「くっくっくっくっ、ふっはっはっはっはっ……」
俯きながら思わず笑ってしまった。
完璧だ。完璧だったろう。
魂を込めて演奏した。全て数セントの誤差に収まっただろう。ハーモニクス、ペダルも問題なかったはず。
やり切った――――。
どうだった!?と言わんばかりにモカちゃんの方を向く。世界中の誰よりも無邪気な顔をした瞬間だっただろう。
しかしモカちゃんは、涙を流していた。
あー……、うん。
感情を間違ったかもしれない。そうだよね。感極まっていてもおかしくない。いや、もしかして本人の中では失敗だったのかな。完璧ではなかったのかな。
でも何だろう、わたしは達成感の方が大きい。
「ありがとうございましたー!!」
幕を閉じよう。手を振っておこう。悲しい別れの曲ではないから。体裁を整えつつ終わらせよう。
モカちゃんも頭を下げながら泣いている。ステージは暗闇に包まれた。すかさずモカちゃんを抱きかかえに行く。
「ん~~お疲れお疲れ~」
「うっ……ぐっ……」
脱力したモカちゃんが、もたれかかってくる。ちょっちょっと待って、ギターを置かせて。いっそ一緒に座り込んじゃおう。
「良かったよ~良かったよ~モカちゃん~~~~」
背中をさすってさすってさする。不意に映った映像が堪えたのだろうか。でも最後までちゃんと歌っていた。えらいえらい。
「はいOK。良かったよー」
ゆかりんの声が会場に響く。配信上は海外でのライブ映像が流れている時間らしい。ステージのレイアウト変更作業が始まる。
モカちゃんの体を手繰り寄せながらステージ裏へ引き上げる。スタッフの皆さんから熱い拍手を頂いた。ありがとうございます。
「どうですか~モカちゃん。凄かったですよね~。良い曲でしたよね~?」
みんな頷いている。モカちゃんの才能が認められて、わたしは嬉しい。きっと世界中に届いたことだろう……。
最初に曲を貰った深夜。
ゆかりんの突然の宣言から怒涛の流れの中、気持ちを整えられないままこの曲を聴いたわたしの心は、一瞬で深くモカ色に染まっていった。
非常にキャッチーでメッセージ性もある。サビも一度聴けば覚えられる。モカちゃんのあの迫力のある声を存分に活かせそうだった。
曲の方向性として例えるならば、"Paranoid Android"か"The Dance of Eternity"か。独特で壮大な曲の構造をしている。
その曲の心地良さを何度も反芻した。噛みしめた。咀嚼して咀嚼した。1曲が長い分、時間が溶けていた。
そして聴けば聴くほどに……、恐怖を覚えていった。
恐怖は現実だった。貰ったDAWデータを開く。一切の妥協を感じないデータ。びっしりの譜面。そして、たった一つのギタートラック……。
「は、はひ……」
以前、別の曲を見させてもらった時にも浮かんでいた違和感。それは何故かギタートラックが一つしかないこと。一つの中に全てを入れていること。
恐らく何か意味があるのだろう。あのモカちゃんが考えることだ。分け方がわからないとか、そういうことではないはず。
つまりこのトラックを、ムスタング一本で弾かなければならない。わたしはジミヘンではないよ。
……パンドラの箱を開いた気分だ。そもそも人間が物理的に弾けるのだろうか。
ギターという制約を知らないからこそ、彼女はギタリストが夢にも思わないような美しいラインを打ち込んでくる。
実際に目の当たりにしてしまったわたしは、それらを1週間余りで演奏という形にしなければならない。
聴いているだけなら名曲なのに、ギターを持つと豹変する――。
絶望に浸っている場合ではない。弾くのはわたしだ。手を動かそう。
イントロから解剖しよう。コード進行は問題ない。気合で何とかなる。
……いや人間の指は6本もない。何だこのフレーズは。指が間に合わない。
普通ならこの時点で作曲者を正しにいくだろう。弾けるわけないじゃーん!とちゃぶ台をひっくり返せる。
しかし相手はモカちゃんだ。きっと何を言っても、その音の繋がりが良いのでそうしました、としか返ってこないだろう。
そして、実際に聴き心地は大変良い。わたしのような凡人には対案すら思いつかない。つまりわたしが諦めるという発想はあり得ない。
「B……G……、7フレット……」
いける。あ、5弦に薬指が必要。Gを人差し指。いけるけどその次、3弦7フレット、薬指。いやいや。え?戻せないですけど。
あ、まさかここ全部ダウンピッキングなの?マジ?右手も追いつかないのでは?
Bをスライドで入る?Dを開放で取る?いや次が間に合わない。
ふんふん、なるほど。
イントロだけで左手が死んじゃう。最初からフルスロットルだこれ。はっはっは……。
モカちゃんの不敵な笑みが頭をよぎる。そんな顔されたことないけど、何だか想像できてしまう。
恐らくこれは演奏というよりも、モカちゃんの脳内にある美しい世界を、実際のギターで成立する形に翻訳する作業だ。
しかし、聴感上ごまかすような料理方法で仕上げて良いものだろうか。それなら何とかなる気はするが。
再度この葛藤が始まる。モカちゃんが欲する音を鳴らさなければダメだとさっき決めたのに、もう方針を変えたくなる。
最悪別のトラックに分けるか……、いや、正直分ける時間すら足りない気がする。それは厳しい。
譜面を見つめ直す。うん、リフは良い。リフだけなら何とかなる。多分何とかなる。何か高音域のメロディーが乗っかってるけど。
何でこれが曲としてノイズにならないんだろう。モカちゃんの脳を解剖したい。
じゃあ1つ目のギターソロ。1音長い音が紛れているのが特徴か。その音を保ちつつ、別のコードを進行させるらしい。
ムスタングは構造上、音の伸びが足りない場面が増える。その弱点を突くようなフレーズだ。弦を太く替えたところでどうにもならないだろう。
歪みを足す?アンプからフィードバックを取る?多分違う。それはモカちゃんが欲しがっている音とは違う。鳴らした音を長持ちさせたいわけではない。
「最初から鳴り続けさせる……」
E-Bowを取り出す。あんまり使ってこなかったんだよねこれ。
ただこれだと音の立ち上がりが遅い。最初だけピックで弾く?でも裏はどうやって弾く?タッピングか。しかしアタックが足りない。
じゃあ持ち替える?……遅い。この曲は待ってくれない。持ち替えられないところはレガートで凌ぐ?いや……、わからない。
「……モカちゃーん」
わたしの鳴き声が一人暮らしの部屋にこだまする。
そんな日々が1週間ずっと続いた。モカちゃんの求める音の繋がりを必死に手繰り寄せた。
モカちゃんと一緒に演奏したいから。モカちゃんの才能をみんなに知ってもらいたいから。モカちゃんの笑顔が見たいから――。
実家に帰って近くのスタジオで練習した時、何とか形にしたわたしの演奏を聴いて、モカちゃんは心から喜んでくれていた。
それだけで頑張った甲斐があったと思った。
わたしの心も、モカちゃんと居るだけで弾むように楽しくなれると実感した。
そして実際に今日、ライブで最高のパフォーマンスを出せた。会心だった。
振り返ると、間違いなく楽しかった。
なのに。
「なーんでまだ泣いてんの~~!」
泣きじゃくるモカちゃんの頬をぺちぺちと叩く。人一倍感傷的な子なのだろう。
あの絵のように笑顔で抱き合いたかったな。でも仕方ない。笑顔はもう少し後に取っておこう。後からでも溢れてくるだろう。
悪いライブではなかった。いや、きっと最高のライブだったと信じているから。