「武導館って、こんなところなんだ……」
会場に通されたごく一般人の私は、アリーナ席の真ん中に立っていた。スタッフの皆さんが懸命に設営中だ。
アリーナからステージを眺める。広い。こんなに広いステージが必要なのだろうか。
無観客なので大きなスクリーンも不要だと思っていたけど、いっそ客席側を全てスクリーンで敷き詰めたレイアウトにするみたいだ。大胆。
「PA配線面白ーい」
会場を一通り回っていたマキちゃんがはしゃぎながら帰ってきた。
「マキちゃん、私たちあのステージで歌うんだよね」
「うん」
「ちゃんと歌えるかなあ……」
「だーいじょぶだいじょぶ!あれだけ練習したんだからさ!」
背中をさすってくれた。マキちゃんの方を見ようと思った時、結月さんが歩いて来るのが目に映った。
「音響は最優先で準備してるから、始まるまで好きに使っていいよ」
ライブの主役とは思えない程ラフな格好の結月さん。
好きに使って良いと言われても、普通はどのような段取りがなされるものなのか、素人過ぎて何もわからない。
何かそれっぽいことを言って合わせよう。
「ありがとー」
「結月さんのリハは何時からなんですか?」
「今日のリハはないよ」
「え?」
「出た、ゆかりんの都市伝説。歌えるならどんな音響でも演出でも構わないってやつ」
「プロの仕事に口出ししないってだけ。出されたもので勝負できるから」
すっごい自信……。リハーサルなしとかあり得るんだ。トラブルも含めてライブってことなのかな。
「もちろん、事前に打ち合わせはしてるからね。後はプロのみんなが良しなにやってくれるのよ」
「スタッフさんと良い関係なんだね」
「そうね。そういったのは前日までに終わってるし、私は喉の管理もしたいから」
何か凄いなあ……。
「じゃあ、あの人が音響の担当さんだから、納得いくまでやって良いよ。演出もこだわりたいならこちらの方。昨日送った構成案の通りには動いてもらうつもり」
「オッケー!ありがとー!ゆかりんのプロデュースで良いよー!」
「あ、ありがとうございます」
最終版の曲がマキちゃん経由で結月さんに送られたのが昨日。それから3時間で演出の案が返ってきていた。
照明とか、映像とか、全然良くわからないので、私もプロの方々に良しなにやってもらうことにした。結月さんとは次元が違うけど。
* * *
ギュウウウウウウウーーーーーーーーン…………
「うううううううん!めっちゃ響く!これが武導館……!」
ステージに上がって、音のチェックとやらをする。マキちゃんは恍惚な表情を浮かべている。
たった1週間でギターパートを完璧に間に合わせてくれたマキちゃんと、2日間スタジオを借りてみっちり練習してきた。
初めて弾いてくれた時……。涙を隠せなかった。自分の曲を他人に弾いてもらえることが、ましてやそれがマキちゃんだったことが、あんなにも嬉しいことだと思わなかった。
空港で弾いてくれた私の曲もおねだりした。別れの曲として作ったものが、まさか私たちを引き合わせてくれるなんてね。
いつまでもこんな時間が続いて欲しい――。
しかし本番の日は本当に来てしまった。私は今、武導館のステージ上に立っている。
「これさ、お客さん居なくて良かったよね。絶対緊張してたよ」
「うん、歌える気がしない……。え?マキちゃん緊張してないの?」
「思ったよりはねー。今は楽しみの方が強いかな!」
強がっているようにも見えないその笑顔。マキちゃん、本番にも強いタイプなのかな。非の打ち所がない。
「私もうガクガクなんだけど……」
「声震えてるもんね。モカちゃんもいっぱい歌わないとー。貸し切りだよー?こんな機会ないよー?」
「う、うん……。ちょっと恥ずかしさが……」
「まあまあほら、誰も居ないカラオケ部屋だと思ってさー」
「こんな豪華な部屋入ったことないよ……」
足元を這うケーブルを見つめる。この期に及んで恥ずかしいなんて言っている場合ではないのだが、ライブはおろか、ステージで歌ったこともないので、足がすくんでしまう。
とりあえず深呼吸、深呼吸。
深呼吸して歌ってみる。
深呼吸して歌ってみる。
深呼吸して歌っ……。
深呼吸して……。
……歌えない。へにゃへにゃな声しか出ない。胸の鼓動の方が良く聴こえる。
慌てて音響の方が確認に来る。
「あ、あ、音大丈夫です、ボリューム大丈夫です……」
モニタースピーカーの話をしていたんだと思うけど、何か言われるのが怖いので、適当に大丈夫と言っておく。
「大丈夫?全然声出てないけど」
マキちゃんに心配されてしまった。
もう泣きたい。正直逃げたい。私にはこんなの無理です。できるわけないです。
でも、でも……、マキちゃんに恥をかかせたくない。逃げるなんて選択肢はあり得ない。やらなきゃ、やらなきゃ……。
「おーーーーい!!宮舞!!!!」
「ひっ!?」
会場を貫く一声。遠くから響いたその声の方を見ると、スクリーンの下で結月さんが腕組みをして座っていた。
「どんなプロでもそこに立ったら8割も実力出せやしないんだから!あんたなんて良くて5割だよ!!細かいこと気にせず歌え!!」
「はっはい!!」
「そうそう!良いこと言うねえゆかりーん!」
今日一番の声が出た。
そっか……。結月さんでも実力出せないんだ……。いつもあんなにキマッてるのに……。
「1割でも良いんじゃない?」
「え?」
マキちゃんがはにかむ。
「モカちゃんなら1割の力でもみんなを魅了できる。わたしがそうだったから」
「!!……ありがとう」
マキちゃんの優しさが身に沁みた。一番のファンであるマキちゃんに、意気地のない格好は見せられない。
1割の力で人前に立つのは怖い。でもやるしかない。2人に恥をかかせるわけにはいかない……!
深呼吸、深呼吸。
「ねー!ゆかりんさー!」
突如、遠くへ声かけするマキちゃん。私も結月さんもその姿を見る。笑顔のマキちゃんがマイクの傍でぼそっと一言。
「弱いところを見せるのがうますぎる」
んなーっはっはっはっと笑うマキちゃん。心なしか、ばつが悪そうな顔しているように見える結月さん。
卒業ライブでも思ったけど、マキちゃんって結構、照れくさい雰囲気を茶化したがる。そういう意味では恥ずかしがり屋さんなのかな。
お客さんを入れなかったのも、私たちに最大限配慮してくれた結果なのだろう。
突発だからだとか警備の問題とか言ってたけど、それも結月さん流の照れ隠しなのだろう。
2人のことが微笑ましく思えてきた。素直に。
……ん?結月さんが例のスピーカーを展開している。
瞬くスピーカーを通して遠くから話しかけてくる。
「ちょっと気が変わったわ」
「へっ?」
「あんたらそのまま1曲目やりなよ。ライブ始まって10分間、一切私が登場しない感じでやるわ」
「えーっっ!?」
けらけらと笑いながら結月さんは裏に消えていった。
それ配信観てる人たちはどんな空気になるの!?
借りてきた猫のようにおとなしくなってしまった私たち。
斯くして人生初めてのライブステージが幕を開ける。