3人で遅めの夕食をとった後、結月さんの運転で地元に帰った私たち。
マキちゃんを家まで送り、次は私の家に届けてくれるものだと思っていたけど、辿り着いたのは近所のファミリーレストランだった。拉致されましたねこれ。
「どうせまだ起きてるでしょ?少し話さない?」
「あ、はい」
以前なら怖気づいていただろう。たださっきまで3人で、いや2人の談笑を聞いていたので、怖さは少し減っていた。ステージに比べればどうってことはないか。
「ブレンドコーヒー1つと」
「えっと、私は、ホットティーで、お願いします」
結月さんとファミレスで2次会。大人の階段を一つ登った気分だ。地元だからか、もはや変装などしない、素の結月さんが対面に居る。
さっきのお店ではあまり食べていなかったように見えたので、ここで食べるのかと思ったけど、そういうわけでもないらしい。
「さっき食べてる時思ってたんですけど、マキさんがほとんど持っていっちゃってましたね」
「ふふ。まあいつものこと。食べたいだけ食べてもらった方が嬉しいから、大体あげてる」
鼻で笑われた、でも笑ってくれた。マキちゃんのことなら笑ってくれるらしい。
「あれだけ動き回ってたのに、もっと食べなくて大丈夫なんですか?」
「うん、まあね」
何処か含みのある雰囲気で流された。あまり痩せない方が良いと思うんですけど……。デリケートな話なのでほどほどにしよう。
コーヒーを飲む結月さん。優雅だ。白く長い指がカップハンドルを包む。美しい。ファミレスという日常的な背景ですら画にしてしまう。
いつしか気恥ずかしそうに目を逸らしていた。あっすみません、見惚れてました。慌てて紅茶を口に含む。
「マキ以外にあんなデータ渡さないでよ?」
DAWデータの話だ。横流ししてたって言ってたので、それも渡していたのだろう。
「あんな、って?」
「貴方が渡した曲のギタートラック、腕が3本無いと弾けないからね」
「え!?」
え、そうなんですか?私の目を丸くした様を見て、結月さんがため息をつく。
「パート分けて別録りでも良かったのに、いかついマルチエフェクターとか何か色々駆使して全部こなそうとしててね。貴方は歌ってたから気づかなかったかもしれないけど、あの子相当苦労してた」
「え、そ、そうだったんですか……」
「左手の指とか見てないの?テーピングの痕とかさ。もうボロボロで見てられなかったんだから」
「……はひ」
知らな、かった。己の無神経さに青ざめる。
「責任感強いからねあの子。音を変えようなんてまったく言われなかったでしょ」
「っ、はい……」
「普通はね、一緒に曲作りしていくものなの。あーでもないこーでもないって言いながらブラッシュアップするの」
息をのむ。
曲については、何も、言われなかった。いや、言わせなかった、のだろうか。もっと、どうすべきかとか、聴いた方が良かったのかな……。
「まあね、わかるよ、貴方たちが陥った状況は。短い期間を指定した私も確かに悪かったけど、せめて演奏してもらう曲はもう少し楽器の特性を理解したトラックの組み立て方をしないとね。あれはさすがにちょっと頭抱えたわ。あり得ない。逆にどうやってんの?あれ、って感じ。せめてリードとリズムくらい……」
喋れば喋る程怒りが込み上げているようだ。本気のトーンで怒られてしまった。やっぱりやっちゃダメなことやってたんだ……。
「は、はい……普通に弾いてたので……。マキさんに謝ります……」
「まあ、マキは凄いからね。何でも形にしてしまうから。今回で改めて思ったわ」
窓の外を見る結月さん。優しい顔に変わった。
結月さんも、過去に同じ経験をしたことがあるのかもしれない。きっとその時も、マキちゃんの器量に救われたのだろう。
「でもねー、今日の演奏は楽しそうっていうか、使命感に溢れてたわね」
ガーーーーーーーン。
楽しそうじゃ、なかった……?
「一音一音完璧に再現することに集中し過ぎてて、いつもみたいな伸びやかな音じゃなかったし。あんなギッチギチな譜を"弾かなきゃ"っていう使命感だけで弾かせてた感じだった。そういうのはね、"音楽"ではないからね」
ええええ……。ダメじゃん……。
私、マキちゃんを楽しくできてなかったんだ……。音楽ではない……。ああ……。
「言っとくけど、マキの本当の良さはそこじゃないからね。揺らぎの表現力が凄いんだから。余地を与えないと活きないの」
"マキちゃんの本当の良さ"は"揺らぎの表現力"。全然そんなこと考えたことなかった。
そのまま"音楽"の何たるかを怒涛のように語る結月さん。逆立ちしてもこんな領域までは届きそうもない。
「まあとにかくモチベーションの持たせ方がなってなかった。ユニットを組むってそういうことだから」
「そ、そうですよね……、一人じゃないですもんね……」
「貴方の歌声に惚れたのに、それを楽しむ暇も与えないなんてね。私が描いた映像すらぼーっと観てただけだったし。絶対次のセクションのこと考えてた」
……私が描いた映像って、言った。
「他人と同じ曲を鳴らすというのは一体どういうことであるか、もう少し考えた方が良いね」
「はい……、勉強します……」
「まあフレーズを変える必要はないけどね。理論にとらわれない貴方の自由な音運びを本当に生かすなら、プロに編曲してもらうのが良い。でも貴方の感性を生かせる編曲家は恐らく居ない」
「はあ……」
何だか褒めてもらってる気がするけど、プロとかそういうのは良くわからないです。
「……正直、私もピアノで参加したかった」
「えっ」
急にダイレクトな感想を言われてたじろぐ。
「曲を貰って結構ハマったのよね。あーこれマキが絶対好きなやつだって」
「い、良い曲でしたか?」
「うん。ライブも良かったんだけど、でもまず曲が良かった」
「ひへ」
変な声が出た。あの結月さんが、褒めてくれる……?
「型に嵌ってないからさ、初めて聴いた時は先が読めないんだけど、次に聴いた時はこのフレーズしかなくなってるんだよね。意外性と必然性を両立させてくる。これ体験として気持ち良いのよ。半音下げるんじゃなくて敢えて上げる。普通なら怒られる。でも振り返ると、もうその音しかあり得ない。それの繰り返し。そのまま曲が終わる。作品として完成されてるよね」
「……」
ちょっと泣きそうになる。結月さんは私の曲を噛みしめるように喋り続ける。
「でさ、自分が歌うのに歌いやすさとか全然考えてないでしょ」
「え」
「何処で呼吸しようとか」
「ああ……、そうですね。息継ぎって結局自然と固定されませんか?」
「ちょっとその感性はわからないけど」
「あれ」
これって自然なことじゃなかったのか。やっぱり計算して息継ぎするの?
「まあ貴方にしか歌えないのよあれ。常人では太い声をあんなに長く続けられない。声量で全部何とかしようとしてるよね」
「ああ、まあその、歌には私も自信がありまして……」
はははは、結月さんの前で言う台詞ではないけど。はは。すみません。
「webに上げてる曲とかも、ぱっと見『加工してんじゃん?』って思われそうなんだけど、あれも全部"地"でしょ」
「き、聴いてくださってたんですか?」
「もちろん。マキから紹介されてね。どんな曲が出てくるか楽しみだったから」
「楽しみだった――」
え――。
……そうか、私の曲にコメントを残してくれてたのは、結月さんだったんだ。
だからあんなに技術的な感想を残してくれてたんだ。
楽しみに待ってくれてる人に、届いてたんだ……。
惨めで枯れていた私の曲が、涙と共に蘇るような気分になる。
「自信があるからああいう呼吸を無視したフレーズになる……。多分、"歌いやすい"じゃなくて、"自分が歌いたくなる"、が基準なんだろうね」
「そ、そうかもしれないです……」
「でも飽くまでその曲の1パートであり自らを主張しない……。うん、なかなかできることじゃないよね」
自分ですら良くわかっていない自分の曲を、丁寧に噛み砕いてくれる。
「あとさ、貴方の曲の面白いのが、盛るんじゃなくて削ぎ落してるんだろうなってところ。元々もっと色んなパート入れてたでしょ?」
「あ……、はい。色々試してました。でもどれもちょっと違うかなって」
「うんうん。普通の人はもっと盛りたくなるのよ。入れたくなる。でも貴方は捨ててて、その判断がキマってるのよね。良くできてる」
「ありがとうございます」
次から次へと思い出したように褒めてくれる。
「結局今言ってきたことって全部、自分の感性に従って作って歌ってるってことでね」
「はい」
「商業的な音楽ってどうしても設計思想が絡んじゃうんだよね、"聴かせたい"から。ここでこの歌詞が"心に届いて欲しい"から。でも貴方の場合は多分、"聴こえるようにしたい"、なのかな。誰かを感動させたいんじゃなくて、飽くまで自分の心が動く"音の間と紲がり"を求めてる。そして感性が良いから、音から音へ紲がる瞬間がとても美しくて綺麗に伝わる。そしてそれを実現するために妥協してない。自分の求める"音と音の距離"を極限まで攻めた曲なんだなってわかる。それが伝わってくるからこっちも聴いてて気持ち良いのよね」
「う……」
涙が止まらない。音の繋がりを、自分の曲を他人にこんなに理解してもらえるなんて。しかも結月さんに。
「一般受けするかどうかはわからないけどね。私も割と変人扱いされるタイプだから」
「っ、いえ……」
「ただ少なくとも私は気持ち良かったし、演奏したくなった。あの壇上に一緒に立ちたい気持ちだった」
隠れて一人でずっと泣いていたい気分だった。こんなに肯定してもらえたのは人生で初めてだ。
「良いライブだったよ。うん」
結月さんはこれ以上言葉を挟まない。私の心が落ち着くのをじっと待ってくれた。
涙がやんだ頃、結月さんが手を上げる。
「すみません。コーヒーと紅茶、それぞれ追加お願いします」
いつの間にか紅茶が冷めていた。慌てて飲み干す。
頂いた言葉を反芻する。これまでの話を振り返っても、やはりこの疑問について聞いておかなければならないと思った。だってこの人は、音楽とマキちゃんが好きだから。
「あの……、結月さんって、どうしてマキさんとの音楽活動を辞めたんですか?」
「んん?」
「紲星さんから聞いたんです。2人で決めたって。マキさんからも聞きました」
口を閉ざし、コーヒーを飲み始める結月さん。簡単には語ってくれない雰囲気だ。でも聞いておきたい。
「何か、代わりに私が入る感じになっちゃいまして……、ちょっとこう、それで良いのかなって思ってまして」
「それはあの子が選んだことだから」
え……、何か、冷たい?突き放したように聞こえた……。
選んだって何を?私を?音楽活動を辞めることを?
「貴方、私のこと覚えてる?」
はっとする。
「……あの映像の、話ですか」
「そう」
「イラストを見て、思い出しました。」
「そう」
結月さんは少し、ほっとしたような声を出した。
幼い頃の結月さんが公園に居たことを、私はステージで思い出した。
公園の隅でじっと見ていた子が居た。うさぎのぬいぐるみを抱いていた子。あれが、結月さん……。
「……あの絵は、結月さんの記憶ですか?」
「そう」
「良く覚えてらっしゃ……」
ここで気づいて口をつぐむ。
違う。覚えてるんじゃない。
だからあんなに鮮明な画として記憶できているんだ。
お前のことが羨ましかったのは、マキのことだけ……。
「あの頃ね、マキはとっても楽しそうだった。みゃーまいちゃんみゃーまいちゃんって言ってね」
遠くを見るような目で語り始める。
「私と話をする時もみゃーまいちゃんのことしか喋らなくなっててね」
あの日の時点で、結月さんとマキちゃんは既に友達だった。
つまりあの日、私が、結月さんから、マキちゃんを、奪ったんだ。
マキちゃんは私を、選んだ――――。
「だから良く覚えてるの」
「……すみませんでした」
「ううん。別に誰が悪いわけでもない。マキにとって、それだけ貴方が魅力的に映ってるってことよ。きっと今でもね」
寂しそうに笑う彼女を、直視できなかった。
私は結月さんにとって忌まわしい存在だった。それでもマキちゃんの為に、関係を取り持とうとしてくれたんだ。
まさか、マキちゃんとの音楽活動を辞めたのも、私たちの為なの……?
あの曲が降ってくる。結月さんがツアーライブで最後に歌ったあの曲。
"何も持たず"、"誰にもならないで"、"ここまでおいでよ"。
その先に居るのは、"全てを持ち合わせた結月さん"だと思っていたけど、まさか、"全てを棄てた結月さん"なの……?
そういえば、マキちゃんがゆかりさんのことを平等主義者だって言ってた。
今の状況はフェアじゃない。フェアじゃないから、2人での音楽活動を辞めた……?
いや、でも。
「でもっ、でもですよ。満足……なのかなって、思ってしまうんですよ。私とセッションすることが」
「マキにとって?」
「はい。今日だって、仰っていただいたように私はマキさんを楽しい気持ちにさせられませんでした。でも結月さん、貴方と居る時のマキさんの笑顔は飛びきり弾けてるんです。卒業ライブの時の表情もそうでした、アルバムの写真だってそうでした。あの時の笑顔は私とでは出せないんです。誰とでも出せないんです。逆に結月さんもそうです。マキさんと居る時はとても素敵な笑顔なんです。あの楽しそうな顔には……」
「それは年季が違うからね」
「あ……、はい」
そうなんですけど……それはそうなんですけど……。
「そんなものはね、これから作っていけば良い。続けられる限り、続けていけば良い」
そうかもしれないけど……。何て言えばいいんだろう……。
「……何か勘違いしてるみたいだけど、私たち別に縁を切ったわけじゃないからね」
「はい、まあそれは」
「あの子とは音楽だけで紲がってるわけじゃない。普段からやり取りしてるし、いつでも帰れるように、私は活動拠点をこの街から移してないし」
「あ、そうだったんですか?」
そういえば不思議だった。もっと都心に住んだ方が何かと便利なのに、何故かこの街に住み続けている。それもマキちゃんの為だったんだ。
「傍に居なくてもできることはあるから」
「……あの、やっぱり優しい方ですね」
鼻で笑いながらコーヒーを飲む。
根は優しい。優しいフリのフリをする人。というか、マキちゃんのことしか考えてないのかな……。
でも、だったら尚更変だと思う。
「あの……。つまり、私のせいで、お二人はバンドを辞めるってことですかね……」
「貴方が戻って来なくても多分辞めてたと思う」
「え。どうしてですか?」
「マキが続けたいとか言ってた?」
え?
「い、いえ……特別聞いたことはないですが、でも内に秘めているのでは……」
「聞いてみたら?」
「あっ、前に聞いてみたことはあるんです。どうして続けなかったのか」
「それが答えよ。それはあの子の本心。汲んであげるのが良き友だと思うけどね」
「まあ、はい……」
はぐらかされた。
マキちゃんは、"自分の為に時間を作って欲しい"、と言っていた。確かに、これまでの結月さんの思考回路を整理すると、マキちゃんのことを中心にして回っているように思える。それだけ負担になっている可能性は否定できない。
ただ……、本当にそれは本心だったのだろうか。
良く考えれば、マキちゃんも結月さんも、お互いのことしか考えてなくて、自分の気持ちを置いていってるように思える。
この2人の本心は何処にあるんだろう。
考え込んでいた時、結月さんがこちらを向き、意を決したように一言。
「……一つ、私が理由を挙げるなら」
私は息を殺した。
「あの子が欲しがるサウンドと、私の声が、合わないことかな」
いつにも増して寂しげな表情をしている。
確かにそうだ。卒業ライブの日。マキちゃんのあの重厚なギターサウンドと結月さんの艶やかな声が交わった時――、私の脳は混乱した。
率直に言うと合わない。いや、合わないという言葉も厳密ではないけど、何というか、少しすれ違っていた。
それでもライブとして完成させていた辺り、さすがプロと言ったところだった。それが気になった人は、会場内にほぼ居なかっただろう。
ただ私には、妙な違和感が残っていた。恐らくそれは、結月さんが抱いている気持ちと同じものだろう。
プロであり親友である結月さんが、親友の欲しがるサウンドに合わせられない――――。
それが結月さんにとってどれ程辛いことか……、私では想像を絶する。
そんなことないです、なんて軽々しく言えない。そんなのはプロである自分自身が一番わかっていることだ。
どちらかが音楽の方向性を合わせれば良いだろう。しかしそこには必ず遠慮が発生してしまう。それを続けると、不満が溜まるかもしれない。
いや、それを続けてきた結果がこれなんだ。ちょっとずつ、健全な状態からズレてしまっているんだ。
あの卒業ライブの曲もそうだ。結月さんは、マキちゃんのことしか考えずに作曲した。それをマキちゃんは心苦しく思ったんだ。そしてそのことも結月さんは気づいていた。
これ以上先に進んでしまえば、何処かでお互いが悲しむ最悪の結果になり得る。
だから先手を打ったのかもしれない。別れる前に、辞めるんだ。
そして音楽以外の私生活はそのまま、関係は何も変わらない。
となると、これ以上の最善手は考えられない。辞めることが最善。
――辞めるしかないの?本当に、それで良いの?
……だから私は言った。
「そんなことないです」
どうせそう言うだろうな、と結月さんの顔が語っていた。でも私は諦めたくない。
私なら……。
「そんなこと、マキさんが言ってたんですか?」
「……言わなくても」
「本当にわかるんですか?聞いてみますか?マキさんの気持ち」
「……ふん」
なけなしの声を。
「……私は……っ、2人の演奏が聴きたいんです。2人の楽しそうなセッションが観たいんです!2人が笑顔ではしゃいで笑ってるライブがまた観たいんです!!これからもずっと!!ずーっと!!」
ここで。
「辞めるなんて……言わないでください…………」
届けた。
私は、私の心は、いつしか2人の笑顔に奪われていた。
きっと2人は、共に音楽活動を続けたいと思っている。そこに本心がある。
2人が口にした理由も、私が来たことも、どれも諦める理由にならない。辞める理由にならない。
ならないはずなんだ……。
私のすすり泣きだけが響く空間。爆発してしまった感情を、なかなか抑え込めない。
結月さんごめんなさい。落ち着くまでもう少し待ってください。
さすがに嫌われた気がする。めんどくさいと思われた気がする。
人の気も知らないで、勝手なことを言って。
でも、どうしても言いたかった。2人のファンとして、お友達として、伝えたかった。
「わかった」
何分経っただろうか、しばらくして結月さんが呟く。顔を上げると、私の紅茶を飲み干していた。
「そこまで言うなら、貴方が曲を作ってくれる?」
「え」
「マキと私が心から楽しめる曲を」
……私が?
「私たちの音を紲いでみせてよ」
私が……。
「っ、わかりました。心に響くような曲だったら、歌ってくれるんですね」
空のティーカップを指に引っかけて笑っている。
神聖な契約……、ということか。
涙を拭う。
多分、無理だと思う。自分が歌う曲以外作ったことはないし、そんなことができるなら、結月さんがとっくに作曲しているから。
でも――。
「できるかもしれないね。貴方の曲は良い意味で特殊だから」
「……楽しみに待っててください」
にやりと笑う。私も笑う。
できるかもしれない。だって私は、結月さんが羨ましがった人間。
雲の彼方に居たはずの月にだって、この声は届いた。今の私に、怖いものはない。
窓の外を見る。気づけば夜明けが迫っていた。
「すみませーん」
追加の飲み物を注文する。これが最後かな。何だか見覚えのある店員さんが歩いてきた。
「なーにやってるの2人とも!」
「マキちゃん!?」
「おっと、我らが太陽のお出ましか」
マキちゃんが伝票を取り上げ、会計へと向かう。
「配信止まりっぱなしだと思ったらこんなところで駄弁ってる。早く帰って寝るよ!」
「あやば、配信すっぽかした?」
「あ、それ気になってたんですよね。今日しなくて良いのかなって」
「そうそう。画面ずっと真っ暗だったからコメント欄で大喜利始まってたよ」
後を追うようにして席を立つ私たち。
お店の外は、じわりと太陽に照らされて始めていた。
「あーあ、じゃあ今からやるか」
「寝なくて良いんですか」
「3人で出る?」
「えっ、せめてお風呂入ってきてからで良いですかね……」
「じゃあお風呂配信?ライブ後初入浴配信でーすって」
「いやいや」
「くさそうで笑っちゃう」
「真面目な体ゴシゴシが見られますね」
「わたし撮ろっか?」
「えーっ!?」
新たなモチベーションが湧き上がる。
2人を、紲げる。
逆光が包み込む2人の背中を、私も包んでみたくなった。