキのことだけなんだよ!!!!」
――――?
ん?
ちょっと良くわからないのでキョトンとしてしまう。理解が追いつかない。
数センチ先の私の目を見ているはずなのに、彼女の瞳の焦点は何処か、遠くを見ているようだった。
「乗れ!!」
指差された方向には車が停めてあった。車、に、乗る!?何処へ!?
「あっ、かっ顔だけ!顔だけ洗わせてください!!」
「……」
……願いが通じたのか、この顔が哀れに映ったのか。結月さんは10分だけ時間をくれた。
身支度をする。空腹だったことに気づいたけど、ダイニングルームに駆け込む猶予はなさそうだった。
慌てて外に飛び出すと、結月さんから何かを投げつけられた。驚いた私は受け取れなかった。拾って確認すると、コンビニのパンだった。
え、シートで食べても良いんですか?
「早く乗れ」
「はいっ!」
「そっちじゃない」
へ?え、この車、左ハンドルなの?
慌てて乗りなおす。スポーツカーだこれ。スポーツカーだけど、イメージと違ってシートはふかふかだ。
バンッ!
圧倒的な加速力で道路を飛び出す。怖っ!
何処に連れて行かれるのだろう。生きて帰れるのだろうか。私は青ざめながら、強くパンを握りしめる。
サングラスをした結月さんが運転席、私が助手席。何だこの状況は……。
外を見ると街の人たちがこちらを見ているようだった。すみません、間違いなくこの車のエンジン音です。犯人は無事連行されています。
その音だけが轟く車内。沈黙が始まる。私から話しかけた方が良いやつかな……?
ふかふかなシート、横に広く揺れない車内。乗り心地は良い。時折何か、警告音が鳴るけど。
車に備えつけられたボタンが並んでいる以外に、結月さんの目が届く範囲に無数の透明パネルが浮いている。近未来的だ。
パネルのいくつかには、外の映像が流れているように見える。
多分、車体前方が見えないのでカメラで補っているのだろう。何なら後方も、サイドも見えるようにしているようだ。
この車を駆るには、持ち主の体が小さすぎる。
高速道路に乗る。方向で理解した。これは空港に向かっている。
ヴオォォォォォォォン!!
アクセルを踏み込んだのか、更にけたたましい音が響き渡る。無事故を祈り、目を閉じる。
しかし、かき消されない周波の声が耳に届いた為、そちらに目をやった。
「……この車ねー、高速道路だと急に機嫌が良くなるのよね」
「あっ、はあ……」
だってそういう車ですよねこれ。
何でこんな車に乗ってるんだろう、この人……。
とにかく、初めて車内で結月さんと口を利いた。
黙って運転しててもらいたい、でも少しお話ししてみたい。そんな気持ちがせめぎ合っていた。
「空港にマキさんが居るから」
「あ、はい」
「手離すなよ」
「えっ……?」
手離すな、って、言った?マキちゃんを?
何で?どういうこと?
結月さんはそれ以上何も言うことはなかった。
視線を落としてパンを見つめる。思考を整理する。
卒業ライブの日、結月さんからバトンタッチを受けたように思えた。
マキちゃんとは、もう音楽活動をするつもりはないらしい。しかし連絡は取り合っている。
そして、明らかに私に向けて、あの曲を披露した。
"お前のこと羨ましかったのは、マキのことだけ"――――。
羨ましい?私が?何も持っていない私のことが?
どういうことなの?結月さんには一体何が見えてるの?
まさか本気でこの人は、私に何かを見いだして、マキちゃんのことを頼もうとしているの……?
いや、でもそうだよね。そうじゃなかったら、わざわざマキちゃんのところに送ったりしないよね。
マキちゃんのことを思うだけだったら、私なんて街に捨ておいて良いもんね。
私が何を持っているのかわからないけど、この人は私のことを信じて行動している。
つまり、この人、信じても良い人だ――。
確信した私は、一つだけ話題を切り出す。これは結月さんにも関係がある気がするからだ。
「あの」
こちらに目を向けてくれたような気がした。
「私、頑張ります。頑張るんですけど」
言葉はまとまらないが、ぶつけてみる。
「えっと、マキちゃ、弦巻さんが、昨日言ってたんです。名刺を貰ったって。音楽プロデューサーの人から」
「ふうん」
「その、何とかなりますかね?」
鼻で笑われる。
「社会人なら当然でしょ。社交辞令ってやつ」
「あ、そうなんですか?」
「マキさんが初めてのことで浮ついてるだけ。誰にでも渡すのよ。名刺なんて」
ああ……。そうなんだ。社会ってそういうところなんだ。
「嫌なら取り返してきなよ」
「あっ……、はい!」
流し目で少し見られただけなのに、その言葉と表情から強烈なインパクトを受け取った。
それを勝手にエールだと解釈した私は、マキちゃんに伝えるべき言葉を考える。
私が何とかするしかない。手離しちゃいけない。
大きな空港がみるみる近づく。パンを食べていなかったことに気づく。
「ロビーに居ると思うから」
「あ、はい。見つけられますかね、広いですけど」
「わかんなかったら声出して呼べば良い」
「ええっ、無理ですよ」
ターミナルの前で停車する。サングラスを外した結月さんが二言。
「届く。あんたの声は、絶対に届く」
引きしまった表情でこちらを見つめる。
車から降りる前に、落ちそうになった。
「あ、ありがとうございました!!」
彼女は手を払いながら去って行く。爽やかな香りと排気ガスのにおいだけが残されていた。