今日はモカちゃんの家にお邪魔している。
勉強会という名目だが、個人的には遊びに来た感覚だ。
モカちゃんの学校の成績は冴えないらしい。イギリスで学んでいた内容とアプローチが違うのだろう。
課題の溜まり具合をみるに、若干本人に怠け癖もあるかもしれない。勉強以外にやりたいことが多いんだと思う。
勉強中のモカちゃんを眺めつつ、ふとパソコンに目をやる。
部屋と同様、綺麗に片づけられたデスクトップではあるが、目ざといわたしの目はごまかせない。
ある。平凡な高校生が使うことはないであろうアプリケーションのアイコンが。
「モカちゃんさあ、このソフト」
「……あ」
そこまで見られると思っていなかったのか、一気に顔が赤くなる。
「これあれだよね、音楽作るやつ。まさかモカちゃん、曲作ってるの?」
「え、あ、はい……。ちょっとだけ……」
やっぱり。ギターを褒めてくれたのもそういうことだったんだ。
「へえ~~~~。わたしもギターやってるんだよ」
「それはもう、十分知ってますけど……」
「どんな曲作ってるの?」
「え、どんな……、どんなでしょうね……」
「聴いてみて良い?何処にあるの?」
逃がさない。捲し立てる。
「えっ、それは、そのー……、良いですけど、あんまり自信ないんで……」
「良いよ良いよー気にしないよそんなの。聴いてみたい聴いてみたい」
「じゃあえっと、一番新しいやつ……」
一番新しいやつ?この歳にしてまさか相当な手練れか?
モカちゃんがファイルを取り出す。取り出す過程は見なかったことにしよう。
曲が流れる。
ロック。ロックだ。意外。いや、しかもこれプログレ系?曲の構成が独特だな?
モカちゃんの歌が入る。ここだけ自分で録ってるのかな。
やっぱり歌声が良い。幼い頃に聴いたあの歌声を感じさせつつ、更にスケールアップしている。カッコ良い。
そしてこれだけ複雑な曲の構成をしていながら、違和感がない。かなり凄い気がする。
しかし……、めっちゃコスト掛けてるな、これ。
これだけの音を鳴らす為には、相応のプラグインと時間が必要だ。日々の相当なコストを音楽に費やしているとみた。
「良いねー!凄い!カッコ良い!そして歌がうまい!」
「えへへへへ、ありがとうございます」
照れ笑いしている。この顔の何処からあんな声が出るのだろう。
「わたしもたまに曲作ってみたりするんだけど、こんなに完成度高くできないんだよね。しっかりした曲!って感じだった」
「えへへへ……」
「これ、曲名は何ていうの?216って書いてるけど、交響曲第216番!みたいな?」
「え?えっと、それはただ、216番目のリテイクファイルっていうだけです」
へ?
「え、それまでの全部没なの?」
「そうですね……」
「没ファイルって何処にあるの?」
「ごみ箱の中にあると思います」
1曲作るのに216回のリテイク?そもそもリテイクって何だ?演奏してるのかな?
曲を作る過程がわかるなら、それは是非とも知りたい。なかなかこういった機会は少ないからだ。
「ごみ箱開いてみていい?」
「聴いてみますか?取り出しますね」
取り出す過程は見なかったことにして、試しに178と名づけられたファイルを聴く。
「……これは……、どう違うの?」
「えっとそれはですね……」
モカちゃんがDAWのデータを開いてみせる。ボーカル以外全て打ち込みだ。
「多分、ここの音の繋がりですね」
「???」
「完成版はこの音からこの音に繋がる瞬間が好きなんですけど。そこでどう繋ぐか結構躓いちゃって……」
音が繋がる瞬間?
「ほらここ。あの、テテテテンって繋げると曲全体が前に進む感じがしませんか?こっちは同じ音なのでここで一瞬止まるんですよ。ほら」
モカちゃんに捲し立てられる。
確かに1音違うけど、止まる……?曲全体が前に進む……?
「出力しないと音の感じって変わるので、ファイルだけどんどん増えちゃって……。あ、音の感じ方とかも日々変わるじゃないですか?」
「う、うん……」
固まるわたしを見て、どう伝えれば良いか困惑しながら言葉を選ぶモカちゃん。
「あー……ちょっとうまく説明できないんですけど……。すみません知識がなくて……」
「いや、ごめんね?え、まさかこんなところから気にして作り込んでるの?」
「そうですね……。あっ他にもこういうフレーズを試したりとか、色々やってみてるんですよ」
機転を利かせてくれたのか、わかりやすそうな別のファイルを聴かせてくれた。
「え、っと……。これ良いじゃん!え、これも没になるの?」
「そうですね……。今のよりは好きじゃなかったので……」
今のよりは好きじゃない……。
職人……、職人だ。しかも完璧を求める求道者だ。
メロディーを噛み砕いていると、モカちゃんの表情が曇っていることに気づく。しまった。
「あっ、ごめん!ごめんね、ちょっと凄すぎて、平凡なわたしには到底理解できない感性の領域だから、うまい言葉が言えなくて……、ちょ、ちょっと尊敬しちゃう!」
ははははと自嘲気味に笑うモカちゃん。
"こんなところ"、とか言ってしまった。
一般人では聞き流してしまうような些細な音の違いでも、モカちゃんにとっては何度もやり直す必要がある大きな誤差だ。
「あの……、言葉では伝えられない部分を補ってくれるのが音楽なのかな、って思ってるので、普段演奏されてる方々みたいにうまく伝えられなくて……。すみません」
「えーいやいや!プロのアーティストみたいなこと言ってる。カッコ良い~!」
「はははは……」
言葉で伝えられない部分を補うのが音楽――。なるほど。誰かも似たようなことを言ってたな。凄い人は本当にそういう領域に行き着くのだろう。
どうしよう。気まずい。しかしこの曲を形容する適切な表現が浮かばない。
「こ、これって何処かに公開してるの?」
「あ、そうですね……。一応……」
「どこどこ?」
「あの、こういうのとか……」
楽曲投稿サイトの作品ページを見せてくれた。そこには十数曲並んでいるように見えた。この歳でこんなにも継続して投稿しているのか。全然ちょっとだけではない。
……う……。再生数が少ない。お気に入りも一桁前半しかない。貰った感想なんて皆無かもしれない。
「ははは……」
寂しそうに笑うモカちゃん。
間違いなく良い曲なのに、あまりに付けられた評価が少ない。世間にはこれ程埋もれたアーティストが居るものなのか――。
モカちゃんの背中が小さく見える。抱きしめたくなった。昔のように。しかし思い留まる。
「アカウント名覚えたから!帰ったら全部聴かせてもらうね!」
「あ、ありがとうございます……」
「さっきの曲のDAWファイル、眺めてて良い?」
「はい、良いですよ。独学なので変なことしてたらすみません」
「いやー全然!わたしもDAW何にもわかんない!」
モカちゃんは勉強に戻る。今の会話を振り返る。
音の繋がり……?
"Hwanan cymð se wind"と名づけられた、読めない曲名のこの曲を何度も繰り返す。
複雑な譜面も、曲の構成も、DAWの操作も、わたしには高尚過ぎて理解できない。いずれにしても素敵な曲であることは間違いない。
理解できないのが悔しい。理解されないのが悔しい。
後で詳しい人に聞こう。プロならわかるはずだ。しかし今は、何とかして彼女の寂しい笑顔を消し飛ばしたい。
「ねえモカちゃんさー」
「はい?」
「わたしと一緒に1曲演奏しない?モカちゃんが作って歌って、わたしがギター弾くの」
「えっ!?」
机に足をぶつける音がした。
「モカちゃんの曲弾いてみたーい。今の曲とかさー、すっごい素敵なメロディーだもん」
「えっ……、良いんですか!?本当に……!?」
「うん。モカちゃんが思うままに曲を作ってさ、わたしが同じような音を鳴らしてみるから」
「MIDIデータより生のギターの方が嬉しいです!私ギターとか何も弾けないので、そういうのやってみたかったんです!」
「おっけー!じゃあモカちゃん、課題が終わったらいつか1曲作って持ってきてよ」
「はい!是非是非……!」
良かった。モカちゃんの笑顔が戻った。
この才能を世界に知ってもらいたい。例えばライブで演奏できれば、それだけでも何かのきっかけを生み出せるかもしれない。
そして何より、あの頃の自分の夢が叶うかもしれない。みんなの前で一緒に歌える日が来るかもしれない。
そんな麗らかな日が来ることに思いを馳せ、震えたペンが走る様を眺めるのだった。