本格的な春の気配が漂う。今日はマキちゃんの出発の日。
気軽に会えなくなってしまうのはとても寂しい。お店からも、この街からも、居なくなってしまうんだ。
お見送りに行きたい。呼ばれたわけではない。お家に行っても良いのかな。
出発時間もわからないので、朝早くから行ってみる。家に上がるわけにもいかないので、駐車場で待っててみよう。
駐車場には多くの人が居た。知ってる、写真に写ってた人たちだ。
「おはよう、ございます」
「おはようございますー」
「マキちゃんのお見送りですかー?」
「あっ、はい。もう行かれるんですかね」
「いやー、誰もわからないんです」
はっはっはっはっ、みんな笑っている。私も思わず笑顔になった。みんな同じなんだ。同じ気持ちなんだ。
それぞれ友達であり、バンド仲間なのだろう。年齢も様々。社交性の高さを物語る。愛されてるなあ。
「本当に今日なんですかね?」
「先輩が飛行機は今日って言ってたので、そうだと思うんですけど」
「しかも……、ほら」
こっちこっちと連れられ、指差されたビルの上を見る。
結月さんが居る。この街で一番高いであろう建物から、街一帯を眺めている。何だろう、日中でも不思議と溶け込まない存在だ。
「あの人が居るから間違いないよ」
「な、なるほど……」
彼女は彼女なりに、この街とマキちゃんが居る風景を噛みしめているのだろう。
少しして、荷物を抱えたマキちゃんとお父さんがやって来る。
「あっはっはっはっはっ!何でみんな居んのー!?」
みんなも笑う。みんなその笑顔が見たかったんです。
「そんなねー、遠くに行くわけじゃないから!もー寂しくなるじゃーん」
気丈に振るまうマキちゃん。改めて言われると、更に寂しくなってしまう。
もーしょうがない、と一人一人とハグをする。
「モカちゃんも元気でね!いつでも曲、送ってね!」
「は、はい!お体にお気をつけて」
……ハグされた瞬間、寂しさとは違う、物懐かしさを覚えた。
やっぱりこの感覚は――。でも――。
強く、強く抱き返してしまった。一瞬目に映ったお父さんの顔は、微笑ましそうだった。
「じゃあねー!みんな!夏休みには帰ってくるから!また会おうねー!!」
みんな思い思いに声を掛け、車が見えなくなるまで見送った。
余韻を残す駐車場。その場に集まった方々とも別れ、ビルを見上げる。結月さんは居なくなっていた。
夏休みか――。遠いなあ。飛行機で行くような距離だ。そんなに頻繁には帰れないだろう。
まだ曲作りには取りかかれていない。卒業ライブでの感情が尾を引いている。
しかし、かすかな成果は得た。今なら少し前に進めそうな気がする。
家に戻り、気持ちを整理する。ベッドから天井を眺める。
昔、公園で遊んでいた友達は、マキちゃんだろう。
さっき抱きしめられた時に思い出した。あの公園で、いつもぎゅっと抱きしめられていた。
あの温もりは間違いない。そして、私は名前を間違って覚えているのだろう。
実際に手で触れた感覚の方が、正だ。
でも仮にそうじゃなかったら……?
裏切られたような気持ちになるだろう。勝手に。
そんな時が来たとしても、マキちゃんにだけは当たらないようにしないと。
マキちゃんはあの日、私のことに気づいてくれた。
それでも私に言わなかったのは、何か理由があるのだろう。今日の今日まで伝えていないことの理由があるのだろう。
しかしそもそも、その理由を漁る必要なんて私にはないのではないか。
事実こそが全てであり、今の私がその先を詮索する必要はない。
ないのか?本当に?
何か私に原因があるからだとしたら?
……考えたくない。この先はドツボだ。その線は考えない。
お日様が上がっている時の私の脳は、前向きな思考ができるものなのだ。
頭が回っていないとも言う。
マキちゃんは、私と友達だったことに気づいた。そして今、私のことをお友達だと認識してくれている。
だからこの街を去る前に、作曲という課題を置いていってくれた。
お店で会えなくなったら、もう店員とお客さんの関係は終了するから。
新たな関係を築いてくれる為に、再会のきっかけとも言える音楽で繋いでくれた。
私とライブをしたい気持ちも、本物かもしれない。
私だって同じ気持ちだ。
じゃあ私は応えなきゃ。マキちゃんに私ができることは、それしかない。
「うーん……」
マキちゃんが欲しいサウンドも理解した。マキちゃんの気持ちも受け取ったつもり。
残る問題は――、何故結月さんとの活動を辞めたのか……。
先日結月さんと握手をする前、彼女は明らかに戸惑うような、うつろな、悲しそうな顔をした。
なるほど、という言葉も呟いた。
何を理解したのだろう。何を感じ取ってしまったのだろう。
そこで私は思ったのだ。
あの握手は"バトンタッチ"。そういう意味での"よろしく"だったのではないかと。
"前言ってた"、っていうのも多分、私のことを音楽を嗜んでいる人として紹介されていたのではないか。
マキさんをよろしく――――。
何か、やむを得ない理由によって2人は音楽活動を停止した。
そしてマキちゃんは私を選択し、結月さんからは引き継がれた……。
「やっぱりそういうことなのかなあ……」
でも私は結月さんのようにはなれっこないし、マキちゃんを心からの笑顔にすることはできない。
あんなカリスマ性も、深い関係性もない。曲だって評価されたことがない。
勝手に背負い過ぎなのだろうか。
そうだよね。そうだと思う。他にもバンド仲間は居るし、私なんかにマキちゃんのことを託すわけがない。
――しかし、そう思えないだけの材料が揃っている。
こんな平凡な私が、選ばれてしまったなら。
「……やるしかない」
点けっぱなしのモニターの前に座る。
鳴らしたいサウンドはわかっている。でも今はネタがない。ネタ出しをしなければ。お店に行こう。
「あ、お店開いてないか」
マキちゃんが居なくなった街でネタ探し。捗る気がしない。
すぐに理由を付けて怠けようとする自分を見て、猫が膝の上に乗る。
「どんな曲が良いだろうね?ワトソンくん」
腕組みをして瞑想する。
春の陽気は、湿気た部屋をなだめるように照らしている。