「どういう意味?」
これまで幾度となく言われてきたこの言葉。
私は長年この言葉に呪われ続けていた。
小さい頃から私は人との会話が苦手だった。
家族は父、母、兄、姉の私を含めた5人家族。家は団地住まいで、決して裕福とは言えないどちらかと言うと貧乏家庭で、その家庭事情は幼いながらに察していた。
そんな家の末っ子として生まれた私は全員からまさしく"要介護対象"という扱いを受けてきた。
どんなことも1から丁寧にバカでも分かるように教えられ、常に不測の事態が起きないよう傍について見守られた。
最初は「懇切丁寧に教えて貰えている」と肯定的に捉えていたものの、どんな簡単な作業であってもその状態が続くと「あぁ、私はこんな簡単なことも分からないバカだと思われているのか」と理解せざるを得なかった。
無論、彼らに悪気は無い。
彼らにとってそれは紛うことなき愛情であり、介護をしているという認識はなかった。
ただ私にとってのそれは"バカの監視"以外の何物でもなかった。
そんな環境で育った子供がどういう成長をするのか。
要領よく表面だけ柔軟に取り繕うか、呆れるほど卑屈に育つか。
その二つに一つだろう。
私の場合は後者だった。
家族と話をしても噛み合わない。
旅行先、何かを見て思いついたことをそのまま口から吐き出すと、「それはどういう意味?」と呆れ交じりに半笑いで返される。
末の子がまたおかしなことを言っているぞ。
口には出さねど、言外にそう告げる態度に初めは癇癪を起こしたが、何も状況が変わらない事を理解すると私は閉口するしかなかった。
家族間で衝突があった時の裁定役は両親だ。
例によって私の言い分は理解されず、兄姉の言い分は理解される。そうすると必然的に親は言い分の理解できる兄姉の味方となる。
もちろん、一方的に放置されるわけではない。”可哀想”という理由で理解できないままではあるが話を聞いてくれる。
そんな空虚な味方面は、彼ら自身の心の安寧、自己満足のための手段でしかないことを私は子供ながら敏感に感じ取っていた。
私は次第に自分の考えを自分から発しなくなった。
聞かれた時に答えるだけ。そうすれば「理解できなくてもそれは聞いた側の責任」。そう考えることが出来たから。
真の理解者が身近にいない環境という状態に、私はついに"自分の至らなさ"を自覚した。
家族のようなまともな人間を理解できない自分は、人より愚かで足りない側の人間なのだと認識した。
そんな考えに薄らとズレが生じ始めたのはいつ頃からだったか。
小学校、中学校、高校を進んでいく中で人との関わりが増えていくと、私は周りの人間との違いをより明確に気が付き始めた。
まず、流行りものについていけないことが多かった。
人気のテレビ、ドラマ、アニメ、音楽。社会現象とまで称される作品に対しても順応できないものが多々あった。
周りが盛り上がっている時に順応できない自分。私にはバカ騒ぎをしているようにしか思えなかった。
集団生活においてそのズレはあまりにも致命的であり、まともな人間に順応できない自分の愚かさを呪った。
そんな私にとって人との会話は苦痛だった。
まるで興味のないクイズをさせられているかのようであった。
会話中に相手の欲している回答を探し出し、的確に返答していく。
間違えると相手は不機嫌になり、しかもそれが手に取るように分かる。相手を不機嫌にさせたという事実が私を苦しめた。
正解したからと言ってさして益もない。普通の人間のデータが手に入るだけだった。
一方で逆の変化もあった。
授業の遅さ、各行事の段取りの悪さ、見えている結論に至るまでの遅さに苛立ちを隠せなかった。
バカな私でも出来ることをやろうとしない人間の多さに苛立った。
集団作業を合理的且つ真面目に取り組まないどころか、真面目な人間の足を引っ張るクズのあまりの多さに辟易していた。
そうして成長していく中で私の自我は徐々に歪んでいき、いつしか"人間"という生き物自体を批判的に見るようになった。
そうしていく中で、私は大人になった。
仕事を通じたことで、自分の認識は更に歪んでいく。
やりすぎなくらい丁寧なマニュアル。要点が散らかって無駄の多い説明をする上司。バカな自分よりも理解の遅い同僚。
頭がおかしくなりそうだった。世の中はこんなバカな私よりも更に足りない人達だらけだったのか。
社会的合理性に欠けた行動、後先を考えない行動や言動、整合性の取れない行動、飛躍し狂ったロジックの展開。
世の中の多くが行うそれらに私は理解が出来なかった。
自分の愚かさを認識している一方で、徐々に別の思考が私の中で育っていった。
バカな自分でも理解し、判断し、実行できるというのに、何故彼らはそれをしない?
何か理由があるはずだ。私が気付けていない理由が。
一体それは何なのか。誰も教えてくれない。
自分で解を見出だせない。
バカな私には分からなった。
普通の人間の普通の思考を理解出来ない私はもはや"人間"を嫌いになっていった。
私のような人間とも話を合わせてくれる心根の優しい人間もいることは分かっている。
ただ、私にとってそれは宝くじと何ら変わりのない期待出来ないものだった。
そんな折、知能検査(WAIS-IV)という存在を知った。ネットに転がっている胡散臭いIQテストとは違う、臨床心理士の指導のもと行う確度の高い知能検査。
言語理解、知覚推理、ワーキングメモリ、処理速度。
大きく4つのカテゴリに分けてテストの結果を数値化し、総合的なIQを算出する。
10項目の標準的な検査に加え、より詳しく測るための5項目の補助検査を行うことが出来る。
費用は約2万円〜3万円。
決して安くない費用だった。
少なくとも、気軽に受けてみようとは思わない。
結果次第では何の成果も得られない可能性すらあるからだ。
それでも私は知りたかった。自分の立ち位置を。
バカならバカだと突きつけて欲しかった。
客観的で正当な評価を得て、自分を認識を強固にしたかった。
結果が出たのは検査を受けた2週間後。
総合はIQ129。
上位2〜3%の水準だった。
先生から惜しくもMENSAには入れませんでしたと言われたが、私にとってはそんなこともうどうでも良かった。
私の認識は正しかったが決定的に間違っていた。
みんながマトモで、私がおかしい。
おかしく感じていた部分の認識が真逆なだけだった。
もう、この歪んだ性根はどうすることも出来ない。
ただ、分かった。
私はずっと間違った認識で世界を見ていたことを。
もっと早く気がつきたかった。
そして願わくば、私と同じ末路を辿らんことを。