翌朝の東京は、前夜の初雪が嘘のように晴れ渡っていたが、その澄み切った大気の下で、日本の治安中枢と水面下に潜む諜報網には、有史以来最大の激震が走っていた。
東都自動車会長・枡山憲三の現行犯逮捕。
それは単なる経済界の疑獄事件の枠を遥かに越え、世界規模の秘密組織が日本国内に張り巡らせていた「兵站の動脈」が、公権力によって断ち切られたことを意味していた。
警視庁本部ビル、一般の立ち入りが厳しく制限された公安部の専従分室。
重苦しい遮音壁に囲まれた執務室で、警部補の風見裕也は、受話器を握りしめたまま額の冷汗を拭った。回線の先は、霞が関――警察庁警備局警備企画課の指揮官。
「……はい。捜査一課と地検特捜部が押収したワルサーPPK、および消音器の鑑識が終了しました。銃身の腔線(ライフリング)は未登録、製造番号は削り取られていましたが、スライド内部の加工痕から旧東ドイツ製の闇ルート品と推定。そして……枡山の上着内ポケットから採取された紫のハンカチから、銃器専用の特殊潤滑油(ガンオイル)の成分、ならびにサイレンサーのネジ山と合致する微細な金属粉が検出されました。これにより、彼がハンカチで銃と消音器を包んで会場内へ持ち込んだことが科学的にも裏付けられました」
受話器の奥から、冷徹で抑揚のない官僚の声が返る。
『……目暮警部たちにあの告発ファクスを送りつけた発信元は割れたのか』
「いえ、公衆回線を複雑にホッピングさせた暗号化パケット通信で、追跡はすべて米花町周辺のノードで遮断されています。明らかに、警察や軍用の通信プロトコルに精通した何者かの手口です」
『……民間の情報屋の仕業ではないな。特捜部が押さえた東都自動車の裏帳簿、ならびに枡山憲三の身柄は、直ちに刑事部から警備局の専従班へ引き継がせろ。報道には徹底した箝口令を敷け』
「はっ! ですが、現場の特捜部と捜査二課が激しく反発しており……」
『国家の危機管理だと言ってねじ伏せろ。何としても奴の口を割らせ、組織の全容を公安が先に掴むのだ。……潜伏中の“彼”の安全を最優先とし、緊急時以外の接触は当面凍結する』
通話が切れた。
同時刻。首都高速のパーキングエリア、遮光フィルムが貼られたセダンの中。
運転席に深く身を沈めた金髪の青年――組織の幹部バーボンであり、警察庁警備局から送り込まれている潜入捜査官・降谷零は、特殊暗号化された携帯端末の画面を睨みつけていた。紫がかった瞳には、氷のような緊張が張り詰めている。
彼の端末に、先ほどジンから直接、短文の指令が着信していた。
『――ピスコが警察に落ちた。ネズミの引き金によるものだ。バーボン、貴様の人脈と情報網を総動員し、警視庁内部でピスコの取り調べを担当する検事および刑事を特定しろ。今夜中に、彼らの親族または本人の弱みを握り、ピスコを完全黙秘させるか、あるいは“事故”を起こさせろ。失敗は許されん――』
(ピスコが……警察に現行犯で抑えられた……!?)
降谷は奥歯をギリと噛み締めた。
潜入以来、組織の重鎮がこれほど無防備に、しかも警察の正面作戦によって生け捕りにされた前例はない。
公安内部の自分すら事前に全く関知していなかった作戦。それによってピスコが逮捕されたということは、組織の最高幹部たちが、今まさに「組織内に警察へ情報を流したスパイ(ネズミ)がいる」と確信し、血眼で査問を始めていることを意味する。
(一体誰が……? 警備局の別班か? いや、それなら事前に何らかの符丁があるはずだ。もし警察の預かり知らぬ第三者が仕掛けた罠だとしたら……僕を含め、組織に潜入している者すべての命が、ジンの疑心暗鬼によって危険に晒される……!)
ピスコ逮捕の余波は、日本国内で非公式に潜入捜査を続けていた合衆国の捜査官たちへも、瞬く間に波及していた。
港区の雑居ビルにある、目立たないセーフハウス。
遮光カーテンが降ろされた薄暗い一室で、ジョディ・スターリングは、暗号解読機が打ち出すテレタイプを読み上げていた。
「……ジェイムズ、日本の公式ニュースは単なる誤認逮捕と汚職の内偵として処理していますが、間違いありません。昨日、杯戸シティホテルで身柄を押さえられた東都自動車の会長……彼こそが、私たちが追っていた組織の資金調達ノードの一人です」
部屋の奥、ソファに腰掛けていた初老の男――FBI捜査官ジェイムズ・ブラックが、重々しく眉をひそめた。
「日本の警察が、あの組織の幹部を現行犯で逮捕したというのか……? 我々が何ヶ月もかけて糸口を掴めなかった相手を?」
「ええ。しかも、現場にはあの『クリス・ヴィンヤード(ベルモット)』も出席していた形跡があります」
その時、部屋の窓際、煙草の煙を燻らせていたニット帽の男――赤井秀一が、静かに振り返った。その緑色の瞳は、夜の獣のように鋭く研ぎ澄まされている。
「……偶然ではないな」
「シュウ、何か分かるの?」
「標的の暗殺計画、凶器の所持、そして警察の包囲のタイミング。すべてが一分の狂いもなく噛み合いすぎている。日本の警察機構の縦割り行政を知っていれば、捜査一課と特捜部がこれほど迅速に連携して現場を押さえるなどあり得ん。……警察を背後から動かし、組織の急所を外科手術のように正確に抉り取った『何者か』が、現場にいたということだ」
赤井は煙草をもみ消し、冷徹に告げた。
「組織の動きを警戒しろ。ジンは必ず、ピスコの身柄がある警視庁か、証拠が眠る東都自動車の施設へクリーンアップ部隊を送り込む。日本の警察と組織が衝突するその結節点に、我々も網を張る」
深夜一時過ぎ、日売テレビ本社・報道フロア。
最終版の深夜ニュースを終え、スタジオから戻ったばかりのアナウンサー・水無怜奈は、夜勤デスクの島にある自席のスチール机で、配られたばかりの臨時差し替え原稿を凝視していた。
『――警視庁および東京地検特捜部は、大手自動車メーカー「東都自動車」の会長・枡山憲三容疑者を、銃刀法違反ならびに贈賄の疑いで緊急逮捕――』
「水無、悪いが今夜は仮眠室に入らないでくれ」
すぐ背後で、当直デスクが慌ただしく電話を受けながら声を張り上げる。
「特捜部の家宅捜索の映像が上がり次第、早朝ニュースを待たずに臨時枠(スポット)で差し込むかもしれん。下読み頼むぞ!」
「……はい、分かりました」
怜奈はプロのアナウンサーとして即座に澄んだ声で応じたが、原稿用紙の束を握る指先は、わずかに白く強張っていた。
(ピスコが……警察に落ちた……)
机の引き出しの奥、二重底に隠された特殊な暗号通信端末が、無音のバイブレーションを微かに震わせている。
ディスプレイには、ジンの名義で全構成員へ向けられた、凍りつくような短文の指令ログが流れていた。
『――ピスコ関連の国内ノードをすべて遮断しろ。情報漏洩の兆候がある接触者は、疑わしきも含め即座に処分する――』
通信網のあちこちで、末端の構成員や関連会社の連絡先が、まるで電球が次々と割れていくようにオフラインへと切り替わっていく。
組織の血管を自ら焼き切るような、ジンの冷酷極まりない「クリーンアップ(証拠隠滅)」の嵐。
(内部通報者がいる……? それとも、警察の中に組織の息の根を止めに来た何者かがいるの……?)
水無怜奈は深く息を吸い込み、冷え切った指先で喉元のタイピンマイクを付けた。
もし、この未曾有の激震の中で足元を掬われれば、父の遺志も、自らの命も、一瞬でジンの銃口の前に消え去る。
(誰が仕掛けたのかは知らないけれど……東京の闇の底で、何かが決定的に壊れ始めている……)
彼女は速報原稿を丁寧に折りたたんでスーツのポケットに収めると、靴音を響かせて再び報道フロアへと歩き出した。
外部の機関がそれぞれ疑心暗鬼と警戒を強める中――。
米花町・阿笠邸の地下工房は、驚くほど静まり返っていた。
自分たちの味方は、この地下室にいる四人のみ。完全に孤立無援の陣営だった。
テーブルの上には、昨夜フロッピーから物理ダンプした東都自動車の資金洗浄ログのプリントアウト。
そして、阿笠博士が淹れた温かいアールグレイのカップから、スキットルのブランデーの芳醇な香りが漂っていた。
「……ヤンさん、本当にこれで良かったのか?」
コナンが腕を組み、険しい顔で口を開いた。
「ピスコを逮捕させたのは大金星だが、今朝のニュースを見たろ? 警察は拳銃の所持を否定し、報道規制を敷いた。完全に公安が握りつぶしにかかってる。これじゃ、特捜部の取り調べも骨抜きにされちまうんじゃないか?」
「逆だよ、工藤君」
ヤン・ウェンリーは、文庫本から視線を上げずに穏やかに答えた。
「警察が報道を規制したということは、『警察組織の中で、この事件の真の重みを理解している部署が主導権を握った』という証拠だ。もし単なる汚職として派手に記者会見を開いていたら、それこそ絶望的だったよ。敵に『警察は何も分かっていない』と悟られ、口封じの工作を容易に許してしまうからね」
「でも……」
隣でパソコンのキーボードを叩いていた灰原哀が、不安げに青ざめた顔を向けた。
「組織の報復が始まるわ。ジンは絶対にピスコを生かしてはおかない。警察署への襲撃や毒殺、あるいはピスコの家族や関係者の抹殺……あらゆる手段を使って証拠を消しに来るはずよ」
「その通りだ、宮野君。だからこそ、ここからが真のチェス盤の勝負だよ」
ヤンは本を閉じ、テーブルの中央へ置いた。
「いいかい、二人とも。今、この東京の街で何が起きているか、客観的な戦力配置(オーダー・オブ・バトル)を整理してみよう」
ヤンは鉛筆を手に取り、白紙のノートに円を描き始めた。
「第一に、黒の組織。彼らは最重要の資金源を失い、パニック状態で『損切り(クリーンアップ)』を急いでいる。目標は二つ。ピスコの完全黙秘、そして彼が管理していた裏帳簿やダミー会社サーバーの物理的消滅だ」
「第二に、日本の公安警察。彼らはピスコの身柄を確保したが、組織の全容も見えず、また外部からの謎の告発によって事件が起きたため、組織内部に潜入させているであろう自国の捜査官の身元露見を極度に恐れ、身動きが取れなくなっている」
「そして第三に、他国の情報機関だ」
ヤンはノートの外側に、小さな矢印をいくつか描き足した。
「彼らを長年追ってきたアメリカの情報機関が、この千載一遇の好機を前にして指をくわえて見過ごすはずがない。もちろん、スパイ映画みたいにCIAやFBIの捜査官が銃を隠し持って都内を走り回る、なんて派手な真似はしないよ。他国の主権下でそんな愚挙をやれば警視庁の公安部に即座に捕捉されるし、日本の警察上層部に組織の内通者が潜んでいるリスクを考えれば、正規の捜査共助なんて悠長な手続きを踏むわけがない。必然的に、彼らの動きは非公式で秘密裏なものになる」
「……アメリカ? どうして彼らがその組織を長年追ってるって分かるんだ?」
「簡単なことさ、工藤君」
ヤンは紅茶を一口すすり、静かに言った。
「東都自動車が組織に食い荒らされていた期間を逆算してみるといい。十年か、あるいは二十年か。その間、世界中でどれだけのドルが闇に消え、どれだけの先端技術が海外へ不正流出したと思う? ドルの番人であるアメリカの金融監視網が、その巨大な『穴』に気づいていないはずがないんだ。アメリカの情報機関にとって、この組織は昨日今日現れた通り魔じゃない。世界中で網をすり抜け、自国の経済や要人を脅かし続けてきた『十年来の正体不明の亡霊』だよ。何代もの分析官がヤツらの尻尾を掴もうとファイルを更新し続けてきたはずだ。だからこそ――この千載一遇の破綻を前に、彼らの執念が動かないはずがないのさ」
ヤンの言葉に、コナンは息を呑んだ。
「日本の公安だけじゃない……敵も、アメリカからの追手も、互いの素性を知らないまま、ピスコという一つの餌の周りに群がろうとしてるってことか……」
「そうさ。そしてこの状況で、最も犯してはならない愚策は何だと思うかい?」
ヤンは少年探偵の瞳をじっと見つめた。
「『こちらから正体を明かして、彼らを仲間に引き入れようとすること』だよ」
「え……? 協力し合えば、もっと大きな戦力になるんじゃないのか?」
「無理だね」
ヤンは苦笑し、首を横に振った。
「国家の情報機関というものはね、工藤君、子供のごっこ遊びじゃないんだ。彼らはそれぞれ国益を背負い、法律を無視して動いている。小学生の君や、身元不明の私が『やあ、僕たちが黒幕の情報を知っているから協力しよう』とドアを叩いたところで、待っているのは共同戦線ではない。『身柄の拘束と、徹底的な尋問(情報の搾取)』だけだよ。組織に消される前に、どこかの取調室で一生を終えることになる」
冷徹な現実を突きつけられ、コナンは言葉を失った。
「じゃあ……どうするんだよ! 警察も他国のスパイも互いを警戒して足の引っ張り合いになれば、ジンはその隙を突いて証拠を消しちまうぞ!」
「だからこそ、彼らには『互いに顔を合わせないまま、こちらの意図通りに動いてもらう』のさ」
ヤンは不敵に、しかしどこか悪戯っぽく微笑んだ。
「彼らを同じ場所に集めて味方にする必要はない。彼らの『立場』と『行動原理』を利用して、それぞれ別の場所に、敵の攻撃ルートを塞ぐ障害物(バリケード)として配置してやるんだよ」
ヤンはノートの図を指差した。
「敵の行動を予測しよう。ジンがピスコの口を塞ぎ、証拠を消すために、今夜必ず狙う場所が二カ所ある。一つは、ピスコの身柄がある警視庁本部の留置施設。もう一つは、彼が管理していた莫大な裏帳簿データが眠る東都自動車本社の電算センターだ」
「留置所への直接襲撃はリスクが高すぎるわ」と灰原が指摘する。「いくらジンでも、白昼堂々警視庁本部を爆破するような真似はしない。狙うなら……外部からの毒殺か、移送の瞬間よ」
「その通りだ、宮野君。だから留置所の方は、公安警察が自前の防諜マニュアルに従って厳重に警備していれば、当面は手が出せない。……問題は、もう一つの場所だ」
ヤンは東都自動車本社ビルの見取り図を指先でトントンと叩いた。
「港区にある東都自動車本社。特捜部が踏み込んだ時点で、彼らは証拠隠滅を防ぐためにビルの基幹回線を物理的に引き抜いている。つまり、敵は外部からの遠隔操作(リモートワイプ)でデータを消すことが原理的にできないんだ。となれば、ジンが証拠を消滅させる手段はただ一つ。『工作員をビル内へ物理的に潜入させ、地下のサーバーラックをテルミット焼夷弾などで焼き払うこと』だ。奴らは警察の夜間警備が最も緩む今夜未明、必ずその火種を持ち込んでくる」
「待てよ、ヤンさん!」
コナンが身を乗り出した。
「ピスコを追い詰めた時みたいに、警察に『今夜東都自動車が襲撃される』って通報すりゃいいじゃねえか! パトカーや機動隊が山ほど押し寄せて厳重に包囲すりゃ、ジンたちだって手を出せずに引き下がるだろ!」
「いいや、警察に通報しちゃいけない最大の理由がそれだよ、工藤君」
ヤンは静かに首を横に振った。
「もし警察が大挙してビルを取り囲めば、遠くから偵察したジンは『警察にタレこんだ内部の裏切り者がいる』と直感する。そして、サーバーを押さえられたら組織が終わる以上、奴らは決して諦めて帰ったりはしない。潜入が無理だと分かれば、警察内部の内通者を動かしてデータを消させようとするか、最悪の場合、外からロケット弾を撃ち込むような大規模な破壊テロに手段をエスカレートさせるだけだ。……だが、現場に網を張るのが日本の警察ではなく、アメリカの情報機関だったらどうなると思うかい?」
コナンがハッとしたように目を見張る。ヤンはその視線を受け止めながら言葉を継いだ。
「ジンの工作員が現場に足を踏み入れた瞬間、待ち構えているのは赤色灯をつけた警察官じゃない。暗闇の中に潜む、自分たちと同じ軍事訓練を受けた『同種のプロたち』の殺気だ。ジンたちはこう錯覚するのさ。――『なぜここにアメリカの部隊がいる!? まさか、俺たちの極秘通信システムが、アメリカ国家安全保障局(NSA)の電子監視網に筒抜けになっていたのか!?』とな」
ヤンは紅茶のカップをソーサーに戻した。
「内部の裏切り者なら殺せば済むが、『通信システムそのものが破られた』という疑心暗鬼は、あの慎重な組織にとって最大の悪夢だ。自らの通信セキュリティが崩壊したと判断した瞬間、彼らの鉄則はただ一つ――作戦の即時中止と、痕跡を消しての完全潜伏しかない。奴らは戦うことすら選べず、脱兎のごとく逃げ出すよ」
ヤンの冷徹な心理誘導に、コナンは言葉を失って息を呑んだ。
「……敵を力で押し返すんじゃない。『通信が割られた』と錯覚させて、自ら手を引かせるのか……!」
「そうさ。そしてそのための仕掛けを、今から起動する」
ヤンは立ち上がり、阿笠博士に向き直った。
「阿笠博士。昨夜解析した東都自動車のネットワークプロトコルを使って、『ある特定の通信パケット』を外部の回線へ放流してほしい」
「ほ、放流……? どこへじゃ?」
「都内の主要プロバイダのバックボーンを経由させて、インターネットの基幹回線へ垂れ流すんだ。内容は極めてシンプルでいい」
ヤンはメモ用紙に、短い文字列を走り書きした。
Plaintext
[ALERT: PISCO NODE COMPROMISED]
EMERGENCY PURGE SCHEDULED: 02:00 JST
TARGET: TOHTO MOTORS HQ / B2F SERVER ROOM
BACKUP EXTRACTION KEY: [昨夜ダンプした暗号鍵の断片]
灰原が息を呑んだ。
「これ……組織の緊急消去プロトコルを模した偽のダミーパケット!? こんなものをネットの基幹回線に流したら……」
「そうだよ、宮野君。アメリカの国家安全保障局(NSA)や大使館の特別収集隊(SCS)が、都内の通信トラフィックを常時監視していないはずがない。彼らの自動検知システムには、長年追ってきた組織の通信シグネチャが登録されている。そこへこのパケットを流せば、彼らの巨大な『電子の耳』が即座に反応して緊急フラグを立てる。『今夜午前二時、組織が東都自動車の地下サーバー室を破壊しに来る』とな」
「……そしてNSAから連絡を受けた、日本に潜伏しているCIAやFBIの実動チームが、自国の手柄にするために現場へ先回りする!」コナンが叫んだ。
「その通りだ。他国のプロフェッショナルたちがビルの外周に鉄壁の監視スクリーンを形成し、ジンが差し向けた破壊班は、その気配を察知した瞬間に罠だと恐れおののいて撤退する。……これで、警察が押収したサーバーは無傷で守られ、組織の資金源は司法の手で完全に解体されるよ」
他人の手で敵の物理的攻撃を完全に封殺し、自分たちは血も流さず、現場にも立たず、目的の果実だけを確実に収奪する。
不敗の魔術師が仕掛けた、見えざる多重包囲網――。
深夜二時の東都自動車本社ビルを巡る、静かなるインテリジェンス・トラップが、今まさに起動しようとしていた。